■太平洋奇跡の作戦 キスカ
太平洋戦争中の日本海軍が実施したキスカ島撤収作戦を描いた映画“太平洋奇跡の作戦 キスカ”を今週、映画館で鑑賞してまいりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/77/b05c755d45d75930cc7f3a8eb714b11d.jpg)
太平洋奇跡の作戦 キスカ,丸山誠治監督が1965年に制作した東宝映画です。“キスカ”その名の通り1943年のキスカ島撤退を描いた作品で、実際にアリューシャン諸島に孤立した5200名の陸海軍部隊を帝国海軍第五艦隊が水上戦闘艦艇により救出した史実を元としており、今週末まで岐阜県岐阜市繁華街柳ヶ瀬の名画座“ロイヤル劇場”で公開されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/40/3b5c399ae6df28096e2b77b83512fa91.jpg)
1941年の真珠湾攻撃と共に戦端を切った日本はアメリカ太平洋艦隊の戦艦部隊主力を一挙に撃破、同時に香港シンガポールの南方地帯を一挙に攻略し、フィリピンからインドネシアまでを占領、海軍は空母6隻部隊を返す手でインド洋に進攻、イギリス海軍戦艦部隊主力をアフリカ沖に追いやると共に空母を捕捉撃沈、僅か半年で地球の一割を占領しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/9f/8fec68a4e52f08173b5eec6d1662a431.jpg)
日本軍のアリューシャン諸島攻略は、上記作戦と共にアメリカへ講和を突き付ける手段として、太平洋上の日付変更線に沿って太平洋の中央部ミッドウェー諸島、米豪遮断作戦としてオーストラリアとアメリカの中間に当たるソロモン諸島のラバウルやガダルカナル等へ同時進攻、アメリカを牽制すると共に航空母艦部隊を誘い出し撃滅する方針に出ます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/d3/32d031075f6a935e045685bf1cb4fa36.jpg)
しかし、赤城、加賀、蒼龍、飛龍の主力空母4隻を集めたミッドウェー作戦はアメリカ海軍空母部隊3隻の捕捉に失敗し、逆にミッドウェー島航空部隊との協同を受け日本は空母4隻を一度に失いました。すると、北米アリューシャン諸島のキスカ島とアッツ島を占領した日本軍部隊は逆に孤立する事となり、南方ソロモン諸島でも地獄の消耗戦が始りました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/e4/6d15e44f99734c40c7abb7ee74fad710.jpg)
太平洋奇跡の作戦 キスカ,作品はアメリカ海軍に包囲されたキスカ島から5200名の守備隊を救出する作戦を描きます。アリューシャン諸島では1943年3月に日本軍守備隊増援部隊輸送と、阻止に向かうアメリカ海軍との間でアッツ島沖海戦が起きます。日本の重巡洋艦那智と摩耶は優勢に戦闘を展開しつつ稚拙な指揮にて後退してしまい増援作戦は失敗する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/2c/bda2035e3e55d6fc1e38d97ea3585e23.jpg)
アッツ島はアッツ島沖海戦の結果増援部隊と物資を送れず1943年5月にトーマスキンケイド中将が戦艦3隻を中心とする攻略部隊を派遣し、11000名の米軍部隊と2600名の日本軍守備隊は弾薬火砲とも不足する状況で戦闘を展開し玉砕してしまいました。大本営では、このアッツ島玉砕を受けキスカ島放棄を決定しますが、このままでは守備隊は全員玉砕だ。
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帝国海軍第五艦隊は、千島樺太交換条約で日本領であった千島列島北端の幌筵基地からアリューシャン諸島への救出作戦の実施を大本営から許可されますが、問題は5200名の輸送方法です。一万t型輸送船が2隻あれば即座に収容できる規模ですが、アメリカ海軍は戦艦アイダホ、ミシシッピーの2隻を主力に巡洋艦と駆逐艦等30隻と航空部隊で包囲している。
