猪瀬東京都知事の5000万円借用疑惑、いよいよ辞任は秒読み段階に入ったのではないだろうか。辞任以外に追及を逃れる手はないところまできている。
マスコミ記事から12月9日・10日の都議会総務委員会での猪瀬都知事の発言から自分なりの解釈で、猪瀬都知事の発言の矛盾を考えてみることにする。自分なりの解釈と言っても、自分だけの解釈というわけではない。自分ができる解釈といった程度で、結果は大したことのない解釈で終わるかもしれない。
先ずは郵送で返却された借用書の封筒の問題。《猪瀬知事、徳田議員に「借用証は見せていない」》(YOMIURI ONLINE/2013年12月7日09時07分)
12月6日の東京都議会一般質問。
――徳洲会側から郵送されてきた借用証が入っていた封筒は保管されているか。保管されていれば、提出してもらいたい。
猪瀬都知事「封筒は保管していない。私の事務所には毎日大量の郵便物を含む書類が届く。事務所のスタッフにより処分されたと聞いている」
――(問題発覚後に)徳田毅衆院議員に借用証を見せて確認したのか、見せたとしたらいつ見せたのか。
猪瀬都知事「借用証は見せていない。毅氏の秘書から連絡があって、確認した」
――(借用証に印紙が貼られておらず)印紙税法違反が指摘されているが。
猪瀬都知事「印紙税についても至らないところがあったので、納税するつもりだ」
――知事は、昨年11月6日に(神奈川県鎌倉市の病院に入院中の)徳田虎雄・元衆院議員と会ったとき、あいさつ程度だったと説明していたが、医療についての話はしていないのか。
猪瀬都知事「徳田氏が立志伝中の人物であるという話は聞いていた」
――副知事2期目の退職時に受け取った1026万円の退職金を返納する気持ちはあるか。
猪瀬都知事「私の行動が都政に様々な迷惑をかけていることは承知しており、その責任も感じている。退職金の返納については、ご意見として受け止めさせていただく」(以上)
要するに封筒の処分は「事務所には毎日大量の郵便物を含む書類が届」いて嵩張るから、郵便物の場合は封筒から出して剥き出しの状態で保管するというシステムになっているという意味であるはずだ。
だが、一般的には封筒入りで来た郵便物は封筒入りのまま、書類が剥き出しで届いた場合は逆に事務所の封筒等に入れて、それぞれ中身が何であるか分かるように封筒の表にマジック等で一筆入れて本立や戸棚に縦に入れて保管する。そうして置くと、後で簡単に探し出すことができるし、紛失もしにくくなる。また封筒に入れておけば、変に折れ目がついたり皺になったりするのを防ぐことができる。
郵送ではなく、手渡しで直接渡す場合も、相手は変に折れ目がついたり皺になったりしないように封筒に入れて持ってくるのが一般的である。
だが、わざわざ封筒から出して、記者会見で示したA4版程度の大きさの借用書1枚を剥き出しのまま貸し金庫に保管した。それは不自然ではないかと追及するだけでも、猪瀬知事に対するプレッシャーになるはずだが、記事を見る限り、尻切れトンボで終わっている。
「徳田毅衆院議員に借用証を見せて確認したのか、見せたとしたらいつ見せたのか」と質問しているが、ニセモノなら見せるはずはないし、ホンモノだとするなら、なお見せる必要は生じない。ニセモノかホンモノかを見分けるための質問としたら、無意味な質問であろう。
但し借用書の郵送に関してはこれまで差出人は徳田氏側、受取人は猪瀬事務所を前提とした追及と答弁となっている。ところがこの構造ばかりか、2012年11月6日の徳洲会鎌倉病院での徳田虎雄前理事長との面会では都知事選出馬の挨拶をし、虎雄氏の業績についての話を聞いただけという説明と貸し金庫に5000万円預けたという一件について、12月10日都議会総務委員会2日目集中審議では猪瀬都知事は自ら証言を崩す。
《資金提供問題 猪瀬知事「借用書は仲介人から郵送」と証言》(FNN/2013/12/10 18:04)
小山邦彦民主党議員「わたしは必ず、徳田虎雄氏と会うには、きちんとした、それもはっきりとした理由が知事にはあったはずです。それは何ですか?」
猪瀬都知事「応援につながるということです」
小山議員「応援というその中身、それが何なんですかという、わたしは一般的にお話を聞いているわけではなくて、知事ご自身がここで、何を依頼されて、何を応援の目的とされたのかということをお聞きをいたしております」」
猪瀬都知事「今、申し上げましたように、応援してくださるということは、たくさんの票につながったり、いろんな方々に話が伝わって、献金につながったりするだろうということを含めて、お願いしますよということで、お会いしたわけですよね」
小山議員「今、お話の中で、1つは票、1つはお金、献金。こういうことでございますね? よろしいですか?」
猪瀬都知事「それは、お願いするということは、そういうことです」
小山議員「ただ今の答弁から、1つは票、1つはお金であるということが、よくわかりました。その応援(要請)に行かれた結果、資金がのちのち、このあとお話をしますが、5,000万円の授受につながっています。それがつながっているというふうに、知事は、お考えにならないということですか?」
猪瀬都知事「そこは、わかりません」――
露骨に「資金も票もお願いしたいものですね」と言わなかったとしても、資金と票を期待する気持を込めて、「お願いします」と言ったことになる。
当然、猪瀬都知事が資金提供を直接的には口にしなくても、徳洲会側は5000万円出すについては資金と票を期待した猪瀬都知事の気持に応えた選挙資金の5000万円ということになって、いくら猪瀬都知事が選挙後の生活を考えた個人的借用だと強弁しても、選挙資金を使途目的としての両者間のカネの遣り取りとなる。
また、この票と献金を期待して応援をお願いした事実と、11月14日の東京都内和食店で交わした猪瀬都知事と徳田毅衆院議員と木村三浩氏の遣り取りについてのこれまでの証言との整合性、及び前日(12月9日)の都議会総務委員会での発言との整合性を見てみる。
11月26日公開記者会見。
猪瀬都知事「(11月14日の和食店では)いろんな話が出ました。ですから、そういう中で、もしお金がないのなら、いつでもお貸ししますよという話は出ています」
11月6日の徳洲会鎌倉病院での徳田虎雄前理事長との面会で既に票と献金を期待して応援をお願いしているのである。当然、「もしお金がないのなら」は資金不足かどうか分からないことを前提とした言葉ではなく、資金不足が承知を前提とした言葉となる。
だが、猪瀬都知事が説明した徳田毅議員の言葉は前者のニュアンスとなっている。この説明は自分から資金提供を申し込んだのではないことを事実とするための証言だからだろう。
12月9日都議会総務委員会での和食店での遣り取りは自らが描いてきた事実を更に変化させることになる。《猪瀬知事「政治団体代表が提案」》(NHK NEWS WEB/2013年12月9日 18時14分)
11月14日の和食店での遣り取り。
猪瀬都知事「会食の際、徳田議員と木村代表の間の会話で都知事選挙には選挙資金として1億円ほどかかると言っていたので人ごとのように聞いていた。自分としては過去の石原前知事の選挙で3000万円程度で済んだと聞いていたので、自己資金でまかなえると思った。
「『当時は有力候補も出てくるかもしれない状況で、小さな事務所を回していかなければいけないので不安がある』と話したら、木村氏が『そういうお金だったら貸してあげたらいいじゃないか』と話していた」――
12月10日総務委員会の証言は票と献金を期待して応援をお願いしたのである。これを事実とすると、都知事選挙ではどのくらいのカネがかかるかという話に「人ごとのように聞」くということは整合性を明らかに失う。
また11月6日に徳田虎雄・元衆院議員に票と献金を期待して応援をお願いした以上、「自分としては過去の石原前知事の選挙で3000万円程度で済んだと聞いていたので、自己資金でまかなえると思った」という証言も整合性を失うことになる。
後者を真正な事実とするなら、票と献金を期待して応援をお願いしたという前者の事実は存在し得ない。
矛盾だらけである。個人的借用を演出するための創作としか見えない。だが、都議会で追及されるに及んで、事実に近づけざるを得なくなった。
前出の「FNN」記事に戻って、12月5日の代表質問では「5000万円を貸金庫に預けた理由ですが」という質問に対して、「5000万円という大金を目にして、びっくりして、自宅に置いておくわけにいかない、これはすぐに、貸金庫にしまわなければならないなと思いました」としていた貸金庫保管と借用書についての12月10日都議会総務委員会2日目の発言の変化について見てみる。
猪瀬都知事「(徳田 毅議員が)11月19日に、5000万円を用意するから、あした、取りに来てくれという電話をかけてきましたので、うちの妻に、『もし、そういうことになれば、入れ物がないので、貸金庫を借りてくれ』というふうに頼みました」――
妻が借りて利用していた貸し金庫を5000万円の保管場所としたのではなく、5000万円の保管を目的として妻に借りさせた貸し金庫へと保管したということになって、この場合は変わるはずもない事実を作り変えたことになる。変わるはずもない事実を作り変えたということは単に整合性を失うだけではなく、明らかにウソをついていたということである。
