■鎮魂:8.15/終戦記念日
本日は終戦記念日です、戦火と戦禍に倒れた世界の戦没者全ての冥福を祈りましょう。
本日八月十五日は第二次世界大戦、太平洋戦争が終わった日です。1941年12月8日の真珠湾攻撃にて戦端を開いた我が国とアメリカの全面衝突は1937年の盧溝橋事件より続く日中戦争、アメリカと共に戦端を開いたイギリスオランダとの戦争を経て1945年8月15日、日本は連合国に対し敗戦と停戦の条件である連合国ポツダム宣言の受諾を宣言しました。
戦死者、実に350万、太平洋戦争と日中戦争を併せればこの数字です。五年間の太平洋とアジア地域での戦闘により戦死者と文民被害を含め我が国だけで350万もの人命が失われていますが、350万という数字は途方もない数である事に気付かされるでしょう。3.11東日本大震災犠牲者でも犠牲者15893名と行方不明者2553名の合計18446名です。即ち単純計算ではありますが東日本大震災の190倍です。これほどの人命、考えさせられるという一言ではすまない。
太平洋戦争での戦死者犠牲者の数が驚くべき点は、あの東日本大震災と同じ犠牲者が毎週一回、開戦から終戦まで継続的に生じた場合に等しい。想像力を必要とする規模の戦死者と犠牲者ですが、世界が連合国と枢軸国に分かれ文字通りの世界大戦を展開し、世界全体の死者数は更に多く、独ソ戦にて激戦を繰り広げたソ連などは2660万もの死者がでました。
第二次世界大戦と共に人類の英知は国際連合という形での一つの国際公序の方向性を示す国際機構を諸国民諸政府の賛同と参画を以て実現し、その役割と位置づけへは国際公序と世界秩序という二つの同床異夢により紆余曲折を経つつ、少なくとも第二次世界大戦に続く第三次世界大戦の勃発だけは回避し、多々問題を抱えつつ、その世界を維持させている。
350万という膨大な人命を喪失した我が国は、敗戦と共に連合国占領下に置かれ、その後に戦争放棄を祈念した平和憲法を制定し、憲法上の軍事力を放棄し、憲法上平和国家として今日まで繁栄を謳歌しています。ただ、昨今の国際情勢の激変、北朝鮮核開発と弾道ミサイル実験の強化や我が国南西諸島への軍事圧力の増大という情勢には不安を禁じ得ません。
東西冷戦構造が第二次世界大戦の終戦とともに醸成され、その後の朝鮮戦争に伴う我が国への波及の危機やキューバミサイル危機に伴う全面核戦争の危機等、戦後世界史を俯瞰すれば幾つかの危惧すべき情勢が並ぶことは事実です。しかしそれを踏まえつつ、上掲の我が国周辺情勢の他、中国海洋進出、東欧ウクライナ危機等、風雲急との印象が拭えません。すると、不戦と平和の未来を考える場合、不戦はそのまま平和に直結するのかという疑問に当たるでしょう。
不戦の誓いという表現で我が国は国家の自然権としての自衛権さえも一部自制する形で防衛政策を展開してきました。専守防衛政策はその具現化というものですが、昨今強く認識させられるのは専守防衛とは世界平和への協力を放棄し、国家の試算である軍事力をも国際協力へ投じる事を回避するという施策ですが、これでは次の戦争を回避する事は難しい。
専守防衛という施策についても、世界中がこれを国際好悪として実行しなければ地域の軍事不均衡の要因として逆に戦争を誘発しかねません。終戦記念日という事で凄惨な沖縄戦等、国土を戦場として戦う施策の難しさを突き付けている最中、敢えて次の戦争も発生まで戦争回避の手段を制限し、しかも開戦即本土決戦として、同胞国民が暮らす国土を戦場と化すまで必要な手段を行わないという、一種平和主義が目的ではなく戦争に続くとも平和を手段としている。
正しいと思う施策とは、難しいものです。先の大戦が全ての陣営参戦国に個々の正義を突き付け、結果拡大しましたが、同時にその戦争を経て国際公序を示す基幹として国連という機構に世界は到達しました。この国連が討議し国際公序の将来性を示す今のところ唯一の正統性と正当性を有する国際機構であり、その施策をもう少し平和国家日本が支援できる施策へ、一国平和主義から世界平和主義へ、転換しなければ次の戦争を防ぐことは難しいのではないか、と考えてしまいます。
北大路機関:はるな くらま
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
