◆第1特科団第1特科群第133特科大隊
今回は真駒内駐屯地の方面特科部隊を紹介しましょう。強力な多連装ロケットシステムMLRSの部隊です。
真駒内駐屯地のMLRS部隊は第133特科大隊です。北部方面隊直轄の第1特科団隷下部隊です。第1特科団は1952年に北部方面特科団として千葉県習志野に発足し、同年中に北海道へ移駐、1954年の陸上自衛隊捕捉と共に部隊名称を第1特科団と改称、同年中に現在司令部が置かれる北千歳駐屯地へ司令部を移しました。
第1特科団は第1特科群の第101特科大隊・第102特科大隊・第129特科大隊・第133特科大隊、第4特科群の第104特科大隊、第120特科大隊、第131特科大隊、第1地対艦ミサイル連隊、第2地対艦ミサイル連隊、第3地対艦ミサイル連隊を基幹としており、陸上自衛隊最大の特科部隊を構成しており、諸外国では軍団直轄砲兵旅団に当たるもの。
その装備は、発足当時こそ第一次大戦中に基本設計が管制し第二次大戦に投入された旧式である牽引式の155mmカノン砲や203mm榴弾砲を運用してきましたが、1980年に対砲レーダ装置の導入を開始、無人偵察機の導入もこのころに実施され、1984年には203mm自走榴弾砲、1991年に88式地対艦誘導弾、1995年にMLRSを導入し今日に至ります。
MLRSは多連装ロケットシステムの略称で、陸上自衛隊は発射器99両を導入しています。導入数ではアメリカの990両やドイツ陸軍の250両に続く保有数で、導入国16か国中では世界三位です。元々は1976年に米陸軍が開発に着手した陸軍全般ロケット支援システム計画に端を発するものです。
ボーイング社やマーティンマリエッタ社に加えノースロップ社やヴォート社にエマーソンエレクトリック社が試作に参加、ニューメキシコ州ホワイトサンズ演習場での試作装備競合の結果、ヴォート社案の採用が1980年に決定されています。こうして主契約企業をヴォート社が担い、ロケットモータ部分をアトランティックリサーチ社が、評定装置及び自己位置追随装置をペンディックス社が、射撃統制装置をノーディンシステムズ社が、ブランズウィック社が発射装置を、発動機駆動装置をヴィッカース社が担当することとなりました。
1983年に米陸軍への配備が開始されています。このMLRS計画は当時巨大なソ連軍の圧力に直面していたドイツを中心とする欧州NATO諸国においても注目されるものとなっておりドイツはアメリカと併せMLRS-EPGを設立させ、アエロスパシアル、ディール、テッセンヘンシェル、SNIA-BPD,ハンティングエンジニアリングの欧州五カ国の企業に分担しMLRSの共同生産を開始しました。
MLRSは、従来のロケット弾発射器と完全に一線を画しており、システムの呼称通り、装備計画に将来脅威までを見据えて、その段階改良と運用転換を見込んだロケットシステムとして成立しています。その分取得費用は陸上自衛隊納入価格で約20億円です。生産数世界第三位というかなりの数を量産した陸上自衛隊で、最新の10式戦車の三倍程度という費用、各国が取得するにあたって相応の苦労を要した背景がわかるというもの。
大規模機甲部隊浸透を一掃する面制圧火器として、MLRSは開発と配備が行われたのですが、今日では点目標に対する長距離精密誘導火器として戦域火力構成の優位獲得を目指したものに転換しているのが、MLRSの将来発展性というものになります。もちろん、この為にロケット弾は常に改良型が開発されていることは言うまでもありません。
M-270,これが米軍におけるMLRSの呼称ですが、陸上自衛隊では多連装ロケットシステムMLRSと呼ばれています。装軌式車体に六連装二機の十二連装ロケット弾が装填されています。ロケット弾の後継は227mmで全長3900mm、発射重量は一発あたり300kgとなっています。推進剤を除き弾頭重量は12発で2tに達します。
最大の特色は、発射装置に限ればその再装填速度の速さでしょう。ロケット弾は通常、瞬発制圧火力として短時間に多数を同時発射し火力で圧倒するための装備となっているのですが、対して多数のロケット弾は再装填に時間を要するため、通常の火砲と比べ長時間の持続射撃能力は限られていました。しかし、MLRSは箱型発射装置に再装填用クレーンを内蔵していることから大凡10分で再装填作業を完了できます。結果、一機当たりの火力投射能力は大きい。
M-77ロケット弾。射撃は乗員が全て車内から実施し車外に出る必要は基本的にありません。MLRSは冷戦時代に面制圧を、冷戦後は精密誘導で戦域制圧を目指す装備と書きましたが、M-77はMLRS開発と同時に進められた面制圧用ロケット弾です。射程32km、重量307kgの弾薬には644発の子弾を内蔵しており、目標上空で散布します。644発が12発各車両から発射され、車両は中隊規模6~9両、大隊規模18~27両で同時射撃、個数は御計算ください。
