昨10日午後、平沼新党「どっこいしょ たちあがれ日本」の旗揚げ記者会見が東京都内のホテルで開催。《売国的な法案許さぬ…平沼新党旗揚げ会見》(YOMIURI ONLINE/2010年4月10日16時45分)――
「売国的な法案」云々は超保守主義者、日本民族優越主義者の平沼赳夫「どっこいしょ たちあがれ日本」党首の発言である。
平沼赳夫「今行われている民主党政権による政治は、この国をダメにしてしまうのではないか。売国的な法案が羅列されていて、それをいま表面に出してきている。断じて、我が日本のために、野放図に許してはならない」
現在の文化対等の世界観の時代に抗って日本的なすべてを絶対優位に置く自身の政治理念・思想が世界から嘲笑を集める点で、「売国的」であることには気づいていないらしい。
記事は当然のことながら共同代表に就いた与謝野馨の発言も伝えている。
与謝野馨「民主党には政治に対する哲学や思想がない。自民党には、野党として闘う十分な気力がない。反民主として、非自民として国民のために闘っていきたい」――
「民主党には政治に対する哲学や思想がない」と言うからには、己にはどのような優れた哲学や思想があると先ず明らかにしてから、それを以て民主党には欠いている哲学や思想だと指摘すべきではないだろうか。
いわば自分にはあって、民主党にはないものだと、その哲学・思想がどのようなものかの内容と民主党にはないとする根拠を明示すべきであって、明示せずにただ単に「民主党には政治に対する哲学や思想がない」と批判するのは民主党を一方的に悪者にする一種の情報操作に当たる。
勿論、与謝野馨は対談や何らかの記事で自身の「政治に対する哲学や思想」を発信してきているだろうが、そうであっても、記者会見の場で、「民主党には政治に対する哲学や思想がない」とする情報を発信するからには、それがどのような内容の「政治に対する哲学や思想」であって、自身にはあるとする裏付けの証明を併行して行わないことには自らが発信した情報に正当性を持たせたることはできないはずだ。
そういった手続きを踏まない場合、世の中には与謝野馨が言った言葉どおりに情報の鵜呑みをやらかせて、根拠を追及もせずに、「民主党には政治に対する哲学や思想がない」のだなと頭から信じ込む人間もいるはずだ。与謝野にとっては都合のいい情報操作となるかもしれないが、実質的には誤った情報処理を強いる根拠の無提示に当たる。
そこで与謝野馨が「民主党には政治に対する哲学や思想がない」と批判するからには与謝野自身は相当に優れた「哲学や思想」の持主に違いないと思って、触れているHPなりブログなりがないかとインターネットを探してみた。与謝野馨の著作を買って読むのはカネも時間も勿体ないし、面倒臭いからでもあった。
運よくというか、「与謝野馨Official Web Site」に「記事・論文・講演」を扱っているリンクがあり、《政治と教養をめぐって 与謝野馨×福田和也》と題した対談が載っているページに出くわすことができ、早速覗いてみた。一部抜粋だが、関心のある方はリンクさせて置いたから、覗いてみて欲しい。
対談の記載雑誌は新潮社の「波」。記載日付は2008年5月号。約1年前だから、この1年間でこの件に関する哲学・思想が変わっていることは先ずはないだろうという推測を前提として取り上げてみる。自身の政治的主張・言動の立脚点としている哲学・思想がそう簡単に変わって貰っては困るからだ。
《政治と教養をめぐって 与謝野馨×福田和也》(「波」2008年5月号)
政治の目的とは
福田「今回の御著書『堂々たる政治』の中で、フランス帝政時代の政治家フーシェにふれていますね。人間性については評価の低い人物ですが、ナポレオンからブルボン朝への橋渡しを混乱なく進めたという側面においては、非常に特異な政治家でした」
与謝野「彼は死ぬまで政敵の間をうまく立ち回った人です」
福田「バルザックの『暗黒事件』にも登場しますね。神学校教師からナポレオン政権下では大臣、ブルボン朝では公爵に――と思想には一貫性がなかったが、世の中を安寧に保った立役者でした」
与謝野「フーシェは非常に『政治的』な人間とされています。それで思い出すのが、三島由紀夫さんに中曽根康弘氏と財界人の会合で講演してもらったときのことです。昭和45年、亡くなる半年前でした。その時の三島さんの話は、『自分と楯の会は、政治の原則ではなく、精神の原則で行動している』ということ。その行動が人に影響を与えるなら、たとえ無効でも立ち上がることが重要で、最後は自分が腹を切ればいいと、いわば『行為責任』について話されたのを覚えています。
福田「なるほど。三島ならではの革命哲学として純化された陽明学ですね」
与謝野「では政治の原則とは何か。それは、現実に飢えた民を救えるかどうかが重要であって、精神が純粋か不純かの問題ではない。政治において問われるのは『結果』であり、政治の究極の目的は、『世の中が治まっていること』なのです」
「フランス帝政時代の政治家フーシェ」などという知識は私にはない。だが、与謝野が言っている「政治の原則とは何か」について語った言葉はどうにか解釈できる。
精神とか手段を問わずに「現実に飢えた民を救えるかどうか」の「結果」を出すことが「政治の原則」であって、「世の中が治まっていること」が「政治の究極の目的」だと言っている。
政治は「精神が純粋か不純かの問題ではない」、「問われるのは『結果』」だと言うなら、「民主党には政治に対する哲学や思想がな」くても構わない、「現実に飢えた民を救」うという「結果」、あるいは「世の中が治まっている」という「結果」さえ出せばいいということになる。
大体が精神が不純な人間に歪んだ哲学や思想を求め得ても、まともな哲学や思想は求め得ないにも関わらず、「精神が純粋か不純かの問題」とはせずに、民主党にはまともな「政治に対する哲学や思想」を求めるのは自分の言っていることにまともに反する矛盾そのものであろう。
これは二重基準を犯すものだが、いい加減な人間ではないからに違いない。
また、「現実に飢えた民を救えるかどうかが重要であって、精神が純粋か不純かの問題ではない」なら、国民を飢えさせさえしなければ、独裁政治でもいいということになる。与謝野の言葉は「結果」をすべてとしているのみで、精神の純粋性・不純性が深く関わる政治手法を問題としていないからだ。
果して「現実に飢えた民を救えるかどうか」が「政治の原則」なのだろうか。北朝鮮みたいな独裁体制が国民の貧困、飢えを招いている国に関しては、「現実に飢えた民を救えるかどうか」に「政治の原則」を置くことはできても、曲りなりに、あるいはそれ以上に食べていける民主国家に於いて、あるいは独裁国家であっても、「現実に飢えた民」は特殊な例を除いて存在しないのだから、「現実に飢えた民を救えるかどうか」に「政治の原則」を置くことは矛盾しないだろうか。
与謝野が言う「飢え」とは食物の「飢え」ではなく、精神の「飢え」と解釈することもできる。
だが、「政治の究極の目的は、『世の中が治まっていること』なのです」と言っている言葉との関連からすると、食物の「飢え」としなければ整合性が取れない。
曲りなりに、あるいはそれ以上に食べていける欲求を満たしたなら、人間は「世の中が治まっている」だけでは済まなくなるからだ。精神的・文化的に人間らしい活発な活動を次の欲求とすることになるだろうからだ。
当然「治まっている」だけでは終わらない様々な利害・矛盾が衝突する社会となる。
日本の現在が国民の多くが飢えていた戦後と同様の時代なら、「現実に飢えた民を救えるかどうか」に「政治の原則」を置くことはできる。だが、現在の日本は戦後と同様の時代ではなく、北朝鮮のように「飢え」は国民全体の問題として横たわっているわけではない。
そうであるにも関わらず、「現実に飢えた民を救えるかどうか」に「政治の原則」を置いている。与謝野が戦後の飢えた時代の頭のまま、日本の現在の時代に臨んでいるとしたら、時代錯誤も甚だしい。
「政治の究極の目的」は単に「世の中が治まっていること」ではなく、基本的人権の保障が破綻しないよう、それを確固と守りしつつ、国民が経済的にも精神的にも人間性豊に生き、活動できる生活の保障をすることであろう。
与謝野の「現実に飢えた民を救えるかどうか」の言葉、「政治の究極の目的は、『世の中が治まっていること』なのです」の、“納まっていさえすればいい”とする趣旨の言葉は双方共に自身を高みに置いた上から目線の響きが篭っている。
いわば国民を遥か下に置いた言葉となっている。
根拠を示さずに、「民主党には政治に対する哲学や思想がない」と言っていることにも小賢しい狡猾さを感じるが、余程自分は頭のいい男と思っているらしく、自己を何様に置いているようだ。
これは過ぎた批判だろうか。
――民主党に衆・参両院過半数のチャンスを――
《新党からの参院選出馬を否定=石原都知事》(時事ドットコム/2010/04/09-17:31)
自らが命名した平沼赳夫新党「どっこいしょ たちあがれ日本」の「応援団」を自任する石原都知事が9日の記者会見で、新党からの参院選出馬を「あり得ない」として否定したという。
〈来春の知事選への立候補も「無理だ。年寄りをいじめない方がいい」と述べ、改めて消極的な考えを示した。〉――
自身を要職から解放されるべき「年寄り」に位置づけて、大事な扱いを求めている。石原慎太郎の生年は1932年(昭和7年)9月30日だというから、人生77歳7ヶ月の途上にある。
但し、新党「どっこいしょ たちあがれ日本」応援団らしく、サポートしていくことを改めて表明。
「(新党への参加者を)老人だと言うが、若いやつは何をしているのか。みんな腰抜けではないか。戦争を体験した人間として、このまま死ねない」
自身を保護されるべき「年寄り」に位置づけていたと思うと、一転して、自分とたいして年齢の違わない新党参加者が老人であっても、腰抜けではないと意気軒昂なところを見せている。
若い奴はみんな腰抜けだ。老人だと言っても、若い奴と違って腰抜けではない。
その根拠を、戦争を体験しているからだとしている。戦争を体験した人間として、日本がこのままでは死ねない。