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第一水雷戦隊は第五艦隊隷下で撤収作戦に当った部隊ですが、軽巡洋艦阿武隈、木曽、駆逐艦夕雲、風雲、秋雲、朝雲、薄雲、そして増援の第十一水雷戦隊駆逐艦島風、五月雨、長波、若葉、初霜、響、海防艦国後等の駆逐艦を掻き集めて実施されました。駆逐艦での輸送はソロモン方面での鼠輸送として悪名高いものの、高速艦以外対応不能との判断です。それにしても、護衛艦で聞き覚えのある艦名が多い。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/f2/e43bd5bc8afe86a02a9b58d148186777.jpg)
軽巡洋艦阿武隈乗艦の第一水雷戦隊司令木村昌福少将は、映画では大村少将と変更されていますが、映画で云われる通り海軍兵学校の劣等生、118人中107位で江田島を卒業しましたがミンドロ島沖夜戦等戦勝が多い名提督です。第三水雷戦隊司令として1943年3月のソロモン諸島ビスマルク海海戦で重傷を負い、療養後第一水雷戦隊司令に着任しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/f9/f61d87ea749db2ffd374488d11c2df89.jpg)
阿武隈、木曽、と5500t型軽巡洋艦を旗艦とする第一水雷戦隊、はるな型護衛艦と同規模の艦ですが、包囲するアメリカ海軍には基準排水量33600tの戦艦アイダホ等有力な部隊が居り、アリューシャン諸島には米軍航空部隊が戦闘機や爆撃機を展開させており、艦隊決戦では本土から基準排水量38000tの戦艦伊勢や戦艦日向でも展開させない限り勝てません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/1e/da229e90d2f520d771b6a2e54a269849.jpg)
アリューシャン諸島は濃霧が度々起こり、視程100mという艦橋から艦尾が霞むほどの濃霧が度々発生します、そこで木村少将は濃霧に紛れキスカ島撤収を決断します。当時アメリカ海軍艦艇にはレーダー搭載が基本でしたが、日本には駆逐艦島風等最新艦を除きレーダーはありません。しかし、島伝いに進み濃霧を利用すればレーダーエコーに隠れられる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/9a/2d6aa4022cdb56c0203208b6aeedecbf.jpg)
第五艦隊司令長官河瀬四郎中将は重巡洋艦那智と摩耶を護衛へ派遣する案を木村少将に提案しますが、那智と摩耶の護衛に割く駆逐艦が無い事を理由に固辞します。当時既にガダルカナル撤退とソロモン諸島の戦いで日本海軍の駆逐艦に余裕は無く、更に燃料不足も深刻であり、訓練も十分行えぬ状況下で気合いと海軍魂を掛け声に消耗を重ねていた頃です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/e9/d62322b422cf61801e05a6d659d414ff.jpg)
キスカ島は戦艦アイダホとミシシッピーはじめ30隻以上が包囲しているが、濃霧に紛れて救出する。この為、軽巡洋艦阿武隈と木曽はオマハ級軽巡洋艦やペンサコーラ級重巡洋艦と類似した艦容へ煙突を少なく見えるよう塗装し、駆逐艦へ偽装煙突を追加する等工夫を凝らし、霧中航行へ曳航式の浮標を各艦が装備し、視界皆無での艦隊行動に注力しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/db/9c70c5a44fb0338cbf6019261fbcc4c8.jpg)
作戦は一筋縄で進んだ訳ではありません。第一次作戦はキスカ湾を目前に濃霧が薄まり、後退しましたが、作戦に消極的であるとして全滅を賭して突入すべきだったとの批判が大本営や連合艦隊から集中します。それだけ燃料が逼迫していた訳です。第二次突入作戦の際、包囲のアメリカ艦隊がレーダーエコーを日本艦隊と誤認し三時間の砲撃を行いました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/4a/0295d15ec44818522e60ea5b2919d401.jpg)
太平洋奇跡の作戦と呼ばれる背景には、この三時間の砲撃でアメリカ艦隊は日本軍を撃退したと誤認し、弾薬補給のために一旦全艦近傍のアムチトカ島へ後退しており、第一水雷戦隊はこの間隙にキスカ島へ全兵員を救出出来た訳です。濃霧の中、警戒部隊との衝突事故や帰路にアメリカ潜水艦に発見される等ありましたが、撤収作戦は7月29日に完了する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/b4/217a840793ade263c7187433968d936e.jpg)