勿論、記憶違いによって記憶を訂正する過程で事実が作り変えられることもあり得るが、個人的借用だと周囲に納得させるための自己正当化を目的とした前者の事実であって、記憶違いの訂正による事実の作り変えは同じ自己正当化であっても、それをより補強する形を取らなければ意味をなさないにも関わらず、逆に自己正当化を崩す証言となっている以上、いくらでも追及の方法があったはずだが、以後の遣り取りについて記事は触れていない。
借用書の返済について。
猪瀬都知事「(借用書は)日にちはわかりませんが、(仲介人の)木村三浩氏の方から送られてきました。徳田毅事務所から、木村三浩氏が受け取って、こちらに送ってきたということです」
徳留道信共産党議員「そんな貸借関係があるんですか? 貸した人から借用書が戻ってこなくて、違う人から戻ってくる」――
この質問に猪瀬都知事がどう答えたのか、やはり記事は触れていない。
だが、猪瀬都知事はこれまでは徳田議員から猪瀬事務所に封筒入りで郵送されてきたという事実を自ら描き出して、その事実を前提に遣り取りが行われてきた。ここに来ての事実の作り変えとなっている。これが真正な事実なら、落ちるのも時間の問題だろう。
一般的な常識としては徳留議員が「そんな貸借関係があるんですか?」と言っているように徳田毅事務所から木村三浩氏側に郵送されたという事実は考えにくい。木村三浩氏が直接借用書を受取りにいったことになるはずだ。
但し木村三浩氏が保証人になっているか、あるいは木村三浩氏の主導で貸し借りの話が推し進められ、徳洲会側が木村三浩氏の顔を立てる形で猪瀬側との貸し借りを成立させた場合は、借用書を木村三浩氏側に郵送することもあり得るかもしれない。
直接受け取りにいったのか、郵送なのか、その事実と、前者・後者いずれであっても、なぜの理由を問い質さなければならないはずだ。
いくらでも追及の余地を残した遣り取りとなっている。自己正当化の発言を行うたびに自己正当化とは逆の矛盾や整合性の欠如を曝すことになる個人的な借用を事実としたい執念の強さと、その執念の強さに比例した政治資金とすることへの強い拒絶反応は、政治資金とした場合、徳洲会が都心から離れた西東京市に介護老人保健施設と昭島市に病院を持つものの、都心に徳洲会病院の旗を立てることを悲願としているということに対して都が許認可権を持つために便宜供与の密約が疑われことからの個人的な借用を事実としたい執念の強さであり、政治資金とされることへの強い拒絶反応と疑えないこともない。
だが、個人的借用が最初からの神聖な事実なら、こうも矛盾した発言も整合性の取れない発言も出てこないはずだ。また、ただ単にヒモつきではない政治資金として借りただけなら、同じことを言うことができる。
事実の作り変えが余りにもひどい。いよいよ追いつめられ、辞任以外に追及を逃れる手はないところまできている。
あの偉大な反アパルトヘイト(反人種隔離政策)闘士、人種差別撤廃闘争の巨星、ネルソン・マンデラ元南アフリカ大統領が12月5日午後亡くなった。
南アフリカのかつての悪名高いアパルトヘイト(人種隔離政策)の撤廃の経緯をネルソン・マンデラの反アパルトヘイトから大統領就任までの経歴と共にインターネットで調べて、ざっと纏めてみる。
1962年国家反逆罪に問われて終身刑を受けるが、27年間の獄中にあってもなお反アパルトヘイト闘争を続け、1979年にインドの「ネルー賞」を受賞、1988年に欧州議会の「サハロフ賞」を受賞するなどして国際世論を反アパルトヘイト闘争の味方につけ、南アフリカに対する国際的な経済制裁を獲得、当時の白人大統領フレデリック・デクラークをして国内経済の立て直しや人種間闘争による社会混乱からの国家の建て直しに無視できない存在と認めさせたのだろう、1989年12月にマンデラと会談、翌1990年2月11日に釈放、1991年6月、アパルトヘイトの根幹法である人口登録法、原住民土地法、集団地域法等を廃止、全人種代表参加の民主南アフリカ会議等を経て1994年4月、南ア史上初の全人種参加選挙実施、そしてマンデラは初の黒人大統領に就任した。
その間の1993年12月10日にデクラークと共にノーベル平和賞受賞している。
何よりも偉大な功績はかつての敵白人を追放したり、排斥したり、財産を没収したりするのではなく、共に国家建設の仲間と見做し、その存在を受け入れたことであろう。
テレビで取り上げていたマンデラのかつての優れた言葉(=思想)をインターネットで調べ直して、掲載してみる。
「生まれたときから、
肌の色や育ち、
宗教で他人を憎む人などいない。
人は憎むことを学ぶのだ。
もし憎しみを学べるのなら、
愛を教えることもできる。
愛は、憎しみに比べ、
より自然に人間の心にとどく」――
人種差別や民族差別、ある種の病気に対する差別、性的差別、あるいは貧しい者に対する差別、給料の少ない職業に対する差別等々の憎しみや蔑みの感情を伴わせた差別は生まれたときから血の中に埋め込まれた知恵として持っているわけではなく、大人や社会のそれらに対する差別を学び、引き継ぐ形で自らの差別感情としていく。
戦前、及び戦後の長い一時期まで続いた日本人の大人たちの朝鮮人差別は子どもも学び引き継いで、石を投げつけたり、罵倒したり、イジメたり、子どもにできる方法で差別感情を晴らした。
差別は一個の人間を一個の人間と認めることができない人権意識の欠落を背中合わせとする。
このマンデラの言葉(=思想)は人権に関わる人間の理想・世界の理想を謳っている。南アフリカに於いてもそうだろうが、世界的に未だ実現していない理想ではあっても、目指し、到達すべき理想として常に掲げていなければならないはずだ。
マンデラはその理想に向けて闘い続けた。
反人種差別闘争の偉大な闘士であり、人種間融和に向けた偉大な人権思想家であるネルソン・マンデラの国葬は12月10日の公式追悼式から始まり、葬儀自体は12月15日、故郷の東ケープ州クヌ村で行われるという。
国葬にはオバマ米大統領、キャメロン英首相、オランド仏大統領、ルセフ・ブラジル大統領、潘基文国連事務総長、ファンロンパイ欧州連合(EU)大統領らが国葬参列を表明しているという。
合わせて首脳級53人が参列と「MSN産経」記事が伝えていた。
このような各国政権トップや国際機関トップの参列はネルソン・マンデラが人権思想の観点からも政治思想の観点からも最大限の敬意を受けるに値する偉大な人物と見做しているからだろう。
権国家中国は習近平国家主席の特別代表として李源潮国家副主席の追悼式出席を発表している。権国家ゆえ、そのような国を率いる国家主席が偉大な人権思想家ネルソン・マンデラの追悼式参列は権対人権の皮肉な対面となり、その不都合を少しでも和らげる手段としての国家副主席の参列に違いないと見る。
皮肉な対面となるからといって、欠席の無視はできない。この点からもネルソン・マンデラの偉大さを窺うことができる。
対して日本は首相の安倍晋三ではなく、皇太子と福田元首相の派遣となった。
福田元首相は国会議員を引退していて現役政治家ではない。最大限の敬意表明の存在足り得ない。
皇太子はそれ相応の人権思想を自らの血としているとは思う。だが、皇太子は〈これまでにヨルダン国王やノルウェー国王、トンガ国王などの葬儀に参列している。〉と「スポニチ」が伝えている。いわば、ネルソン・マンデラに対する敬意表明はヨルダン国王やノルウェー国王、トンガ国王に対して皇太子の敬意表明で済ませてきたのと同じく、皇太子級でいいということになる。
とても最大限の敬意表明とはいかない。
皇太子と福田元首相では間に合わせコンビ派遣程度としか見ることができず、その程度の派遣で済ます右翼の軍国主義者安倍晋三の人権感覚・人権思想だということでもあるはずだ。
間に合わせだから、これはという一人ではなく、二人も必要とする。
尤も安倍晋三自身の参列であっても、ネルソン・マンデラの人権思想に響き合わせることのできる人権思想の持ち主というわけではない。響き合わせることのできる人権思想の持ち主はそうは存在すまい。
だが、せめてもの最大限の敬意表明のためにいくら忙しくても、忙しさを割いて自らが出席すべきだったろう。
ここにも安倍晋三の合理的判断能力の欠如を見ることができる。
右翼の軍国主義者安倍晋三が特定秘密保護法成立から一夜明けた12月7日、東京台東区の寺で約1時間に亘って座禅を組んだという。
俗物のことだから、1時間もじっとしていること自体が苦痛だったのではないだろうか。大体がいっときの無の境地が今後の行く末に大した意味を成すはずはない。法律の執行側にしても国家の秘密を扱い、その漏洩を犯罪として罪を問うことになる以上、執行の面で様々な問題点が露呈しない保証はなく、国民世論の反対が大勢を占めた状況と併せて先行きを考えた場合、自ずと緊張感が走るはずで、例えいっときの無の境地であっても、そのように構えていていい性質の自身が置かれている立場というわけではあるまい。
緊張感は己の判断能力の合理性にかかっている。
