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京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【日曜特集】横須賀地方隊伊勢湾展示訓練2010【2】伊勢湾を往く艦隊(2010-08-21)

2017-08-20 20:02:37 | 海上自衛隊 催事
■しらね&ひゅうが伊勢湾を往く
 伊勢湾展示訓練2010、前回の出港から伊勢湾を堂々航行する様子を紹介しましょう。

 自衛艦旗と新鋭ひゅうが。:伊勢湾展示訓練2010、この年は海上自衛隊にも転換の年でした。横浜では建造が進むヘリコプター搭載護衛艦いせ公試が始まり、あきづき型護衛艦が19DDとして進水式を間近に控えていました。そしてヘリコプター搭載護衛艦はるな除籍の翌年に当たる年でした。

 ひゅうが、と伊勢湾を往くタンカー、海上交通が本当に多い海域でした。:ヘリコプター搭載護衛艦はるな除籍と共に同日、横浜にてヘリコプター搭載護衛艦ひゅうが、が竣工し、海上自衛隊には全通飛行甲板型護衛艦の時代が始まります。そして、新護衛艦ひゅうが、横須賀へ配備、ヘリコプター搭載護衛艦しらね、が舞鶴へ転出しています。

 自衛艦旗と時機が合う瞬間を。:ひゅうが、しらね、揃って伊勢湾展示訓練へ参加する事となりまして、伊勢湾へは新旧ヘリコプター搭載護衛艦が洋上に揃う事となりましたが、しらね舞鶴転出後、新護衛艦いずも竣工とともにこの、ひゅうが、も後継へ舞鶴基地へ転出したのはこの五年後の話しです。

 掃海艦つしま、と護衛艦ひゅうが。:自衛艦の出港は曳船により岸壁から一定距離まで引き出した上で周辺の船舶へ干渉しない距離をとったことを確認すると同時に推進機を作動させ出港します、このあたり、側面へ移動できるフェリーや客船になれてしまいますとどうしても時間がかかるように見えます。

 ヘリコプター搭載護衛艦ひゅうが、は今日でこそヘリコプター搭載護衛艦最古参ですが、当時は最新鋭、横浜で護衛艦いせ建造中でした。:出港に時間が掛かっているようですが、基本的に同じ速力で航行するだけの商船と水上戦闘艦は推進装置に相違点があるため致し方ありません、推進器を作動させる際に留意点は曳船と係留索が確実に収容されているかを確認することで、怠ると推進器にまきこみ一発です。

 しらね、遠景に掃海母艦うらが、等みえる。:出港時に係留索を引き込めば一発で航行不能となりかねません、しかし、この間は曳船が周辺に待機します、これは出港の際に推進能力を発揮できない艦艇へ不測の事態が発生した瞬間に即座に制動をかけられるよう待機しているもので、この情景入港でも御馴染み。

 真夏で洋上には薄らと靄がかっていて水平線が見えにくい。:この時点では曳船は艦艇と文字通り離れていても一体、といえるのかもしれません。ここではじめてラッパ用意の号令が出され、艦長は出港できると判断した瞬間に出港用意の命令が発令される訳です。この頃見学者は当方含めのんびり他の艦艇を撮っている最中です。

 四日市の石油化学工場背景に掃海艦つしま、がゆく。:出港用意の命令、その瞬間に出港ラッパ吹奏を信号員が命令し出港ラッパが響きわたるわけです。出港、街で暮らす我々にはこの瞬間から日常を非日常に転換します、市街地では船といえば湯船ていど、京都タワー大浴場の湯船や市役所の初音湯の湯船も素晴らしい。

 水平線上に見えるのは護衛艦しらゆき。:しかし、基本船といえば湯船ではなくお船、自衛艦の出港、出港よーいッ、この号令がスピーカーから響きわたりますと、気分も高揚します、足元が大型の護衛案でも小型の掃海艇でも中型の多用途支援艦でもしっかりと揺れて動いている、エンジンの鼓動もつたわる。

 ひゅうが、と共に水平線上に警戒船の輸送艇2号がみえる。:一番離せッ!、舷離せッ!、舷離せッ!、曳船使用終わり曳船ありがとうッ!、曳船舷離せッ!、推進器使用行うッ!、出港よーいッ、両舷推進用意ッ!、出港ーッ、甲板員作業完了ッ!、一連の流れとともに港湾の他の船舶位置に留意しつつ海へと出港するわけです。

 潜水艦の合流だ、海の忍者は突然現れる。:潮の香りが徐々に外有無に向かうとともに薄れ、しかし足元の機関鼓動は海風や期待と共に徐々高まる中で忘れかけますが、単純な出港とはいえ自衛艦の出港は”いくさぶね”としての商船との構造の違いもありまして様々な作業が同時並行して行われているようです。

 警戒船の特務艇はしだて。:伊勢湾ですが、我が国でも有数の航行船舶が多い難所です。伊勢湾沿岸には名古屋という京浜地区や京阪神地区につづく日本第三の大都市が広がるとともに四日市と松阪にかけ沿岸部は石油化学工場やコンビナートが広がり、タンカーや大型船舶に貨物船の往来が多い。

