安倍晋三の熊本地震被災地訪問は広島土砂災害で国民の命よりゴルフ優先の“オオカミ少年”を正体としている

2016-04-30 11:56:20 | 政治


 安倍晋三が国民の生命(いのち)をどう考えているのか、2014年8月20日発生・74人死亡の広島土砂災害時の危機管理対応を見れば一目瞭然とする。

 その日午前3時20分から40分にかけて、局地的な短時間豪雨によって広島市安佐北区可部、安佐南区八木・山本・緑井等の住宅地背後の山が崩れ、同時多発的に大規模な土石流が発生した。

 広島市消防局は8月20日午前3時20分頃の土砂崩れで土砂に埋まった子ども2人のうち2歳の男児が午前5時15分頃心肺停止の状態で発見されたと発表。

 その後2歳の男児の死亡が確認され(搬送された病院でだろう、このことは後で説明する)、もう1人の11歳の男児も心肺停止の状態で発見されたが、その後病院で死亡が確認されたとマスコミが報じていた。

 私の中では心肺停止の状態とはほぼ死の状態だと思っている。心肺停止になったときにそこに誰か第三者が存在していたなら、蘇生にとりかかるか、救急車を急いで呼ぶか、いずれかの救命措置を取ることができて、蘇生に成功するケースもあるだろうが、行方不明になって捜索の末に一定の持間が経過したのちに発見された場合の停止した心肺はそんなに長く持つはずはないからだ。

 だが、マスコミはこのような経緯の発見であっても、心肺停止状態で発見されたと報道する。

 今年4月6日午後2時35分頃、鹿児島県の海上自衛隊鹿屋基地を飛び立った航空自衛隊「U125」点検機が基地北方の高隈山山中で墜落し、乗員6人が行方不明になったときも、最初は約1日経過の7日午後1時15分頃1人、次に7日午後3時40分頃3人、8日午前9時25分頃1人、最後に午前9時50分頃1人が順次発見されたが、全て心肺停止状態の発見とされた。

 勿論、発見される少し前まで心肺が活動していた可能性も考えられるが、マスコミが「心肺停止」と伝えたのちに蘇生したとの報道に接したことは記憶する限り一度もない。

 なぜ一定の持間が経過した後の発見であっても「心肺停止の状態」とされるのか、ネットを調べてみた。文飾は当方。

 《「心肺停止」と「死亡」の違い》違いがわかる事典)    

 〈心肺停止とは、心臓も呼吸(肺の動き)も停止した状態。心音と呼吸の有無の確認でわかるため、誰でも心肺停止の判断は可能である。

 心肺停止状態であっても、心臓マッサージやAED(自動体外式除細動器)、人工呼吸などで蘇生する可能性があるため、死亡状態とはいえない。

 ただし、心臓が停止し脳に血液が行かなくなると、4~5分程度で脳は回復不可能な障害を受けるため、心肺停止状態になったら迅速な救命措置が必要となる。

 日本では、心肺停止(心停止と呼吸停止)のほかに、脈拍停止と瞳孔散大の4つを確認し、医師が死亡を宣言しなければ「死亡」とはならず、医師以外の者が死亡を宣言することはできない。

 事故や災害などで、明らかに死亡している人が発見された場合であっても、警察や消防では死亡の宣言ができない。

 ニュースで伝えられる「心肺停止の状態」は、死亡しているだろうけれども、まだ医師の診断ができていない状態というのがほとんどである。

 海外では、日本と同じ手順で死亡が確定するとは限らない。

 そのため、日本のメディアが「心肺停止」と伝える状態を、海外のメディアでは「死亡」と伝えられていることも多い。〉――

 広島市の土砂災害で8月20日午前5時15分頃心肺停止状態で発見された2歳男児は8月20日午前3時20分頃の土砂崩れの被害に遭い、約2時間も土砂に埋められた状態でいたのだから、発見時明らかに死亡した状態であったはずだが、医師の死亡診断を待つために病院に搬送したということなのだろう。