例えば誰かが国家の秘密を漏洩して、その罪を問われることになった場合、今まで誰一人知ることのなかった国家機密の存在を知ることになり、存在によって実体を逆に想像させる場合もあるはずだ。
勿論、国家はその秘密の実体を隠蔽するだろうが、隠蔽しようとすればする程、その秘密は確固とした推測の対象となって、歴代政府が否定してきた核密約のように実体と変わらない想像の姿を取らない保証はない。
またコメンテーターとして番組に出演していた朝日新聞の特別編集委員星浩が、1年後の施行までに設けるとした「情報保全監察室」や「情報保全監察室」等の秘密指定と解除の妥当性のチェック機関は野党反対と国民反対を納得させるために12月6日参議院可決・成立の前日と前々日に持ち出した方針であって、衆議院では一度も議論されていないと問題点を指摘していた。
〈安倍首相は4日午前の参院国家安全保障特別委員会で、特定秘密保護法案で秘密指定の統一基準を策定する「情報保全諮問会議」と、運用の妥当性をチェックする「保全監視委員会」を、法施行までに政府内に設置する方針を明言した。》(TOKYO Web)――
〈菅義偉官房長官は5日午後の参院国家安全保障特別委員会で、特定秘密保護法案の成立後、施行までに、内閣府に20人規模の「情報保全監察室」を設置する方針を明らかにした。日本維新の会の室井邦彦氏への答弁。〉(時事ドットコム)――
いわば法案の中身自体が変化し、変化した中身に対して衆議院は一度も議論を行っていないし、結果的に賛成も反対も意思表示していないことになるということである。
この点も野党から追及を受ける問題点となるはずで、その他を含めて法の成立での一安心は束の間と覚悟しなければならない。
その覚悟は当然、それなりの緊張を強いる。緊張感のない覚悟など存在しない。座禅を組むにしても、緊張感を走らせている中でのいっときの無の境地の味わいということになるはずだ
と言うことは、安倍晋三が合理的判断能力を有していたなら、いくら法律の成立でホッとしたとしても、座禅を組む前にしても組んだ後にしても、法律の執行面、あるいはその他で生じるかもしれない想像し得る様々な問題点を否応もなしに考慮することになる覚悟と緊張感に程よく包み込まれていたはずだ。
ところが、座禅を組むことになる朝、マスコミによると首相公邸に泊まったそうだが、一緒に座禅を組んだという山本有二衆議院議員が記者たちに囲まれて安倍晋三の心境を話している様子を番組は伝えた。
山本有二「総理も吹っ切れた形で座禅に臨まれたと。今朝目覚められたら、国会の周りが静かだったんで、何か嵐が過ぎ去さったっていう、そういう感じがしたと・・・・」――
「嵐」と表現した対象は野党の反対であり、国会周辺のデモに集約された国民の反対であって、「嵐」と表現する程に激しく、それが「過ぎ去って」静まり返った。
確かに安倍晋三のホッとした心境を窺うことができるが、この心境は緊張からの解放感であって、各種チェック機関の今後の設立や法律執行面で生じるかもしれない、嵐の残滓としての今後の問題点を考慮して持たなければならない緊張感すら感じさせない、そのような嵐の残滓を一切考慮しない弛緩した様子さえ透けて見える。
自然災害の嵐と違って、政治的・社会的嵐は一歩間違えると、その残滓が最初に襲った嵐と同等の、あるいはそれ以上の嵐を呼び起こさない保証はない。だが、「嵐は過ぎ去った」と、完全に緊張感のないノー天気な判断能力での立ちまわりとなっている。
石破茂は国会周辺のデモを民主主義のルールに則っている以上、表現の自由を保障された主義・主張の正当なる一形式であるにも関わらず、「テロ行為とその本質においてあまり変わらない」と、テロの類似行為に貶め、安倍晋三は野党の反対行動と国民の反対デモを、その正当性を認めずに迷惑な存在である「嵐」と表現し、それを過ぎ去ったこととしていりが、そのようにも反対者の心の中に何も残らないかのように見做す自己都合の緊張感のなさはまさに合理的判断能力の欠如の証明以外の何ものでもないだろう。
特定秘密保護法の危険性は安倍晋三の精神を象(かたど)っている、合理的判断能力を欠いているところから醸し出されている軍国主義・国家主義の危険性の反映と見做さなければならない。
2012年12月26日第2次安倍内閣発足と同時に内閣府特命担当大臣(経済財政政策)に任命された甘利明経済再生担当相が12月2日、体調不良を訴えて検査入院し、12月5日、退院した。
甘利経済再生担当相は第2次安倍内閣による日本の環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)締結交渉への参加決定を受けてTPP担当国務大臣に就任している。いわば安倍内閣を担う重要閣僚に位置している。右翼の軍国主義者安倍晋三の信頼厚いキーマンだと評価する報道もある。
しかもTPP参加国の申し合わせは「年内妥結」を目標にしている。安倍晋三も参加国としてその目標を共有していたし、共有しなければならなかった。
2013年10月10日午前、「東南アジア諸国連合(ASEAN)プラス3(日中韓)」首脳会議後の同日午後の内外記者会見。
安倍晋三「TPPは、その大きな自由経済圏への第一歩。モノの取引だけではなく、サービス、投資、知的財産、そして環境など、幅広い分野で共通のルールをつくっていくこと。これこそが、21世紀の成長センターにふさわしい市場を実現する道である。
政治的な決断によって歩みを進め、アジア・太平洋にまたがる、新しい経済統合を実現する。その認識を首脳たちが共有し、年内妥結に向けて大きな流れをつくることができたと考えている」――
安倍晋三の指導を介してTPP交渉の場で「政治的な決断」を示し得る閣僚は甘利を措いて他には存在しないということになる。そうでなければ甘利明をTPP担当国務大臣に任命した意味を失い、自らの任命責任へと跳ね返ってくる。
2013年10月15日第185臨時国会所信表明演説。
安倍晋三「環太平洋連携協定(TPP)交渉では、日本は、今や中核的な役割を担っています。年内妥結に向けて、攻めるべきは攻め、守るべきは守り、アジア・太平洋の新たな経済秩序づくりに貢献してまいります」――
安倍晋三が言っている「日本は、今や中核的な役割を担っています」が事実なのか、自らの指導力の反映だと見せかけるハッタリなのかどうかは分からないが、安倍晋三がそうだとしている以上、そのような立場に応じた行動を取らなければならない国際的使命と共に、年内妥結という重大な時間的制約を受けた中での「政治的な決断」を必要とする場面であるなら、甘利を措いて他にはないと目してTPP担当国務大臣に任命した安倍晋三の責任も然ることながら、任命された甘利の責任と使命は何者にも代え難い重大性を帯びることになる。
このような重大な最終局面を迎えての体調不良であり、検査入院となった。
検査結果は早期の舌がんだと12月5日の記者会見で明らかにした。《甘利大臣 早期の舌がんで治療へ》(NHK NEWS WEB/2013年12月5日 19時18分)
甘利明「精密検査をした結果、早期の舌がんと判明した。医師の見立てでは、手術のために2週間の入院加療と、1、2週間の自宅療養で職務復帰できるということだった。
先に安倍総理大臣に大臣の辞任を申し出たが、安倍総理大臣からは『病気を克服し、引き続き国民に対する責務を果たしてほしい』と指示された。熟慮した結果、『今、私がなすべきことは、一刻も早く病を克服して、大臣の責務を引き続き果たしていくことである』と考え、本職にとどまりつつ治療に取り組むことにした」――
12月7日からシンガポールで開催のTPP協定閣僚会合には出席せず、内閣府の西村副大臣が代理として出席することを明らかにしたという。
前述したようにTPP交渉妥結へ持っていく政治的決断を可能とする閣僚は甘利を措いて他にはないと目されていたはずのキーマンである。そのようなキーマンであるにも関わらず、安倍晋三が大臣辞任を慰留した上、治療専念を指示し、尚且つ12月7日からのTPP協定閣僚会合に西村内閣府副大臣に代理出席を命じたことを奇異に感じた。
安倍晋三はTPP年内妥結の国益を――、別の言い方をするなら、経済面に於ける日本の命運を甘利明の双肩に担わせたはずだ。それをいとも簡単に両肩から外して、西村副大臣に担わせた。最初から甘利大臣と一緒に交渉に携わってきているとしても、交渉の本命役ではない。
安倍晋三は右翼という点で安倍晋三と同類の元駐タイ大使岡崎久彦との共著『この国を守る決意』に次のような記述があるという。
安倍晋三 「(国を)命を投げ打ってでも守ろうとする人がいない限り、国家は成り立ちません。その人の歩みを顕彰することを国家が放棄したら、誰が国のために汗や血を流すかということです」――
安倍晋三は甘利明が舌がん治療のために大臣辞任を申し出たとき、なぜこの信念の言葉を甘利に向けて発しなかったのだろうか。
安倍晋三「甘利さん、あなたはTPP交渉年内妥結の国益、日本の命運を担っているのです。命を投げ打ってでも国を守ろうとする人がいない限り、国家は成り立ちません。治療専念よりも、命を投げ打つ覚悟で7日からのシンガポールでの閣僚会合に出席すべきです。
もしそのことで実際に命を失うことがあったなら、あなたの歩みを日本国家は顕彰することを約束するし、国民もきっと顕彰するはずです」・・・・
