〈ケリー米国務長官は9日、ノーベル平和賞受賞者で中国の民主活動家、劉暁波氏=国家政権転覆扇動罪で服役中=が拘束されてから8日で5年を迎えたのを受けて声明を発表し、投獄が続いていることに「深い懸念」を表明、中国政府に劉氏解放と人権尊重を強く求めた。〉と、「MSN産経」記事――《米長官、中国に劉暁波氏の解放要求 拘束から5年で声明》(/2013.12.10 13:06)が伝えていた。
〈声明は、約3年間続いている妻の劉霞さんに対する自宅軟禁の解除も促した。(共同)〉と言う。
右翼の軍国主義者安倍晋三は右翼の軍国主義者安倍晋三でありながら、逆説的にしか見えないが、積極的平和主義を掲げている。今回東京で開催された2013年12月13日、14日の日・ASEAN特別首脳会議の全体会合でも積極的平和主義に言及している。
《安倍首相発言要旨=ASEAN特別首脳会議》(時事ドットコム/2013/12/14-15:52)
一部分引用。
安倍晋三「政治・安全保障分野の協力を一層強化したい。日本は国際社会のルールを重んじ、基本的価値を共にする国々の一員として、国際協調主義に基づく積極的平和主義の立場から、地域、世界の平和と安定により一層積極的に貢献する」――
「基本的価値を共にする」とは安倍晋三が常々言っている「自由、民主主義、基本的人権、法の支配」等の価値観を指すはずだ。いわば平和主義は「自由、民主主義、基本的人権、法の支配」等の価値観が保障する。
自由の抑圧、独裁主義、基本的人権の無視、恣意的法の支配によって平和主義は実現できない。
安倍晋三2013年年頭所感(2013年1月1日)
安倍晋三「広く世界を俯瞰して、自由、民主主義、基本的人権、法の支配といった基本的な価値に立脚した戦略的な外交を大胆に展開します。国民の生命・財産と領土・領海・領空を断固として守り抜くため、国境離島の適切な振興・管理、警戒警備の強化なども進めてまいります」――
「自由、民主主義、基本的人権、法の支配」等の基本的価値観を自らの外交姿勢として、それを基本線にして国家間の付き合いをする。
当然、相手国にも「自由、民主主義、基本的人権、法の支配」等の基本的な価値観を求めることになる。
安倍晋三は今年の3月30日、31日と2日間の日程でモンゴルを訪問。30日の共同記者会見で次のように発言している。
安倍晋三「私の政権では自由、民主主義、法の支配、基本的人権といった普遍的価値観を共有する諸国との関係を重視し、地球儀を俯瞰するように戦略的外交を展開していく」(時事ドットコム)
ここでは「普遍的価値観を共有する諸国との関係を重視」すると言っているが、中国やロシアのように共有できない大国を政治的にも経済的にも無視できるわけではないから、基本的価値観を自らの外交姿勢としている以上、同じ土俵に立たせるべく努力しなければ、二重基準を侵すことになる。
自分は基本的価値観を外交姿勢とするが、共有できない国にはそのような外交姿勢は求めないでは国に応じて態度を変えるということになって、矛盾そのものとなる。特に国家安全保障上、外国との付き合いに於いて基本的価値観を共有できることが最大の国家安全保障策となる。
2013年2月1日の参議院本会議での代表質問。
水野賢一・みんなの党「総理は外交方針として自由・民主主義・法の支配などの価値感を共有する国々との連携を模索しているようです。
そういう意味では、それらの価値感が一致するとは言い難い状況の中国とは共産党一党独裁の元、様々な人権侵害が続いています。3年前、民主化運動をしている劉暁波(リュウ・ギョウハ)氏がノーベル平和賞を受賞しましたが、政治犯として服役中のため、授賞式に出席することさえできませんでした。
そのとき自民党議員は総理の菅首相に、釈放を求めるべきだと、随分詰め寄っていました。みんなの党も劉暁波氏の釈放を求める決議案を国会に提出致しました。
安倍総理は劉暁波氏を含む中国の民主化活動家やチベットの独立運動家に対する中国政府の弾圧に対して、どのような姿勢で臨むのですか。具体的には劉暁波氏の釈放を求めますか」
安倍晋三「中国の民主化活動家を巡る人権状況や国際社会に於ける普遍的価値である人権及び基本的自由が中国に於いても保障されることが重要であります。
劉暁波氏についても、そうした人権及び基本的自由は認められるべきであり、釈放されることは望ましいと、考えられます。
このような観点から、これまでも政府間の対話などの機会を捉えて、民主化活動家についての我が国の懸念を中国側に伝えてきております」――
だが、自らは懸念の声を上げていない。外交当局に丸投げしているのみで、一度も声を上げていないはずだ。終始一貫、音無しの構えでいる。「積極的平和主義」を掲げる以上、平和主義なるものが「自由、民主主義、基本的人権、法の支配」等の価値観の保障によって成り立つ関係にあることからして、中国を普遍的価値観の同じ土俵に少しでも近づけさせるためにも、劉暁波氏の釈放や、その他の民主活動家に対する中国当局の国際基準の法に則らない人権無視、あるいは人権抑圧に対して自ら声を上げなければならないはずだ。
ところが実情は「積極的平和主義」なる言葉をあちこちでバラ撒くだけで、平和主義の実践の一つとなり得る釈放要求の声さえ上げない。
この実践に対する音無しの構えは安倍晋三の掲げる「積極的平和主義」が如何にニセモノ性の状況にあるかを物語って余りある。
元々信用できない政治家の信用できない政治姿勢といった、当然の整合性ということなのか。