 一定の持間後に発見された心肺停止状態の人間の家族・親類縁者は生きていて欲しい、蘇生して欲しいと切実に願うだろうが、救命を業務としている消防・警察・自衛隊は一定時間後発見の心肺停止イコール死と観念しなければならないだろうし、ましてや国家の危機管理を与る政府は心肺停止でも死と捉えて対応することを迫られるはずだ。

 広島土砂災害時、政府は8月20日4時0分に首相官邸危機管理センターに情報連絡室を設置し、情報収集に当たった。

 2015年4月25日放送のTBS「報道特集」が入手した広島土砂災害時の広島県警無線交信記録は8月20日午前3時台から「増水」、「氾濫」等の大雨に関する言葉がより多く交わされ、午前4時台になると、「土砂崩れ」、「土石流」といった土砂災害に関する言葉が、午後5時台になると、「人命」、「危険」、「倒壊」といった人命の危険に関わる言葉が主として交わされたと報道している。

 当然、8月20日4時0分設置の政府情報連絡室は4時時点から遡るこういった情報と4時以降の情報は同時進行の形で把握していたはずだし、把握していなければならない。

 大雨の情報ばかりか、土砂崩れや土石流の情報、子ども2人が土砂崩れで生き埋めになったこと、持間が経過した発見なら死亡と判断しなければならない心肺停止の状態で発見された情報等々を持間の経過と共に全て把握し、持間の経過と共に犠牲者が増える可能性を想定していなければならなかったはずだ。

 そして既に発生した情報と共に今後発生が予想される情報を国民の生命・財産――国民の危機管理全般を与る安倍晋三に適宜伝えていたはずだし、伝えていなければならない。

 2014年8月20日夏休み中の安倍晋三の「時事ドットコム」記事を引用した動静を《首相動静watcher》(2014/08/20)から見てみる。文飾は当方。 


 午前7時22分、山梨県鳴沢村の別荘発。同26分、同県富士河口湖町のゴルフ場「富士桜カントリー倶楽部」着。

 森喜朗元首相、茂木敏充経済産業相、岸信夫外務副大臣、加藤勝信官房副長官、萩生田光一自民党総裁特別補佐、山本有二同党衆院議員、日枝久フジテレビ会長、笹川陽平日本財団会長とゴルフ。

 午前9時19分、同所発。同22分、別荘着。
 午前9時41分、別荘発。
 午前10時59分、官邸着。
 午前11時から同22分まで、危機管理センターで古屋圭司防災担当相、西村泰彦内閣危機管理監。菅義偉官房長官同席。同23分から同24分まで、報道各社のインタビュー。「広島市の土砂災害で政府の対応は」に「政府一体となって、救命救助の対応に当たるように指示を出しました」

 午後0時44分から同1時22分まで、北村滋内閣情報官。
 午後2時、官邸発。同1分、公邸着。
 午後5時19分、西村内閣危機管理監が入った。
 午後5時44分、西村氏が出た。
 午後5時54分、公邸発。
 午後7時42分、別荘着。
 21日午前0時現在、別荘。来客なし

 要するに8月20日午前7時26分以後からゴルフに取りかかり、午前9時頃近くまでプレーして、午前9時19分近くにゴルフを切り上げて別荘に向かった。

 約2時間近くゴルフを続けていたことになる。

 当時の古屋防災担当相が翌8月21日午後4時からの災害対策会議後に記者たちの質問に答えている。ツイッター「朝日新聞官邸クラブ」からの採録である。文飾は当方。

 記者「調査結果内容、報告内容は」

 古屋「お亡くなりになった方が39人。そのうち身元が確認出来た方が14名、まだ確認出来ていない方が25名。安否不明という方が51名で、この中に25名の方との重複がどれだけあるかは精査している。このことが警察から発表された。これは午後2時現在です」