「命を投げ打ってでも」という言葉の意味は死という物理性を最終局面とする。いわば「死を以って国を守ろうとする人がいない限り」という意味となる。
だが、甘利明に対しては自らが信念としている言葉を発しなかった。辞任の申し出を慰留し、治療に専念するよう指示。TPP閣僚会合出席を免除、西村副大臣をピンチヒッターに立てた。
安倍晋三の信念と現実場面でのその非具体化との整合性の不一致、有言不実行は意味をなさないカラッポの信念だからというわけではあるまい。上記発言の趣旨から読み取ることができる意味は靖国神社に眠る戦死者を見本に国に対する命の投げ打ちを国家と国民との関係に於ける国家を成り立たせるための国民の理想像としているということであって、そのような考えを信念としているということであろう。
だが、その信念は甘利に対しては実践を求めることはしなかった。
まさか、「命を投げ打ってでも守ろうとする人がいない限り、国家は成り立ちません」とは戦争での死という生命の物理性と武器を取って戦うという物理性の面からのみ言っているわけではあるまい。政治家としての責任遂行という精神性と責任遂行のためには死をも覚悟するという精神性をも含めた最終局面に於ける死の物理性を兼ねた行為を指しているはずだ。
甘利に実践を求めなかった考え得る理由は「命を投げ打ってでも」の信念が国家と国民との関係に於ける国家を成り立たせるための国民の理想像としている以上、甘利を国民の位置に置かずに国家の指導者の一人として国家の側に置いているからとする以外に考えることはできない。
つまり命を投げ打つ犠牲――無償の捨身行為は国家を成り立たせるために国民に求める理想像であって、国家の指導者はその理想像を国民に対して求める側に所属しているために、その指導者の一人である甘利には求めなかった。
国民の利益よりも国家の利益を優先させる国家主義者である安倍晋三からしたら、これ以上ない整合性ある態度と言うことができる。
生活の党PR
《12月2日(月)小沢一郎生活の党代表定例の記者会見》
『特定秘密保護法を覆すには総選挙で勝つ以外ない』
【質疑要旨】
・特定秘密保護法案に対する反対の動きについて
・石破自民党幹事長の発言について
・特定秘密保護法案と安倍政権支持率に対する世論調査のねじれについて
・中国の防空識別圏設定について
《12月8日(日) 鈴木克昌代表代行・幹事長『日曜討論』(NHK)出演のご案内》
時 間 9:00~10:00
内 容
○臨時国会について
○日本の安全保障と日米同盟について
○経済対策について等
特定秘密指定の恣意性の懸念を内包したまま特定秘密保護法案が2013年12月6日深夜、参議院本会議で可決・成立した。右翼の軍国主義・国家主義のキバを剥いていた安倍晋三に軍国主義・国家主義の勝利を与えた瞬間である。
安倍晋三は特定秘密指定の恣意性の懸念を払拭し、防止する組織として3機関の設置を約束した。
《情報諮問会議、年明け設置=「第三者機関」は1年以内-政府》(時事ドットコム/2013/12/07-01:02)、その他から見てみる。
「情報保全諮問会議」(有識者会議)
目的・役目――政府が特定秘密の指定・解除の運用基準を策定する際、首相に意見を述べる
メンバー――5人以上の有識者
設置場所――政府内
設置時期――年明け
問題点――実際に秘密に触れて妥当性をチェックする権限を持たない
「情報保全監察室」
目的・役目――秘密指定の妥当性のチェック
メンバー――室長は行政機関の課長級、外務、防衛両省や警察庁等の職員。20人規模
設置時期――今後1年以内の法施行まで
設置場所――内閣府
政府の位置づけ――「独立性の高い第三者機関」
※将来的に内閣府設置法を改正、「局」への格上予定
問題点――メンバーが機密情報を扱う出身省庁相手に厳格な検証ができるかは不透明。
「情報保全監視委員会」
目的――各行政機関による『特定秘密』の指定・解除の状況、適性評価の実施状況のチェック(NHK NEWS WEB)
設置場所――内閣官房
メンバー――トップ官房長官、外務、防衛両省の事務次官と警察庁長官、公安調査庁長官、内閣情報官となる見通し。
こう見てくると、「情報保全諮問会議」を除いて、「情報保全監察室」にしても、「情報保全監視委員会」にしても、その目的・役目からして、秘密指定に対する妥当性のチェックが働いて、指定に於ける恣意性の入り込む余地はないように見える。
だが、後者両組織共にメンバーは身内である。唯一身内外をメンバーとする「情報保全諮問会議」は政府の特定秘密指定・解除運用基準策定に於ける首相への意見陳述を役目とするに過ぎない。
秘密指定・解除の妥当性のチェックを役目とする政府組織で身内が身内をチェックする。既にマスコミや識者が指摘しているように果たして厳格な運用が期待できるだろうか。逆に政府の都合に合わせる危険性の方が高いはずだ。
大体が政府が「独立性の高い第三者機関」と位置づけた「情報保全監察室」を身内の官僚で固めている逆説は滑稽ですらある。
政府の都合に合わせた運用である場合、当然そこには厳格な運用を離れた恣意性が関与することになる。いわば秘密指定・解除に於ける恣意性を最も素通りさせやすい点がチェック側のメンバーが身内であるというところにあるはずだ。
要するに秘密指定・解除の厳格なチェックは期待できないことになる。期待できなければ、それぞれは形骸化した組織として運営・存続することになる。
このような可能性の高いところへ持ってきて、次のような閣議決定をしたと、《特定秘密「保存期間中に破棄も」 答弁書を閣議決定》(asahi.com/2013年12月6日15時00分)が伝えている。
解釈に間違いないだろうことの証明として、全文を参考引用しておく。
〈安倍内閣は6日の閣議で、特定秘密の廃棄について「秘密の保全上やむを得ない場合、政令などで(公文書管理法に基づく)保存期間前の廃棄を定めることは否定されない」とする答弁書を決定した。長妻昭衆院議員(民主)の質問主意書に答えた。
公文書の保存期間は「行政機関の長」が公文書管理法に基づいて定める。今回の答弁書は保存期間満了前の特定秘密であっても、政府が特定秘密保護法に基づいて定める政令の内容次第で廃棄される余地を残したものだ。
これまで政府は、保存期間が満了した後であれば、特定秘密に指定された期間が30年以上の情報を除いて、首相の同意を得て廃棄される可能性があるとしている。安倍晋三首相は国会答弁で、特定秘密に指定された期間が30年以上の情報について「すべて歴史公文書として国立公文書館などに移管されるよう運用基準に明記する」とした。〉――
要するに指定期間30年以上の情報の歴史公文書化の安倍国会答弁は政府の立場を踏み外した、特定秘密保護法案の正当性を見せかけたものに過ぎず、保存期間満了後の首相同意を伴う廃棄可能性の政府の立場に戻したものの、特定秘密保護法を可決・成立させようとした12月6日という日に及んで保存期間満了前の廃棄予定可能性を閣議決定し、打ち出したことになる。
この保存期間満了前廃棄予定と秘密指定・解除のチェック機関のメンバーが身内で固められていて、厳格なチェックは期待できず、秘密指定と解除に於いても、運用の妥当性のチェックに於いても恣意性が入り込みやすい危険性を抱え込んでいることを考え併せると、恣意的な秘密指定であったとしても、あるいは恣意的な秘密指定の解除であったとしても、運用に於けるその恣意性と、秘密指定に供する情報自体の妥当性の有無も隠蔽することができるばかりか、保存期間満了前の秘密指定情報の廃棄という手段を使って、すべての恣意性とすべての妥当性の有無をも隠蔽可能とすることができることになる。
このような隠蔽可能性は当然、国民の知る権利に直接影響して、その侵害の恐れがてくる。
安倍晋三のサジ加減一つで国民の知る権利も国家機密もどうとでもなる特定秘密保護法だということである。秘密保護法の衣の中に隠れて、国家の安全の美名のもと、好き勝手ができることになる。
2012年経済協力開発機構(OECD)実施の国際学力テスト「PISA」で日本は数学的リテラシー(活用力)、読解力、科学的リテラシーの全3分野で世界トップ水準に返り咲いたと、誇らしさえ見せてマスコミが報じ、関係者がその成果を謳っていた。
下村博文文科相「きめ細やかな指導体制をさらに整備し、学力と規範意識を兼ね備えた世界トップの人材育成を進めていきたい」(MSN産経)
下村博文文科相「少人数教育の推進やゆとり教育からの脱却、全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)などの取り組みが着実な成果を上げたのではないか」(時事ドットコム)
藤田英典共栄大教授「この10年、学力重視の方針の下、授業の改善や充実を図ってきた。少人数の指導や習熟度別の授業などをきめ細かく続け、基本的な学力の底上げをやってきたことの現れではないか。
子どもが『努力をすればできるんだ』という自信を持ったり、興味を持ったりして取り組んでいくことで、そこに誇りも生まれていく。ただ、先進国ほど学習意欲が低い傾向があるため、日本ではさらに手厚いケアをして充実した教育の場を作ることが必要だ」(NHK NEWS WEB)