石原慎太郎の敗戦の昭和20年は13歳、「戦争を体験した」と言っても、自ら身を以て戦闘に明け暮れた従軍体験ではなく、単に銃後の体験でしかない。それを以て自分たちを「戦争を体験した人間」だからと戦争エリートに位置づけ、特別な人間だと価値づける。
例え直接戦争に関わり、生死の戦いを経験したとしても、それで以って自らを特別な人間とすることができるのだろうか。戦争体験で得た価値観をその後の人生の価値観として高め、役立て得る人間はそうは多くないはずだ。
しかも愚かしい侵略戦争を仕掛け、無残に負けた戦争を単に背後にいて体験したに過ぎないことを誇る。
それとも戦争を体験しない腰抜けの人間が大多数を占めたために現在のような日本になったとでも見ているのだろうか。だとしたら、なぜ戦争を体験した人間が大多数を占めていた間に戦争を体験できない時代に後から生れてきた日本人を、腰抜けではない「戦争を体験した人間として」より良い方向に導く指導ができなかったのだろうか。
指導できずに、腰抜けではない「戦争を体験した人間」から腰抜けの今の日本人が形成されたという逆説を生じせしめることになる。「戦争を体験」し、腰抜けではない人間となっていながら、後世の日本人を指導するだけの力量を欠いていたということでなければ、逆説に説明をつけ、納得のいく合理的な答とすることはできない。
戦争など体験しない方がいい。すべての世代に於いて体験しない人間で満たされたとき、その国に於ける平和の継続を証明することができる。
イラクやアフガンに於いても然り。戦争を体験しない世代の早い出現が望まれるはずだ。出現こそが平和の到来を告げる証となる。
日本の敗戦から70年、アジアの国々に対して謝罪を繰返している「戦争を体験した」と今以て誇る人間がいるとは驚きである。戦後の日本の復興を「戦争を体験した人間」が果たしたと見ているからだろうが、「戦争を体験した人間」の主体的な活動のみによって成し得た復興なら、アメリカに対して政治的にも経済的にも自国を下の立場に置く関係を築くことはなく、せめて対等の関係を築いたはずだが、そこにアメリカに依存する他力性が存在したために政治的にも経済的にも属国的地位に甘んじることとなった。
いわば政治的にも経済的にもアメリカが力を貸してくれた復興だということである。
新党「どっこいしょ たちあがれ日本」の主要メンバーの与謝野馨は1938年8月22日の生年。敗戦の1940年は12歳間近である。石原慎太郎と6歳しか違わないから、「戦争を体験した人間」の内に入れることができるはずで、「腰抜けではない」範疇の人間ということができる。
その与謝野馨に対して自民党の田野瀬良太郎総務会長は9日の記者会見で、「自民党の比例で議席を得た人が離党して新党をつくることに疑問が残る。議員辞職をすることも選択肢。その方が明快だ」と議員辞職を求めたという。
《「議員辞職することも選択肢」 民幹部、与謝野氏批判》(asahi.com/2010年4月9日19時18分)がそう伝えている。
田野瀬良太郎総務会長「与謝野さんは賢い人。まだ辞職の余地はあるのではないか」――
自民谷垣総裁も与謝野馨に議員辞職を求める考えを表明している。
だが、「Wikipedia」は次のように書いている。
〈所属政党の移籍の制限
日本では2000年以降の国政選挙から、比例当選議員は所属政党が存在している場合において、当選時に当該比例区に存在した他の名簿届出政党に移籍する場合は議員辞職となることになった(公職選挙法第99条の2)。
ただし無所属になることや、当選時に当該比例区に存在しなかった新政党への移籍は議員辞職の必要はない(当選時に存在した政党であっても、自分が比例選出された選挙で該当比例区に候補者擁立しなかった政党には辞職せず移籍可能。具体的な例として、2009年衆議院総選挙でみんなの党は衆議院比例区では北海道・東北・北陸信越・中国・四国で擁立しなかったので、北海道・東北・北陸信越・中国・四国の比例当選衆議院議員は議員辞職することなく、みんなの党への入党が可能である。)。〉――
昨年の総選挙では自由民主党所属の国会議員であったとしても、与謝野馨という個人を前面に出して小選挙区の選挙を戦った。当選すれば個人的な功績とはなるが、落選したことで与謝野馨としての個人的功績を失い、自由民主党という政党単位で順位づけられた比例区で復活当選を果たした。いわば小選挙区という個人的功績の場から離れた比例区で自由民主党という政党の枠に重複立候補として収められる恩恵を受けた当選であった。
田野瀬総務会長も谷垣も、道義的な意味で議員辞職を求めているのではないのだろうか。
「賢い」与謝野馨は議員辞職要求の声に「公職選挙法」を楯に無視する、あるいは自己の離党を正当化して新党「どっこいしょ たちあがれ日本」所属の国会議員として納まって終わりにするつもりなのだろうか。
それも「戦争を体験した人間として」の「腰抜け」とは無縁の振舞いだということなのだろうか。
1997年、チュチェ思想に関する講演のため訪日した直後、帰路の中国の北京で秘書の金徳弘(キム・ドッコン。朝鮮労働党中央委員会資料研究室副室長)と共に韓国大使館に赴き亡命を申請、韓国に亡命した朝鮮民主主義人民共和国思想家でチュチェ思想(主体思想)の理論家であり、金正日側近黄長(ファン・ジャンヨプ)元北朝鮮書記(Wikipedia)がアメリカ訪問、講演後の4月4日に訪日。翌5日午前、都内の宿泊先で中井洽(ひろし)拉致担当相と会談。同5日午後、中井氏、中山恭子自民党参院議員ら約10人の国会議員を前に拉致問題や金正日党総書記の体制について約2時間、非公開で講演と質疑応答。同5日夕に拉致被害者の家族会のメンバーらと面会。
6日に非公開で拉致被害者家族や警察関係者、防衛省、外務省、米国大使館関係者等を相手に北朝鮮情勢を巡って講演。そして8日夕方、成田空港から離日している。
来日は訪米後日本に立ち寄る形の非公式のもので、日程も非公開、中井洽拉致問題担当相の招致による形式だそうだ。
黄氏のワシントンでの講演発言を《拉致「大きな問題とは思わない」 黄・元書記が米で講演》(asahi.com/2010年4月1日10時48分)が伝えてる。
〈日本人拉致問題について、1997年2月の亡命前から「被害者が通訳として使われていたことは知っていた」〉ということだが、〈自らの関与は完全に否定した〉という。
さらに、〈北朝鮮にいた当時は「多忙で、問題に関与する理由も興味もなかった」と説明。被害者数などの詳細は「知らなかった」と述べた〉上で、〈「率直に言って大きな問題とは思わない」とし、第2次世界大戦中の日本による朝鮮人被害者と拉致被害者の数を比べて「相対的にささいな問題」と指摘。「日本の懸念ももっともだが、国際的な場でより関心を集めるには、北朝鮮の人権侵害問題の本筋と関連づけるべきだ」と強調した 〉と、彼の中では日本人拉致問題は小さな問題に過ぎないということ明らかにしている。
拉致被害者家族とは、「要請があれば喜んで再会する」が、実現すれば拉致被害者家族との面会は2003年のソウル以来となるが、「大きな違いはないだろう」と語ったそうだ。
既にここで拉致に関わる新たな情報は持ち合わせていないことを自ら証言している。日本側から言うなら、新たな情報は期待できないことが既に訪日前に分かっていたということである。
では、何のために訪日したのかというと、「日韓、日米韓の連携強化に役立つため」だとしている。
黄氏の訪日目的が日本側の訪日要請の趣旨に添って一致しなければ整合性が取れない訪日受諾と訪日要請ということになるが、中井洽拉致問題担当相の招致による訪日であるなら、中井氏自身がそもそもからして整合性を無視していたということにならないだろうか。
記事は最後にこう結んでいる。
〈黄氏は金正日(キム・ジョンイル)総書記も学んだ金日成(キム・イルソン)総合大学で総長を務めるなど要職を歴任し、北朝鮮の国家イデオロギー「主体思想」の創始者として知られる。訪米は2003年10月以来で、2回目。 〉――
中井氏が整合性を無視した黄氏の訪日だったのか、そうでなかったのか、《「拉致」取り組みアピール=黄元書記訪日、冷ややかな目も-中井担当相》(時事ドットコム/2010/04/05-17:46)から見てみる。
記事が、〈「拉致問題で何らかの進展になる」として中井氏が主導〉した訪日だと伝えていることを先ず挙げておく。記事自体は取り上げていないことだが、黄氏の訪日目的と齟齬を来たしていることを伝える指摘となっている。〈昨年10月、ソウルを訪れ、韓国政府高官に黄氏の訪日を要請していた〉もので、その実現だと。
訪日招請の主目的は拉致問題進展に供する情報を得るためであって、黄氏側が目的としていた「日韓、日米韓の連携強化に役立つため」を日本側は目的としていなかたったということであろう。
当然、訪日した黄元北朝鮮書記を介して「拉致問題で何らかの進展」を図る情報を手に入れることができなかった場合、黄氏の訪日目的も日本の訪日招請も意味を果たさなかったことになる。
ところが記事はあからさまに、〈今回の黄氏の訪日で、新たな情報がもたらされる可能性は低い。政府内には「中井氏のスタンドプレー」を冷ややかに見る目もある。〉と、上記「asahi.com」記事が新しい情報を持ち合わせていないことを指摘していたと同様の内容で一刀両断気味に訪日招請の無意味を伝えている。
理由は、〈思想面から北朝鮮の独裁体制を支えた黄氏は、拉致については詳しく知る立場になかった〉こと、外務省幹部の発言として〈「黄氏が拉致について新しい情報を持っているなら、これまでに日本側に伝えていたはずだ」〉ということを挙げている。
さらに記事は、〈政府内では、黄氏が訪日しても拉致問題の進展につながる情報は得られない、との見方が多い〉とその効果を伝えた上で、〈黄氏の講演後、中井氏も「(拉致新情報は)あったということではない」と認めざるを得なかった。〉と、中井氏本人の無効果証言を引き出している。
外務省としても訪日の効果がないことを知っていたからこそだろう、〈外務省幹部は「今回の案件は中井氏が仕切っており、外務省はかかわっていない」〉という立場を取っていた。いわば、中井氏の独り相撲だと言っている。