子弾は制式名称をM-77DPICMといい、一発あたり213gでポリウレタンに包まれた円筒形となっています。目標地域上空に到達したのをロケット弾が計算すると上空で散布を開始、空力安定用リボンが取り付けられており、一定方向に指向したまま落下するのですが、形状が成形炸薬弾となっているので軽量ではあるのですが装甲車両に命中すれば防弾鋼板で40mm、76~102mmの装甲を貫徹させるとのこと。
この威力は戦車の上部装甲を損傷させ軽装甲車程度の装甲ならば貫通、戦車も後部の空気取り入れように開け放たれた機関部上面を破壊してエンジンを破壊し行動不能に陥れるわけです。そして車両に命中しない場合でも地面に接触すればさく裂し、人員や物資などを破壊する構造で、子弾の数だけ地表で爆発が瞬時に起こる。
MLRSは基本的に12発のロケット弾を楕円形のほぼ100×200mに散布する運用が為されるので、20000㎡の面積を31㎡に一発の割合で子弾が散布されることとなるのです。BTR-80装甲車の表面積は22.2㎡、T-80主力戦車の表面積は25.5㎡、まあ、命中する割合は確実ではありませんが、MLRS18両で運用すれば1800×3600mの範囲を打撃でき、十分な離隔距離を採っていたとしても、無事では済まないことは確か。
MLRSは米陸軍では一個中隊9両、三個中隊27両を以てMLRS大隊を編成しています。陸上自衛隊では一個中隊6両の三個中隊18両を以てMLRS大隊を編成です。ちなみにイギリス陸軍では、65両導入したのですが、一個中隊の定数は9両と米陸軍に共通なのですが、二個中隊編制ですので大隊定数は18両と陸上自衛隊の配備数と同じ。
陸上自衛隊のMLRS大隊は、大隊指揮装置、中隊指揮装置、小隊指揮装置、各指揮装置データ伝送装置、弾薬車両が発射装置を支援します。各中隊には6両の弾薬車が配置されており、六発内蔵ロケットコンテナ四基、二斉射分を供給します。湾岸戦争では四日間で各車両が平均51発を射撃した、と議会報告に為されていますので、陸上自衛隊の即応弾36発は米軍並みの火力投射を行ったとしても三日間程度は戦闘継続が可能です。
しかし、難点もあります。MLRSの射撃、地面に弾ける無数の子弾、地獄絵図とはこのことをいうのでしょうが、爆発するのは子弾、軍団直轄砲兵は伝統的に203mm榴弾砲を運用するのですが、203mm砲弾は91kgあり、内蔵する16.42kgのTNTにより長径75m短径45mへ有効断片を散布します。203mm砲は緊急時でも発射速度は毎時1発で持続射撃は毎時20発ですのでMLRSの方が一発あたり三倍重量の弾薬12発を10分で撃つのだから有利、と思われがちなのですが、一つ。
203mmには対コンクリート信管が用意されており140cmのコンクリートを浸徹可能ですので、建造物や橋梁などを破壊可能なのですが、M-77の子弾ではどうしても不可能な芸当、M-77は火砲ではなく面制圧用のロケット砲弾だったということ。そして32kmという射程は決して長くなく、観測点によってはロケット弾の連続射撃が暴露する危険性があるほか、面制圧範囲が起きく、中東の砂漠や住民完全退避後の欧州第三次大戦等を除けば、威力が大きすぎました。
精密誘導による戦域火力優勢確保、MLRSが面制圧に続いて求められたのはGPS誘導により単弾頭型の強力なロケット弾をピンポイントで命中させ、重要施設や高付加価値目標を一撃で破壊するというロケット弾です。市街地の火力拠点や指揮所など、車両集積地への連続射撃や橋梁の破壊に道路上の機甲部隊車列一掃など、強力な威力を活かした誘導弾は一種の戦域ミサイルといえます。
陸上自衛隊は、日本国がクラスター弾規制条約、いわゆるオスロ条約へ批准したことから、子弾散布能力を有するM-77は段階的に退役させなければならなくなります。この結果、射程を延伸させた単弾頭型のM-31へ切り替えることで、面制圧から精密誘導による戦域火力統制を行う新しい時代の陸上戦闘体系へと転換することとなる。
さて、MLRS部隊だけでかなり長くなってしまいましたが、今回はこの真駒内駐屯地駐屯のMLRS部隊を紹介して終了することとします。既に今回で真駒内駐屯地祭特集は第七回目を数えましたが観閲行進は次回が最後、次回は第11旅団の火力戦闘部隊と機動打撃部隊について紹介することとしましょう、お楽しみに。