要するに少人数教育、脱ゆとり教育、学力重視の教育方針、習熟度別の授業が功を奏したPISA成績向上ということになる。
但し藤田共栄大教授が「先進国ほど学習意欲が低い傾向がある」と言っていることは、「数学の応用力」に対する学習意欲のみの調査のようだったが、参加した65の国や地域の中で低い順位だったという調査結果を指す。
アンドレアス・シュライヒャ―OECD教育・スキル局次長「調査では、21世紀を生きる子どもたちに必要な、持っている知識を新しい状況に照らしあわせて活用する力があるかどうかを調べているが、日本の子どもたちはこの力が大きく改善してきている。
社会がより複雑化し、急速に変化するなか、失敗しても何度でも挑戦していく力や、異なる価値観を理解する力、それにまだ存在しない仕事や技術を作り出して問題を解決していく力が求められている。そのためには、より質の高い教員を集めたり、子どもたちそれぞれの能力を引き出せるように教員の指導力を高めたりする態勢を強化していくことが必要だ」」(NHK NEWS WEB)――
シュライヒャ―氏の日本の15歳に対する評価は素晴らしい褒め言葉となっている。
発言の全体的な趣旨はPISAの試験問題は自身が挙げた、今後の社会が必要とするそれぞれの力を育む方向に各国の教育を向かわせる指針となるテストの内容であって、その育みをより完全にするには質の高い教員と教員の質の向上が必要だというものであろう。
ただ、ケチをつけることになるが、「持っている知識を新しい状況に照らしあわせて活用する力」にしても、「失敗しても何度でも挑戦していく力」にしても、「異なる価値観を理解する力」にしても、「まだ存在しない仕事や技術を作り出して問題を解決していく力」にしても、常にそれぞれの状況に合わせた学習し挑戦する意欲を必要とする。この意欲を持って初めて、それぞれの力が生きた状態で発揮することが可能となるはずだ。
だが、日本の15歳たちは「数学の応用力」への学習意欲が2003年比で少し上がっているものの、参加した国・地域で低い順位だった。基本となる学ぼうとする意欲が低くて、シュライヒャ―氏が挙げた社会生活上必要とする力強く生きていくための各々の力は育み可能となるのだろうか。
勿論、テストの成績で表すことになる学校の勉強だけが社会的なスキルを生み出すわけではない。だが、テストに参加した日本の15歳は「読解力」は2009年8位から2012年4位、「科学応用力」2009年5位から、2012年4位、「数学応用力」は2012年9位から2012年7位とそれぞれ成績を上げているのであって、成績向上は学習意欲の反映であるはずである。
いわば学習意欲の上昇に応じた成績上昇の関係とならなければならない。同じ生徒がすべての科目のテストを受けるのだから、「数学の応用力」テストのみ学習意欲が減退状態にあったということは考えにくい。数学が一般的に苦手なら、その分学習意欲を燃やさなければ、「失敗しても何度でも挑戦していく力」は生まれてこない。
学校現場では最近の教育傾向として表現力・活用力重視の「PISA」型授業を取り入れているということである。
「PISA」型授業を取り入れているにも関わらず、学習意欲のない状況下での成績向上という逆説を描いていることになる。この逆説はどのような理由からなのだろう。
「PISA」型授業がどんなものか、12月3日7時からのNHKのニュースだったと思うが、油が60リットル、その他が30リットルと10リットルの三種類の成分の合計100リットルの液体をそれぞれの成分配合を変えずに150リットルにするには各成分を何リットルずつにすればいいかを問う質問を紹介して、数学の応用力の問題だとか、考えさせる質問だとか解説していたが、合計が1.5倍になるから、各成分も1.5倍ずつにするのが正解だと説明していた。
果たしてこれを思考力を問う応用力の問題だと言うことができるのだろうか。なぜなら、解答方法の遣り方の暗記で済ますことができるからだ。
PISAテストの各出題の傾向を把握して、この傾向の出題に対してはこういった解答方法で対処するという遣り方を教えた上で様々な出題例を出して生徒に反復型の解答訓練をさせ、その過程で生徒は反復訓練に応じて基本となる解答方法を暗記していき、PISAテストや全国学力テストといった本番で暗記した解答方法を出題に合わせて機械的に応用していくことで解決できる解答方法に過ぎないのではないだろうか。
要約すると、PISAテストに対する“傾向と対策”を本質的構造とした解答術と言うことになる。PISAテストが行われる前は、その時代のテストの出題傾向に応じた“傾向と対策”が存在し、それを学び、暗記することによって生徒は対処してきた。
教師等がPISAテストの傾向を読み取り、その対策を立てて生徒に教え込み、生徒は教師が教え込む“傾向と対策”を暗記して、テストの際、暗記した引き出しからいつでも答を引き出すことができるように準備し、引き出すことができた生徒が正解をより多く獲ち取ることができる。
これが暗記教育の力学で成り立たせた「PISA」型授業の実態といったところなのだろう。
“傾向と対策”で解決できるPISAテストと言うことなら、学習意欲にしても、“傾向と対策”を如何に身につけるかに向けた学習意欲であって、主体的に学び取ろうとする学習意欲ではないはずだ。
数学に関しては苦手意識が生徒の大勢を占めているために“傾向と対策”を如何に身につけるかに向けた学習意欲でさえ、参加した国・地域で低い順位だったと言うことができることになる。
「科学応用力」と「読解力」に関してはそれぞれ4位を占めた分、それなりの“傾向と対策”向けの学習意欲が発揮できたということであって、主体的に学び取ろうとする学習意欲ということではないのは、「毎日jp」記事が伝えているが、PISAテストを「どのくらい真剣に頑張ったか」という自己評価10段階の「努力値」が日本平均は「6・3」で、全参加国中最低で、03、06年も最低だったということが証明する学習意欲の質であろう。
新井健一ベネッセ教育総合研究所理事長「自ら学ぼうという『主体的な学び』をいかに身につけさせられるかが今後の課題」(同毎日jp)――
「主体的な学び」となっていないと言うことは、取り入れたとしている「PISA」型授業が強制性を持ったな訓練によって成り立ち可能となる従属的な学びとなっていることを意味する。
それが教師が上から与えることになる“傾向と対策”の反復訓練ということであろう。暗記教育自体が従属的学びを本質的な構造としている。
だとすると、「PISA」型授業が単なる暗記力や計算力ではなく、知識の活用力や表現力を重視し、伸ばす方向の教育だとしていることや、成績向上が少人数教育や脱ゆとり教育、学力重視の教育方針、習熟度別の授業が功を奏した成果だとしていることも見当違いの評価ということになる。
アンドレアス・シュライヒャ―OECD教育・スキル局次長が言っている、PISAテストを解く力を育む教育によって、「持っている知識を新しい状況に照らしあわせて活用する力」や、「失敗しても何度でも挑戦していく力」、「異なる価値観を理解する力」、「まだ存在しない仕事や技術を作り出して問題を解決していく力」等々を身につけることができるとする予定調和も大分怪しくなる。
11月29日金曜日の「世界の読書事情」をテーマとした日テレ『ネプ&イモトの世界番付』で、ハーバード大のタレント、パックンが次のようなことを紹介していた。
パックン「(アメリカには)『ブッククラブ』というのが結構あって、こうやって(と、別画面を手で示して)友達とか知り合いが同じ本を読んで、そして定期的に集まって、その本の感想を話し合って、議論を生じたりして、評価し合う・・・・」
ヒナ檀芸能人から、「いいなあ」の声。
パックン「その中で一番有名なのがオプラ・ウインフリー(黒人女性)とかテレビの司会しているブッククラブなんですけど、この方が一声、この本は面白いって言っただけで、ベストセラーになる。
年収ナンバーワンなんです。年収200億とか超えたりしている」
決めた一冊の本をそれぞれ家で読んで、決めた日に集まって、その本の内容を評価し合う。当然、それぞれの解釈がぶつかった場合、自己主張と他者評価理解が混ざり合った議論が生じることになる。
このような議論は“傾向と対策”では決して解決できない、その場その場の臨機応変の自分に独自な解釈の展開を必要とする。相手の解釈に刺激を受けて、自分では思ったこともない新しい解釈を口にし、そのような解釈の発見に自ら驚くこともあるだろう。
学校教育で求めなければならない力は様々な議論と議論を通じた考える力を必要とする、生徒それぞれの解釈の力ではないだろうか。
参考までに。
2008年5月24日当ブログ記事――《テストで成果を測る教育は暗記の強化に役立っても、「考える力」を育まない-『ニッポン情報解読』by手代木恕之》
12月4日の参議院国家安全保障に関する特別委員会で井上哲共産党議員が特定秘密保護法案に絡めてかつての核密約について質問した。
1960年(昭和35年)日米安保条約改定時に米核搭載艦船の日本寄港・通過は事前協議の対象除外とするとする、広義の密約に当たる暗黙の合意(核密約調査の有識者委員会の調査結果)を形成し、外務省から歴代首相がその旨の引き継ぎを受けていながら、表向きは事前協議を生かしておいて、国民への説明としてきた。
