■新特集【土曜詳報】嘉手納基地
米軍基地特集、沖縄嘉手納基地の日常風景を今回から新特集としまして掲載してゆく事としましょう。
写真特集嘉手納基地二〇一一、土曜詳報という新企画の掲載です。土曜詳報、日曜特集とは異なる、日曜特集が24枚編集の記事ですが、土曜詳報は隔週で12枚編集の構成にて紹介してゆきます。G7X撮影速報、速報記事後に音沙汰なしの記事を少しでもお伝えしたい。
自衛隊行事紹介として枚数が大きくなる記事は日曜特集にて今後も継続しまして、土曜詳報は並行して掲載できる内容を厳選して、と。記事作成猶予次第では例えば日曜特集並の24枚編集の記事、若しくは解説文章をword文書1枚分に抑え写真中心の記事も検討です。
嘉手納基地二〇一一、この2011年は東日本大震災が発災しました年度でして、写真は那覇基地航空祭2011の翌日に撮影したものです。この時期は南西諸島の緊張が徐々に看過できない度合いになりつつ、北朝鮮長距離ミサイル実験が本格化する前夜という過渡期でした。
沖縄は、といえば当時は自民党から政権交代を実現した民主党による沖縄基地問題の再燃に伴う混迷、普天間基地移設問題の二転三転と民主党鳩山内閣の崩壊、菅内閣時代に東日本大震災復興計画が手続きだけに右往左往し政治学上の無責任状態となっていた頃ですね。
普天間飛行場移設問題は、鳩山内閣が当初国外か県外という政権公約と共に政権交代を実現させたものの、朝鮮半島や台湾へ移設の目途は立たず、グアムには用地も無ければ立体作戦を重視する海兵地上戦闘部隊との連携維持と移設の両立も目処が立たない状況でした。
名護市辺野古のキャンプシュワブを拡張し滑走路を埋め立て増設するという決定、自民党時代の施策を踏襲する形で民主党政権時代に再決定した混乱が残る当時の沖縄です。こうした中で、嘉手納基地は極東最大規模のアメリカ空軍基地でもあり、個人的関心度は高い。
南西諸島緊張の増大は、実は中国の尖閣諸島領有宣言の後に施政権行使に関する国内法整備を行い、対抗し当時の民主党政権は尖閣諸島国有化という対抗措置を実施、これを受けその直後から沖縄方面への中国公船領海侵犯が常態化する、緊張が始まる直前というころ。
尖閣諸島領空侵犯事案、中国機による初の領空侵犯事案は、実はこの嘉手納基地を撮影した翌日に発生しまして、当方はその一方を那覇空港、那覇基地と隣接する空港ターミナルで知りました。中国機の侵犯は軍用機ではなく法執行機関機による低空侵入にて発生した。
E-2C早期警戒機、航空自衛隊の対応は非常に速く、三沢基地のE-2C早期警戒機を分遣隊の方式で那覇基地へ常駐させ、常時低空侵入への空中警戒態勢を維持、これは那覇基地へE-2Cを装備する第603飛行隊の新編、早期警戒機増勢という現在の防衛政策へ続いて行く。
北朝鮮ミサイル実験、アメリカ本土を射程に収める大陸間弾道弾を平和目的のロケット実験と詐称し沖縄方面へ断続的に発射する緊張は翌年に本格化します。ミサイルを朝鮮半島から東方へ撃てば東北上空通過、北方に撃てばロシアを刺激、西へ撃てば中国着弾、と。
緊張前夜の沖縄、その沖縄では北朝鮮の核開発と中国の太平洋進出を前に、日本が戦前程の覚悟を持たなければ独力で国防と地域安定を維持する事は難しくなる時代です。一方、古い機体も、当時はお隣普天間ではまだMV-22配備前、CH-46が現役という時代でした。
F-15Cは現在まだF-35Aへ転換していませんが、C-9医療輸送機がここ嘉手納に前方展開していまして、DC-10やKC-10という三発機も普通に発着しているという情景、2011年は今年2019年、間もなく迎える2020年代を前に懐古する嘉手納基地、という情景です。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