木村少将はこの作戦に濃霧の情報を確実に得るために、第5艦隊隷下の潜水艦をキスカ方面へ展開させ情報収集を行う等、最大限の努力を行った上で上記僥倖が奇跡の結果を生みました。8月15日にアメリカ軍はキンケイド中将指揮官にキスカ島上陸のコテージ作戦を実施、幻の日本軍を相手に誤射を繰り返し、数匹の犬以外島にいない事を知った訳です、故に南極物語・マリと子犬の物語、と並ぶ日本三大犬置き去り映画のひとつ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/85/5fbad9d3e7507ea7108f172745ba61f8.jpg)
映画太平洋奇跡の作戦 キスカ,元連合艦隊作戦参謀の千早正隆氏が著した“太平洋海戦最大の奇蹟”を原作とし、実際の撤退作戦へ参加した元海軍の近藤敏直氏が監修、霧の中を進む艦隊の様子を特技監督円谷英二氏が、映画音楽には團伊玖磨氏がキスカ交響曲を作曲、製作は田中友幸氏が当ります。史実より多少脚色や省略された部分嗚はありますが、作品の特撮と音楽は1965年公開から全く色褪せていません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/f1/ae48378ccd1b2dd0bdb27a1066e651db.jpg)
三船敏郎、山村聡、藤田進、志村喬、平田昭彦、土屋嘉男、佐藤允、久保明、西村晃、キャストは日本映画界を支えた錚々たる陣容で、山本廉、堺左千夫、二瓶正也、黒部進、日本映画界の盛上げ役も絢爛豪華ぶり、昨今のCG頼りの演出ではなく、演技力と自然さに間の取り方と併せ、光の微妙な加減やカット割から現実味とリアリティを醸し出す作品だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/ec/0cfa8ec2cf2d06888a28f63553a3bb48.jpg)
岐阜市ロイヤル劇場、東海道本線岐阜駅から中心部柳ヶ瀬へアーケードに沿って進むと高島屋があり、そこから劇場通り沿いに直ぐです。名画座ですが2005年までは新作を上映していたとの事です。特筆すべきは座席数298席という事で、大阪の名画座新世界東映の座席数98席や神戸のパルシネマの130席と比べても破格に大きい点が挙げられるでしょう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/85/5fbad9d3e7507ea7108f172745ba61f8.jpg)
終戦記念日の八月十五日には毎年、終戦記念の戦争映画特集を興業しており、連合艦隊、太平洋の嵐、日本のいちばん長い日、戦争と人間、等々も上映されています。500円均一で毎週異なる作品を上映していまして、特にこの時期は青春18きっぷ利用で岐阜へ行けば、大画面で往年の名作を愉しめる。太平洋奇跡の作戦 キスカは金曜日まで上映されています。
北大路機関:はるな くらま
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
太平洋戦争中の日本海軍が実施したキスカ島撤収作戦を描いた映画“太平洋奇跡の作戦 キスカ”を今週、映画館で鑑賞してまいりました。
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太平洋奇跡の作戦 キスカ,丸山誠治監督が1965年に制作した東宝映画です。“キスカ”その名の通り1943年のキスカ島撤退を描いた作品で、実際にアリューシャン諸島に孤立した5200名の陸海軍部隊を帝国海軍第五艦隊が水上戦闘艦艇により救出した史実を元としており、今週末まで岐阜県岐阜市繁華街柳ヶ瀬の名画座“ロイヤル劇場”で公開されています。
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1941年の真珠湾攻撃と共に戦端を切った日本はアメリカ太平洋艦隊の戦艦部隊主力を一挙に撃破、同時に香港シンガポールの南方地帯を一挙に攻略し、フィリピンからインドネシアまでを占領、海軍は空母6隻部隊を返す手でインド洋に進攻、イギリス海軍戦艦部隊主力をアフリカ沖に追いやると共に空母を捕捉撃沈、僅か半年で地球の一割を占領しました。
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日本軍のアリューシャン諸島攻略は、上記作戦と共にアメリカへ講和を突き付ける手段として、太平洋上の日付変更線に沿って太平洋の中央部ミッドウェー諸島、米豪遮断作戦としてオーストラリアとアメリカの中間に当たるソロモン諸島のラバウルやガダルカナル等へ同時進攻、アメリカを牽制すると共に航空母艦部隊を誘い出し撃滅する方針に出ます。
