■蹴鞠の神社とサッカーボール
イギリスのメイ首相が京都迎賓館へ招かれ、御所界隈は賑やかでしたが、本日はその御所から徒歩で少しのところ。
白峯神宮、堀川通りを今出川通りへ御所と同志社大学の方へ少し歩みを進めたところに佇む神社です。今出川通りにはマンションや商業ビルが立ち並び、勿論あの四条通界隈とは違うものの、ここが100万都市たる事を思い出させる、そんな喧騒の中に静かな社殿が広がる。
清少納言が枕草子に記している飛鳥井の邸宅跡、本殿は銅板葺流れ造といい、下鴨神社の河合社の造りを模して造営されています。今出川通りに面する築地塀を初めとしまして銅板葺流れ造は、拝殿や神門に手水舎と瑞垣共々、創建当時の趣を伝えつつ今に至ります。
サッカーボールやバレーボールが奉納されている、不思議な調和と雰囲気を醸し出す神社となっています。ボールを奉納しているのは個人や団体、Jリーグや日本代表の名前も並び、明日競う2018 FIFAワールドカップロシアアジア地区最終予選の豪州戦を思い出すしだい。
闘魂守、という勇ましい御守り札が並ぶこの神社はスポーツの神であり勉学の神という白峯天神が祀られ、また蹴鞠の神社という事で我が国の永いスポーツの歴史と共に、蹴鞠は鞠を落とさない、との由緒と作法に合せ勉学の神様としてここに広く崇敬を集めています。
旧名を白峯宮と云い、旧社格は官幣大社、崇徳天皇と淳仁天皇を祀る神社です。崇徳天皇といえば鳥羽天皇の譲位により四歳にて即位し、更に望まぬ譲位と実権無き上皇即位を強いられ、1156年の保元の乱を経て讃岐配流、上皇としては400年ぶりに島流しとなった。
創建は1868年と比較的新しく、孝明天皇が幕末の動乱期、京都市街も戦闘により荒廃する中、配流となり崇徳天皇と淳仁天皇の陵墓を洛中に移した事で始まりました。そして元々この地には白峯大権現として崇徳天皇を祀る御影堂があり、改めて洛中に迎えたかたち。
崇徳天皇は怨霊伝説として知られます、やはり京都に残る貴族や権力者に呵責があったのでしょう、安元の大火と鹿ケ谷の陰謀が立て続けに立ち起こり、貴族では収拾がつかず平清盛ら武家へ治安維持を依存する事となりました。この背景に怨霊伝説が生まれたのです。
白峯神宮は、崇徳天皇を祀る神社ですが、怨霊鎮定というものではなく、今日では崇徳天皇が愛し、保護した蹴鞠の神社として広く崇敬を集めています。鹿皮製の鞠を高さを等しく蹴り続ける回数を競う、平安時代の競技で飛鳥時代の中大兄皇子と中臣鎌足が有名だ。
飛鳥井流蹴鞠という流派が貴族の蹴鞠として広く嗜まれています。この他に難波流や御子左流という流派がありましたが、現在継承されているのは飛鳥井流蹴鞠のみとなっており、そしてこの社殿そのものが飛鳥井家屋敷で、崇徳天皇と蹴鞠の縁というものを考えさせる。
明治天皇も蹴鞠を嗜んだ偉人の一人で、実は明治時代に東京遷都に合せ御所を遷座した際に蹴鞠の作法が関東では全く知られていない事に驚き、その普及に努めるとともに勅令を以て梅渓道善へ蹴球保存会を立ち上げさせると共に蹴鞠の飛鳥井流保存へ尽力しています。
蹴鞠奉納が毎年四月と七月に白峯神宮にて行われていますが、飛鳥井流蹴鞠がこの際に奉納されています。そして、蹴鞠の碑が境内に参拝者を迎え、鞠庭と樹齢実に800年という小賀玉の木が聳えています。飛鳥井流蹴鞠を長い樹齢の小賀玉の木が見守ったのでしょう。
来月21日には崇徳天皇祭としまして、薪能が奉納されます。しかし、気になるのは明日の2018 FIFAワールドカップ最終予選の豪州戦、落とさない由緒となれば、昨日の北朝鮮火星12弾道ミサイルを日本に落とさない、と考えつつ参拝へと赴かれては如何でしょうか。
北大路機関:はるな くらま
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