米軍基地特集、沖縄嘉手納基地の日常風景を今回から新特集としまして掲載してゆく事としましょう。
写真特集嘉手納基地二〇一一、土曜詳報という新企画の掲載です。土曜詳報、日曜特集とは異なる、日曜特集が24枚編集の記事ですが、土曜詳報は隔週で12枚編集の構成にて紹介してゆきます。G7X撮影速報、速報記事後に音沙汰なしの記事を少しでもお伝えしたい。
自衛隊行事紹介として枚数が大きくなる記事は日曜特集にて今後も継続しまして、土曜詳報は並行して掲載できる内容を厳選して、と。記事作成猶予次第では例えば日曜特集並の24枚編集の記事、若しくは解説文章をword文書1枚分に抑え写真中心の記事も検討です。
嘉手納基地二〇一一、この2011年は東日本大震災が発災しました年度でして、写真は那覇基地航空祭2011の翌日に撮影したものです。この時期は南西諸島の緊張が徐々に看過できない度合いになりつつ、北朝鮮長距離ミサイル実験が本格化する前夜という過渡期でした。
沖縄は、といえば当時は自民党から政権交代を実現した民主党による沖縄基地問題の再燃に伴う混迷、普天間基地移設問題の二転三転と民主党鳩山内閣の崩壊、菅内閣時代に東日本大震災復興計画が手続きだけに右往左往し政治学上の無責任状態となっていた頃ですね。
普天間飛行場移設問題は、鳩山内閣が当初国外か県外という政権公約と共に政権交代を実現させたものの、朝鮮半島や台湾へ移設の目途は立たず、グアムには用地も無ければ立体作戦を重視する海兵地上戦闘部隊との連携維持と移設の両立も目処が立たない状況でした。
名護市辺野古のキャンプシュワブを拡張し滑走路を埋め立て増設するという決定、自民党時代の施策を踏襲する形で民主党政権時代に再決定した混乱が残る当時の沖縄です。こうした中で、嘉手納基地は極東最大規模のアメリカ空軍基地でもあり、個人的関心度は高い。
南西諸島緊張の増大は、実は中国の尖閣諸島領有宣言の後に施政権行使に関する国内法整備を行い、対抗し当時の民主党政権は尖閣諸島国有化という対抗措置を実施、これを受けその直後から沖縄方面への中国公船領海侵犯が常態化する、緊張が始まる直前というころ。
尖閣諸島領空侵犯事案、中国機による初の領空侵犯事案は、実はこの嘉手納基地を撮影した翌日に発生しまして、当方はその一方を那覇空港、那覇基地と隣接する空港ターミナルで知りました。中国機の侵犯は軍用機ではなく法執行機関機による低空侵入にて発生した。
E-2C早期警戒機、航空自衛隊の対応は非常に速く、三沢基地のE-2C早期警戒機を分遣隊の方式で那覇基地へ常駐させ、常時低空侵入への空中警戒態勢を維持、これは那覇基地へE-2Cを装備する第603飛行隊の新編、早期警戒機増勢という現在の防衛政策へ続いて行く。
北朝鮮ミサイル実験、アメリカ本土を射程に収める大陸間弾道弾を平和目的のロケット実験と詐称し沖縄方面へ断続的に発射する緊張は翌年に本格化します。ミサイルを朝鮮半島から東方へ撃てば東北上空通過、北方に撃てばロシアを刺激、西へ撃てば中国着弾、と。
緊張前夜の沖縄、その沖縄では北朝鮮の核開発と中国の太平洋進出を前に、日本が戦前程の覚悟を持たなければ独力で国防と地域安定を維持する事は難しくなる時代です。一方、古い機体も、当時はお隣普天間ではまだMV-22配備前、CH-46が現役という時代でした。
F-15Cは現在まだF-35Aへ転換していませんが、C-9医療輸送機がここ嘉手納に前方展開していまして、DC-10やKC-10という三発機も普通に発着しているという情景、2011年は今年2019年、間もなく迎える2020年代を前に懐古する嘉手納基地、という情景です。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
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