自公提出方針ヘイトスピーチ規制法案は憎悪表現を憲法保障の表現の自由に当たる言動の一類型と見ているのか

2016-04-09 07:46:07 | 政治

 自民、公明両党が4月〈5日、特定の人種や民族に対する差別的言動を街頭で繰り返すヘイトスピーチの解消に向けた法案をまとめた。憲法が保障する表現の自由の重要性に配慮し、禁止や罰則の規定は盛り込まない理念法にとどめた。近く国会に提出する方針だ。〉――

 4月5日付「毎日jp」記事が冒頭このように伝えている。

 在日コリアンを対象としたヘイトスピーチを「日本以外の国または地域の出身者で適法に居住するものを、排除することを扇動する不当な差別的言動」と定義したと法案内容を解説している。

 「排除」とは本質的にその存在を認めないとする意志表示でり、存在抹殺願望そのものを意味する。

 「仇(かたき)なす敵は皆殺し」

 「朝鮮人皆殺し」

 「朝鮮人、首吊れ、毒飲め、飛び降りろ」

 ヘイトスピーチデモでプラカードに書いたこれらの言葉やこれらの言葉を口々に叫ぶシュプレヒコールは存在抹殺願望そのものを示していて、その最たる意志表示であろう。

 記事は法案を取り纏めた公明党の遠山清彦座長代理の禁止・罰則規定を見送ったことについての記者団への会合後の発言を伝えている。

 遠山清彦「公権力が特定言動を取り締まることは、憲法との整合性に疑義があるため」――

 要するに記事が冒頭で解説しているように〈憲法が保障する表現の自由の重要性に配慮し〉たということであろう。禁止したり、罰則を与えたりしたら、表現の自由を保障した憲法との整合性が取れなくなると言うわけである。

 と言うことは、ヘイトスピーチ(=憎悪表現)を憲法が保障している表現の自由に当たる言動の一類型と見ていることになる。

 一類型と見ているから、禁止・罰則は憲法が保障する表現の自由に抵触しかねないことになって、それはできませんから、理念法が限度だとしていることになる。

 日本では在日コリアンに対する存在抹殺願望の意志表示としてのヘイトスピーチ(=憎悪表現)を日本国憲法保障の表現の自由に当たる言動の一類型と見て、禁止・罰則を避ける。

 一度ブログに書いたが、2014年10月の各国の見所やグルメ等を混ぜこぜにして海外旅行を紹介するテレビ番組がドイツでは店を訪れたりなどして何かを注文するために右手を肩のところに上げて、その平を前に向けるのはナチスの敬礼を連想させるために法律で禁止されていると海外知識を披露していた。

 サヨナラをするときも、指を5本とも閉じた状態で手の平を相手に向けて振るのは禁止されていて、指を開いた状態で振らなければならないのだという。

 手をどう振ろうと、ドイツ憲法が保障している表現の自由の一つであるはずだが、ナチスを連想させる仕草や表現が禁止されている。

 「Wikipedia」には次のような記述がある。

 〈ドイツの憲法であるドイツ連邦共和国基本法は、基礎としている自由主義・民主主義を防衛する義務を国民に課し、表現の自由や結社の自由などを自由主義・民主主義に敵対するために濫用した場合は、これらの基本権を喪失する旨の規定が置かれている。〉

 ドイツではナチスに支配された経験から、このように表現の自由に反する言動に厳しいタガをはめて、それを守る強い意志を示しているが、自公与党はヘイトスピーチ(=憎悪表現)を憲法が保障している表現の自由に当たる言動の一類型と見て、禁止・罰則を免除する程々の規制で済ませようとしている。

 ドイツと比べてこのように表現の自由に対して毅然とした対決姿勢を取り得ない緩い姿勢は表現なるものに対する馴れ合いを示していないだろうか。

 もし示しているとしたら、それは在特会への馴れ合いから発している姿勢であろう。なぜなら、安倍晋三のような戦前回帰の国家主義者は自由主義・民主主義を厳格に奉じる者の表現に対しては常に規制・抑圧したい衝動を抱えていて、その反動としてある見逃しだろうからである。

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