■覚雄山大福田宝幢禅寺鹿王院
京都と一言でいうものですがなにしろ洛中洛外の風情と長い歴史故に少し歩けば風景は変わります、これが散策の醍醐味ですが、そして風景とともに天気も移ろう。
雪舞う京都、とは詩的な響きですが、傘持っていない時の雪は中々に難儀します。思い立ったら鹿王院、というのではなく所用在った際の雪に見舞われた今日の寄り道、という振る舞いにて拝観したのですが、鹿王院、実に深い歴史と趣き深いひとときとなりました。
鹿王院、右京区嵯峨北堀町に所在する塔頭寺院です。嵐電の釣掛車に揺られて嵐山へ向かうところで鹿王院駅という駅がありまして名前だけは良く聞くのですが。嵐電鹿王院駅、此処から鹿王院は敷地が隣接しているのですが山門は南へ数分程隔てた立地にあります。
覚雄山大福田宝幢禅寺鹿王院、この鹿王院は宝幢禅寺の塔頭寺院として造営されました。覚雄山と山門には大書されていまして、その借景に愛宕と高雄の峰々が。静寂と佇む鹿王院は足利将軍足利義満が開基となり春屋妙葩を開山へ造営された歴史を有する長大なもの。
庫裏から庭園へ。前庭から進むと拝観謝絶の寺院の方が実は遥かに多いのですが鹿王院、一見山門の格子が刹那立ち入りを考えさせるのですが、庭師の方が拝観できますよと誘われ、庫裏に至る。成程静かな中に時折電車の響き。拝観は木鐘衝いて呼び鈴替わりという。
京都嵐山といえば名所旧跡が集まるところ、此処鹿王院も実は嵐山まで徒歩十分ほどの立地に在ります。しかし、当方実はここを天龍寺の塔頭寺院と思っていまして、今回改めて宝幢禅寺鹿王院、宝幢禅寺の塔頭寺院である事を知る構図、まだまだ知らない事ばかりだ。
愛宕と高雄の峰々に愛宕権現を遥拝するこの地へ鹿王院の建立は康暦元年の1379年まで遡る事が出来、はじまりは足利義満の夢枕に釈迦如来が立ち、大病の病魔が忍ぶ故に寿命は幾ばくも無い、しかし一伽藍を建立し行いを改めれば延命できるとのお告げを受けたゆえ。
衣笠の峰は鹿王院から東方へ望みますが、金閣寺の建立で知られる足利義満は多くの寺院を造営していまして、この鹿王院を含む興聖禅寺宝幢寺もその一つという。前庭を経て式台に庫裏と至りますと、気付かされるのは嵐電の響きのみ、実に拝観者が少ないのですね。
開山堂と尊称する本堂は延宝年間の1676年建立、桟瓦葺きの屋根に方三間幸三という正面側面とも柱間が三単位の寄棟造となっていまして、本尊釈迦如来坐像を奉じています。そしてここが開山春屋妙葩の塔所、春屋妙葩像と足利義満像に虎岑和尚像を安置しています。
枯山水の庭園は開山当初の物ではなく江戸時代中期のものという。嵐山の喧騒はしかし鹿王院まで僅か数分を隔てて届かず、静寂は万金の至宝というべきでしょうか。陽射しがあればほの温かい冬日和庭園思案、と時間を過ごしたかったのですが寒さもあり中々厳しい。
客殿には白洲と枯山水が美しく静かに広がり、舎利殿が佇みます。ここ客殿は鹿王院と大書した足利義満筆の扁額が掲げられ、少し雪の混じる風景にある種の温かみを添えています。そして枯山水の奥は舎利殿へ回廊が恰も回遊式庭園の外縁が如く延びているのですね。
宝幢禅寺の塔頭寺院という鹿王院、しかし残念ながら宝幢禅寺は現存していません。いや実は宝幢禅寺という名は洛中にも残るのですが全く由来を異にする寺院であり、足利義満造営の宝幢禅寺は1379年の建立から百年を経ずして、応仁の乱の兵火に崩れてしまいます。
京都十刹として至徳年間の1386年には臨済宗寺格では高い位置づけとなっていました宝幢禅寺ですが、応仁の乱を経て廃寺に。総門だけは南北朝時代の造営であると、その本瓦葺切妻造から考えられているのですが、本堂は延宝年間の1676年に造営されているという。
徳川四天王酒井忠次、江戸時代に鹿王院が大きく広げられた背景には1596年に京都桜井屋敷にてこの世を去った徳川家康腹心の遺功があったといい、その子酒井忠知により本堂は再建、舎利殿は江戸中期宝暦年間の1763年に造営されています。舎利殿については特に。
駄都殿とも称される宝形造の舎利殿は、庭園と共に内部が公開されています。舎利殿には仏舎利を奉じた多宝塔が安置されていまして、重要文化財に指定されています絹本著色夢窓国師像や絹本著色釈迦三尊及三十祖像、夢窓疎石墨蹟も撮影禁止ながら、拝観ができる。
鹿王院庭園は京都市指定名勝となっていますが、この日の拝観者は当方一行のみ、嵐山の天龍寺も指呼の距離にありますが、観光地の喧騒に疲れた際には清涼剤の如く塔頭寺院の拝観は如何でしょう。寒くはあったのですけれども、静かに歴史と語らう事が出来ました。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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京都と一言でいうものですがなにしろ洛中洛外の風情と長い歴史故に少し歩けば風景は変わります、これが散策の醍醐味ですが、そして風景とともに天気も移ろう。