今回は真駒内駐屯地の方面特科部隊を紹介しましょう。強力な多連装ロケットシステムMLRSの部隊です。
真駒内駐屯地のMLRS部隊は第133特科大隊です。北部方面隊直轄の第1特科団隷下部隊です。第1特科団は1952年に北部方面特科団として千葉県習志野に発足し、同年中に北海道へ移駐、1954年の陸上自衛隊捕捉と共に部隊名称を第1特科団と改称、同年中に現在司令部が置かれる北千歳駐屯地へ司令部を移しました。
第1特科団は第1特科群の第101特科大隊・第102特科大隊・第129特科大隊・第133特科大隊、第4特科群の第104特科大隊、第120特科大隊、第131特科大隊、第1地対艦ミサイル連隊、第2地対艦ミサイル連隊、第3地対艦ミサイル連隊を基幹としており、陸上自衛隊最大の特科部隊を構成しており、諸外国では軍団直轄砲兵旅団に当たるもの。
その装備は、発足当時こそ第一次大戦中に基本設計が管制し第二次大戦に投入された旧式である牽引式の155mmカノン砲や203mm榴弾砲を運用してきましたが、1980年に対砲レーダ装置の導入を開始、無人偵察機の導入もこのころに実施され、1984年には203mm自走榴弾砲、1991年に88式地対艦誘導弾、1995年にMLRSを導入し今日に至ります。
MLRSは多連装ロケットシステムの略称で、陸上自衛隊は発射器99両を導入しています。導入数ではアメリカの990両やドイツ陸軍の250両に続く保有数で、導入国16か国中では世界三位です。元々は1976年に米陸軍が開発に着手した陸軍全般ロケット支援システム計画に端を発するものです。
ボーイング社やマーティンマリエッタ社に加えノースロップ社やヴォート社にエマーソンエレクトリック社が試作に参加、ニューメキシコ州ホワイトサンズ演習場での試作装備競合の結果、ヴォート社案の採用が1980年に決定されています。こうして主契約企業をヴォート社が担い、ロケットモータ部分をアトランティックリサーチ社が、評定装置及び自己位置追随装置をペンディックス社が、射撃統制装置をノーディンシステムズ社が、ブランズウィック社が発射装置を、発動機駆動装置をヴィッカース社が担当することとなりました。
1983年に米陸軍への配備が開始されています。このMLRS計画は当時巨大なソ連軍の圧力に直面していたドイツを中心とする欧州NATO諸国においても注目されるものとなっておりドイツはアメリカと併せMLRS-EPGを設立させ、アエロスパシアル、ディール、テッセンヘンシェル、SNIA-BPD,ハンティングエンジニアリングの欧州五カ国の企業に分担しMLRSの共同生産を開始しました。
MLRSは、従来のロケット弾発射器と完全に一線を画しており、システムの呼称通り、装備計画に将来脅威までを見据えて、その段階改良と運用転換を見込んだロケットシステムとして成立しています。その分取得費用は陸上自衛隊納入価格で約20億円です。生産数世界第三位というかなりの数を量産した陸上自衛隊で、最新の10式戦車の三倍程度という費用、各国が取得するにあたって相応の苦労を要した背景がわかるというもの。
大規模機甲部隊浸透を一掃する面制圧火器として、MLRSは開発と配備が行われたのですが、今日では点目標に対する長距離精密誘導火器として戦域火力構成の優位獲得を目指したものに転換しているのが、MLRSの将来発展性というものになります。もちろん、この為にロケット弾は常に改良型が開発されていることは言うまでもありません。
M-270,これが米軍におけるMLRSの呼称ですが、陸上自衛隊では多連装ロケットシステムMLRSと呼ばれています。装軌式車体に六連装二機の十二連装ロケット弾が装填されています。ロケット弾の後継は227mmで全長3900mm、発射重量は一発あたり300kgとなっています。推進剤を除き弾頭重量は12発で2tに達します。
最大の特色は、発射装置に限ればその再装填速度の速さでしょう。ロケット弾は通常、瞬発制圧火力として短時間に多数を同時発射し火力で圧倒するための装備となっているのですが、対して多数のロケット弾は再装填に時間を要するため、通常の火砲と比べ長時間の持続射撃能力は限られていました。しかし、MLRSは箱型発射装置に再装填用クレーンを内蔵していることから大凡10分で再装填作業を完了できます。結果、一機当たりの火力投射能力は大きい。
M-77ロケット弾。射撃は乗員が全て車内から実施し車外に出る必要は基本的にありません。MLRSは冷戦時代に面制圧を、冷戦後は精密誘導で戦域制圧を目指す装備と書きましたが、M-77はMLRS開発と同時に進められた面制圧用ロケット弾です。射程32km、重量307kgの弾薬には644発の子弾を内蔵しており、目標上空で散布します。644発が12発各車両から発射され、車両は中隊規模6~9両、大隊規模18~27両で同時射撃、個数は御計算ください。