ところが中井氏は〈大韓航空機爆破事件の実行犯、金賢姫元工作員の訪日についても積極的で、5月にも実現の方向で調整中だ。〉としている。
だが、金賢姫に対する日本側の事情聴取は既に2度行われている。麻生前政権の中曽根外相が《09年1月30日の記者会見》で次のように述べている。
(問)金賢姫さんの件ですが、大臣は以前、日本政府としても話を聞きたい、田口さんご家族との面会も進めていきたいということを仰っていましたが、その後の調整状況等如何でしょうか。
中曽根「私達としては、以前私が申しました通り、この面会が実現できるよう出来るだけの努力を続けております。事情聴取についても過去聴取したことがある訳ですが、引き続いて外務省としては努力している最中です」――
面会実現努力が同年4月28日の場面に結びついた。《金賢姫元死刑囚の新証言が明らかに》(TBS/09年4月30日21:10)
金賢姫に対する事情聴取が09年4月28日、韓国の情報機関の立ち会いのもと日本の外務省、警視庁公安部、内閣調査室の関係者によって午後3時半から2時間以上に亘り行われ、「81年4月から83年3月にかけて、工作員として日本語や日本の習慣に関しての訓練を受けていた時、ピョンヤン市内の招待所で同僚のキム・スクヒ工作員の教育係だった横田めぐみさんと何回も会い、よく話をしていた。めぐみさんとは同僚の紹介で親しくなった」、(めぐみさんについて)「物静かな人に見えた。北朝鮮は『死亡した』と主張しているが、生きている可能性が高いと思う」といった証言を引き出している。
記事は事情聴取実現の経緯を対北朝鮮融和政策の見直しを進める保守イ・ミョンバク政権が日本人拉致事件に理解を示していることもあるからとしているが、外務省、警視庁公安部、内閣調査室の関係者が雁首を揃えて行った2度目の事情聴取である以上、彼女が保持する日本人拉致に関わるすべての情報を可能な限り引き出したはずである。引き出せない程、バカ揃いではなかったはずだ。
またこの事情聴取から約1カ月遡る3月11日に金賢姫の日本語の教育係だったという拉致被害者田口八重子さんの兄の飯塚繁雄氏と長男の飯塚耕一郎氏が金賢姫と韓国釜山市で面会している。
そのときも金賢姫は自身が知り得る日本人拉致被害者についてのあらゆる情報を提供し、帰国後の二人を介してその情報を日本政府は把握しているはずである。
例え中井拉致担当相の大努力によって金賢姫の訪日実現に成功したとしても、黄元北朝鮮書記の訪日と同様に、「金賢姫が拉致について新しい情報を持っているなら、これまでに日本側に伝えていたはずだ」ということになりかねず、〈「新たな情報がもたらされる可能性は低い。政府内には「中井氏のスタンドプレー」を冷ややかに見る目もある。〉という場面の再演の可能性は高い。
勿論、黄氏の訪日も彼自身の目的と日本側が求める目的が違っていても、また金賢姫の訪日にしても、新たな情報がなく、単なる「中井氏のスタンドプレー」、中井氏自身を売り出すセレモニーで終わったとしても、拉致問題に関する世論喚起の役には立つかもしれない。
だが、いくら世論喚起に役立ったとしても、そのことに反して拉致解決に向けた実務の点で進展をもたらすことに何ら役立たない訪日であるなら、世論喚起も当座のみの効果で終わり、真の目的を違えることになる。
例え「中井氏が仕切っており、外務省はかかわっていない」中井氏主導の黄氏訪日だったとしても、国家予算――国民の税金を使った訪日だったはずである。拉致解決進展に何ら役立たないということなら、「中井氏のスタンドプレー」、中井氏自身を売り出すセレモニーで済ますわけにはいかない。
その訪日効果だけではなく、訪日を計画した中井氏本人の責任を厳格に問うためにも、また同じ効果のない政治行為を繰返させないためにも、事業仕分けの対象とすべきではないだろうか。
――民主党に衆・参両院過半数のチャンスを――
平均年齢69歳平沼新党の党名が決定。『どっこいしょ たちあがれ日本』だとさ。
これは平均年齢69歳に合わせた、それにふさわしい命名ということから、芥川賞作家でもある石原慎太郎都知事が考えついたのだろうか。
《平沼新党、名称は「たちあがれ日本」 石原都知事が命名》(asahi.com/2010年4月7日13時50分)――
当初4人まで国会議員を集めたものの、政党要件を満たす5人目確保のために自民党議員にリクルートをかけたが、その一人中山恭子・元拉致問題担当首相補佐官からは、「全く考えていません」と釣り落とし、鴻池祥肇元防災担当相からは、「平沼さんと一緒に進もうと思ったが、理念や国家観が違う方と一緒にできない」と性格の不一致を告げられ、リクルートならず。
後者の断り理由を記事は、〈与謝野氏が郵政民営化を進め、平沼氏の保守主義とも距離を置くことなどが理由とみられる。〉と書いている。郵政民営化推進派の与謝野馨と郵政民営化反対派の平沼赳夫が同じ船に乗る。自民党内に反対派と賛成派が雑居していたこととは違う。『どっこいしょ たちあがれ日本』と新たに新党を立ち上げる仲間として集うについては、一つの政策が相反して双方に不利益があっても、普通不利益を補って有り余る恩恵を国民に約束できる別の大きな政策や理念で一致できる場合などに限られるが、昨7日付の「NHK」記事――《新党へ 基本政策で詰めの協議》(10年4月7日13時21分)は政策に関しては今週10日の新党結成公表に向けて6日に続いて7日も基本政策などを詰めることにしていると書いているのみで、新党立ち上げメンバーが国民に恩恵を約束できる、共に一致している大きな政策や理念の旗の元に集っているというイメージが見えてこないから、掲げる政策を後から拾い集めるといった後付の政策作業でしかないようだ。
このことは4月3日の自民党離党前の園田幹事長代理の熊本県山都町の講演の発言が証明している後付性である。
《園田氏 新党で与党を追い込む》(NHK/10年4月3日17時55分)
園田「自民党から多くの仲間を連れて行き、党を分裂させてケンカをしようという話ではない。民主党に反対したい人たちを自民党だけで吸収できないのであれば、別の党を作ってなるべく多くの人を吸収し、左右から挟み撃ちにして民主党をやっつければいい」
「夏の参議院選挙で勝ち、参議院で与党にならなければならない。参議院選挙で勝つことが最低条件であり、ありとあらゆる方法をやらなければ、絶対に民主党に勝てない」
勿論、政策や理念についても話したかもしれない。だが、それがメンバーに共通し、それを旗として集うこととなった政策や理念だったなら、既に表に現れてきてもいいはずだが、一向に見えてこない。いや、最初に見えてこなければならない旗印であろう。
政党要件を満たす5人目として、自民党の中川義雄参議院議員が昨7日午後に離党届を提出、新党に加わる意思を表明した。自殺した大物自民党代議士中川一郎の弟であり、09年のイタリア・ローマで開催のG7会議後に酩酊・朦朧記者会見して一躍世界に名を轟かせ、昨年の総選挙で落選後自宅で変死した中川昭一の叔父に当たる血統書つきの政治家である。
生年月日1938年3月14日。72歳。4人で平均年齢69歳の新党『どっこいしょ たちあがれ日本』の政党要件を満たす5人目の参加によって僅かながらに平均年齢をさらに上げる貢献は果たしている。
アジアの盟主と言われていた日本が今更ながらに『どっこいしょ たちあがれ日本』ということは、アジアの時代と現在言われていながら、盟主たるべき地位を中国、インドに奪われかけて凋落著しいことからの『どっこいしょ たちあがれ日本』ということだとしたなら、アジア全体を視野に入れた立党精神を示すべきを、示しもせず、「左右から挟み撃ちにして民主党をやっつければいい」といった程度では、あるいは平沼赳夫の「私の主張は我が国の伝統と文化と歴史を大事にすること。与謝野氏も反論はないと思う」といった程度では、日本という島国をちっぽけなコップにする、その中でのこせこせした争いにしか見えてこない。
先に自民党を離党、新党結成意志を見せたもののつまずき状態の鳩山邦夫が平沼新党加入に色気を見せていたが、新党の方から加える意志を差し伸べてくれず、面白い展開を見ることができたかも知れないのに残念ながら立ち消えることとなった。《鳩山邦夫氏“新党 現時点では不参加”》(NHK/10年4月6日17時22分)
4月6日国会内で記者会見。
「顔ぶれは立派な方々が集まっているが、国民を鼓舞するような要素はない。国民が沸き立つような、清新で活力にあふれた新党でなければ、民主党と対決できないという思いがある。もっと時間をかけるべきだった」
「私は『薩長連合だ』として、例えば、舛添前厚生労働大臣とも連携するような迫力が必要だと思っていたが、取り上げられなかった。私がそういうことを申し上げるようになってから、ずれが目立ってきた」
自民党総裁の地位を狙っている舛添が総裁の地位を得てからならいざ知らず、総裁の地位を得ないままに党を割った集団と連携する資格がないばかりか、離党する意志もないことに気づかずに「連携」を主張すること自体が認識不足としか言いようがない。思いを寄せていた女性に袖にされて、あんな女、たいしたことはないという悪口にしか聞こえない。
事実舛添は新党に関して、「一切、関係のない話だ」(毎日jp)と切り捨てている。
新党と鳩山邦夫との間のこのようなドタバタを見るにつけても、なかなかしんどい、島国というコップの中だけの、『どっこいしょ たちあがれ日本』にますます見えてくる。
与謝野馨にとっては晩節を汚す新党となるのか、人生の最後に一花咲かす新党になるのか、見所満載ではある。
――民主党に衆・参両院過半数のチャンスを――
郵便貯金の預入れ限度額を1000万円から2000万円に引き上げ、簡保の保険金上限額を1300万円から2500万円に引き上げる。〈「暗黙の政府保証」がついた郵貯・簡保に民間から資金が流入するのは避けられそうにない。〉と《公共事業?国家ファンド? 郵貯マネーの使い道に閣内騒然…》(msn産経/2010/03/31 19:37)が他のマスコミと同様の懸念を示している。