いわば歴代内閣は国民に知られた場合は不都合となる事実・情報を秘密とし、民主党政権が密約存在有無の調査を命令し、その存在を認めた有識者委員会の報告が出る2010年3月まで国民から隠してきた。
このような事実と経緯は政府が国民に知られたら不都合となる事実・情報を自ら秘密とした場合の特定秘密保護法の特定秘密事項に指定しない危険性を教訓とすることになる。
当然、外務省等の行政機関にしても政府の秘密行為(特定秘密事項に指定しない秘密の処置)に倣って特定秘密事項に指定しない共同歩調を取らない保証はないことの教訓を付け加えることになる。
内閣自身が、あるいは行政機関と共犯関係を結んで外交上・政治上の秘密を秘密指定せずに自ら抱え込んだ場合、鬼に金棒となる。どのようなチェックも効かず、情報公開の年限にも引っかからず永遠に秘密とすることができる。
公開はジャーナリストやその他のスクープに頼まざるを得なくなるが、下手をすると、成立した場合の特定秘密法に引っかかって、罰せられることになりかねない。
井上哲議員の追及に対する右翼の軍国主義者安倍晋三の答弁を見てみる。
安倍晋三「(核密約は)それぞれ時代背景があるわけですが、当時、それを極秘とした判断に於いてはまさに日米同盟の重要性、日本の安全を冷戦状態の中で守る上に於いてそうした判断をしたわけですが、問題はずっと秘密とされ、ずっと続いてきたところに大きな問題があるわけです。
そして我々は今回つくった法律によって、そういうことはなくなるわけでありまして、まさに限定列挙したものに秘密は限られるわけでして、当然、先程申し上げましたように情報諮問会議ができるわけであって、そこで指定・解除等々について総理大臣から報告を受けるわけで、総理大臣は毎年毎年、課題意識を持って各省庁からちゃんと聴取を受けて、そしてそれをしっかりと応えていくわけでございます。
そして繰返しになりますが、9割はですね、9割は衛星写真であります。そしてその後、さらに、さらに、そのあと、オー、暗号等があるわけでございますし、武器等の秘密が細かくされているわけであります。
それ以外については、総理大臣は毎年毎年報告を受けて、そしてそれを、しっかりと国会に報告をする。今までになかった仕組みです。今までだったら、同じ問題が起こるのができなくなるというのがはっきりと申し上げておきたいと思います」――
席に戻る時、下向きにした顔にしてやったりの薄っすらとした笑みをほんの一瞬浮かべた。
井上哲議員はこの安倍の答弁に対する追及として、「外務省が政治家に報告する内容を選別していた」として、行政機関自体が自ら秘密を拵えて、その秘密を自分たちの所有物として内閣に上げない、当然、特定秘密保護法の特定秘密指定の対象外としてしまうことになる想定される危険性を主張していた。
安倍晋三の答弁が井上哲議員の主張に添う内容ではないことは明らかである。何の保証があるわけではないのに新しい法律は核密約みたいな政府自身や行政機関自身が抱え込む秘密は存在しなくなると安っぽく請け合っている。
政府や行政機関が秘密を拵えてそれを抱え込んだ場合、どのようなチェック機関もチェック不可能となるにも関わらず、「まさに限定列挙したものに秘密は限られるわけでして、当然、先程申し上げましたように情報諮問会議ができるわけであって、そこで指定・解除等々について総理大臣から報告を受けるわけで、総理大臣は毎年毎年、課題意識を持って各省庁からちゃんと聴取を受けて、そしてそれをしっかりと応えていくわけでございます」と、指定した秘密に関しては可能となる(あくまでも可能性であって、絶対的実現の保証ではない)ケースを主張しているに過ぎない合理的判断能力を示している。
問題点は政治の不都合を国民の目から隠す目的の政府及び行政機関独占の秘密の可能性にあるとしているにも関わらず、安倍晋三は秘密指定の9割は衛星写真と暗号、武器の情報だと答弁している。
ここにマヤカシが存在する。
衛星写真と暗号、武器の情報はそれが正直な情報として扱われているなら、情報自体の正当性に政治の不都合は生じない情報であって、生じない以上、特定秘密保護法の秘密指定に持って行くことに憚る理由は何らない。
特定秘密保護法の秘密指定にまで持っていかない秘密は国民に対する情報自体の正当性を持たないことになって、正直な情報として扱うことが政治の不都合を生じる情報であることは言を俟たず、当然、国民に対して正当性ある情報か、正当性のない情報かが問題となる。
だが、安倍晋三は国民に対する情報自体の正当性を持つことが可能な衛星写真と暗号、武器の情報が9割方(がた)だとすることによって、すべての情報が正当性を持ち得る情報であるかのように装うと同時にすべての情報を特定秘密保護法の秘密指定に持っていくかのように装った。
いわば何の保証もないままに、あるいは安倍晋三の言葉だけの保証で以って内閣や行政機関が特定秘密保護法の秘密指定に持っていかずに秘密情報を抱えることがないとした。
特定秘密保護法の秘密指定にしても恣意性の疑惑を払拭できないというのに危険極まりない如何わしいばかりのマヤカシではないか。
生活の党PR
《11月29日(水)鈴木克昌代表代行・幹事長定例記者会見要旨/中国の防空識別圏の問題について》
《自民に「婚活・街コン推進議連」》(MSN産経/2013.11.26 21:37)
全文参考引用。
〈婚活中の男女に出会いの場を提供する町おこしイベント「街コン」の推進を目指す自民党の議員連盟「婚活・街コン推進議連」の設立総会が26日、国会内で開かれた。
会長の小池百合子元防衛相のほか、森雅子少子化担当相、野田聖子総務会長、田村憲久厚生労働相ら約30人が加入。各地の街コンの視察などを通じ、開催促進に必要な施策の提言を目指す。婚活の推進を目指す議連の設立は野党を含めて初めてという。
小池氏は総会で「少子化対策と地域活性化という2つの国家的課題をいっぺんに片付けてしまう」と街コンの意義を強調。自身も独身の宮川典子衆院議員は「この議連が昔からあれば、私も34歳まで独身じゃなくてすんだのでは…」と笑いを誘った。〉――
小池百合子はノー天気にも、頭の中がカラッポだから仕方がないとしても、「町おこしイベント『街コン』の推進」が「少子化対策と地域活性化という2つの国家的課題」の最有効な解決策だと合理的判断能力のないところを平気で露出させている。
この愚かしい露出は年収が婚姻状況に与える影響が言われている昨今の久しい状況を無視しているから可能となる無知の結果だろう。
結婚と収入との関係――と言うよりも、低収入と未婚との関係といったほうが理解しやすい。
《正規・非正規別の未婚率》(社会実情データ図録/2012年9月5日収録)
収録は2012年9月5日ではあるが、2010年の統計となっている。
30歳代男性未婚率 30歳代女性未婚率
非正規 75.6% 非正規 22.4%
正規 30.7% 正規 46.5%
40歳代男性 40歳代女性
非正規 45.7% 非正規 6.3%
正規 15.1% 正規 22.3%
女性が30歳代も40歳代も非正規と正規が逆転して収入の高い正規の方の未婚率が高いのはよく言われていることだが、仕事に生き甲斐を感じているとか、仕事にかまけて婚期を逃してしまうタイプとかの理由によるものではないだろうか。
しかし明らかに男性の場合は収入の低い非正規の方が遥かに未婚率は高い。
では、マスコミが頻繁に伝えていていやでも耳に入ってくるから、皆さんよくご存知だろうが、正規と非正規の収入とその差を見てみる。
《平成24年分民間給与実態統計調査結果について》(国税庁HP/平成25年9月)
民間の給与所得者の年間平均給与――408万円(前年比-0.2ポイント)
正規――468万円
非正規――168万円
この正規と非正規の年収3倍の違いが30歳代、40歳代の未婚率に最終的に反映されていると言うことであるはずだ。「最終的に」と言うのは20代で非正規で社会に出た者はそのまま非正規を続ける確率が高くて、その非正規の継続性を以って、「最終的に」そのような結果になると表現した。
となると、未婚率を下げ、結婚率を高めるための有効且つ根本的な解決方法は年収増加ということになる。カネに余裕ができると、仕事以外の活動範囲が広がり、当然、広げた活動区域での男女の出会いの機会も増える。小池百合子が言う「地域活性化」にもつながるというわけである。
いわば「街コン」という上からのお仕着せ型から脱した自律型の個人コンとでも言ったらいいだろうか。
安倍晋三はアベノミクスの好循環を発動させ、軌道に乗せるために盛んに賃金アップを企業に頼み込んでいるが、連合や閣僚の間から最近になってやっと非正規の賃金アップをチラホラと聞くようになってきた。
だが、賃金アップの要求に直接関わる連合はパートなどの非正規労働者の賃上げを来年の春闘での重要項目の一つとしたが、非正規労働者時給30円、月額約5000円の賃上げ要求方針を決めたものの、100%はないと言うことができる満額回答で年収6万円増では、非正規が上がれば、それ以上に正規が上がるから、格差の維持どころか、更に拡大傾向を取ることになって、女性の非正規労働者を見る低収入者視線は左程変わることはないに違いない。