雪舞う京都、とは詩的な響きですが、傘持っていない時の雪は中々に難儀します。思い立ったら鹿王院、というのではなく所用在った際の雪に見舞われた今日の寄り道、という振る舞いにて拝観したのですが、鹿王院、実に深い歴史と趣き深いひとときとなりました。
鹿王院、右京区嵯峨北堀町に所在する塔頭寺院です。嵐電の釣掛車に揺られて嵐山へ向かうところで鹿王院駅という駅がありまして名前だけは良く聞くのですが。嵐電鹿王院駅、此処から鹿王院は敷地が隣接しているのですが山門は南へ数分程隔てた立地にあります。
覚雄山大福田宝幢禅寺鹿王院、この鹿王院は宝幢禅寺の塔頭寺院として造営されました。覚雄山と山門には大書されていまして、その借景に愛宕と高雄の峰々が。静寂と佇む鹿王院は足利将軍足利義満が開基となり春屋妙葩を開山へ造営された歴史を有する長大なもの。
庫裏から庭園へ。前庭から進むと拝観謝絶の寺院の方が実は遥かに多いのですが鹿王院、一見山門の格子が刹那立ち入りを考えさせるのですが、庭師の方が拝観できますよと誘われ、庫裏に至る。成程静かな中に時折電車の響き。拝観は木鐘衝いて呼び鈴替わりという。
京都嵐山といえば名所旧跡が集まるところ、此処鹿王院も実は嵐山まで徒歩十分ほどの立地に在ります。しかし、当方実はここを天龍寺の塔頭寺院と思っていまして、今回改めて宝幢禅寺鹿王院、宝幢禅寺の塔頭寺院である事を知る構図、まだまだ知らない事ばかりだ。
愛宕と高雄の峰々に愛宕権現を遥拝するこの地へ鹿王院の建立は康暦元年の1379年まで遡る事が出来、はじまりは足利義満の夢枕に釈迦如来が立ち、大病の病魔が忍ぶ故に寿命は幾ばくも無い、しかし一伽藍を建立し行いを改めれば延命できるとのお告げを受けたゆえ。
衣笠の峰は鹿王院から東方へ望みますが、金閣寺の建立で知られる足利義満は多くの寺院を造営していまして、この鹿王院を含む興聖禅寺宝幢寺もその一つという。前庭を経て式台に庫裏と至りますと、気付かされるのは嵐電の響きのみ、実に拝観者が少ないのですね。
開山堂と尊称する本堂は延宝年間の1676年建立、桟瓦葺きの屋根に方三間幸三という正面側面とも柱間が三単位の寄棟造となっていまして、本尊釈迦如来坐像を奉じています。そしてここが開山春屋妙葩の塔所、春屋妙葩像と足利義満像に虎岑和尚像を安置しています。
枯山水の庭園は開山当初の物ではなく江戸時代中期のものという。嵐山の喧騒はしかし鹿王院まで僅か数分を隔てて届かず、静寂は万金の至宝というべきでしょうか。陽射しがあればほの温かい冬日和庭園思案、と時間を過ごしたかったのですが寒さもあり中々厳しい。
客殿には白洲と枯山水が美しく静かに広がり、舎利殿が佇みます。ここ客殿は鹿王院と大書した足利義満筆の扁額が掲げられ、少し雪の混じる風景にある種の温かみを添えています。そして枯山水の奥は舎利殿へ回廊が恰も回遊式庭園の外縁が如く延びているのですね。
宝幢禅寺の塔頭寺院という鹿王院、しかし残念ながら宝幢禅寺は現存していません。いや実は宝幢禅寺という名は洛中にも残るのですが全く由来を異にする寺院であり、足利義満造営の宝幢禅寺は1379年の建立から百年を経ずして、応仁の乱の兵火に崩れてしまいます。
京都十刹として至徳年間の1386年には臨済宗寺格では高い位置づけとなっていました宝幢禅寺ですが、応仁の乱を経て廃寺に。総門だけは南北朝時代の造営であると、その本瓦葺切妻造から考えられているのですが、本堂は延宝年間の1676年に造営されているという。
徳川四天王酒井忠次、江戸時代に鹿王院が大きく広げられた背景には1596年に京都桜井屋敷にてこの世を去った徳川家康腹心の遺功があったといい、その子酒井忠知により本堂は再建、舎利殿は江戸中期宝暦年間の1763年に造営されています。舎利殿については特に。
駄都殿とも称される宝形造の舎利殿は、庭園と共に内部が公開されています。舎利殿には仏舎利を奉じた多宝塔が安置されていまして、重要文化財に指定されています絹本著色夢窓国師像や絹本著色釈迦三尊及三十祖像、夢窓疎石墨蹟も撮影禁止ながら、拝観ができる。
鹿王院庭園は京都市指定名勝となっていますが、この日の拝観者は当方一行のみ、嵐山の天龍寺も指呼の距離にありますが、観光地の喧騒に疲れた際には清涼剤の如く塔頭寺院の拝観は如何でしょう。寒くはあったのですけれども、静かに歴史と語らう事が出来ました。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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