◆西太平洋M8.9の被害を前に振り返る
9月29日西太平洋で発生したマグニチュード8.9地震と津波によりサモア周辺では少なくとも149名が死亡したとのことである。
アメリカ領サモア、そして西サモアからの30日には9700km離れたスマトラ島でもマグニチュード7.9の大規模な地震、犠牲者はかなりの規模に及んでいるとの報道が為されているが、日本政府からは具体的な救援の申し出や、被害状況の把握は行われていないが、人的被害では阪神大震災に匹敵する規模に発展する可能性もある。
環太平洋地域での経済大国として責任を持つ日本政府も、何らかの措置を取るべきではないのか、と考える。確かに、ソマリア沖海賊対処任務、インド洋対テロ海上阻止行動給油支援に艦艇を派遣しており、ローテーションの問題はあるだろうが、二箇所で生じた地震災害に対応する同義的な義務もあるはずだ。
現時点で、2004年12月26日のスマトラ沖地震インド洋津波災害の際に行われたような日本政府による緊急人道支援の体制は採られていない。内政で、手一杯という状況でもないのだろうが、少なくない被害が出ているとのこと、例えば輸送機による人道物資輸送や、防疫、医療支援の打診などは行ってみるべきでは、とも考える次第。
そこで、今回は、2004年のスマトラ沖地震に際しての自衛隊の対応について、少し紹介したい。インド洋大津波は、マグニチュード9を超える空前の大地震であったが、これに際して政府は、ミサイル護衛艦きりしま、護衛艦たかなみ、補給艦はまな、の三隻を国際緊急援助隊としてタイのプーケット沖に派遣することとなった。
三隻は12月28日に展開している。この三隻は、インド洋対テロ海上阻止行動給油支援に展開していた三隻であり、日本に帰投途中、災害にでくわすかたちとなったことで、即座に現地に立ち寄り災害派遣を行うべしという政府の方針のもと、遭難者の救助と遺体の収容に迅速に投入することが出来た。
この背景には、11月25日に、インド洋対テロ海上阻止行動給油支援任務への交代部隊として舞鶴基地から補給艦ましゅう、横須賀基地から護衛艦おおなみ、がインド洋に向けて出航しており、26日には、やはり交代として佐世保基地からミサイル護衛艦ちょうかい、が出航している事が挙げられる。
この、ちょうかい、おおなみ、ましゅう、に任務の引き継ぎを終えて交代として帰国途上にあった三隻が即応して対処できた。常時、補給艦を中心とする水上部隊を展開させていることがあってこそ、実現できた災害への即応対処であった。なお、派遣された三隻は、滞りなく給油支援任務を継続している。
なお、津波発生時に、海上自衛隊の砕氷艦しらせ、が南極観測支援のために昭和基地周辺に展開していたが、昭和基地周辺では、75センチの津波を観測したものの、近傍では津波被害などはなく、3月下旬まで、南極にて観測支援にあたっていた。他方で、海上自衛隊の任務範囲はインド洋から南氷洋まで広がっていることを端的に示す事例といえた。前述のミサイル護衛艦きりしま、の横須賀帰港は1月10日となっている。
1月7日には、陸海空自衛隊からなる1000名規模のインドネシア派遣が決定し、その日のうちに輸送艦くにさき、が呉基地を出航、9日に横須賀基地に到達し、陸上自衛隊の車両24両を9日と11日に搭載した。10日には横須賀沖の錨地にて木更津の第1ヘリコプター団が運用するCH-47JA輸送ヘリコプターなどを搭載、UH-60JA多用途ヘリコプターもローターを取り外し、艦内に収容された。
1月12日輸送艦くにさき、補給艦ときわ、が横須賀基地を出航したのに続いて、1月14日には、佐世保基地よりヘリコプター護衛艦くらま、が出航、洋上で合流したのち、19日に三隻での艦隊航行訓練を実施し、くにさき、に搭載されている二隻のLCAC(エアクッション揚陸艇)による発着テストが実施されている。
21日、部隊はシンガポールに到達し、ここで翌22日、東千歳の第7師団より派遣された陸上自衛隊派遣本隊の160名を輸送艦くにさき、に収容、くらま、とともに直ちにシンガポールを出航した。補給艦ときわ、は燃料と物資の補給を行う関係上、同時に出航することは出来ず、23日に出航している。
1月24日、インドネシアのバンダアチェ沖に到達したヘリコプター護衛艦くらま、はSH-60J哨戒ヘリコプターにより被害状況を迅速に把握するとともに、同時に到達した輸送艦くにさき、はLCACによる車両の揚陸を開始するとともに、CH-47JAの塩害防止膜を取り外し、UH-60JAとともに運用を開始した。
CH-47JAとUH-60JAは、輸送艦への搭載に際してローターを取り外すなどの対応が必要であり、即座に運用できたのは、ヘリコプター搭載護衛艦くらま艦載機のSH-60Jであった。なお、陸上自衛隊のヘリコプターが海外において訓練演習以外の実任務に就くのはこの派遣が最初の事例となった。
ちなみに、陸上自衛隊のUH-60JAはヘリコプター護衛艦くらま、への発着も行っており、同じくCH-47JAも、くにさき、の飛行甲板から運用されている。慣れない水上艦の飛行甲板から陸上自衛隊のヘリコプターが発着する事は、搭乗員にはかなり厳しかったのでは、と木更津駐屯地にて聞いてみたところ、演習場の更に狭い場所での発着訓練は恒常的に行っており、全く問題なかったとのこと。高い技術を発揮した。
LCACは、陸上自衛隊の24両の車両、給水や医療関係の装備品を搭載した73式大型トラックや中型トラックなどの日本の災害派遣で用いられる装備が投入されたのだが、これら陸上自衛隊の車両を揚陸したのち、インドネシア国内の民間業者で復興支援に充てられる重機などの建設機械の輸送にあたった。
現地の状況はかなり厳しく、救援に向かおうにも都市と被災地を結ぶ道路が地震と津波により壊滅的な被害を受けており、もともと港湾設備が不充分な地域である中で、津波により、その港湾設備も使用不可能となるほどの大被害を受けている訳で、海岸線と砂浜があれば運用可能なLCACによる海上輸送は大きな能力を発揮することが出来た。
航空自衛隊もC-130H輸送機を展開させ、バンダアチェ空港と、救援物資の集積地となっていたタイのウタパオ空軍基地との間で救援物資の輸送へ、往復を繰り返した。このほか、海上保安庁や消防庁、警察庁からも救援のための人員が派遣されている。今回は割愛したが、このほか非政府組織や自治体の協力も忘れてはならない。
さて、冒頭にも記したが、9月末に相次いで発生した二つの巨大地震、その被害はまだ一端が露になったにすぎない。既に東京消防庁からはハイパーレスキューがチャーター機により出発することが決まっているようだが、大規模災害には、重機、艦船、航空機が復旧には不可欠である。新政権には、インドネシアスマトラ島沖地震インド洋津波災害国際緊急援助隊の迅速かつ適切な支援を、再び行う事が望まれる。
HARUNA
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