懸念は一つでとどまらない。〈郵貯マネーの増加は家計の資産を政府が吸い上げる結果となり、「官の肥大化」につながるとの懸念も指摘されている。〉と解説している。
記事は政府が吸い上げた郵貯マネーの「使い道」が早くも閣内で議論の的となっていると書いている。
先ずは鳩山首相。
鳩山首相「国債の単なる引受機関にはしない。地域金融機関と共存共栄できる状況を作りたい」
これは従来からの〈国債に依存していた運用を見直し、地域活性化に役立てる運用方法を検討する方針を示した〉ものだそうだ。
但し、具体的中身の指摘はない。
亀井静香郵政改革相(民放の番組で)「太陽光発電とか(道路の)立体交差とか電線の地中化などに郵貯の金を出していけばいい」
公共事業信仰者らしく公共事業等への活用を訴えている。
前原誠司国土交通相(郵貯マネーで国家ファンドを立ち上げて)「海外の発電所や高速鉄道など、インフラ輸出の資金として活用できないか」
記事は批判も取り上げている。
大村敬一・早稲田大学大学院教授(元内閣府審議官)「郵貯や簡保が家計の資金を集め、それが政府支出に充てられるなら、財政投融資の形で公的投資に使われていた時代に先祖返りすることになる」
郵便貯金や年金積立金等の資金を国が預託を受け、道路公団等の特殊法人に2001年3月まで融資、特殊法人は自分が集めたのではない潤沢な資金ゆえに糸目をつけない大型公共事業等にコスト意識なく投資、役員の高額な人件費にまで有効活用、官僚OBの優雅な天下りを支えてきた。
尤も預託廃止後も天下りは官僚たちの既得権としてのさばり続けた。
「先祖返り」は勿論許すことはできないが、前原国交相が言うように郵貯マネーで国家ファンドを立ち上げて海外の発電所や高速鉄道等、インフラ輸出の資金として活用できるなら、同じ国家ファンドでも国内外で資金を運用、その利益を介護や医療に限った社会保障関係の資金にまわすことも可能なはずだが、そうではないだろうか。
記事は〈郵便貯金と簡易保険をあわせた資金は計300兆円〉と書いている。すべてではないにしても、相当規模の国家ファンドを立ち上げることができる。
家計資産を政府が吸い上げて「官の肥大化」を同じ招くとしても、介護や医療等の社会保障関係の「官の肥大化」はそこに天下りや高額人件費、杜撰経営といった不適切な要素を入り込ませさえしなければ、批判される国の関与ではないと思うが。
偉大なまでに頭の古い政治家亀井静香は「太陽光発電とか(道路の)立体交差とか電線の地中化などに郵貯の金を出していけばいい」と言っているが、5日付の「asahi.com」記事を見ると、「立体交差とか電線の地中化」などよりも社会的にやらなければならないもっと重要なことがあるのではないだろうかという思いに駆られる。
《民家に70代と40代の女性遺体、親子か 福岡》(2010年4月5日23時50分)
5日午後1時半ごろ、福岡県小郡市上西鰺坂の民家で、女性2人が死亡しているのを県警小郡署員が発見した。同署はこの家に住んでいた70代女性と40代の娘とみて身元を確認している。
同署によると、3月末に近くの住人から市役所に「1カ月くらい前から2人の姿を見ていない。郵便物もたまっており確認してほしい」と連絡があり、署員がこの日、市職員と確認に行ったという。年長とみられる遺体の方は一部が腐乱していた。もう1人のは左手首に切り傷があり、周りに包丁や薬があった。この家は親子2人暮らしで、足が不自由な母親を視覚障害がある娘が介護していたという。同署は、母親が死亡後、娘が自殺した可能性もあるとみて調べている。
「1カ月くらい前から2人の姿を見ていない」にも関わらず、その間近所で話し合って自分たちで訪れてみるといったことはしなかった。
日本の社会は「老いた親は家族が面倒見るのが日本のよき伝統だ」の意識的・無意識的な押しつけのもと、多くの要介護者や介護者を孤立させ、介護疲れからの殺人や嘱託殺人などの悲劇を生んでいる。社会の一員としての可能な限りの生活を送ることができるよう、手を差し伸べる社会関係が不足しているように思える。
「立体交差とか電線の地中化」を日本全国果たして町並みを綺麗さっぱりさせたとしても、身体が不自由で寝たきりの年老いた親を歳のいった介護の子どもが介護疲れから無理心中を図るような風景を日本の社会に残していたなら、どれ程意味があるのだろうか。
「コンクリートから人へ」の目的達成ではなく、「コンクリート」の達成で終わることになる。
5日付「時事ドットコム」記事――《理念・政策、方向性が課題=対極の与謝野、平沼氏-新党構想》(2010/04/05-19:02)が、新党は〈政治理念や主要政策で具体的な方向性を示すのが課題だ〉と注文をつけ、〈明確なメッセージを打ち出せなければ、打倒を目指す民主党などから「野合」との批判を受けるのは必至。民主、自民両党への不満層に支持を広げるのは容易ではない。〉と警告を発している。
その上で4月5日日曜日の平沼赳夫の政治理念に関わる発言を伝えている。
「私の主張は我が国の伝統と文化と歴史を大事にすること。与謝野氏も反論はないと思う」
記事はこの発言に対して、平沼氏は〈保守的な理念を掲げることに自信を示した。〉と書いている。そして平沼と与謝野の政治的姿勢の違いを紹介し、その違いが招くかもしれない危うい点を伝えている。
〈政界で平沼氏は、自主憲法制定や外国人参政権断固阻止などを唱える保守派の代表格。穏健な与謝野氏は対極に位置しており、周辺からは「右寄りの政策が前面に出過ぎると、無党派層が逃げていく」との声も漏れる。
2005年の郵政民営化法成立の際には、与謝野氏や園田博之氏が自民党執行部の一員として内容をまとめたのに対し、平沼氏は同法に反対し自民党離党に追い込まれた因縁の間柄。一方、経済政策となると、与謝野氏は消費増税による財政再建論者だが、平沼氏は積極財政派として知られる。
園田氏は、郵政民営化について「見直すべきところはいくつかあると思う」と平沼氏に配慮。平沼氏は経済政策で「福祉のための増税に大筋では異論はないから、一致するところがある」と与謝野氏らに歩み寄る姿勢を見せる。しかし、一方の主張を全面的に受け入れれば、他方は政治家として過去の行動との整合性を問われ、互いに歩み寄れば、内容があいまいになりかねない。政策調整は簡単ではなさそうだ。〉――
平沼赳夫が新党結成を表明したのは4月2日。その日の夕方、平沼、与謝野、園田の3人が都内で会談、新党結成に向けた対応を協議、三者は新党結成に同意したという(asahi.com。
そして与謝野は3日午後に離党届。5日夜には平沼、与謝野、与謝野に同調して自民党を離党した園田、自民党参議院議員藤井孝男、石原都知事と会談(NHK)。
この間にも密かに会っていたといったことがあったかもしれない。
上記「時事ドットコム」記事の発信はこの会談のあった日と同じ日付けの発信ではあるが、この会談には触れていないから、平沼の「私の主張は我が国の伝統と文化と歴史を大事にすること。与謝野氏も反論はないと思う」は会談前の発言と思われる。
だとしても、発言から窺うことができることは、少なくとも新党結成に向けて対応を協議した4月2日夕方の平沼、与謝野、園田の3人の会談までにお互いの政治理念、政治主張、政治的立場について一度も話し合っていなかったということである。いなかったから、自身の政治的立場に対して「与謝野氏も反論はないと思う」と推測するしかなかった。
と同時に「与謝野氏も反論はないと思う」は自身を上に置いて自分の考え方でやってもらうという意思表示を示した言葉ともなっている。
これらのことは新党結成に向けての対応協議が新党を立ち上げることだけを話し合い、立ち上げに同意し、マスコミに新党結成を公表したという経緯のみが存在したことを物語っている。新党というハコモノをつくるかどうかについてのみ協議して、お互いの政治理念、あるいは政治姿勢について一度も話し合わなかったということであろう。
女性天皇問題が騒がれていた2006年に都内で講演した平沼赳夫の、「愛子さまが天皇になることになって、海外留学して青い目の外国人と結婚すれば、その子供が将来の天皇になる。そんなことは許されない」の発言から窺うことができる天皇主義は日本人でなければ絶対いけないとしていることから外国人排斥の人種差別主義を併せ持った日本民族優越主義を基本思想としていることが分かる。
このことは民主党の蓮舫議員を指して、「言いたくないが、言った本人は元々日本人じゃない。キャンペーンガールだった女性が帰化して 日本の国会議員になって、事業仕分けでそんなことを言っている。そんな政治でいいのか」の発言、さらに従軍慰安婦問題事実無根説、外国人住民への日本国籍付与の簡易化や日本国民のみが有する権利を外国人にも付与するとした法案に対する反対姿勢にも現れている日本民族優越主義であり、外国人排斥の人種差別主義であろう。
つまり平沼が言っている「私の主張は我が国の伝統と文化と歴史を大事にすること」とは、日本民族優越主義に則った狭隘な「我が国の伝統と文化と歴史」ということであろう。
与謝野馨については歴史認識や戦争犯罪、天皇や外国人についての問題発言を聞いていない。2000年4月の第42回衆議院議員総選挙で民主党の海江田万里に敗れ、重複立候補していた比例代表東京ブロックでの復活も果たせず落選したこと、昨年の総選挙でも民主党海江田万里に敗れたものの比例代表で復活当選といった自身の政治経歴と存在評価に反した不名誉ということからなのか、民主党には相当に恨みを持っていると書いているブログもあったが、他人種に対する差別・偏見、さらに相互関連した自民族優越とは関係ない位置に立っていることだけは確かである。
4月2日以降の会談で両者の政治理念や政治姿勢の違いを埋めることができたとは考えにくい。もし簡単に埋めることができたとしたら、「時事ドットコム」記事が「対極」にあると言っているように基本的に似た者同士ではないのだから、それぞれが自らの政治理念、政治姿勢に無節操になることによって可能となる妥協の産物でしかないだろう。