 記者「調査を踏まえた上での、現場での今後の課題は」

 古屋「まず、まだ行方不明者、安否不明者がいらっしゃいますので、警察・消防・自衛隊挙げてテック・フォース含めて徹底的な捜索活動をしております。これがまず最優先です。特に昨日まで、踏み込めないでいた地域もございます。

 2次災害の危険性があると。今はその状況も解消して全ての地区で入っております。まずこの捜索の徹底をし、行方不明者、安否不明者の確認をすることが最優先です」

 記者「今後、応援の増員などは」

 古屋「もう既に自衛隊も含めて警察も千人規模、自衛隊も650人規模で入っておりますので、それをしっかりと対応しながら担務(業務内容を分担して責任をもつこと。)に当たって貰うということです。

 記者「総理が指示後にゴルフを始めたことについて野党から批判の声が上がっているが初動については」

 古屋「それは全く批判は当たらないと思います。というのは私もこの状況を聞きまして、携帯電話で秘書官あるいは内閣府の幹部と連絡を取って、初めて連絡が不明者がいると出たのが6時十何分ですね。

 それは常に官邸にも総理秘書官経由で報告をいたしておりまして、最終的に死亡者が出たということがはっきりしたのが8時37分とか8分とかその頃に3人。それから、行方不明者がいらっしゃると。

 もうその時点で、総理にも連絡をして、その時点ではこちらに帰る支度をしてますので、まったくそういう批判はあたらない。常に連携をしながら対応をしているということだと思います

 記者「一旦、総理が官邸に戻った後に再び別荘に戻ったことにも批判があるが」

 古屋「そういう批判があることは私、承知しておりません。常に連携をとって私は防災担当大臣として常に総理、そして秘書官とも連携をとりながら、対応をしております。対応に何の問題もなかったと思っておりまして、批判はあたらないというふうに考えております」

 記者「別荘に戻ったことは事後対応としても全く問題なかったと」

 古屋「現実に何か支障は一つも起きておりませんですし、常に我々は内閣そして防災担当が連携をしてやっており、常に総理にも報告をしながら対応をしているということであります」(以上)

 古屋は「最終的に死亡者が出たということがはっきりしたのが8時37分とか8分とかその頃に3人。それから、行方不明者がいらっしゃると。

 もうその時点で、総理にも連絡をして、その時点ではこちらに帰る支度をしてますので、まったくそういう批判はあたらない。常に連携をしながら対応をしているということだと思います」と発言、初動に何ら問題はなかったとしている。

 「NHK NEWS WEB」記事が土砂崩れに巻き込まれた2人の子どもの心肺停止とその後の死亡、77歳の女性が同じく土砂災害に遭い、発見後死亡が確認されたことを報道した日時は「8月20日 11時50分」となっている。

 だが、テレビの報道は記事報道に先行する。それが「8時37分とか8分」の犠牲者確認だとしているとすると、安倍政権の危機管理上の情報収集はテレビの前に座っていて、その情報に頼っていることになる。

 広島県警や広島市消防局が警戒・救助等で災害現場に派遣した職員との間でそれ程の時間差なく、ほぼ同時進行で災害状況を交信していたことは広島市消防局が2人の子どもが土砂に埋まった持間を8月20日午前3時20分頃と発表したこと、さらに例え残酷であっても、死亡と判断しなければならない約2時間後の心肺停止状態での発見が午前5時15分頃としていることが証明しているし、広島県警が現場との無線交信記録を全て残していることが証明している。

 だが、政府情報連絡室は刻々と深刻化していくそれらの交信情報は一切収集も利用もしていなかったことになる。

 何よりも決定的なのは広島県が広島市内で土砂災害が発生し人命救助が必要だとして広島県海田(かいた)市駐屯の陸上自衛隊に災害派遣を要請したのは8月20日午前6時半で、県知事から要請を受けた部隊は直ちに防衛省に連絡、出動の許可を取る。当然、防衛省から官邸に連絡が入ったはずである。

