北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【京都幕間旅情】祇園祭二〇一七,後祭の宵山は京都市内の熱夜に浮かぶ山鉾の情景を愉しむ

2017-08-02 20:23:48 | 写真
■祇園祭後祭宵山情景紀行
 祇園祭後祭宵山情景紀行、熱波と湿気の不快さえも愉しむ夜の情景、一週間遅れとなりましたが紹介しましょう。

 祇園祭、山鉾巡行が先祭と後祭へと別れまして、一週間の中休みを置く構図となりましたが、賛否両論があるようです。賛否両論と云いますと当方の視点を示す事になりますが、ちょっと複雑です、やはり一度の山鉾巡行で全ての山鉾を見る事が出来た時代が懐かしい。

 宵山が先祭と後祭へ分かれていますので、多忙な時期と宵山が重なってしまった場合でも、一週間間を置くので先祭と後祭のどちらかを散策できる、という視点ではいいのかもしれません、しかし、半分づつ山鉾巡行というのでは迫力も半分づつになってしまうのですね。

 超広角レンズ、同行の友人で法理論とPC関連で幾度もお世話になっている友人が今回の撮影に投入していまして、ちょっと羨ましくなりました。CANONユーザーとしてはEF-M11-22mm F4-5.6 IS STMか一眼レフ用EF-S10-18mm F4.5-5.6 IS STMレンズ、世界観と表現力が一新するレンズが急に欲しくなります。

 熱い京の夜、暑いではなく熱いのです。厚いという理由もあるのかもしれません。京都盆地に滞留した真夏の加熱された湿気が辻道に更に積層して、ここに宵山へ集う熱気が厚く蒸気機関の内部のように高熱が蒸留される。散策と共にどんどん汗が流れ出てゆきました。

 山鉾巡行、先祭と後祭へ分ける事への賛成の意見では、従来の32もの山鉾が巡行する様子は四条通の観覧席で視ていますと、丸々半日、山鉾を見続けるということで疲れてしまう、という意見があったようです。実際、有料観覧席は後半になると空席が目立った、と。

 鱧や鰻を美味に頂くにはそれくらいの暑い山鉾巡行を熱く眺めてこそではないのか、と思うのですが、もしかして当方も五十年も経てば体力的に厳しい、と思うようになってしまうのか、そう十年前に思ったのですが、あれから十年、まだまだ体力は一日充分続きます。

 大船鉾は完成していますね、神功皇后が三韓征伐として百済に任那加羅と新羅、朝鮮半島を攻めた故事を描く山鉾です。鯉山は中国の故事に因み、山の険しい川を上る鯉は登竜門へと至り、山を乗り越える事で龍となる、その登竜門を越えた瞬間を再現した山鉾というもの、完成している。

 祇園祭山鉾巡行を〇〇一日、愉しむほど時間を捻出でき無かった時代には、半休で正午過ぎにちょっとだけ阪急へ飛ばし、半休に阪急という力技で阪急烏丸を烏丸御池まで一走りしたならば、山鉾巡行を正午過ぎでも少しだけ眺める事が出来たのですよ、祭りに浸れた。

 先祭と後祭へ分かれてしまいますと、これは当然ながら山鉾巡行の一回当たりの巡行の時間も短縮されてしまいますので、正午過ぎにタクシーを飛ばして地下鉄経由で御池通りに飛び込んでも、悲しいかなすべては文字通り後の祭り、先祭と後祭共に後の祭りなのです。

 京都三大祭であり、日本三大祭りである祇園祭、もちろん、祇園祭は山鉾巡行が一番の盛り上がりであると共に、祭事そのものは一か月間にわたり続くものなのですから、山鉾巡行以外にも、神幸祭や環幸祭の御輿熱気に浸るも祇園祭なのですが、やはり頂点がみたい。

 北観音山は1353年の創建という歴史を誇り、楊柳観音像と韋駄天立像を安置する山鉾です。南観音山、は善財童子が南を南へと53の聖者を訪ね菩薩道修業をした華厳経の説話を再現する楊柳観音像を報じた山鉾です。鉾建から数日間なのですが絢爛豪華とはこの事ですね。

 後祭宵山、しかし気付かされるのは鈴鹿山はじめ、かつての祇園祭ほど、また先祭ほど規模も大きくありませんので、一時間少々で全て廻れるところでしょうか、また、先祭と違い四条通交通規制も出店も出ず無茶苦茶な雑踏もないのです。先祭と後祭へ分ける是非、長い目で散策したいです。

北大路機関:はるな くらま
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