このような二人が一つ船に乗って、政治を行う。与謝野馨が平沼赳夫のような日本民族優越主義者に立った天皇主義者であり、外国人差別の人種主義者であるなら、政治理念や政治姿勢に齟齬を来たすことはないだろうが、現実はその逆に位置している。
同「時事ドットコム」記事は郵政民営化に関する両者の姿勢に違いがあることにちょっと触れているが、《「比例や東京選挙区で候補者擁立」与謝野氏、新党で検討》(asahi.com/2010年4月5日0時34分)は、〈国民新党の自見庄三郎幹事長はNHKの番組で「小泉元首相の郵政民営化を推進したのが(当時の)与謝野政調会長、反対したのが平沼さん」と述べ、両氏は政策面で隔たりがあると指摘。〉と政策面でも大きな違いがあることを言っている。
違いのある政策に妥協点を見い出すためにどこまで譲るかに関しても、節度が問われることになる。
《新党へ調整続く 自民は結束策》(NHK/10年4月6日 4時31分)は5日の会談で新党党首が平沼赳夫に決定したことを自身の記者会見の発言として伝えているが、悪く勘繰るとしたら、両者の間に政治理念、政治姿勢、あるいは政策の面で違いが生じて収拾がつかなくなり、新党が失敗に終わった場合、責任はより多く党首が負わなければならないことからの、いわば与謝野側からの責任回避から出た平沼党首と言えないこともない。
いわば与謝野は一党員となることで、新党結成の責任問題から距離を置いたという勘繰りも成り立つ。
――民主党に衆・参両院過半数のチャンスを――
今回が2回目だとかいう『リアル鳩カフェ』が4月4日日
曜日に開店。「食と農」をテーマに農産物生産者や飲食店
経営者ら9人と意見交換したそうだ。多分、和気藹々と。
《戸別所得補償、コメ以外も実施 首相「必ずやる」と
表明》(47NEWS/2010/04/04 19:27【共同通信】)
ソバ生産女性「良いものを作ろうとすればするほど収入か
ら遠ざかっていく」――
そりゃ、そうだろう。手をかければ、生産コストが上がり
、それが売り単価に撥ね返って値段の高い商品となる。結果
、中国産の安いそば粉にますます太刀打ちできなくなってく
る。
だが、この中国産の安いそば粉にますます太刀打ちできな
くなる現象は大多数の消費者が高価なソバ粉を敬遠する現象
を伴っていることを忘れてはならない。少数の消費者のみが
敬遠するなら、「収入から遠ざかっていく」ことはないはず
だからだ。
このことは同時にソバ粉の単価を上げることで、買うことができる消費者を少なくしていき、少数の高額所得者のみを購買対象としていくことを意味する。
いわば金持相手のソバ作りとなっている。
我が鳩山首相(農家戸別所得補償は)「最初はコメからスタートしなくちゃならなかったが、ソバを含めて地域の作物に対して必ずやる」
指導力あるように見せる言葉遣いを心がけているようだが、発言趣旨は金持相手のソバ作り農家に対して戸別所得補償すると太鼓判を押したということでもある。
尤も鳩山首相がそのことにまで気づいて言ったかどうかは分からない。
私などは百円ショップの白っぽいソバを買って食べている。中国産の最も安いソバ粉を使って、小麦粉の混入比率をギリギリまで高めた製品に違いない。満足にソバの味はしないが、ソバを食べているという思いがソーメンでもない、うどんでもない、冷麦でもない、正真正銘のソバにしてくれている。
日本のソバ農家がつくるソバは値段の点で貧乏人の私には無縁の存在でしかない。値段が味の点でも日本のソバの味を無縁にしている。そしてこのようなソバ消費傾向が広く一般化しているために、「良いものを作ろうとすればするほど収入から遠ざかっていく」という状況を生み出しているのだろう。
NHKのテレビで見た『リアル鳩カフェ』のマスター、鳩山首相は生き生きとしていた。鮮やかな色使いのセーターを着込んだ奇抜なファッションに誇らしげでさえあるように見えた。
幸夫人の見立てかどうか分からないが、なぜか似合い過ぎるくらい似合っていた。本人も似合っていると自負していたから、誇らしげな表情を見せることができたのだろう。
そこで今日5日、「Twitter」に投稿した。
〈鳩山首相が総理大臣を辞任。国会議員も辞職。政治家であることを引退し、『リアル鳩カフェ』のマスター一本でいくそうです。自分が一番似合う姿だと気づいたからだそうです。4日遅れのエイプリル・フール?それともそうすべきだの推奨?》・・・・
――民主党に衆・参両院過半数のチャンスを――
与謝野馨は3月10日発売の文藝春秋4月号で『新党結成へ腹はくくった』と題する論文を発表、「わたしが決断を下す時期はそう遅くはないだろう」(ブルームバーグ)と書いてあるそうだが、私自身は読んでいない。値段がいくらか知らないが、節約生活を送っている関係で、読んでつまらない思いをしたら、バカを見るから買ってまでして読む気がしない。一度安倍晋三の『美しい国へ』とかを買って、たいしたことが書いてないことに気づいて、確か値段は1000円しなかったと思うが、長いこと損をした気がして、3カ月ぐらい眠れない日を過ごした厭な思い出がある。
読まずに批判するのは無責任に見えるかも知らないが、いくら書いてある中身が立派であっても、与謝野馨が学者や評論家ではなく、政治実務者である以上、中身を結果に結びつけて初めて評価を受けるのであって、言っていることの立派さを評価の対象としていいわけではない。
このことは『美しい国へ』で言っていることとは異なる安倍晋三が現実世界に描いた無残な政治風景、自身の政治的行動が何よりも証明している。
与謝野馨の書いたものを買わずにある程度のことを知るにはインターネットを利用するしかない。幸いにも《「新党結成へ腹はくくった」与謝野馨(「文藝春秋」2010年4月号)-佐藤孝弘、怒涛の読書日誌@東京財団》というブログに出会うことができた。次のように書いている。
〈自民党の与謝野元財務大臣による話題の「新党宣言」論文を読んでみました。二月の予算委員会で鳩山総理を「平成の脱税王」と断じた国会質問は私もテレビでみていたのですが、鬼気迫るものがありました。この文章も非常に迫力ある筆致になっております。
前半では、鳩山総理の偽装献金問題の追及、中盤は鳩山政権の「六つの大罪」、後半は谷垣総裁への批判と新党へ向けての考え方、という構成になっています。
前半の偽装献金の問題については、本文をお読みください。ここではまず「六つの大罪」から見てみましょう。
1.長期的な財政の展望を示していない
2.「恒久財源」という意識が欠落している
3.日本経済の成長戦略が欠如している
4.菅副総理の政策対応なしの「デフレ宣言」
5.マニフェストの不実行
6.日米関係の急速な悪化
という6点について訴えていますが、それぞれ妥当な指摘だと思います。一つずつ総理に説明してほしいものです。特に2などについては本ブログでもたびたび指摘してきました。与謝野氏が言うように意識の欠落の問題なのか、あるいはわざとそこを曖昧にしているのかがわからないところが不気味なところです。〉・・・・・
与謝野が言っていることは「非常に迫力ある筆致」で表現されていると言っている。
先ず「1」についてだが、自民党政治は「長期的な財政の展望」を示してきただろうか。赤字国債を大量に発行しては公共事業にカネを垂れ流し、財政を悪化させてきた。その反省に立って、ようやくのことで小泉政治が財政の規律化に取り組んだが、主として社会的弱者対象の予算削減に予算剥がしとも言える情け容赦ない大ナタを振るったためにご覧のような高額所得者には痛みの伴わない、低所得者のみに痛みの皺寄せを与えた格差社会を生じせしめた。
そのような自民党政治の反動としてある現在の民主党政治の大きな政府と言われる子ども手当、高校無償化、高速道無料化といった福祉重点政策であろう。
民主党が「長期的な財政の展望」を欠いているというなら、自民党政治も欠いていた同罪にあるはずである。民主党政治がどこまでいくことができ、どこで行き詰るかである。そのとき、自民党政治が行き詰って政権交代が起きたように、再び政権交代が起きる。
次に「2」(「恒久財源」という意識が欠落している)であるが、現在の政治のやり方、国家経営で、果たして「恒久財源」なるものなど存在させることができのだろうか。カネのなる木の存在を言うようなものではないだろうか。
景気・不景気が循環構造にある以上、政府税収は常に一定ではなく、国の借金を減らすことも考えなければならないとしたら、経営規模そのものを縮小するしか道はないはずである。国会議員から始まって県市町村議員定数の削減、国家公務員及び地方公務員の削減、自衛隊規模の縮小、警察組織の縮小化、国と地方のすべての予算の削減・縮小等々。事業仕分けで不評を買った科学関連の予算も縮小の対象に入れなければならない。
勿論、社会保障費関連の福祉予算も削る。
国民の生活規模そのものを縮小させるということである。
この方法を採用せずに消費税増税で凌ぐにしても、中・低所得層の生活維持との兼ね合いがある。生活が成り立たず、経済に悪影響を与えたのでは意味はない。うまく上げることができたとしても、官僚・政治家のムダ遣いや高速道路の予測通行量の過大計算に合わせた規模過大の高速道建設とその過大な予算計上に象徴的に表れている、あるいは空港需要予測の過大計算に合わせた空港建設に向けた過大な建設予算の計上に象徴的に表れている予算作成のムダ、無能力、あるいは予算執行の非効率、無能力を現状のまま許していたなら、あるいは国の借金とその返済、さらに政府税収と調和させた規模の国家経営を構築できなければ、再度近いうちに消費税をカネのなる木に見立てて上げなければならなくなるに違いない。単に堂々巡りするだけだろう。
政府の経営規模を限りなく縮小することによって財政赤字をなくして、景気がよく税収が増えたとき、それを内部留保(「埋蔵金」と言い換えてもいい)にまわして、一定規模以上の金額とし、恒久財源ではなくても、緊急時の予備的財源とする。
そこまで持っていくことができたとき、それ以降は、例えばリタイアした高齢者が年金と預金額と調和させた生活規模を設定するように、政府の場合も景気・不景気に応じた税収の増減を睨みつつ、それと高齢者等の預金額に相当する内部留保(=埋蔵金)と調和させた予算規模を毎年設定し、それを以て政府の経営規模として国家経営に臨むことを常に守らなければならない。
