◆護衛艦はるな 1973~2009
本日、快晴の舞鶴にて、海上自衛隊の護衛艦はるな、は、自衛艦としての全ての任務を完遂し、自衛艦旗を返納、除籍された。本日は、その行事の様子を速報というかたちでお伝えしたい。
自衛艦旗返納行事へ整列した隊員。飛行甲板には、乗員が整列している。護衛艦はるな、は1973年に就役した日本最初のヘリコプター搭載護衛艦で、3機のヘリコプターをオンデッキ式格納庫と発着甲板により運用することが可能、本艦の就役を以て、海上自衛隊の洋上作戦能力は、大きく向上した。
満載排水量6800㌧、全長153㍍、搭載する蒸気タービン2機の出力は70000馬力に達し、速力は31ノットを発揮する。前述のように、ヘリコプター3機を搭載。ヘリコプターの運用空間を確保するという工夫から、艦前部に武装を集中した、力強い艦容を有することとなった。
はるな、の搭載機は、HSS-2より始まり、HSS-2A,HSS-2B、そしてSH-60Jと進んでいる。海上自衛隊艦上航空機体系の進展とともに歩んだ護衛艦であり、歴史そのものであるともいえよう。余裕のある設計は、新型機の搭載にも対応することができ、護衛隊群旗艦としての任務にも対応することができた。
舞鶴音楽対が演奏する荘厳な音楽とともに、はるな、に掲げられた自衛艦旗が、ゆっくりと降ろされる。同時刻、横浜では、新しいヘリコプター搭載護衛艦ひゅうが、が自衛艦旗を授与されている。この瞬間が、DDH[ヘリコプター搭載護衛艦]の世代が入れ替わる瞬間であったわけだ。
折りたたまれた自衛艦旗。護衛艦はるな、は先代にあたる旧海軍の戦艦榛名よりも長い期間、第一線にあった。はるな、はその長い期間にわたり、ヘリコプター搭載護衛艦として海上防衛の最前線で、絶え間ない訓練による抑止力の維持と各国との交流、そして大規模災害への派遣と行い続けた。
乗員退艦。舞鶴音楽隊が奏でる勇壮な軍艦マーチとともに、護衛艦はるな、から乗員が行進して退艦してくる。火災タンカー第十雄洋丸撃沈処分、能登半島沖工作船侵入事案に際しての初の海上警備行動、テロ対策特別措置法に基づくインド洋派遣、リムパック環太平洋合同演習、様々な歴史が、一つ、締め括られる瞬間。
はるな艦長、星山良一1佐から自衛艦旗が返納される。ここに、護衛艦はるな、は現役の自衛艦から、歴史上の一隻へと出航していった。栄光の艦番号141は塗りつぶされ、しばらくは、かつての護衛艦きくづき、のように舞鶴基地の中央に係留される。ご招待いただきました、艦長の星山様、護衛艦はるな、の乗員の皆様、 舞鶴基地の皆様、ありがとうございます、ご苦労様でした。次の任務でのご活躍を期待しております。
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