◆富士学校普通科教導連隊の虎の子装備
御嶽山噴火、89式装甲戦闘車が派遣されています。何故89式装甲戦闘車が派遣されたのでしょうか。
噴火災害に装甲車両が投入されるだろう、とは考えていましたが、北海道あたりから展開するのかと思いきや。73式装甲車ではなく実際に報道に登場したのはエリコン35mm機関砲を搭載した富士学校の89式装甲戦闘車、でした。
この点で車両を戦車と誤解されている方や、消防や警察にさらに優秀な車両がると誤解されているような方がいるようなので本日は一つ。装甲戦闘車の任務は恐らく大規模噴火時の住民救出用です。山岳救助は自衛隊よりも消防警察、と誤解されている方がいるようですが、装甲車で無ければ不可能、というのが結論です。
火山噴火と自衛隊装甲車は切っても切れない関係です、1989年の富良野火山災害では当時の第2戦車大隊が74式戦車に排土板を装着し待機しましたし、1991年の雲仙普賢岳火山災害では60式装甲車や73式装甲車が住民退避用に待機、2000年の北海道有珠山火山災害でも第7師団の装甲部隊が待機しました。
2011年の霧島新燃岳火山災害では、十分な装甲車が確保できなかったため西部方面特科隊の87式砲側弾薬車が73式装甲車に加えて派遣されています。途中から北部方面隊より装甲車が増派されていますが、西部方面隊管内には装輪装甲車ならば十分確保されていたものの、やはり装軌車両が必要だ、という事でしょう。
戦車については、富良野の火山災害などでの輸送用や障害除去用に投入されていますが、雲仙普賢岳では溶岩ドーム監視用に準備されました。最終的に偵察隊の暗視装置が用いられたのですが当初は74式戦車の赤外線投光器よりフィルターを取り外し、溶岩ドームを照らそう、というもの。溶岩ドームが崩壊した際に崩壊型火砕流が発生するため、というものでした。
普賢岳災害派遣では75式装甲ドーザも派遣されています。これは火砕流に伴う火砕サージ被害が発生した際、犠牲者の遺体収容へ展開する際に通常のドーザでは万一の際の防護が困難であり、更にドーザの速度では展開に時間を要したため、戦車に随伴可能な速度と防御力を有する装甲ドーザが派遣された、というかたち。
火山灰堆積地域では装甲車が必要、こういいますのもまず、火山灰が堆積し火山弾が降り注ぐ被災地、という事を忘れてはなりません。火山灰ですが、これは装輪式、つまりタイヤ式の車両ですと溝の部分に火山灰が固着してしまい、隊やチェーンを装着してもやはり火山灰は固着してタイヤの摩擦力を奪ってしまうのでスリップして進めなくなります。
例えば、映画“わんこの島”として先日BSで放映された三宅島火山災害等では、警視庁が不整地突破能力が非常に高いウニモグトラックを三宅島に持ち込んだのですが、数十分走行したところで車輪が駆動不能となり、チェーンを装着しても同様、結局車外に出て灰の掻き落としを頻繁に行わざるを得ませんでした。
もちろん、89式装甲戦闘車は、万能ではありませんが装軌式装甲車ですので、装輪式車両よりは遙かに火山灰堆積地域での行動は容易です。また、生還者の証言として軽トラック並の大きさ火山弾も吹き飛んでいた、と証言がありますので、側面35mm防弾鋼板、上面もある程度の装甲防御力と乗員区画前面に砲塔を持っている装甲戦闘車ならば、生存性は高まります。
当たらなければどうということは無い、という刹那的な気分でいつ何時走行不能になるのか不明だが数十分くらいは大丈夫、という車両で火山危険地域に行くよりは、自衛隊が対応する装備を持っているのだから、これを派遣する、という発想はある意味当然でしょう。
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