自民党政治が散々に国の借金をつくり出し、さらに親の背中を子どもが見習うように地方も赤字垂れ流しの経営をしてきているのだから、これらを簡単に解消できなければ、単に「恒久財源」を言うだけでは問題解決はできないということである。
いわば、「恒久財源という意識が欠落している」と簡単には言えるが、国の借金が膨大であることと併せて、「恒久財源」なる概念自体が限りなく危うくなっているのだから、「恒久財源」を言う前に、国の経営規模を限りなく縮小させることを言うべきであろう。例えその結果三流国に陥ったとしてもである。内実は三流国に近い地位の低下を招いているのだから、さして恐れることはない。
「恒久財源」なるカネが存在するなら、いわばカネのなる木を持っていたなら、とっくに国の借金は清算できていたはずである。
親が莫大な財産家で、息子が道楽息子で親の財産をカネのなる木に見立てて豪勢な生活を送ることができても、親の財産を超える豪勢な生活は不可能で、親の財産を恒久財源とするには財産と調和させた生活が必要となる。
豪勢な生活も維持し、親の財産をなくさないために何らかの方法で運用して、財産を減らさない算段をし、それを以て「恒久財源」とする考えを持ったとしても、景気次第で運用が左右される。ときには損失を蒙ることもあるのだから、豪勢な生活(各種ムダを孕んだ国家経営、あるいはバラ撒き)を続ける場合は終局的には「恒久財源」なるものは存在しないことになる。
いわば民主党政治をムダを孕んだ国家経営、あるいはバラ撒きと批判するなら、その点に関しては自民党も同罪であるのだから、自民党政治に席を置いていて、離党したとしても、席を置いていた以上、「欠落している」などとは批判する資格はないはずである。
「3」(菅副総理の政策対応なしの「デフレ宣言」)は悪影響を与えたとしても、一時的なもので、日本が外需主導型経済構造にある以上、景気対策以上に外需回復による景気回復を待って、デフレを脱却するしかない。
このことはここのところの日本の経済回復が自らの景気政策の恩恵よりもアジア等の、特に中国やインド、あるいは韓国等の経済回復の恩恵を受けた外需に引っ張られた回復であることに現れている。
「4」(マニフェストの不実行)――マニフェストの不実行は問題だが、実行したからと言って、マニフェストに書いてあるとおりの効果を社会に生まなければその政策は意味を失う。
《第73回自由民主党大会》(平成18年1月18日) は次のように謳っている。
〈IT戦略については、世界最先端のIT国家を目指し、わが党と政府は「e-Japan戦略」を積極的に進めてきた。昨年12月には、次のステップに向け、世界に先駆けてユビキタスネットワークへのパラダイムシフトを実現し、世界のICT革命を先導していくとの決意の下、「e-Japan重点計画特命委員会」を「u-Japan特命委員会」に改めるとともに、新たな戦略において取り組むべき重要政策を提言として取りまとめた。提言においては、医療保険に係る全てのレセプトをオンライン請求とする、教師の情報活用能力を向上させるインセンティブを設けるなど、具体策を提示したところであり、今後、国際競争力を強化していく取り組みを強力に推進していく。〉――
光ファイバーネットワーク構築等のハード面は先進的でも、情報活用の面で決して先進国とは言えない。いわば、言っているとおりの効果を社会に実現させていないのだから、言っていることは意味を失う。
情報活用といったソフトの面の後進性の例として挙げるとしたら、〈教師の情報活用能力を向上させるインセンティブを設ける〉と「向上」を言うのは現状が「向上」していない状況にあるのは言うまでもないことで、この点から指摘することができる。
「情報活用能力」とは思考力・言語力・知識応用力等を基盤として成り立たせ得る能力であって、そうである以上、日本の教師たちが子どもたちの暗記知識を高めることができても、思考力・言語力・知識応用力の欠如が言われている状況は教師の情報活用能力の欠如の反映としてあるはずで、自民党の教育政策が追いついていないことの証明以外の何ものでもないはずである。
いわば自分たちの政策の欠陥に向けた「情報活用能力」を欠いていたからこそ、発展もない同じことの繰返しとなる教育政策を続けてきたための教師・子どもたちの相互性を持った「情報活用能力」の欠如なのだから、その認識に立つことができないということは情報活用といったソフトの面の能力の後進性の例としなければならない。
また、国会議員以下、県市町村会議員が海外視察と称して観光旅行し 報告書をそれぞれの議会職員や秘書に書かせている、あるいは他人の文書を盗作して作成する状況は自ら視察先の情報を収集して自らの情報能力でその情報を解読、構築し直して他に伝えるべき情報として発信する「情報活用能力」欠如の証明でもあって、上記例と同じく情報活用といったソフトの面の能力の後進性の例とすることができる。
いわば、「世界最先端のIT国家を目指」すと立派に言っていても、肝心の情報活用のソフト面が言っているだけで終わっていたなら、何ら意味をなさない。あくまでも「政治は結果責任」を主眼としなければならない。
いずれにしても、自民党政治に於いて個々の政策をマニフェストどおりに実現したとしても、社会全体で見た場合、格差社会や福祉政策の破綻を招いている以上、あるいは予算のムダや非効率を引きずったままでいた以上、自民党の全体的国家経営は「マニフェストの不実行」に劣らない欠陥ある経営と言わざるを得ない。
そのような欠陥国家、欠陥社会を民主党は引き継いだのである。引き継がせた責任を自らに問わずに、与謝野は「マニフェストの不実行」のみを言い募っている。
「6」(日米関係の急速な悪化)――以前ブログに書いたことだが、ドイツとフランスはブッシュのイラク戦争に反対、軍を送らずに関係悪化したが、現在その悪化した関係を修復している。例え日米関係が悪化しても、アメリカにとって日本は必要な国であり、日本にしても政治的にも経済的にもアメリカは何よりも相互的な必要性を持った存在なのだから、関係悪化は一時的なもので終わる。
アメリカと中国の関係でも、アメリカが台湾に武器輸出し、チベットのダライ・ラマの訪米を許可、オバマ大統領と会談するといった中国の神経を逆撫ですることをしながら、決定的な関係悪化に至らずに、一時的な悪化でとどまっている。ましてや日米関係が決定的な悪化に至るはずはない。修復する機会はいずれ訪れるはずである。恐れることはない。問題は日米関係よりも沖縄県民が素直に許容できる基地移設を果たせるかどうかにかかっている。
全体的な安全保障に狂いが生じたとしても、その狂いを修正するのも人間のチエであろう。
上記ブログ記事《「新党結成へ腹はくくった」与謝野馨(「文藝春秋」2010年4月号)-佐藤孝弘、怒涛の読書日誌@東京財団》は、与謝野「新党」六つの基本政策は挙げている。
1.消費税を含む税制抜本改革、社会保障改革、成長戦略を総合化した「復活五カ年プラン」を策定し、
速やかに断行する。」
2.超党派の政策プロフェッショナルを結集して、安心社会実現のための円卓会議を作る。
3.社会保障分野とそれ以外の分野を区分経理し、安心強化と無駄撲滅を同時に実行する。
4.財政責任法で債務残高のGDP比を「発散」させないための中長期計画を立てて、世界標準での財政
再建を行う。
5.保育や医療、介護等で新たな雇用を生み出すために、補助金・規制改革・人材育成の三位一体型の総
合対策を行う。人材育成・雇用拡大を最重視して地方分権と交付税改革を同時に実施する。
6.まずは日米同盟関係を正常化させ、さらに深化させる。同時に、アジアでは、経済面での連携を深め
、「アジア共通市場」を実現する。
そして次のように解説して、結びとしている。
〈…読んで絶句してしまいましたが、「どうやって実現するのか」という手段がまったく書いていないのです。しかも「復活五カ年プラン」を作成するとか、「円卓会議」をつくるとか、「中長期計画を立てる」とかは基本政策でも何でもありません。立派な目標だけあって手段がないのでは、与謝野氏が批判する民主党の良くない部分とそっくりではないでしょうか。
ページ数が足りなかったのかもしれませんが、それなら他のエピソードを削ってでも政策にページを割くべきでしょう。一番知りたい部分がないので拍子抜けしてしまいました。「これから考えます」ではなく、今すぐにでも打つべき政策パッケージを今時点で持っていないのであれば、新党を立ち上げても国民に相手にされないのではないかと心配してしまいます。
国民は選択肢たりうる第三政党を求めています。これからいくつもの新党が出てくると思いますが、それに本当に対応できるのか、見極めていく必要がありそうです。〉――
「六つの基本政策」が言っていることは民主党と似たり寄ったりでないのか。ブログは、「どうやって実現するのか」という手段がまったく書いていないのです。」と言っているが、マニフェスト同様に政策として言っていることを結果として社会に反映させなければ、その政策は意味を失う。
第一、“政治は数”を絶対条件としている。政策の実現は“政治は数”をほぼ決定要件としているということである。
麻生政権は衆議院では絶対安定多数を握っていたが、参議院ではいわば数で劣る“野党”の位置にいたために衆参両院の全体では、“政治は数”の絶対条件を欠き、野党転落の一因をつくった。
与謝野新党が何人の議員を集めるか分からないが、“政治は数”の絶対条件を握るまでの議員は集めることはできないはずだ。政界再編に賭けて数を増やし、全体としては“政治は数”の絶対条件を確保したとしても、いくつかのグループで構成した党の中で自らのグループが数の優位を保持することができなければ、いわば“政治は数”の絶対条件を最終的に握ることができなければ、自らが掲げた政策の実現は党内的に数の力に負ける場合も生じて覚束なくなる。