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しかし、赤城、加賀、蒼龍、飛龍の主力空母4隻を集めたミッドウェー作戦はアメリカ海軍空母部隊3隻の捕捉に失敗し、逆にミッドウェー島航空部隊との協同を受け日本は空母4隻を一度に失いました。すると、北米アリューシャン諸島のキスカ島とアッツ島を占領した日本軍部隊は逆に孤立する事となり、南方ソロモン諸島でも地獄の消耗戦が始りました。
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太平洋奇跡の作戦 キスカ,作品はアメリカ海軍に包囲されたキスカ島から5200名の守備隊を救出する作戦を描きます。アリューシャン諸島では1943年3月に日本軍守備隊増援部隊輸送と、阻止に向かうアメリカ海軍との間でアッツ島沖海戦が起きます。日本の重巡洋艦那智と摩耶は優勢に戦闘を展開しつつ稚拙な指揮にて後退してしまい増援作戦は失敗する。
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アッツ島はアッツ島沖海戦の結果増援部隊と物資を送れず1943年5月にトーマスキンケイド中将が戦艦3隻を中心とする攻略部隊を派遣し、11000名の米軍部隊と2600名の日本軍守備隊は弾薬火砲とも不足する状況で戦闘を展開し玉砕してしまいました。大本営では、このアッツ島玉砕を受けキスカ島放棄を決定しますが、このままでは守備隊は全員玉砕だ。
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帝国海軍第五艦隊は、千島樺太交換条約で日本領であった千島列島北端の幌筵基地からアリューシャン諸島への救出作戦の実施を大本営から許可されますが、問題は5200名の輸送方法です。一万t型輸送船が2隻あれば即座に収容できる規模ですが、アメリカ海軍は戦艦アイダホ、ミシシッピーの2隻を主力に巡洋艦と駆逐艦等30隻と航空部隊で包囲している。
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第一水雷戦隊は第五艦隊隷下で撤収作戦に当った部隊ですが、軽巡洋艦阿武隈、木曽、駆逐艦夕雲、風雲、秋雲、朝雲、薄雲、そして増援の第十一水雷戦隊駆逐艦島風、五月雨、長波、若葉、初霜、響、海防艦国後等の駆逐艦を掻き集めて実施されました。駆逐艦での輸送はソロモン方面での鼠輸送として悪名高いものの、高速艦以外対応不能との判断です。それにしても、護衛艦で聞き覚えのある艦名が多い。
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軽巡洋艦阿武隈乗艦の第一水雷戦隊司令木村昌福少将は、映画では大村少将と変更されていますが、映画で云われる通り海軍兵学校の劣等生、118人中107位で江田島を卒業しましたがミンドロ島沖夜戦等戦勝が多い名提督です。第三水雷戦隊司令として1943年3月のソロモン諸島ビスマルク海海戦で重傷を負い、療養後第一水雷戦隊司令に着任しました。
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阿武隈、木曽、と5500t型軽巡洋艦を旗艦とする第一水雷戦隊、はるな型護衛艦と同規模の艦ですが、包囲するアメリカ海軍には基準排水量33600tの戦艦アイダホ等有力な部隊が居り、アリューシャン諸島には米軍航空部隊が戦闘機や爆撃機を展開させており、艦隊決戦では本土から基準排水量38000tの戦艦伊勢や戦艦日向でも展開させない限り勝てません。
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アリューシャン諸島は濃霧が度々起こり、視程100mという艦橋から艦尾が霞むほどの濃霧が度々発生します、そこで木村少将は濃霧に紛れキスカ島撤収を決断します。当時アメリカ海軍艦艇にはレーダー搭載が基本でしたが、日本には駆逐艦島風等最新艦を除きレーダーはありません。しかし、島伝いに進み濃霧を利用すればレーダーエコーに隠れられる。