本日は終戦記念日です、戦火と戦禍に倒れた世界の戦没者全ての冥福を祈りましょう。
本日八月十五日は第二次世界大戦、太平洋戦争が終わった日です。1941年12月8日の真珠湾攻撃にて戦端を開いた我が国とアメリカの全面衝突は1937年の盧溝橋事件より続く日中戦争、アメリカと共に戦端を開いたイギリスオランダとの戦争を経て1945年8月15日、日本は連合国に対し敗戦と停戦の条件である連合国ポツダム宣言の受諾を宣言しました。
戦死者、実に350万、太平洋戦争と日中戦争を併せればこの数字です。五年間の太平洋とアジア地域での戦闘により戦死者と文民被害を含め我が国だけで350万もの人命が失われていますが、350万という数字は途方もない数である事に気付かされるでしょう。3.11東日本大震災犠牲者でも犠牲者15893名と行方不明者2553名の合計18446名です。即ち単純計算ではありますが東日本大震災の190倍です。これほどの人命、考えさせられるという一言ではすまない。
太平洋戦争での戦死者犠牲者の数が驚くべき点は、あの東日本大震災と同じ犠牲者が毎週一回、開戦から終戦まで継続的に生じた場合に等しい。想像力を必要とする規模の戦死者と犠牲者ですが、世界が連合国と枢軸国に分かれ文字通りの世界大戦を展開し、世界全体の死者数は更に多く、独ソ戦にて激戦を繰り広げたソ連などは2660万もの死者がでました。
第二次世界大戦と共に人類の英知は国際連合という形での一つの国際公序の方向性を示す国際機構を諸国民諸政府の賛同と参画を以て実現し、その役割と位置づけへは国際公序と世界秩序という二つの同床異夢により紆余曲折を経つつ、少なくとも第二次世界大戦に続く第三次世界大戦の勃発だけは回避し、多々問題を抱えつつ、その世界を維持させている。
350万という膨大な人命を喪失した我が国は、敗戦と共に連合国占領下に置かれ、その後に戦争放棄を祈念した平和憲法を制定し、憲法上の軍事力を放棄し、憲法上平和国家として今日まで繁栄を謳歌しています。ただ、昨今の国際情勢の激変、北朝鮮核開発と弾道ミサイル実験の強化や我が国南西諸島への軍事圧力の増大という情勢には不安を禁じ得ません。
東西冷戦構造が第二次世界大戦の終戦とともに醸成され、その後の朝鮮戦争に伴う我が国への波及の危機やキューバミサイル危機に伴う全面核戦争の危機等、戦後世界史を俯瞰すれば幾つかの危惧すべき情勢が並ぶことは事実です。しかしそれを踏まえつつ、上掲の我が国周辺情勢の他、中国海洋進出、東欧ウクライナ危機等、風雲急との印象が拭えません。すると、不戦と平和の未来を考える場合、不戦はそのまま平和に直結するのかという疑問に当たるでしょう。
不戦の誓いという表現で我が国は国家の自然権としての自衛権さえも一部自制する形で防衛政策を展開してきました。専守防衛政策はその具現化というものですが、昨今強く認識させられるのは専守防衛とは世界平和への協力を放棄し、国家の試算である軍事力をも国際協力へ投じる事を回避するという施策ですが、これでは次の戦争を回避する事は難しい。
専守防衛という施策についても、世界中がこれを国際好悪として実行しなければ地域の軍事不均衡の要因として逆に戦争を誘発しかねません。終戦記念日という事で凄惨な沖縄戦等、国土を戦場として戦う施策の難しさを突き付けている最中、敢えて次の戦争も発生まで戦争回避の手段を制限し、しかも開戦即本土決戦として、同胞国民が暮らす国土を戦場と化すまで必要な手段を行わないという、一種平和主義が目的ではなく戦争に続くとも平和を手段としている。
正しいと思う施策とは、難しいものです。先の大戦が全ての陣営参戦国に個々の正義を突き付け、結果拡大しましたが、同時にその戦争を経て国際公序を示す基幹として国連という機構に世界は到達しました。この国連が討議し国際公序の将来性を示す今のところ唯一の正統性と正当性を有する国際機構であり、その施策をもう少し平和国家日本が支援できる施策へ、一国平和主義から世界平和主義へ、転換しなければ次の戦争を防ぐことは難しいのではないか、と考えてしまいます。
北大路機関:はるな くらま
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