■機動打撃力への政策変化とともに
自衛隊の複雑化した師団と旅団の編成を基本的に二種類の機動旅団へ、という視点を前回までに提示した訳ですが、その視座について。
元々、広域師団という提案は2005年にWeblog北大路機関が運営開始した当時、機動打撃力の根幹である戦車定数が900両から600両へ縮小された状況を背景に、全国の師団と旅団を画一編成の機動旅団へ改編し、三個機動旅団に直轄部隊を隷下に置き広域師団を編成、三単位編成をその編成の中枢に置き、師団戦車大隊と旅団戦車中隊という戦車の効率配置を構想していました。
広域師団は管区ごとに配置を列挙してゆきますと、北部広域師団は道北・道東・道南、東北広域師団は東北北部・東北南部・北関東信越、東部広域師団は首都圏・南関東・東海北陸、中部広域師団は京阪神・山陽山陰・四国、西部広域師団は北九州・南九州・南西諸島、以上を警備管区とし、戦略予備として北方に機甲師団を置く構想でした。
新しい広域師団案として航空機動旅団と装甲機動旅団を基幹とする提案は、戦車定数が600両から300両にさらに半減し、併せて機動戦闘車という新装備200両が配備され、戦車戦力の一端を担うという新体制が提示された一方、戦車の大半を北方に集中し、有事の際に北方以外の地域については北方からの展開を念頭とする運用構想が示され、ここに大きな脆弱性を見いだしたための代案というもの。
統合機動防衛力、とした新しい自衛隊の発表は、水陸機動と装輪機動と装甲機動とを、それぞれ九州南西諸島、本州、北海道、に分散させる方式で示されましたが、これは軽装備主体の侵攻、即ち限定侵攻にのみ対応する一点に特化した編成案にほかならず、重装備による侵攻の可能性を北方以外から排除した案であり、実行した場合、十年単位での自衛隊の運用計画へ支障を残す懸念があります。
十年単位の支障とは大袈裟な、と伸して気はあるやも知れませんが、過去に事例があるのです。ゲリラコマンドー対処、1990年代後半より陸上自衛隊は北朝鮮特殊部隊の浸透攻撃を念頭に野戦重視の体制から近接戦闘と市街地戦闘に重点を置いた編成と訓練体系への転換を図りました、その後国際平和維持活動への積極参加、イラク派遣などでこの種の能力強化は求められてはいたのですが。
結果、相応に近接戦闘能力は向上した一方、近接戦闘訓練を重視しすぎるあまり、中隊配属から個人用援体掘削を一度も経験せず職種によっては隊員が任期を終えるという話、長距離徒歩機動に支障を来す体力など、大きな課題を残し、ついにこの施策は放棄されています。
この指摘は、ある種過大表現であり、加えて軽装甲機動車や高機動車の大量配備の時期とかさなり機械化とともに個人装備の重量増大などがありましたので、問題点だけではなく言い過ぎという面もあるように思うのですが、こうした指摘が識者やOBなどか示されたのも確かです。
もっとも、近接戦闘能力は、野戦全盛の自衛隊運用体制下では整備されにくい能力ですので、この種の訓練が近接戦闘が発生しうる海外派遣に際し、要員の能力向上に重要な位置づけにあったことは確かですから、もちろん施策全般を一概に否定することはできません。
突発的な近接戦闘の懸念は野戦においても当然あった訳ですので、また我が国は市街地に人口が集中している事からkン説戦闘能力の整備は全体的に見て有意義ではあるでしょう、しかし均衡という面では野戦訓練と近接戦闘訓練一辺倒ではなく、均衡点を模索すべきでした。
北大路機関:はるな
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
自衛隊の複雑化した師団と旅団の編成を基本的に二種類の機動旅団へ、という視点を前回までに提示した訳ですが、その視座について。
元々、広域師団という提案は2005年にWeblog北大路機関が運営開始した当時、機動打撃力の根幹である戦車定数が900両から600両へ縮小された状況を背景に、全国の師団と旅団を画一編成の機動旅団へ改編し、三個機動旅団に直轄部隊を隷下に置き広域師団を編成、三単位編成をその編成の中枢に置き、師団戦車大隊と旅団戦車中隊という戦車の効率配置を構想していました。
広域師団は管区ごとに配置を列挙してゆきますと、北部広域師団は道北・道東・道南、東北広域師団は東北北部・東北南部・北関東信越、東部広域師団は首都圏・南関東・東海北陸、中部広域師団は京阪神・山陽山陰・四国、西部広域師団は北九州・南九州・南西諸島、以上を警備管区とし、戦略予備として北方に機甲師団を置く構想でした。
新しい広域師団案として航空機動旅団と装甲機動旅団を基幹とする提案は、戦車定数が600両から300両にさらに半減し、併せて機動戦闘車という新装備200両が配備され、戦車戦力の一端を担うという新体制が提示された一方、戦車の大半を北方に集中し、有事の際に北方以外の地域については北方からの展開を念頭とする運用構想が示され、ここに大きな脆弱性を見いだしたための代案というもの。
統合機動防衛力、とした新しい自衛隊の発表は、水陸機動と装輪機動と装甲機動とを、それぞれ九州南西諸島、本州、北海道、に分散させる方式で示されましたが、これは軽装備主体の侵攻、即ち限定侵攻にのみ対応する一点に特化した編成案にほかならず、重装備による侵攻の可能性を北方以外から排除した案であり、実行した場合、十年単位での自衛隊の運用計画へ支障を残す懸念があります。
十年単位の支障とは大袈裟な、と伸して気はあるやも知れませんが、過去に事例があるのです。ゲリラコマンドー対処、1990年代後半より陸上自衛隊は北朝鮮特殊部隊の浸透攻撃を念頭に野戦重視の体制から近接戦闘と市街地戦闘に重点を置いた編成と訓練体系への転換を図りました、その後国際平和維持活動への積極参加、イラク派遣などでこの種の能力強化は求められてはいたのですが。
結果、相応に近接戦闘能力は向上した一方、近接戦闘訓練を重視しすぎるあまり、中隊配属から個人用援体掘削を一度も経験せず職種によっては隊員が任期を終えるという話、長距離徒歩機動に支障を来す体力など、大きな課題を残し、ついにこの施策は放棄されています。
この指摘は、ある種過大表現であり、加えて軽装甲機動車や高機動車の大量配備の時期とかさなり機械化とともに個人装備の重量増大などがありましたので、問題点だけではなく言い過ぎという面もあるように思うのですが、こうした指摘が識者やOBなどか示されたのも確かです。
もっとも、近接戦闘能力は、野戦全盛の自衛隊運用体制下では整備されにくい能力ですので、この種の訓練が近接戦闘が発生しうる海外派遣に際し、要員の能力向上に重要な位置づけにあったことは確かですから、もちろん施策全般を一概に否定することはできません。
突発的な近接戦闘の懸念は野戦においても当然あった訳ですので、また我が国は市街地に人口が集中している事からkン説戦闘能力の整備は全体的に見て有意義ではあるでしょう、しかし均衡という面では野戦訓練と近接戦闘訓練一辺倒ではなく、均衡点を模索すべきでした。
北大路機関:はるな
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