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安倍晋の国家として最大限の敬意を表すべきマンデラ氏葬儀に皇太子と福田元首相間に合わせコンビ派遣の感覚

2013-12-10 08:00:54 | 政治

 

 あの偉大な反アパルトヘイト(反人種隔離政策)闘士、人種差別撤廃闘争の巨星、ネルソン・マンデラ元南アフリカ大統領が12月5日午後亡くなった。

 南アフリカのかつての悪名高いアパルトヘイト(人種隔離政策)の撤廃の経緯をネルソン・マンデラの反アパルトヘイトから大統領就任までの経歴と共にインターネットで調べて、ざっと纏めてみる。 

 1962年国家反逆罪に問われて終身刑を受けるが、27年間の獄中にあってもなお反アパルトヘイト闘争を続け、1979年にインドの「ネルー賞」を受賞、1988年に欧州議会の「サハロフ賞」を受賞するなどして国際世論を反アパルトヘイト闘争の味方につけ、南アフリカに対する国際的な経済制裁を獲得、当時の白人大統領フレデリック・デクラークをして国内経済の立て直しや人種間闘争による社会混乱からの国家の建て直しに無視できない存在と認めさせたのだろう、1989年12月にマンデラと会談、翌1990年2月11日に釈放、1991年6月、アパルトヘイトの根幹法である人口登録法、原住民土地法、集団地域法等を廃止、全人種代表参加の民主南アフリカ会議等を経て1994年4月、南ア史上初の全人種参加選挙実施、そしてマンデラは初の黒人大統領に就任した。

 その間の1993年12月10日にデクラークと共にノーベル平和賞受賞している。

 何よりも偉大な功績はかつての敵白人を追放したり、排斥したり、財産を没収したりするのではなく、共に国家建設の仲間と見做し、その存在を受け入れたことであろう。

 テレビで取り上げていたマンデラのかつての優れた言葉(=思想)をインターネットで調べ直して、掲載してみる。

 「生まれたときから、

 肌の色や育ち、

 宗教で他人を憎む人などいない。

 人は憎むことを学ぶのだ。

 もし憎しみを学べるのなら、

 愛を教えることもできる。

 愛は、憎しみに比べ、

 より自然に人間の心にとどく」――

 人種差別や民族差別、ある種の病気に対する差別、性的差別、あるいは貧しい者に対する差別、給料の少ない職業に対する差別等々の憎しみや蔑みの感情を伴わせた差別は生まれたときから血の中に埋め込まれた知恵として持っているわけではなく、大人や社会のそれらに対する差別を学び、引き継ぐ形で自らの差別感情としていく。

 戦前、及び戦後の長い一時期まで続いた日本人の大人たちの朝鮮人差別は子どもも学び引き継いで、石を投げつけたり、罵倒したり、イジメたり、子どもにできる方法で差別感情を晴らした。

 差別は一個の人間を一個の人間と認めることができない人権意識の欠落を背中合わせとする。

 このマンデラの言葉(=思想)は人権に関わる人間の理想・世界の理想を謳っている。南アフリカに於いてもそうだろうが、世界的に未だ実現していない理想ではあっても、目指し、到達すべき理想として常に掲げていなければならないはずだ。

 マンデラはその理想に向けて闘い続けた。
 
 反人種差別闘争の偉大な闘士であり、人種間融和に向けた偉大な人権思想家であるネルソン・マンデラの国葬は12月10日の公式追悼式から始まり、葬儀自体は12月15日、故郷の東ケープ州クヌ村で行われるという。

 国葬にはオバマ米大統領、キャメロン英首相、オランド仏大統領、ルセフ・ブラジル大統領、潘基文国連事務総長、ファンロンパイ欧州連合(EU)大統領らが国葬参列を表明しているという。

 合わせて首脳級53人が参列と「MSN産経」記事が伝えていた。

 このような各国政権トップや国際機関トップの参列はネルソン・マンデラが人権思想の観点からも政治思想の観点からも最大限の敬意を受けるに値する偉大な人物と見做しているからだろう。

 権国家中国は習近平国家主席の特別代表として李源潮国家副主席の追悼式出席を発表している。権国家ゆえ、そのような国を率いる国家主席が偉大な人権思想家ネルソン・マンデラの追悼式参列は権対人権の皮肉な対面となり、その不都合を少しでも和らげる手段としての国家副主席の参列に違いないと見る。

 皮肉な対面となるからといって、欠席の無視はできない。この点からもネルソン・マンデラの偉大さを窺うことができる。

 対して日本は首相の安倍晋三ではなく、皇太子と福田元首相の派遣となった。

 福田元首相は国会議員を引退していて現役政治家ではない。最大限の敬意表明の存在足り得ない。

 皇太子はそれ相応の人権思想を自らの血としているとは思う。だが、皇太子は〈これまでにヨルダン国王やノルウェー国王、トンガ国王などの葬儀に参列している。〉と「スポニチ」が伝えている。いわば、ネルソン・マンデラに対する敬意表明はヨルダン国王やノルウェー国王、トンガ国王に対して皇太子の敬意表明で済ませてきたのと同じく、皇太子級でいいということになる。

 とても最大限の敬意表明とはいかない。

 皇太子と福田元首相では間に合わせコンビ派遣程度としか見ることができず、その程度の派遣で済ます右翼の軍国主義者安倍晋三の人権感覚・人権思想だということでもあるはずだ。

 間に合わせだから、これはという一人ではなく、二人も必要とする。

 尤も安倍晋三自身の参列であっても、ネルソン・マンデラの人権思想に響き合わせることのできる人権思想の持ち主というわけではない。響き合わせることのできる人権思想の持ち主はそうは存在すまい。

 だが、せめてもの最大限の敬意表明のためにいくら忙しくても、忙しさを割いて自らが出席すべきだったろう。

 ここにも安倍晋三の合理的判断能力の欠如を見ることができる。

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