 警戒船の試験艦くりはま、今日では除籍された海上自衛隊各種装備開発の立役者はこの日も支援任務です。:海上交通量は多いのですが伊良湖水道という限られた狭水道を航行しなければなりません。制限速力は12ノットと定められていまして、海上保安庁による航路管制を受けています。そしてこの伊良湖水道には朝日礁とコズカミ礁という岩礁地帯がありますので、要注意だ

 潜水艦おやしお、おやしお型潜水艦の一番艦だ。:航路管制を受けない小型船舶の急な出現や海上交通法制を無視する遊漁船などをいち早く発見し、回避しなければ座礁や衝突という事故に繋がりかねません、岩礁のほかにも丸山出シという小島があり、狭水道と岩礁や小島、好漁場を構成し漁船の航行も多いのです。

 護衛艦しらね、舞鶴に転籍した後長くドック入りしていまして、当方が動いている様子を見たのは伊勢湾という。:この海域を通行するには愛知県と三重県の三半島と地形を確実に把握し航行することが求められます、三半島、これは渥美半島と知多半島に志摩半島です、1989年の映画”ゴジラvsビオランテ”、本海域へ自衛隊がゴジラ迎撃へ集結しますのでご記憶の方もいるでしょう。

 ひゅうが艦上にSH-60が見えまして城国はUH-60が飛行していますね。:若狭湾原子力発電所集積地域を最終確保地点として移動するゴジラへ防衛庁は伊勢湾から名古屋に上陸すると想定されたゴジラの進路にたいし、伊勢湾へ護衛艦隊を集結させ志摩知多渥美の三半島に陸上部隊を結集して一挙に撃退しようとしまして、その描写がある。

 UH-60J救難ヘリコプターの飛行です。:相模湾での観艦式の映像や富士総合火力演習での映像が流用され、富士総合火力演習へ足を運ばれた方はにやりとしてしまいそうな自衛隊描写、しかし、逆に水中聴音により艦隊動向を知ったゴジラが大阪湾に上陸され、防衛計画が破綻するという描写がありましたね。

 しらね、画像補正を強めてみました、2010年当時には現在ほどいいレンズを当方が揃えていませんでしたので、腕の問題と機材の問題を補正技術で対応してみた。:志摩半島といいますと、平成ガメラシリーズの選外、自衛隊が出なかったので逆にリアリティがないとされつつ、名古屋でのロケシーンには参加し思い出になった人も多いという“ガメラ 小さな勇者たち”でも志摩半島が舞台として出ました、展示訓練は此処で行う。

 当時はEOS-40Dに70-300mmのIS装置付ズームレンズを使用していました。:さて、志摩半島と知多半島に渥美半島ですが、志摩半島には鳥羽と石鏡灯台があり、その北方に離島神島があります、知多半島には主要な灯台ではなく羽豆岬と蒲郡沖の佐久島が陸上の特徴ある地形となります、航海を行うには様々なランドマークを叩きこむとのこと。

 ひゅうが、が単縦陣へ合流します。:煙突や特徴ある建物や寺社仏閣渥美半島は北部に立馬埼灯台がありますが加えて渥美半島太平洋側には大山三角点が陸上の目標物として航行することが出来ますので、ここから伊良湖水道の正確な位置を算出して航行します。事故防止にはこれほど見張りが重要、と。

 しらね、も単縦陣へ合流します。:GPSを使えば確実ではあるのですがGPSは有事の際に妨害を受ける可能性がありますし、なによりも海上交通量がおおいのですから民間用GPSの脆弱性、そしてなにより海上自衛官は船乗りとしての資質、地形から位置を把握して航行しなければ一人前ではありません。

 潜水案おやしお、が続く。:GPSに頼った航行というものは、外洋を航行する際には必要ですが、乗員の方に聞いてみますとGPS頼りというのは、恰も簡単な漢字を書くにも一々辞書字引を検索して一文字一文字書いているようで、スマートではない、という表現でした。なるほど、それは分かる。

 単縦陣で伊勢湾を航行する艦隊、当方乗艦の多用途支援艦えんしゅう、は後ろの方でした。:しかし、伊勢湾の入り口にあたる伊良湖水道は地図で見れば広く見えて航行が容易のように錯覚するのですが、海図をみるとすごく狭い、水道の中央部分に朝日礁とコズカミ礁と丸山出シという水深の浅い岩礁が三角に固まっていてこの中央部を通らなければならない。

 こうして伊勢湾を往く艦隊は合流し、いよいよ展示訓練の観閲式へ臨むこととなります。:海上衝突予防法という、海上での船舶同士の衝突を避けるための法整備がありまして、これは国際条約として世界中の海洋において用いられる一種の国際慣習法となっていますが、我が国には海上交通安全法というより厳しい法律があります、地域限定の法律ですが、ね。

北大路機関:はるな くらま
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