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第五艦隊司令長官河瀬四郎中将は重巡洋艦那智と摩耶を護衛へ派遣する案を木村少将に提案しますが、那智と摩耶の護衛に割く駆逐艦が無い事を理由に固辞します。当時既にガダルカナル撤退とソロモン諸島の戦いで日本海軍の駆逐艦に余裕は無く、更に燃料不足も深刻であり、訓練も十分行えぬ状況下で気合いと海軍魂を掛け声に消耗を重ねていた頃です。
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キスカ島は戦艦アイダホとミシシッピーはじめ30隻以上が包囲しているが、濃霧に紛れて救出する。この為、軽巡洋艦阿武隈と木曽はオマハ級軽巡洋艦やペンサコーラ級重巡洋艦と類似した艦容へ煙突を少なく見えるよう塗装し、駆逐艦へ偽装煙突を追加する等工夫を凝らし、霧中航行へ曳航式の浮標を各艦が装備し、視界皆無での艦隊行動に注力しました。
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作戦は一筋縄で進んだ訳ではありません。第一次作戦はキスカ湾を目前に濃霧が薄まり、後退しましたが、作戦に消極的であるとして全滅を賭して突入すべきだったとの批判が大本営や連合艦隊から集中します。それだけ燃料が逼迫していた訳です。第二次突入作戦の際、包囲のアメリカ艦隊がレーダーエコーを日本艦隊と誤認し三時間の砲撃を行いました。
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太平洋奇跡の作戦と呼ばれる背景には、この三時間の砲撃でアメリカ艦隊は日本軍を撃退したと誤認し、弾薬補給のために一旦全艦近傍のアムチトカ島へ後退しており、第一水雷戦隊はこの間隙にキスカ島へ全兵員を救出出来た訳です。濃霧の中、警戒部隊との衝突事故や帰路にアメリカ潜水艦に発見される等ありましたが、撤収作戦は7月29日に完了する。
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木村少将はこの作戦に濃霧の情報を確実に得るために、第5艦隊隷下の潜水艦をキスカ方面へ展開させ情報収集を行う等、最大限の努力を行った上で上記僥倖が奇跡の結果を生みました。8月15日にアメリカ軍はキンケイド中将指揮官にキスカ島上陸のコテージ作戦を実施、幻の日本軍を相手に誤射を繰り返し、数匹の犬以外島にいない事を知った訳です、故に南極物語・マリと子犬の物語、と並ぶ日本三大犬置き去り映画のひとつ。
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映画太平洋奇跡の作戦 キスカ,元連合艦隊作戦参謀の千早正隆氏が著した“太平洋海戦最大の奇蹟”を原作とし、実際の撤退作戦へ参加した元海軍の近藤敏直氏が監修、霧の中を進む艦隊の様子を特技監督円谷英二氏が、映画音楽には團伊玖磨氏がキスカ交響曲を作曲、製作は田中友幸氏が当ります。史実より多少脚色や省略された部分嗚はありますが、作品の特撮と音楽は1965年公開から全く色褪せていません。
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三船敏郎、山村聡、藤田進、志村喬、平田昭彦、土屋嘉男、佐藤允、久保明、西村晃、キャストは日本映画界を支えた錚々たる陣容で、山本廉、堺左千夫、二瓶正也、黒部進、日本映画界の盛上げ役も絢爛豪華ぶり、昨今のCG頼りの演出ではなく、演技力と自然さに間の取り方と併せ、光の微妙な加減やカット割から現実味とリアリティを醸し出す作品だ。
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岐阜市ロイヤル劇場、東海道本線岐阜駅から中心部柳ヶ瀬へアーケードに沿って進むと高島屋があり、そこから劇場通り沿いに直ぐです。名画座ですが2005年までは新作を上映していたとの事です。特筆すべきは座席数298席という事で、大阪の名画座新世界東映の座席数98席や神戸のパルシネマの130席と比べても破格に大きい点が挙げられるでしょう。
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終戦記念日の八月十五日には毎年、終戦記念の戦争映画特集を興業しており、連合艦隊、太平洋の嵐、日本のいちばん長い日、戦争と人間、等々も上映されています。500円均一で毎週異なる作品を上映していまして、特にこの時期は青春18きっぷ利用で岐阜へ行けば、大画面で往年の名作を愉しめる。太平洋奇跡の作戦 キスカは金曜日まで上映されています。
北大路機関:はるな くらま
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