猪瀬都知事、5000万円受領が疚しい事実でないなら、誰が都知事の職を棒に振るもんか

2013-12-20 05:35:19 | 政治


 
 だが、棒に振った。疚しい事実だからこそ、棒に振らざるを得なかったはずだ。棒に振ったこと自体が5000万円受領が疚しい事実であることを証明する

 東京オリンピック開催を決めておきながら、実現に向けた軌道に乗せることなく、また猪瀬都政を完成させることもなく、都知事就任1年で職を投げ打つことになった。

 繰返し言うことになるが、疚しい事実に他ならないからであるはずだ。その疚しい事実を白日のもとに曝した場合、自らの名誉や人格を傷つけるために覆い隠そうとしたからこそ、説明を二転三転とさせざるを得なくなり、窮地に追い込まれ、これ以上職にとどまっていたなら、覆い隠すことが危うくなったために自身の名誉と人格をこれ以上剥げ落とさないよう、辞職と交換せざるを得なかった。

 辞職が疚しい事実を覆い隠し、自身の名誉と人格を守る唯一の手立てだった。

 だが、辞職はいっときの問題解決に過ぎない可能性が高い。本人が説明しきれずに疑惑が疑惑のまま残されている状況にある以上、東京地検特捜部は市民団体が「公職選挙法違反」や「政治資金規正法違反」の疑いで提出している告白状を、世論もそうすることを求めているだろうから、受理する方向に進むことは十分に考えることができ、そうなった場合、辞職という事実隠蔽の問題解決方法はその効力を失い、一時的なもので終わる。

 猪瀬都知事は12月19日午前中、自身の名誉と人格を守ることと交換の辞職記者会見を開いた。守るためにこれまでの発言と同様に5000万円受領の正当化に終始し、辞職は都政の停滞回避とオリンピック・パラリンピックの開催準備の進捗のためだとの理由づけを行い、あくまでも疚しい事実の隠蔽を謀った。

 《猪瀬知事辞意表明 記者会見全文掲載1~3》NHK NEWS WEB/2013年12月19日 16時55分)の記事を参考に記者会見発言の必要な箇所を適宜取り上げて、疚しい事実の隠蔽を如何に言葉巧みに謀っているか、その如何わしさを自分なりに解釈してみる。

 猪瀬都知事「私はこのたび東京都知事の職を辞する決心をいたしました。

 先刻、吉野都議会議長に辞職を申し出て、議会において同意いただくようお願いをいたしました。

 私の借り入れ金問題につきまして、都議会の本会議総務委員会の集中審議、記者会見で自分なりに都議会の皆さま、都民、国民の皆さまに説明責任を果たすべく努力をしてきたつもりであります。

 しかし、残念ながら私に対する疑念を払拭(ふっしょく)するに至りませんでした。ひとえに私の不徳のいたすところであります」――

 5000万円受領について何ら疚しい事実が存在しないなら、例え第三者が相手を貶めようとする意図から発したものではなく、あるいは異常な嫉妬心や憎悪の感情から合理的判断を欠いた理不尽な攻撃といったケースではない以上、その受領についてどのような疑念を抱いたとしても、その疑念を払拭できないという状況は生じない。払拭できないという状況が生じたとしたなら、何ら疚しい事実が存在しないという状況と真っ向から矛盾することになるからだ。

 いわば疚しい事実の存在が疑念を払拭できない状況をつくり出しているに過ぎない。

 記者「この問題が発覚してから辞職する気はないと一貫してきたが、ここにきてなぜ突然、辞任表明なのか。

 知事は徳洲会側と東電病院の話をしたことがないと言っていたが、徳洲会側はどうも東電病院取得の意思があるというようなことを関係者が証言していますが、これで都知事の問題と5000万円の問題の報道で辞職に動いたということではないんですか。

 猪瀬都知事「その問題と直接関係はありません。17日、石原前知事と会って、都政をこれ以上、停滞させるわけにはいかないねということで決断しました。

 18日、選挙の選対責任者だったサッカーの川淵最高顧問にお会いして、東京オリンピックを何とか成功させないといけないということで、これ以上、都政を停滞するわけにいかないと相談申し上げ、決断した。

 最初の質問ですが、確かに記憶の中では残っていなかった。NHKの報道でもそういう会話があったというくらいのことだったと思います。

 ただし、東電の売却というのは、株主総会で昨年6月にそういう方向になったということでありまして、その後は東電売却は東京電力において競争入札が決定されるわけですから、売却の手続きは全部、東京電力が行うもので東京都とは関係ありません。以上です」――