イギリスのメイ首相が京都迎賓館へ招かれ、御所界隈は賑やかでしたが、本日はその御所から徒歩で少しのところ。
白峯神宮、堀川通りを今出川通りへ御所と同志社大学の方へ少し歩みを進めたところに佇む神社です。今出川通りにはマンションや商業ビルが立ち並び、勿論あの四条通界隈とは違うものの、ここが100万都市たる事を思い出させる、そんな喧騒の中に静かな社殿が広がる。
清少納言が枕草子に記している飛鳥井の邸宅跡、本殿は銅板葺流れ造といい、下鴨神社の河合社の造りを模して造営されています。今出川通りに面する築地塀を初めとしまして銅板葺流れ造は、拝殿や神門に手水舎と瑞垣共々、創建当時の趣を伝えつつ今に至ります。
サッカーボールやバレーボールが奉納されている、不思議な調和と雰囲気を醸し出す神社となっています。ボールを奉納しているのは個人や団体、Jリーグや日本代表の名前も並び、明日競う2018 FIFAワールドカップロシアアジア地区最終予選の豪州戦を思い出すしだい。
闘魂守、という勇ましい御守り札が並ぶこの神社はスポーツの神であり勉学の神という白峯天神が祀られ、また蹴鞠の神社という事で我が国の永いスポーツの歴史と共に、蹴鞠は鞠を落とさない、との由緒と作法に合せ勉学の神様としてここに広く崇敬を集めています。
旧名を白峯宮と云い、旧社格は官幣大社、崇徳天皇と淳仁天皇を祀る神社です。崇徳天皇といえば鳥羽天皇の譲位により四歳にて即位し、更に望まぬ譲位と実権無き上皇即位を強いられ、1156年の保元の乱を経て讃岐配流、上皇としては400年ぶりに島流しとなった。
創建は1868年と比較的新しく、孝明天皇が幕末の動乱期、京都市街も戦闘により荒廃する中、配流となり崇徳天皇と淳仁天皇の陵墓を洛中に移した事で始まりました。そして元々この地には白峯大権現として崇徳天皇を祀る御影堂があり、改めて洛中に迎えたかたち。
崇徳天皇は怨霊伝説として知られます、やはり京都に残る貴族や権力者に呵責があったのでしょう、安元の大火と鹿ケ谷の陰謀が立て続けに立ち起こり、貴族では収拾がつかず平清盛ら武家へ治安維持を依存する事となりました。この背景に怨霊伝説が生まれたのです。
白峯神宮は、崇徳天皇を祀る神社ですが、怨霊鎮定というものではなく、今日では崇徳天皇が愛し、保護した蹴鞠の神社として広く崇敬を集めています。鹿皮製の鞠を高さを等しく蹴り続ける回数を競う、平安時代の競技で飛鳥時代の中大兄皇子と中臣鎌足が有名だ。
飛鳥井流蹴鞠という流派が貴族の蹴鞠として広く嗜まれています。この他に難波流や御子左流という流派がありましたが、現在継承されているのは飛鳥井流蹴鞠のみとなっており、そしてこの社殿そのものが飛鳥井家屋敷で、崇徳天皇と蹴鞠の縁というものを考えさせる。
明治天皇も蹴鞠を嗜んだ偉人の一人で、実は明治時代に東京遷都に合せ御所を遷座した際に蹴鞠の作法が関東では全く知られていない事に驚き、その普及に努めるとともに勅令を以て梅渓道善へ蹴球保存会を立ち上げさせると共に蹴鞠の飛鳥井流保存へ尽力しています。
蹴鞠奉納が毎年四月と七月に白峯神宮にて行われていますが、飛鳥井流蹴鞠がこの際に奉納されています。そして、蹴鞠の碑が境内に参拝者を迎え、鞠庭と樹齢実に800年という小賀玉の木が聳えています。飛鳥井流蹴鞠を長い樹齢の小賀玉の木が見守ったのでしょう。
来月21日には崇徳天皇祭としまして、薪能が奉納されます。しかし、気になるのは明日の2018 FIFAワールドカップ最終予選の豪州戦、落とさない由緒となれば、昨日の北朝鮮火星12弾道ミサイルを日本に落とさない、と考えつつ参拝へと赴かれては如何でしょうか。
北大路機関:はるな くらま
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)