結果、結婚相手から従来どおりに排除される確率にしても変わらないことになる。
だとすると、自民党の「婚活・街コン推進議連」がやるべきことは各労働組合や安倍晋三と以下の閣僚などの先頭に立って正規労働者との賃金格差を縮小する非正規労働者の賃上げの旗を振ることだろう。
そうしないなら、お遊びで終わること間違いなしだ。
アメリカは中国が11月23日に東シナ海に設定した防空識別圏に対して中国が要求する飛行計画書の提出を最初は拒否し、自由に航行することを宣言していたが、11月29日になって、民間航空機に限って飛行計画書の提出を求めていく方針に転換した。
《米 中国に飛行計画書提出の方針》(NHK NEWS WEB/2013年11月30日 12時6分)
アメリカ国務省報道官談話「アメリカ政府は、国際的に運航するアメリカの航空会社は外国政府が発表する航空情報に従うべきだと考えている。
中国が設定した防空識別圏については引き続き深く懸念している。今回の措置はアメリカ政府が中国の防空識別圏の設定に伴う要求を受け入れたことを意味するものではない」
ニューヨーク・タイムズ「オバマ政権内部で不測の事態が起きることへの懸念が強まっていた」――
記事は、米政府の措置は〈安全面への配慮が今回の方針につながったとの見方を示し〉たものと解説しているが、アメリカ国務省報道官談話とニューヨーク・タイムズの解説を併せ考える限り、中国が強硬な措置に出た場合の民間航空機に対する万が一の「不測の事態」を考慮した危機管理であって、米軍機に関しては中国の防空識別圏を認めず、自由航行する二重の措置を取ることを意味しているはずだ。
この米政府の方針転換に従ってアメリカの複数の大手航空会社が提出を表明、既に提出した航空会社も存在すると「NHK NEWS WEB」が伝えている。
米航空会社関係者「各国の政府の発表する航空情報に従い通常の業務として提出するもので、顧客の安全面などに配慮した対応だ」――
但し米政府のこの方針転換は軍用機の飛行に関しては事前通告等の方針転換を、そういった弱腰を示すわけにはいかないこともあるだろうが、自らに禁じた措置となる。
一方の日本政府は米政府の最初の「認めず要求にも応じない」(MSN産経)に倣って11月26日に各航空会社に飛行計画書の提出には応じないよう要請、日航や全日空は中国が防空識別圏を設定した11月23日から11月26日まで飛行計画書を提出していたが、政府要請に応じて提出を中止、今回の米政府の民間航空機に限った方針転換に日本政府が従わない姿勢を示したことに対しても忠実な協力を示している。
両社関係者「政府からの要請が変わらない限り、航空会社の判断で提出することはない」(MSN産経)
だが、この措置は中国に対する一つの賭けとなる。
米政府は米東部時間11月25日夜(日本時間11月26日)、米軍機を防空識別圏内の空域に飛行させている。中国側から、何の反応もなかったと言う。
一方、日本政府はこの米軍機事前通告なし飛行に倣ったのだろう、菅官房長官が11月28日午後の記者会見で自衛隊機が事前通告なしで防空識別圏設定空域の東シナ海上空を飛行、警戒活動を行ったことを明らかにしている。
午後の記者会見での公表だから、11月26日午前中の飛行に違いない。昨夜なら、手柄とばかりに11月26日午前中記者会見で明らかにするはずだ。
やはり中国側からスクランブル等の反応は何もなかったとのこと。
但し中国が飛行を野放しにした場合、何のために防空識別圏を設定したか意味を失うばかりか、防空識別圏設定の有名無実化は自らの失点となって自らに跳ね返ってきて、失点は相手に得点を与えることであって、外交上の一大失策と見做され、権威失墜そのものを招くことになる。
こういった経緯を中国は許すだろうか。中国が防空識別圏を設定した当座、日米の強い反発と批判に対して中国軍機関紙・解放軍報は逆に強い警告を発している。
解放軍報「国家主権を守ろうとする中国軍の決意を見くびってはいけない。(設定に)大国の顔色を窺う必要はない。
日本が1969年に防空識別圏を設定した行為こそが非常に危険で一方的な行為だ」(MSN産経)――
この警告は設定相応の対応を自らに課したことになり、何ら実行しなかった場合、大言壮語となって、却って恥をかくことになる。
何らかの対応を実行した場合、自衛隊機はそれ相応の回避行動を可能とするだろうが、民間航空機の場合、回避行動を可能とすることができるかどうかである。当然、民間航空会社の飛行計画書未提出はまさに吉と出るか、凶と出るかの賭けとなる。
問題は日本政府の対応が日本の旅客機の安全を常に保障する危機管理となっているかである。
中国側の設定相応の対応の一つの提示が防空識別圏侵入米軍哨戒機や航空自衛隊の早期警戒管制機に対する緊急スクランブル実施の発表であろう。11月29日の米政府の米民間航空会社に対する飛行計画書提出要請と同じ日の夜の報道となっている。
中国人民解放軍・空軍スポークスマン「中国軍が防空識別圏設定以来、忠実に任務を遂行し識別区に入ってくる外国軍機に対し監視・識別を実施している」(日経電子版)――
スクランブルを実行することで、事前通告なしでも、如何なる飛行に関しても我々はその飛行を逐一把握しているとの言い方で、それだけの能力は十分にある、甘く見るなとの警告を発し、証明したことになる。
但し小野寺防衛相は11月30日朝、このスクランブルを否定している。
小野寺防衛相「中国側が発表したような、航空機が接近するとか特異的な状況はない。今回のことで対応を変えることはない。
(中国軍の自衛隊機延べ10機確認主張を)警戒監視をお互いにしているから、どこにどのくらいの航空機が飛んでいるかを把握するのは通常のことだ。私共も中国がどのような航空機を飛ばしているかは常時把握をしている」(時事ドットコム)――
自衛隊は日本の防空識別圏に接近、もしくは侵入、あるいは日本の領空に侵入した中国軍機に対して常にスクランブルをかけているが、小野寺防衛相は中国は発表通りのスクランブルをかけてこなかったと暴露したことで、その能力の違いを浮き立たせ、尚且つ警戒・監視に関しては負けないぞと挑戦したことになる。
しかしこのような挑戦にしても、スクランブルや単なるスクランブルを超えた不測の事態を誘い込みかねない賭けとなる。
一方、米政府は米軍機事前通告なし飛行に対する中国軍機のスクランブルの事実関係への言及を避けたと、《中国機の緊急発進 強硬姿勢アピールか》(NHK NEWS WEB/2013年11月30日 8時7分)
記事は中国のスクランブル発表は、〈防空識別圏での監視能力は高いと強調し、日米などに対する強硬な姿勢を内外にアピールする狙い〉だと解説している。
アピールだけで済めば問題はない。アピールだけにとどめて、自由飛行を認める防空識別圏設定という大事(おおごと)は中国自身が自らの強硬姿勢を張子の虎とする信用失墜の自作自演となる。
防空識別圏設定に対して日米の出方を探っている段階ということも考える危機管理は必要ないだろうか。
国防総省11月29日声明(スクランブルの事実関係への言及を避けた上で)「アメリカ軍は今後もこれまでどおり、この空域での航空機の運用を続ける」――
なぜ言及を避けたのだろう。自衛隊機だけがスクランブルを受けなかったとは考えにくいから、スクランブルの事実はなかったが、その事実を公表した場合、中国側の発表と事実の違いから中国側に対抗心を植え付けて実際のスクランブルを掛けざるを得なくなる逼迫性を予想したといった理由を考えることができる。
もしこの理由が当たっているとしたら、公表は賭けとなると見做す危機管理に立っていたことになる。
記事は元海上自衛官で北京の日本大使館の防衛駐在官を務めたこともある東京財団の小原凡司研究員の発言も伝えている。
小原研究員「中国は防空識別圏に入った航空機を識別する通常の対応を行ったとみられ、しっかりとした監視能力があることを国内外に示したかったのだろう。
中国は日本やアメリカの航空機が事前通告なしに防空識別圏に入ったのに何もしていないではないかと国内から批判されることを恐れている。
沖縄県の尖閣諸島を巡って対立する日本への対抗措置として能力を超える範囲にまで防空識別圏を広げた可能性もある。自衛隊とアメリカ軍が協力して中国軍がどの程度の能力を有するのか、情報を収集し、詳しく分析していくことになる」(下線部分は解説体を会話体に直す)――
もし中国が何らの対応を取らなかった場合の国内世論を恐れているが事実とすると、取らなかったことの日本側の公表はまさしく中国側に実際行動に移させかねない賭けとなる。
しかし世論を待つまでもなく、有言不実行は中国政府自体に対する世界からの冷笑の誘因となるはずで、そのことを避けるためにも設定の実体をつくり上げなければならないはずだ。
その実体とは飛行計画書の提出であり、中国国防省の指示に従うこと、従わない場合は武力による緊急措置を取るなどである。実体が伴って、初めて設定は確立し、逆説的な言い方だが、中国政府の意志は信用失墜することもなく、整合性を得ることができる。
12月2日の洪磊副中国外務省報道局長の定例記者会見発言。《防空識別圏で「米政府の対応を称賛」 中国外務省》(asahi.com/2013年12月2日21時11分)
