◆さよならテレビカー
京阪電鉄の看板特急というべき8000系特急は、編成の中間部分に、ダブルデッカー車とテレビカーを連結し、特急料金不要の電車としては、日本最高のサービスを供している。
京阪8000系は1989年より営業運転を開始した車両であり、今年でデビュー20周年を迎える車両である。京阪電鉄の3月24日の発表によれば、このたび、8000系特急はリニューアル改修を受けることとなり、これによりテレビカーがリニューアル改修の対象ではない旧3000系(現8000系30番台)を除き廃止される、とのことだ。
本日3月30日は、神戸で海上自衛隊最初の実用AIP潜水艦そうりゅう型の、そうりゅう、が就役。東北地方では、航空自衛隊のペトリオットミサイルPAC-3が展開し北朝鮮の弾道ミサイルへの備えがほぼ完了、今夜にはソマリア沖に海上自衛隊の護衛艦二隻が到着し、商船五隻の護衛というかたちで、海賊対策任務が本格的に始動した。
一方で、京阪電鉄8000系のテレビカー廃止も、日本の鉄道を語る上で大きなターニングポイントとなることは必至であり、本日はこの記事を特集したい。テレビカーというが、阪急9300系やJR西日本321系にも液晶パネルが取り付けられており、これを一種のテレビカーと勘違いする人もいるようだ。
しかし、あの液晶パネルは液晶パネルに情報を表示しているだけであり、地上波放送を受信している訳でもなく、もちろん、チャンネルを変えることもできない。他方で、テレビカーは、文字通り地上波放送を受信しているのであり、スポーツ中継やオリンピックも見ることができる、文字通りのテレビカーなのである。
このテレビカーという名前は、もともと、1953年に京成電鉄が成田山参拝用の特急として導入したのが最初である。もともと、京阪特急は、琵琶湖と大阪を結ぶ1550形ロマンスカーとしてデビュー。ロマンスカーはその後、小田急電鉄の特急として名前が知られるようになったのだが、もともとは京阪特急から始まったものである。
テレビカー。今日の京阪特急について、その代名詞的存在となったテレビカーの登場は、1954年に、特急車両用の1700系電車に白黒テレビを搭載したのがその最初である。第二次世界大戦の終戦から9年、まだまだテレビは珍しく街頭テレビに人々が並んだ時代の話である。
テレビカーが登場した時代、最初のブルートレイン、あさかぜ号がデビューしたのが1956年であるから、テレビカーの誕生とその歴史は、実はブルートレインよりも長いものである。そして、1900系に続き、今日の京阪本線でも活躍する旧3000系(8000系30番台)に白黒からカラーへと進展しテレビカーは受け継がれ、1989年に8000系がデビュー、今日に至る。
1995年からは、編成の中央にダブルデッカー車を連結、今日の姿となった。しかし、今日では、携帯電話のワンセグ機能などにより、テレビカーの位置づけは変化し、リニューアルにより、テレビが撤去されることとなった次第。テレビが撤去されることで、テレビカーも、遂に終点へと到達する。
8000系のリニューアルについて、第一に、シートなどの車内インテリアをグレードアップし、加えて車椅子利用者への利便性の向上を目的としたスペース確保などのバリアフリー化を実施。車端部分は、ロングシートを採用し、セミクロスシート車となる。このシートには、背もたれの高さを頭の位置まで高くしたハイバックタイプのロングシートを導入。
日本一のロングシートを目指すという、京阪らしいサロンカーといっても言い過ぎではない程のサービスを供することを目的としているようだ。更に扉部分には、液晶ディスプレイを配置し、停車駅案内や観光案内、天気予報、ニュースなどを提供する。このリニューアルにより、テレビカーのテレビは撤去され、電話室も撤去されるとのことだ。
リニューアルの対象は、旧3000系(現8000系30番台)を除く、8000系の10編成全てを対象に行われることとなり、2009年から改修を開始、2011年までに完了、事業費は13億2000万円とのことだ。旧3000系は、リニューアルの対象とならないということで改修を受けないため、自動的にテレビカーとして存続するようだ。
8000系、京阪特急の代名詞であるテレビカー。なんとか、液晶パネルに映像を出し、スピーカースペースを維持するなどして、存続させることは出来ないのかな、とも思ったりする次第。懐古趣味のつもりはないのだが、京阪名物が消えてしまうのは、なんともいえない寂寥感を感じるからである。
HARUNA
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