 防衛省のサイトでも「要請の概要」は「人命救助(行方不明者捜索)」となっている、

 要請理由が人命救助である以上、6時半以降の時点で犠牲者が出る可能性を想定した危機管理対応に出なければならない。

 これも防衛省から官邸に連絡はなく、テレビ報道に頼っていたとしても、派遣要請の報道は要請時間の6時30分から約1時間後の午前7時44分付で「NHK NEWS WEB」が報道していて、テレビではそれ以前に報道していたはずだ。

 つまり安倍晋三がゴルフをするために山梨県鳴沢村の別荘を発ったのは午前7時22分。その頃には少なくとも政府情報連絡室はテレビ報道で広島県の自衛隊派遣要請の情報を把握していなければならない。

 だが、政府情報連絡室は自衛隊派遣要請からも犠牲者が出る可能性すら想定していなかった。

 だから、犠牲者を確認してからではないと、安倍晋三に官邸入りを要請することができなかった。

 果たしてそのような危機管理はあり得るのだろうか。

 この疑問を解き、極く当たり前の国家の危機管理と整合性をつけるとしたら、政府情報連絡室は気象庁や国土省が設置している熊本地方の雨量計の記録の報告を刻々と受け、広島県警や広島市消防局、更には熊本県庁がほぼ同時進行で把握する情報を招集し、それらの情報と共に被害拡大や犠牲者拡大の想定を安倍晋三に報告したが、安倍晋三がゴルフを優先させたとしか謎解きしようがない。

 安倍晋三がその日の夕方山梨の別荘に戻ったのは安倍晋三が官邸を離れていても、危機管理はできることを行動で強弁するために違いない。戻ったのは資料を取りに行く用事と21日の昼食を葛西敬之JR東海名誉会長と別荘で取るためであった。

 資料は代理で済ませることができるし、昼食は中止できない相手ではあるまい。そうはせずにわざわざ別荘に戻ってまでして、それらの用事を済ませた。この意味のなさは官邸での首相不在に無理に正当性を持たせるパフォーマンスとしか解しようがない。

 既に死者が出ていると見なければならないはずにも関わらず、約2時間もゴルフのプレーを強行したことと翌21日の別荘の行動は安倍晋三の正体が国民の生命・財産よりも自身の用事や愉しみ事を優先させるリーダーであることを物語って余りある。

 そのような安倍晋三が今回の熊本地震に際して2度被災地を視察した。1回目は4月23日午前、熊本県益城町と南阿蘇村の2個所。南阿蘇村では避難所となっている久木野総合福祉センターを訪問している。

 安倍晋三(避難している人の手を取りながら)「皆さんの生活の支援に力を入れて参ります。困ったことがあれば、遠慮なく言っていただきたい」(YOMIURI ONLINE) 

 安倍晋三「地震が続くので心配でしょうが、国としてしっかりと応援していきます。何か困っていることがあれば言ってください」(NHK NEWS WEB

 2度目は大分県と熊本県。大分県由布市では由布院駅から駅前の商店街を歩き、地元の人たちがイベントを開いている豊後牛のステーキを試食して、「うまい」と発言したそうだ。

 避難所生活当初に被災者が満足な食事にありつけなかったことなどケロッと忘れているのだろう。

 「首相官邸」サイトには熊本県阿蘇郡の西原村の避難所を訪問して、〈避難されている住民の方々を激励しました。〉と書いてあるが、どういった言葉をかけて激励したのかは書いてない。 
 
 安倍晋三が例え激励の言葉をどのようにかけて「国民の生命と財産を守る」ことをどう表現しようとも、広島土砂災害で既に“オオカミ少年”を正体としていることを暴露してしまった。

 被災地訪問は単に危機管理対応を批判されて内閣支持率を下げることがないようにするためであり、下げて参院選挙を不利にしないためとしか見ることはできない。

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