洪磊「(米民間航空会社飛行計画書提出の)米政府の対応は建設的な態度で称賛する。
日本は意図的に政治問題化させ、民間航空分野の協力を不利にしている。間違ったやり方をやめ、中国とともに東シナ海の空域の飛行の安全と秩序の維持に力を合わせるべきだ。
(中国の識別圏が尖閣諸島(沖縄県)の上空を含めている点について)中国は重複問題をめぐり対話の強化を呼びかけ、誠意を示している」――
12月2日の洪磊定例記者会見発言の前日の12月1日、安倍晋三は岩手県釜石市を視察、記者団に発言している。《防空識別圏 米副大統領と対応協議へ》(NHK NEWS WEB/2013年12月1日 16時25分)
安倍晋三「アメリカ政府が、フライトプランの提出を要請したことはないと外交ルートを通じて確認している。
2日に日本を訪れるアメリカのバイデン副大統領としっかりと協議し、日米で緊密な連携をとりながら対応していきたい。日本としては、力を背景とした中国のこの現状変更に対しては、日本の領土・領海・領空は断固として守っていくという決意の下に、毅然、かつ冷静に対応していく」――
「アメリカ政府が、フライトプランの提出を要請したことはないと外交ルートを通じて確認している」と言っても、実際には各米航空会社が提出していることを航空会社自らが認めている。
また、訪日の「バイデン副大統領としっかりと協議し、日米で緊密な連携」を取っていくと言っても、米政府が一度許可した米航空会社の飛行計画書提出の方針を再度撤回した場合、そのブレを非難されるだけではなく、そのような危機管理は米旅客機に対する万が一の不測の事態未発生の保障を失うことになる。
中国の今までの遣り方から、不測の事態を想定してみる。
2010年の尖閣諸島中国漁船衝突事件後、中国政府は日本からの輸入品の通関を厳格化させ、通常1日2日で終る業務を何日もかけ、輸入品の中国国内持ち込みを遅らせているし、中国駐在の日本の建設会社フジタの社員4人を「許可なく軍事管理区域を撮影した」(Wikipedia)として身柄を拘束、そうした圧力によって日本政府を譲歩させ、到頭中国人船長の処分保留のままの釈放を獲ち取っている。
前述したように軍用機の場合はそれ相応の回避行動を可能とし、旅客機の場合は困難であるなら、弱点は軍用機よりも対旅客機となって、中国側にとって設定の実体を持たせる狙い目は旅客機となる。
中国の軍用機が飛行計画書未提出で飛行している旅客機を囲むように複数の中国軍用機が接近、無線で飛行計画書を提出しているかどうか質問し、提出していない場合は最寄りの飛行場に着陸を命じ、そこで飛行計画書を提出させるが、尖閣諸島国有化時の通関のように許可に故意に時間をかけて出発を遅らせ、乗客に多大な迷惑をかけることで否応もなしに次回から提出させる方策を講じる可能性は否定できない。
何よりも軍用機に囲まれて中国国内の飛行場に強制着陸させられる乗客の恐怖は尋常ではないはずだ。
こういったことをしかねない中国であることを考えると、日本政府が日本の航空会社に要請している飛行計画書の未提出はまさに賭けそのものの危機管理となる。
このようになることに備えた米政府の米航空会社に対する飛行計画書提出容認の危機管理であり、日本政府はそこまで考えない、また自分たちの対応が中国に対する挑戦の賭けとなることさえ気づかない危機管理ということではないだろうか。
自民党幹事長石破茂が特定秘密保護法案反対のデモを「テロと変わらぬ」と批判したという。立派なことです。
《石破氏:「絶叫戦術テロと変わらぬ」デモ、ブログで批判》(毎日jp/2013年12月01日 01時05分)
11月29日付の自身のブログで、そう宣(のたまわ)っているそうだ。「テロと変わらぬ」と言葉の攻撃を受けた対象は国会周辺の市民デモ。
石破茂「単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらないように思われます。
今も議員会館の外では『特定機密保護法絶対阻止!』を叫ぶ大音量が鳴り響いている。どのような主張であっても、ただひたすら己の主張を絶叫し、多くの人々の静穏を妨げるような行為は決して世論の共感を呼ぶことはない。
主義主張を実現したければ、理解者を一人でも増やし支持の輪を広げるべきだ」――
記事解説。〈国会周辺では連日、市民団体が特定秘密保護法案に反対するデモを行っているが、これを「テロ行為」と同列視する内容で反発を招くのは必至だ。〉――
石破茂はテロを何と心得、何と解釈しているのだろうか。テロとは民主主義と法に則ることのない個人的・集団的な武器を使った暴力的殺人行為もしくは個人的・集団的な武器を使った暴力的破壊行為を言うはずだ。
石破茂はデモの絶叫戦術を民主主義と法に則ることのない個人的・集団的な武器を使った暴力的殺人行為もしくは個人的・集団的な武器を使った暴力的破壊行為と「その本質においてあまり変わらない」と言ったのである。
この主張に正当性を与えることができるだろうか。
絶叫は「国民の知る権利」がなし崩し的に奪われていく法の中身となっているのではないかと疑わせる切羽詰まった危機感の反映でもあるはずだ。
また、そのような法案が国会に於ける自民党の圧倒的多数の数の力によって可決・成立することが目に見えている以上、その数の力に対する対抗手段として、あるいは可決・成立間違いなしの危険な予定調和を是が非でも崩したい強い願望が必然化させている絶叫でもあるはずだ。
もし石破茂が「国民の知る権利」を保障する法案だと言うなら、「単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらない」とお門違いな批判で攻撃するのではなく、逆に時間を掛けた説明と説得によって「国民の知る権利」を保障する法案であることの納得を得ることが自身がなすべき先決課題であるはずだ。
だが、世論調査が示しているようにそういった努力をしないばかりか、法案の担当大臣は発言を訂正してばかりいて、法案の骨格が決まっていないことを露呈していながら、つまり辻褄合わせに終始している段階でありながら今国会での成立を急ぐばかりで、国民に対して「国民の知る権利」の確たる保障を与えることができないままの状況にある。
その分、成立した場合の特定秘密保護法に対する危機感は募ることになって、市民にとって最終手段がそれしかないデモに於けるより強力な訴えとして、益々絶叫へと反映されていく。
どこに不都合があるというのだろう。石破茂は国民の危機感に耳を澄まさなければならないはずだ。耳を澄ませば、自ずと説明責任を痛感することになるはずだが、耳を澄ますことはせず、「ただひたすら己の主張を」を押し通そうとしている。特定秘密保護法案が表している「主義主張を実現したければ、理解者を一人でも増やし支持の輪を広げるべきだ」が、そのようは努力は、既に触れたように世論調査に於ける特定秘密保護法案に関わる賛否がその程度を証明することになる。
共同通信社世論調査。
特定秘密保護法案が成立した場合の国民の「知る権利」の状況。
「守られると思う」26・3%
「守られると思わない」62・9%
特定秘密保護法案に対する賛否。
「賛成」45・9%
「反対」41・1%
特定秘密保護法の必要性は認めるが、「国民の知る権利」に関しては、その保障に強い疑いと懸念を抱いているということなのだろう。
11月9、10の両日実施の朝日新聞の世論調査。
特定秘密保護法案の賛否
「賛成」30%
「反対」42%
11月30日・12月1日両日実施の朝日新聞世論調査。
特定秘密保護法案の賛否
「賛成」25%
「反対」50%
朝日新聞の2回の世論調査では時間経過によって賛成が5ポイント減り、逆に反対が8ポイントも増えている。
このことは政府の国民に対する説明が逆に反対者を増やし、賛成者を減らしていることの証明となっていて、石破が言う「主義主張を実現したければ、理解者を一人でも増やし支持の輪を広げるべきだ」の方法論が特定秘密保護法案に関しては通用しているどころか、逆効果をなしていて、数の力のみに頼ったゴリ押しの法案成立を意味することになる。
政府が特定秘密保護法案が「国民の知る権利」の保障を侵害しないことの説明ができず、その疑いを否定できない以上、市民デモがテロどころか、特定秘密保護法案こそが「国民の知る権利」圧殺を通して在るべき自由な人間性を暴力的に破壊した場合、法律を武器としたテロ行為に擬(なぞら)えることができる。
一見、法に基づいたように見えていて、その法が「国民の知る権利」圧殺の疑いがあるテロだというのは危険極まりない逆説そのものである。
「単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらない」などと市民デモを批判しているどころではない。「もし表現が足りなかったところがあればお詫びしなければならない」(NHK NEWS WEB)と撤回の考えを示したということだが、一旦口に出した言葉はそう考えていたからであり、言葉の撤回で考えまで撤回できないのだから、撤回では済まない見当違いな批判の不当性も然ることながら、自身がなすべきことを忘れているバカな男だ。