山田宏元次世代が言うように子どもを生む親の責任の上に保育園整備等の行政の責任があるわけではない

2016-04-02 08:26:21 | 政治

 産経ニュース《【保育園落ちたブログ】炎上必至!? 自民から出馬予定の山田宏・元次世代の党幹事長が「ブログは落書き。生んだのはあなた。育児は親の責任》(2016.3.31 14:55)を読んだ。

 夏の参院選で自民党から比例代表候補として出馬する山田宏・元次世代の党幹事長(58歳)が、〈3月31日、自民党党東京都連の会合で、待機児童問題をめぐる「保育園落ちた日本死ね」ブログを「落書き」としたうえで「私にしてみれば、『生んだのはあなたでしょう。(育児は)親の責任でしょ、まずは』と言いたいところだ」と述べた。〉と記事冒頭で伝えている。

 そこに発言要旨が載っていた。

 山田宏「現在、保育園の問題が大きな問題になっている。私も杉並区長時代、相当苦労した。その結果、区議会の自民党の皆さまとも協力させていただいて、一時、待機児童がゼロになったこともあった。そのためには相当な費用がかかってまいる。行革をしつつ、その費用を子供が増える国に(充てる)、それが実現できるのは自由民主党だと考えている。

 『保育園落ちた日本死ね』というような、まぁ、落書きですね。こういうものを振りかざして国会で質問しているようでは、私は野党はだめだと思う。この言葉自体も、私にしてみれば『生んだのはあなたでしょう』と、『親の責任でしょ、まずは』と言いたいところだ。

 その上で、きちっと保育園等の整備をしていくことが私は大事ではないかと思う。そういったことなども含めて、やはり相当費用がかかってまいるけれども、これはまさに東京都の問題だと思っている。どうか私も先頭に立って頑張りたいと思うので、皆様方のお力添えをよろしくお願いする。

 その上で、きちっと保育園等の整備をしていくことが私は大事ではないかと思う。そういったことなども含めて、やはり相当費用がかかってまいるけれども、これはまさに東京都の問題だと思っている。どうか私も先頭に立って頑張りたいと思うので、皆様方のお力添えをよろしくお願いする」(以上)

 「Wikipedia」で山田宏の経歴その他を見てみた。

 〈東京都八王子市生まれ。国分寺市立第三中学校、東京都立国立高等学校、京都大学法学部卒業後、松下政経塾に入塾した(第2期生)[要出典]。熊谷弘衆議院議員の秘書を経て、1985年の東京都議会議員選挙に新自由クラブ公認で出馬し当選。〉

 思想的には南京事件否定論者であり、従軍慰安婦の強制連行を否定する歴史修正主義者として紹介されている。いわば日本民族優越論に染まっているために自国の歴史の暗黒面を認めまいとしている。

 確かに子どもを生む・生まないは極めて個人的な問題であって、親の責任の範疇に入る。だが、生まれると同時に社会が関わる。この社会とは主として国や自治体が行政作用を通して行う育児や子育てへの関与の協同的空間を意味する。

 当然、生む・生まないは親の責任であるが、その責任は出産と共に育児・子育てに関しては社会の責任と交じり合う。

 その理由はわざわざ断るまでもなく、出産とその成長が国の人口維持や労働力確保――つまりは日本の社会の維持、その活性化と発展に必要不可欠な人材面での要素となるからであろう。

 この中に文化の維持や発展も入る。

 そしてそのような必要不可欠の要請に基づいた社会の側からの責任の一つが保育所の整備であろう。

 また社会的人材は妊娠から始まり、出産・成長という過程を踏んで見るべき形を取っていく。その出発点のための社会側の責任として出産手当金や産休・育休等の制度を設けている。

 出産・育児・子育ての親の責任に社会の責任を交じり合わせなくてもいいと言うのだったら、いわば国の人口維持や労働力確保のための人材視していないし、全て親の責任だとするなら、出産手当金も出産後何カ月健診とか何年健診とかはやめたらいい。保育所の整備も必要なくなる。

 だが、山田宏は出産を含めた育児・子育てに関わる親の責任と国や自治体の行政作用を通した社会の責任が妊娠以後同時進行性でなければならないのに、出産は「『生んだのはあなたでしょう』と、『親の責任でしょ、まずは』と言いたいところだ。その上で、きちっと保育園等の整備をしていくことが私は大事ではないかと思う」との表現で、行政としては保育園等の整備はするが、育児・子育て、更に社会的人材への成長は全て親の責任だと、それぞれの責任を別個に見て、子どもを生む親の責任の上に保育園整備等の行政の責任を置いている。

 要するに子どもの成長過程の一時期に必要とする施設の整備・提供は行う、行政側のその責任は果たすとする、それだけの観点で出産・育児・子育てを見ているから、「生んだのはあなたでしょう」、「親の責任でしょ、まずは」と言うことになる。

 だからこそ、社会の責任を切実に求める「保育園落ちた日本死ね」のブログを親の責任とのみ切り捨てて「落書き」と貶すことができる。

 小学校からの義務教育にしても、高校教育にしても、更には大学教育にしても、子どもの社会的人材への成長に向けた親の責任に国や自治体の行政作用を通した社会の責任を交じり合わせているからこそ存在している教育制度であり、教育施設であるはずだが、育児・子育てを全て親の責任とするなら、これらの制度も施設も必要なくなる。

 但し国や社会が必要とし、期待する人材は望むことはできなくる。そのことを覚悟しなければならない。

 山田宏は東京大学と並んで日本の最高の大学の一つである京都大学を卒業し、その学びの上に58歳の今日まで社会から多くを知識することになったはずだが、国民個人と社会との関わりについては何も学習していない。いや、無知に等しいようだ。

 大学に実際に入学し、卒業してそこそこの知識を獲得していたとしても、学ぶことについてのノウハウを身につけていなければ、あるいは逆に間違ったノウハウを身につけることになっていたなら、大学の学業そのものが意味を失い、これこれこの通り京都大学を卒業していると触れ回ったとしても、学業に見合わない卒業ということになって、ある種の学歴詐称となる。

 どうも山田宏は学歴詐称の人であるようだ。

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