子弾は制式名称をM-77DPICMといい、一発あたり213gでポリウレタンに包まれた円筒形となっています。目標地域上空に到達したのをロケット弾が計算すると上空で散布を開始、空力安定用リボンが取り付けられており、一定方向に指向したまま落下するのですが、形状が成形炸薬弾となっているので軽量ではあるのですが装甲車両に命中すれば防弾鋼板で40mm、76~102mmの装甲を貫徹させるとのこと。
この威力は戦車の上部装甲を損傷させ軽装甲車程度の装甲ならば貫通、戦車も後部の空気取り入れように開け放たれた機関部上面を破壊してエンジンを破壊し行動不能に陥れるわけです。そして車両に命中しない場合でも地面に接触すればさく裂し、人員や物資などを破壊する構造で、子弾の数だけ地表で爆発が瞬時に起こる。
MLRSは基本的に12発のロケット弾を楕円形のほぼ100×200mに散布する運用が為されるので、20000㎡の面積を31㎡に一発の割合で子弾が散布されることとなるのです。BTR-80装甲車の表面積は22.2㎡、T-80主力戦車の表面積は25.5㎡、まあ、命中する割合は確実ではありませんが、MLRS18両で運用すれば1800×3600mの範囲を打撃でき、十分な離隔距離を採っていたとしても、無事では済まないことは確か。
MLRSは米陸軍では一個中隊9両、三個中隊27両を以てMLRS大隊を編成しています。陸上自衛隊では一個中隊6両の三個中隊18両を以てMLRS大隊を編成です。ちなみにイギリス陸軍では、65両導入したのですが、一個中隊の定数は9両と米陸軍に共通なのですが、二個中隊編制ですので大隊定数は18両と陸上自衛隊の配備数と同じ。
陸上自衛隊のMLRS大隊は、大隊指揮装置、中隊指揮装置、小隊指揮装置、各指揮装置データ伝送装置、弾薬車両が発射装置を支援します。各中隊には6両の弾薬車が配置されており、六発内蔵ロケットコンテナ四基、二斉射分を供給します。湾岸戦争では四日間で各車両が平均51発を射撃した、と議会報告に為されていますので、陸上自衛隊の即応弾36発は米軍並みの火力投射を行ったとしても三日間程度は戦闘継続が可能です。
しかし、難点もあります。MLRSの射撃、地面に弾ける無数の子弾、地獄絵図とはこのことをいうのでしょうが、爆発するのは子弾、軍団直轄砲兵は伝統的に203mm榴弾砲を運用するのですが、203mm砲弾は91kgあり、内蔵する16.42kgのTNTにより長径75m短径45mへ有効断片を散布します。203mm砲は緊急時でも発射速度は毎時1発で持続射撃は毎時20発ですのでMLRSの方が一発あたり三倍重量の弾薬12発を10分で撃つのだから有利、と思われがちなのですが、一つ。
203mmには対コンクリート信管が用意されており140cmのコンクリートを浸徹可能ですので、建造物や橋梁などを破壊可能なのですが、M-77の子弾ではどうしても不可能な芸当、M-77は火砲ではなく面制圧用のロケット砲弾だったということ。そして32kmという射程は決して長くなく、観測点によってはロケット弾の連続射撃が暴露する危険性があるほか、面制圧範囲が起きく、中東の砂漠や住民完全退避後の欧州第三次大戦等を除けば、威力が大きすぎました。
精密誘導による戦域火力優勢確保、MLRSが面制圧に続いて求められたのはGPS誘導により単弾頭型の強力なロケット弾をピンポイントで命中させ、重要施設や高付加価値目標を一撃で破壊するというロケット弾です。市街地の火力拠点や指揮所など、車両集積地への連続射撃や橋梁の破壊に道路上の機甲部隊車列一掃など、強力な威力を活かした誘導弾は一種の戦域ミサイルといえます。
陸上自衛隊は、日本国がクラスター弾規制条約、いわゆるオスロ条約へ批准したことから、子弾散布能力を有するM-77は段階的に退役させなければならなくなります。この結果、射程を延伸させた単弾頭型のM-31へ切り替えることで、面制圧から精密誘導による戦域火力統制を行う新しい時代の陸上戦闘体系へと転換することとなる。
さて、MLRS部隊だけでかなり長くなってしまいましたが、今回はこの真駒内駐屯地駐屯のMLRS部隊を紹介して終了することとします。既に今回で真駒内駐屯地祭特集は第七回目を数えましたが観閲行進は次回が最後、次回は第11旅団の火力戦闘部隊と機動打撃部隊について紹介することとしましょう、お楽しみに。
北大路機関:はるな
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