例えかつての自社さ政権のときの村山富一のような幸運に恵まれたとしても、多くの政治で数の優位に立ったグループに引きずられることとなって、自らが掲げた政策の実現は困難となるという点では条件を同じくするはずである。
もし自らの政治を実現させる“政治は数”を引き寄せることができなかった場合、自民党に所属していることとさして変わらない政策実現状況に自らを置くこととなって、何のための離党か、何のための新党かということになる。
与謝野は「新党結成へ腹はくくった」とする論文の発表を以って、新党への意思表示を示した。「腹を括る」とは生半可ではない、相当な覚悟の表出を言う。いわば新党結成に向けて、やるぞと拳を振り上げた。
だが、例え前以て与謝野が平沼元経済産業相と前以て話し合いをつけていたとしても、4月2日に平沼赳夫が4月中に新党を結成する意向を示した翌日の4月3日に谷垣自民党総裁に離党届を提出、提出の日付は4月7日となっていたというから、総裁に電話で呼ばれてその話し合いの行きがかり上の予定外の提出で、明らかに平沼の後に続く形の離党、新党結成意志であって、自らの主導権に立った率先垂範の新党結成への意志とはなっていない。
このことは「新党結成へ腹はくくった」とする覚悟に反する率先垂範であり、主導権の欠如であろう。
こうも言い替えることができる。「新党結成へ腹はくくった」は自らの能力――自力を恃んだ意思表示である。当然自力本願に立つべきを平沼の後に続く形に立ったのは、他力本願を混入させたことになる。
また新党が平沼と共同代表であるということにも現れている「腹はくくった」に反する率先垂範であり、主導権の欠如となっているし、同時に他力に依存した本願(本来の願い『大辞林』)となっている。
要するに妥協の産物ということではないのか。
新党結成を意志した時点で言っていたことと違う場面を演じているのである。このような意志の欠落と“政治は数”の絶対条件を併せると、言っている政策がいくら立派でも、その実現の期待可能性は限りなく小さくなる。小さくなった場合、言っていたことは奇麗事で終わる。
与謝野の奇麗事ば、谷垣会談で離党を「自民党分裂とは取らないでください」(YOMIURI ONLINE)と言ったことにも現れている。相手にしたたかな失点を与える非情な政治行為を行っておきながら、波一つ立っていない湖面に小石を投げて小波を立てることさえもしていないと言うのと同じことを言って、奇麗事で済まそうとしている。あるいは自身を紳士に擬えている。権術術数渦巻く政治の世界で紳士でいることなど許されないにも関わらず。
状況によって政策のいくつかが“政治は数”の絶対条件を握っているグループに取り込まれた場合、かつて自民党が民主党の政策を取り込んで手柄まで自分たちのものとした同じ状況を迎えることになるに違いない。
与謝野馨は離党届を出した後の記者会見で、「間延びしないように、なるべく急いでやりたい」(asahi.comと発言したそうだが、要するに「新党結成へ腹はくくった」と拳を振り上げた手前、「腹をくくった」のは何だったのかとなるから、何もしないで降ろすわけにはいかず、また振り上げたまま時間を徒に経過させてからの新党結成なら、「間延び」して賞味期間が過ぎ、やっと動いたかと冷ややかに見られる恐れから動いた、いわば「間延び」を避ける新党結成だと明かしたのと同じで、これも「腹をくくった」の覚悟とは程遠い、その程度の新党意志であることを物語っている。
要するに与謝野が口で言っている程ではない、そのことと矛盾した新党結成意志に過ぎないということではないだろうか。
――民主党に衆・参両院過半数のチャンスを――
《米、EUが郵政改革で書簡 公平な競争条件確保を》(47NEWS/2010/04/02 12:12 【共同通信】)
平野官房長官が昨4月2日午前中の閣議後の記者会見で郵政改革に関連し、ルース駐日米大使とリチャードソン欧州連合(EU)駐日欧州委員会代表部大使から、公平な競争条件の確保を求める書簡を受け取ったことを明らかにしたという。
記事は、〈書簡は、日本政府がゆうちょ銀行の預入限度額を現行の1千万円から引き上げるなどした場合、世界貿易機関(WTO)の協定に違反する可能性があると指摘したとみられる。〉と解説している。
書簡受理を明らかにした平野長官は書簡に対する言及は避けたものの、郵政改革について「公平、公正という競争条件に十分留意して判断される」と述べ、政府として諸外国に理解を求めながら、改革案をまとめる考えを強調したそうだ。
書簡は平野長官のほか、亀井郵政改革担当相と岡田外相、原口一博総務相の計4人に送られた模様だとしている。そして原口総務相の閣議後の記者会見の発言を伝えている。書簡の有無にはコメントしなかったそうだ。
原口「WTOとの関係では問題がないものと考えている」――
どういう理由で「問題がないものと考えている」のか、その発言はなかったのか、記事は書いていない。理由を明らかにする説明責任を国民に対して担っているはずだから、もし原口総務相が自分から理由を述べなかったとしたら、記者はジャーナリズムの一翼に位置する者として説明責任を果たすべく求める役目を演ずるべきを演じていないようだ。
「asahi.com」記事――《郵政改革案、米欧が警告書簡 引き上げ「WTO違反も」》(2010年4月2日13時18分) はもう少し詳しい。
書簡が届いたのは記者会見での平野長官の口からではなく、関係者からの間接的伝達としている。
〈関係者によると、書簡は3月半ばごろ、平野官房長官、亀井静香郵政改革相、岡田克也外相、原口一博総務相に送られた。米欧が懸念を表明したことで、郵政改革は再び鳩山政権を揺さぶる火種となる可能性がある。〉――
書簡内容については、〈ルース大使らは書簡で、限度額引き上げなどが、WTO協定の「外国企業に不利な待遇を与えてはいけない」という原則に違反する可能性を指摘した模様だ。また、昨秋のG20首脳会議(金融サミット)で「保護主義を排除する」とした首脳声明の趣旨にも反すると主張し、公正な競争条件の確保を求めている。〉と書いている。
そして「47NEWS」記事と同様に原口総務相の発言を伝えている。
〈原口総務相は2日の閣議後会見で書簡の有無の言及は避けつつ、「WTO協定との関係では問題ない」との認識を示した。〉――
ここでも「問題はない」理由は記されていない。
「msn産経」記事――《【郵政改革】公平な競争条件要求 米・EU駐日大使が連名で書簡》(2010.4.2 01:07))は、〈改革の内容によっては、外資系企業の参入障壁となり、昨年の20カ国・地域(G20)首脳会議(金融サミット)の首脳声明に盛り込まれた保護主義排除にも違反する恐れがあると警告している。〉と書簡内容を他の記事同様に伝えた上で、〈政府はその後の3月30日の閣僚懇談会で郵貯限度額を現行1千万円から2千万円に引き上げることなどを決めた。これに対し、民間金融機関は「暗黙の政府保証が残ったままでの事業拡大は競争条件が不公平」と反発。日本への自由な参入条件を求めてきた外資系金融機関の在日団体も、WTOへの提訴を辞さない姿勢を示しており、経済摩擦に発展する懸念が出てきた。〉と解説している。
平野長官の記者会見での今後の対応についての発言を《郵政見直し巡り米・EUから政府に書簡 公平な扱い求める》(日本経済新聞WEB記事/2010/4/2 11:04)が次のように伝えている。
平野「公平、公正な扱いを求めているのだろう。外交上の問題として対処する。鳩山由紀夫首相も書簡があることは認識している」
これは内政問題ではない。ゆうちょ銀行やかんぽ生命の預入れ・保障限度額引上げの問題は片付いた、外交問題に過ぎないということなのだろう。だが、日本という同じ土俵、同じ条件下で企業活動する以上、外国企業に不利な待遇を与えるとしたら、それだけで終わらず、国内企業にも影響するだろうから、内政問題と響き合うはずだ。平等な競争と言う点に関して、グローバル化の今日、外国企業と国内企業との間に差を設けてはならないはずだからだ。
何よりも問題はルース駐日米大使とリチャードソン駐日欧州連合大使から送付された警告書簡を平野官房長官など日本側が受理したのは「3月半ば頃」(asahi.com)だということである。
「ブルームバーグ」記事――《郵政改革:公正競争求め米、EUが政府に書簡-外交問題に発展も》(2010/04/02 13:20 )によると、〈駐日EU代表部広報部によると、両大使が書簡を送ったのは3月2日。どのような改革をするかは「日本政府の専権事項」としながらも、どのような形であれ、保険、金融などの分野における民間企業との競争の平等性を確保すべきであり、日本の国際的義務を順守すべきだとの趣旨が盛り込まれているという。駐日米大使館も同日付で両大使が書簡を送ったことを認めた。〉と書いていて、書簡送付は3月2日だとしている。翌日の受理だとしても、3月3日には受け取っていることになる。
例え受理が3月半ばとしても、平野長官が受理を明らかにしたのは昨4月2日の記者会見である。2週間は明らかにされないままにされていた。もし「ブルームバーグ」が伝えるように「3月2日」だとすると、1カ月もの間、事実を伏せていたことになる。
このことは情報隠蔽に当たらないだろうか。政府による情報隠蔽は勿論のこと、国民の知る権利の侵害に相当する。
警告書簡の存在を知っていたのは送付された平野官房長官、亀井静香郵政改革相、岡田克也外相、原口一博総務相と平野官房長官が記者会見で「書簡があることは認識している」と言っていた鳩山首相の5人のみで、あとは警告書簡の存在を知らされないまま、預入限度額と保障限度額の引上げの妥当性を議論し、亀井金融担当相が、既に決まったことだ、鳩山首相が了承したことだと言い、仙谷由人国家戦略相その他が地方の中小金融機関に対する民業圧迫だ、地方経済にいい影響を及ぼさないと反対する発言を相互に展開していたことになる。
米欧大使が警告書簡に示した懸念は外国企業にとどまらず、国内企業にも言われている相互関連事項である以上、決して小さな問題ではないはずだし、警告は仙谷由人国家戦略相等の限度額引上げ反対派の反対論の強力な補強材料ともなったはずである。