 ここで辞職の理由として都政の停滞回避とオリンピック・パラリンピック開催準備の進捗を挙げて。

 猪瀬都知事が都知事選立候補前の2012年11月6日に入院中の徳田虎雄徳洲会前理事長に面会に行ったとき、徳田虎雄氏が東電病院取得の意思を伝えたとするマスコミの報道に対して、これまで、「面会の場では東京電力の病院の話題は出ていない」、あるいは「徳洲会が病院の取得を目指していたことは知らなかった」などと説明してきたことを、「確かに記憶の中では残っていなかった」と記憶忘れのせいにした上で、その不確かな記憶を「NHKの報道でもそういう会話があったというくらいのことだったと思います」と不確かな事実とすることで正当化するゴマ化しに置き換えている。

 事実かどうかの記憶は自身の頭の中にある。報道の事実性に関係ないことであるにも関わらず、報道の事実性を不確かとすることで自身の記憶の不確かの根拠とするゴマ化しは狡猾に過ぎる。

 また、最後の発言にも言い抜けがある。「売却の手続きは全部、東京電力が行うもので東京都とは関係ありません」と言っているが、都道府県知事は病院などの開設許可や医療関連補助金の支出などで絶大な権限を握っているということだから、売却後の手続きは東電の手を離れて東京都と関係することになる。

 だが、説明を売却までとし、売却後を省くゴマ化しを巧妙にも働かせて、東京都とは関係ないことと言い抜けている。5000万円受領のイキサツが疚しい事実でないなら、このような誤魔化しや言い抜けは必要としないだろう。

 記者「5000万円の主旨は生活の資金という考えは変わらないか。

 猪瀬都知事「すでに繰り返しご説明申し上げてきましたが、これは議会でも、そして総務委員会でも申し上げましたが、個人的にお借りしたものであります。

 そして、お借りしたものを返しました。借用書もお見せしました。そういうことで、昨年の11月ころ、自分の選挙がどうなるかという不安のなかで仕事を、選挙がダメだった場合は、有名な候補が出そうだということで、生活の不安があったのでお借りしましたが、結局、生活の不安は、お借りしてそのあと当選したので、返そうとお返しする算段をしていたところ、遅れたことをご説明申し上げました。以上です」

 記者「ジャーナリスト時代から権力を追及、ファクトとエビデンス(証拠)を大事にしてきたということだが、辞任に至ったこれまでの会見、委員会の発言・答弁についてファクトと宣言できるか」

 猪瀬都知事「できるかぎり、ファクトに忠実に発言してきたつもりだが、一部に記憶違いがあったりですとか、何月何日のどこでと言われても一瞬で答えられないことがありましたので、小さな間違いがいくつかあったということでありまして、基本的にはファクトを注視して発言したつもりです」――

 だが、「疑念を払拭(ふっしょく)するに至」らなかった。どのように発言しようと、疑念は付き纏ったばかりか、却って疑念を増殖させることとなった。

 それは疑念に対応した「ファクト」だからだろう。疚しい事実に関わる側の人間にとっても疚しい事実(=疚しいファクト)は常に疑念を孕むことになる。正当性に対する疑念、世間に露見した場合の非難がもたらす予想される立場の変化に対する疑念、関わることの自らの人間性に対する疑念等々である。そのような疑念を抑えることで、疚しい事実からその疚しさを辛うじて取り除くことができ、疚しくない事実と関係ない人間として世間に正対することができる。

 記者「5000万円を借りたことを後悔しているか」

 猪瀬都知事「当時はちょうど石原知事がお辞めになるということで、各業界・各団体の人に毎日毎日お会いして回るという状況のなかで、たまたま個人的にお金を貸してくれるという人がおりましたので、それはお借りしましたが、それはお借りすべきでなかったと思っております。

 それはアマチュアの政治家ということに、よく知らないアマチュアだったなというふうに思っております」――

 最初は誰もがアマチュアである。アマチュアであるかどうかは関係ない。善悪に対する意志の問題である。だが、アマチュアであったことを以ってすべてを正当化しようとしている。

 記者「(自身でオリンピックを開催ができなくなって)未練はないのか」

 猪瀬都知事「もちろん、オリンピック・パラリンピックが決まったことは、やはり歴史的なことだったと思います。

 『チーム日本』の力が発揮された。「チーム日本」ができたのだから、政府も東京都も民間も財界も都議会もいろんな人々も、『チーム日本』ができたという記憶をもって、2020年オリンピックに1つになって向かっていただければ満足です」

 記者「未練はないということか」

 猪瀬都知事「だから、それで満足です」――

 自分の手で実際の開催を行うことができなくなったことに人間として未練を感じないことはあるまい。だが、そのことさえも捨て去らなければならない程に5000万円受領は疚しい事実だった。
 
 疚しい事実でなければ、都知事の職を誰が棒に振るもんか。2020年東京オリンピックの開催責任者としての地位も同時に棒に振る泣きっ面に蜂を味わうことになるのである。

 1+1は2程度の簡単な算術に過ぎない。

 最後に、疚しい事実は猪瀬直樹という政治家の人間性の疚しさに対応する。決して非対応ということはない。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする