山本太郎が「生活の党と山本太郎となかまたち」を代表して4月29日(2016年)、首相官邸に対して〈「最悪の事態に備える」(prepare for the worst)という危機管理の大原貝」に反する〉として川内原発即時停止の「申し入れ書」を手渡した。
但し安倍晋三に直接手渡したわけではなく、当日通告の申し入れのため首相官邸に入れて貰えず、結局のところ首相官邸前で事務方が受け取ったスッタモンダを山本太郎は自身のブログ《山本太郎オフィシャルブログ「山本 太郎の小中高生に読んでもらいたいコト」》(2016年4月49日)に書いている。
そこに次のようないいことを書いている。文飾は当方。
〈予測不能の度重なる地震に対して、人々の生命・財産をどう守るか。最大限の予防原則に立つ事が、危機管理の鉄則。〉
川内原発停止要求は何も山本太郎一人の意思限定ではなく、かなり多くの国民の意思をも代弁している停止要求である。官邸内で受け取らずに官邸前で受け取ったのは正式のものではなく、非公式の形式にするためだったと思われるが、もしそうだとすると、非公式とすることで多くの国民の意思を無視し、その意思が表現している「人々の生命・財産」への思いを同時に軽視したことになる。
国民の生命・財産を守る方法論は違っても、人間の考えに絶対がない以上、少なくとも軽視してはならないはずだが、理由が何であれ、官邸内ではなく官邸前で受取るという軽視を見せた。
安倍晋三が言う「国民の生命・財産を守る」が信用できない所以である。
東日本大震災にしても熊本地震にしても、規模の違いはあっても、誰もが予測していなかった非予測性を代表する災害としてそれぞれの地域を突然襲った。前者は東北地方太平洋沖を震源とするマグニチュード9.0、最大震度7の地震によって各地を大津波が襲い、福島第1原発では津波によって全電源喪失を招き、原子炉冷却が不能化し、放射性物質が外部に漏れて、最初は第1原発から半径2Km以内、3キロ以内、10キロ以内、20キロ以内と避難指示範囲を広げていき、住民は逃げ惑うこととなった。
そして事故の程度を1986年に旧ソ連で起きたチェルノブイリ原発事故と同じ「レベル7」の暫定評価とすることになった。
国民は地震の非予測性を受けた原発重大事故(シビアアクシデント)の非予測性を知ることになった。この知の経緯(知るという認識の経過)によって地震と津波に連動した原発事故に関わる非予測性を予測可能性に替えて国民の多くは受け止めることになったはずだ。
原発のある地域で重大な地震が発生した場合は重大な原発事故に繋がるかもしれないという予測可能性である。
このことによって原発の再稼働・稼働許可は原発の下や近くに断層が通っていないか、通っていたとしても、その断層は活断層か不活断層かが常に問題となっている。
原発事業者は通っていたとしても不活断層だと言い、許可側がそれに疑いを差し挟んだり、原発反対派が活断層の疑いがあると主張すると、決まって揉めることになる。
だが、例えそれが不活断層だと認定されたとしても、永遠に不活断層にとどまる予測可能性に安んじることはできないこと、常に非予測性を想定していなければならないことを東日本大震災によって知らされることになった。
東日本大震災2011年3月11日発生1カ月後の4月11日、福島県浜通りを震源とするマグニチュード7.0、最大震度6弱の地震は東日本大震災の余震とされたが、それまでは東電の調査で不活断層としていた湯ノ岳断層が動いたことによる地震とされた。
具体的には湯ノ岳断層は過去の研究で活断層と見られるとされていたが、東電は調査したものの、過去12万~13万年前以降に動いていない断層は再び地震を起こさないとの想定のもと作成されている原子力安全委員会の新指針に従って活断層の想定外に置いた。いわば不活断層と看做し、そこに一切の非予測性を見ず、不活断層であるとする予測可能性を既成概念化していて、活断層化するかもしれないという逆の予測可能性を想定していなかった。
だが、このことによって不活断層とされても、それを裏切る非予測性を想定し、活断層化する予測可能性に立って判断しなければならないことを多くが学ばされることになった。
今回の熊本地震にしても非予測性に満ちた地震は他に例を見ない。最初の4月14日午後9時26分のマグニチュード6.5,最大震度7の地震は北東や南西方向の別の断層を動かし、最大震度6強や5強の地震を引き起こした。
気象庁は14日の地震を本震と見なしていたが、4月16日午前1時25分のマグニチュード7.3、最大震度6強の地震を本震とし、14日の地震を前震に変えた。そして16日以降も地震は各地に飛び火し、広域多発化した。
震度度1以上の地震回数は1000回にものぼり、最大震度7が2回、震度6強が2回、震度6弱が3回、震度5強が3回、震度5弱が7回、震度4が80回となっているとマスコミが伝えている。
この非予測性を纏った広域多発化した立て続けの地震によって、地震が活断層から活断層に飛び火していくことを知り、このような現象を否応もなしに予測可能性のうちに入れなければならないことになった。
当然、不活断層を活断層化していくことも予測可能性としなければならない。
気象庁が「今までの経験則から外れている地震」と言っていることは熊本地震の非予測性の指摘であるが、例え他に例を見ないからと言って熊本地震にとどまる非予測性とするのではなく、一度でも経験することによって、今後共あり得るかもしれないとする予測可能性に変えていかなければ国民の生命・財産を守る危機管理は成り立たない。
熊本地震の震源域と川内原発の距離は約150キロあるとネット上に記載があるが、距離が離れていることから、何の支障もなく稼働し続けることになるだろう。
だが、災害は当初は常に非予測性に満ちている。この非予測性に対して距離があるからと、あるいは近くに走っていのは不活断層だから大丈夫、あるいはあり得ないを予測可能性とし、このことを既成概念とした場合、災害の既成概念化できていない非予測性によって、予測可能性がいつ裏切られるか分からないことを学んでいる。
災害が起きてから、あるいは原発事故が起きてから、非予測性を予測可能性として学び、既成概念化するのでは遅過ぎるし、この上なく危険なことになる。
安心を予測可能性とするのではなく、常に非予測性に立って危険を予測可能性とすることが国民の生命・財産をより万全な形で守る危機管理となるはずだ。
危機管理をこのような形に持っていくためには当然、川内原発の稼働を一時停止しなければならない。
だが、安倍晋三にはこのような危機管理を一切持ち合わせていない。