だが、一言も警告書簡の存在についての言及はなかったし、内容に記されている警告の妥当性についての議論も一言もなかった。
いわば、3月2日か3月半ば頃受け取っていたはずの警告書簡は4月2日まで存在しなかった。隠すことによって、存在しないものとされていた。
それとも内々に知らされていたのだろうか。知らされていたが、お互いにその存在を隠して議論していたのだろうか。
例えそうであったとしても、マスコミや国民には情報を隠蔽していたことになる。国民の知る権利を無視し、知らせずじまいとしていた。
そして3月30日開催の閣僚懇談会で、日本側の5人以外は知らされていなかったとしても、あるいは他のすべての閣僚に内々に知らされていたとしても、ここでも警告書簡の存在についての言及は一言もなかったし、内容に記されている警告の妥当性についての議論にしても一言もないままに地方の中小金融機関等の民業圧迫につながる、地方経済に悪影響を与えると批判のあったゆうちょ銀行預入限度額の現行1000万円から2000万円への引上げとかんぽ生命保険加入限度額の1300万円から2500万円への引上げを決定した。
もし5人のみが知っていて、他は知らされていなかったとしたら、議論がこじれるたりするのを恐れて情報隠蔽を図ったことになる。もし内々に知らされていながら、書簡内容を議題に取り上げなかったとしたら、情報隠蔽を共同で謀ったことになる。
5人以外には知らされないままであったとしたら、5人以外と国民を、内々に知らされていたとしても、残る国民を情報隠蔽の対象としていたことに変わりはい。
もしもそこに情報の隠蔽が行われていたとしたら、閣僚懇談会の結論は既定路線だったことを暴露する。結論以外の結末を望まなかったことからの情報隠蔽だろうからである。
断るまでもなく、情報の隠蔽とは情報を隠すことで自己に有利な状況をつくり出す情報操作を一体的に兼ね備える。自分たちが望んだ結論を導き出すための情報隠蔽という情報操作を行ったということである。
5人以外に、あるいは国民に伝えられないまま議論が進められ、決められた。情報隠蔽であると同時に情報操作でなくてはできない起承転結の展開であろう。
少なくとも書簡を受け取った時点で国民に知らせ、それ以降、関係閣僚間で地方の中小金融機関等の民業への影響、地方経済への影響と併行・関連させて警告書簡が訴えている懸念が妥当か否かの議論がなされるべきであったが、書簡受理の3月2日か3月半ば以降、議論もされず、国民に対する説明責任も果たされなかった。
その一方で閣僚懇談会で鳩山首相の“指導力”の元、批判を抑えて亀井金融担当相サイドの結論が導き出された。
〈首相は30日の懇談会後、首相官邸で予定外の記者団の取材に応じ、「即断即決をしなきゃならんという判断のもとで決めた」と、指導力をアピールした。〉(《郵政ドタバタ「限度額見直せる」で仙谷氏軟化》(YOMIURI ONLINE/2010年3月31日02時07分)ということだが、結論が情報隠蔽による情報操作の元で導き出されたものだとしたら、鳩山首相の指導力も単なる見せかけの演出に過ぎなかったことになる。
情報隠蔽しても不思議はない平野長官の政治性であり、情報操作がなければ打ち出せない鳩山首相の指導力とも言える。
《在日米軍再編:普天間移設 首相の「腹案」、閣僚間で検討--外相》(毎日jp/2010年4月1日夕刊)
鳩山首相が3月31日の党首討論で「腹案がある」と基地問題解決の成算があるが如きのように発言したことに対して、日本の岡田外相がハイチ支援国会合に出席中のニューヨークの国連本部で記者団に次のように述べたという。
「閣僚間で検討してきた考え方のことをおっしゃるのだろう」
記事題名は首相の「腹案」を閣僚間で検討しているというニュアンスとなっているが、岡田外相の言い方は逆に閣僚間で検討してきた様々な内容を指しているのではないのかと推測する形となっている。
そもそもからして岡田外相は内閣に於ける立場上、鳩山首相の「腹案」の存在を補強する立場にある。詳しい中身は鳩山首相が党首討論で、「この地域ですよということを申しあげたとたんに、やはりその地域から、やはりこの地域はやはり難しいよ、いろいろなお声を頂戴することは分かっていますから」と言って明らかにしなかったように隠せば済むことで、「腹案」の存在自体は立場上明確に肯定しなければならないはずだ。
だが、それができなかった。岡田外相やその他の関係閣僚にこれが私の「腹案だ」という形で鳩山首相から明確に伝えられてはいなかったということであろう。
また、「閣僚間で検討してきた考え方」ということなら、既にマスコミが取り上げている候補地のことを言っているのであって、特別な案ではないことになる。
岡田外相が知らない「腹案」が別にあるとしたら、昨日のブログで既に取り上げているが、党首討論での首相の発言の「当然のことながら、腹案に関しては関係閣僚で議論をして方向性を決めたのだから、共有している。そして、その考え方に基づいて、今、交渉のプロセスに入ろうとしているのだから、その考え方は1つだ」(「NHK」記事)にしても、「私には今、その腹案を持ち合わせているところでございます。そして、関係の閣僚の皆様方にも、その認識の下で行動していただいているところでございます」(msn産経)にしても矛盾した物言いとなる。
当然、岡田外相にしても関係閣僚の一人として知り得る立場にあり、共有した「腹案」でなければならない。
知り得て、共有し、「その認識の下で行動していただいている」ということなら、少なくともここニ、三日前のことではなく、一定期間前から検討してきた「腹案」ということでなければならない。
だが、ここ数日間の記者会見で鳩山首相は「腹案」について一言も触れなかった矛盾については昨日のブログに書いた。
岡田外相にしても「腹案」の存在を補強するどころか、「閣僚間で検討してきた考え方のことをおっしゃるのだろう」と推測するしかなかった。
それとも岡田外相は関係閣僚の一人に入っていなかったのだろうか。
3月2日に平野官房長官と北澤防衛相がアメリカのルース駐日大使と会談してそれまでの政府の検討状況を伝えている。
《“米大使に提案していない”》(NHK/10年3月4日 12時17分)
平野官房長官「アメリカのルース駐日大使には、5月末までに結論を出すため、政府・与党の検討委員会で作業を進めていると伝えたが、キャンプシュワブ陸上部への移設を提案したなどという話をするわけがない。今後は、必要があればまたお会いするが、アメリカとの対外交渉を誰がやるかについては、担当閣僚で話し合って決めなければならない」
だが現在、政府はキャンプシュワブ陸上部にヘリポートを建設してといった計画を有力な一つの案としている。「5月末までに結論を出すため、政府・与党の検討委員会で作業を進めていると伝えた」だけでは中身のない話しになるということと併せ考えると、「提案したなどという話をするわけがない」とは“狼中年”もここに極まれりではないだろうか。
記者「ルース駐日大使から、さきの日米合意に基づくキャンプシュワブ沿岸部への移設案がベストだという話はなかったのか」
平野官房長官「会話の中にはあったかもしれない」
あったか、なかったかいずれかであって、「あったかもしれない」という推測は成り立たないはずだが、“狼中年”だから、成り立たない推測を平気で使う。内閣支持率の危険水域接近に相当貢献をしているに違いない。
現行案がベストはアメリカ側の終始一貫した基本的姿勢である。当然、ルース大使は口にしたはずである。
日本側平野・北澤とアメリカ側ルース会談に日本側の関係閣僚である岡田外相が加わっていなかったことがマスコミに取り沙汰されることとなった。
《岡田外相が強調「私と官房長官と防衛相は仲良しトリオ」》(asahi.com/2010年3月6日20時3分)
3月6日の岡田外相の札幌市内講演。
岡田外相「外務大臣は外されているのではないかとメディアは書くが、私と平野長官と北沢大臣は昔から非常に仲が良いトリオだ。(平野、北沢両氏と)お互いよく連絡を取り合いながら作業をしている」
(講演後の記者会見)「(2人は)非常に古い友人なので私に負担をかけてはいけないという気持ちがあるのだろう。2人に感謝をしている」
何となく無理した平野、北澤に対するエールに聞こえなくもない。
記事は、〈移設問題での米側の交渉窓口であるルース氏と平野氏らとの会談に、対米交渉の責任者である岡田氏が同席していなかったことには外務省内からも疑問の声が出ている。〉と解説している。
岡田外相が鳩山首相の「腹案」からルース大使との会談のときのように仲間外れにされていために、「閣僚間で検討してきた考え方のことをおっしゃるのだろう」と推測するしかなかったとしたら、岡田外相は「腹案」を知らされないままアメリカを訪問、3月29日にゲーツ米国防長官と会談、29日夜にG8外相会合開催のカナダの首都オタワ近郊の町でアメリカのクリントン国務長官と会談したことになる。
このようなことは可能だろうか。鳩山首相自らが言っているように「現行案と比べて、少なくとも同等か、それ以上に効果のある」「腹案」なるものが実際に存在していて、アメリカ側が後になってそのことを知ることとなった場合、岡田外相との会談は何だったかという問題が発生することになるが、そのことよりも、日本の閣僚間に於ける情報統一や情報共有に関わる感覚、情報形成システム自体に疑いの目を向けられることとなる。大きく言えば、政治そのものが機能していない欠陥の存在が疑われることになる。
「腹案」の中身をアメリカ側に示して内々にでも相手に伝えないことには、いつまでも現行案がベストだとする相手の姿勢を変えることもできないことにもなる。
このように見てくると、鳩山首相が言っていた「腹案」は岡田外相が言っていた「閣僚間で検討してきた」レベルの、いわば既にマスコミが取り上げているいくつかの案に過ぎず、党首討論で首相の言葉上の強がりが言わしめた「腹案」にしか見えない。
もしそうだとしたら、このことは決して小さなことではない。誠意というパーソナリティに関わってくる問題だからだ。