■さくら満開の二条城登城
さくらの季節、二条城は堀川通りから眺めても美しいのですが登城しますと更に美しいのは当然でしょうね。
二条城、桜の季節には二条城の周囲を散策する事はとても楽しい発見の連続なのですが、昨今はCOVID-19により二条城はその城内も閑散、とまではいきませんがかなり人出は、それこそ2000年代初頭の水準まで落ち着いていましてゆっくりと散策を愉しむ事が出来る。
耐震工事進む二条城、本丸御殿は2023年に耐震工事完了となりますのでもう少しとなっていますが、二の丸御殿の耐震工事が2024年にも開始されますので、まだ時間はあるのですけれども歴史情緒をゆったりと眺めるには、今の閑散期というコロナ禍下が時機なのやも。
阪神大震災、1995年に神戸市を襲った巨大地震は、実はここ京都にも影響を及ぼしていまして2007年の耐震診断の結果、思いのほか広範囲に被害が及んだ事から倒壊を避ける為には耐震補強工事の必要性が指摘され、順次工事を実施してきました。ここでも間もなく。
東日本大震災から10年となりますこの2021年ですが、忘れてはならないのは日本列島の人口密集地は、都市が河川の水利とともに発達しており、その河川が火山性地形のにほんでゃほぼ定期的に動く活断層上に形成される為、大都市ほど活断層に近いという現実です。
1830年8月19日、当時の年号では文政13年7月2日となりますが、実はここ二条城を筆頭に京都が大打撃を受ける巨大地震が発生しています。歴史地震の一つであり、当時に地学研究は幕府も陰陽師もやっていませんので未だ研究中ですが、直下型地震がありました。
文政京都地震。この直下型地震はマグニチュード6.5前後と出師区されていまして、京都府の亀岡付近の断層が引き起こしたものと考えられています。もっとも、研究途上であり、亀岡周辺が震源というに神護寺や愛宕神社の被害が少なく、分らない事が多い地震という。
亀岡断層あるいは神吉越畑断層とする説、亀岡盆地北東部の活断層を原因とする説、京都西山断層群と三峠断層群が連動して局地的な激震を引き起こした説、亀岡の被害状況から逆に愛宕山周辺を震源とする説など、あるようですが、西日本もこの通り活断層は多い。
二条城や御所では石垣や堀塀が倒壊する被害がありまして、興正寺、北野天満宮などにも被害、また町人の下町では土蔵に被害が集中したと所司代に記録されているとともに、被害は周辺部の伏見、宇治、淀にも達しています。神泉苑の軟弱地形にあった二条城は特に。
神泉苑は元々の京都の水源で有りまして二条城の掘割はこの水利を利用しているのですが、同時にここは軟弱地形である事の証左でもあり、局所的に被害が集中する事となりまして石垣の崩壊、櫓や門と土塀の倒壊が相次いだと記録されています、過去に在ったのですね。
二ノ丸御殿や遠待は部分的な損壊に留まったといい、これは言い換えれば頑強な建築物は軟弱地形にも耐えうることを証明したに他ならないのですが、被害拡大の背景には天明の大火の影響もあるのだという。天明8年1月30日こと1788年3月7日に発生したもの。
天明の大火は京都市1967町の1424町が焼失し、焼失家屋3万6797、焼失世帯6万5340、焼失寺院201、焼失神社37という、応仁の乱を上回る大火災となりました。これにより京都市内は瓦屋根による防火対策が徹底され、建物が重くなり、耐震性が低下したのですね。
摩耶水害受け屋根を頑丈にした神戸の街並みが阪神大震災に軒並み破壊された事と重なりますが、その阪神大震災を契機とする二条城修理、唐門は完了していますが、二の丸御殿の耐震補強が本格化します、綺麗になるのは楽しみですが、その前に見ておきたいですね。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
さくらの季節、二条城は堀川通りから眺めても美しいのですが登城しますと更に美しいのは当然でしょうね。
二条城、桜の季節には二条城の周囲を散策する事はとても楽しい発見の連続なのですが、昨今はCOVID-19により二条城はその城内も閑散、とまではいきませんがかなり人出は、それこそ2000年代初頭の水準まで落ち着いていましてゆっくりと散策を愉しむ事が出来る。
耐震工事進む二条城、本丸御殿は2023年に耐震工事完了となりますのでもう少しとなっていますが、二の丸御殿の耐震工事が2024年にも開始されますので、まだ時間はあるのですけれども歴史情緒をゆったりと眺めるには、今の閑散期というコロナ禍下が時機なのやも。
阪神大震災、1995年に神戸市を襲った巨大地震は、実はここ京都にも影響を及ぼしていまして2007年の耐震診断の結果、思いのほか広範囲に被害が及んだ事から倒壊を避ける為には耐震補強工事の必要性が指摘され、順次工事を実施してきました。ここでも間もなく。
東日本大震災から10年となりますこの2021年ですが、忘れてはならないのは日本列島の人口密集地は、都市が河川の水利とともに発達しており、その河川が火山性地形のにほんでゃほぼ定期的に動く活断層上に形成される為、大都市ほど活断層に近いという現実です。
1830年8月19日、当時の年号では文政13年7月2日となりますが、実はここ二条城を筆頭に京都が大打撃を受ける巨大地震が発生しています。歴史地震の一つであり、当時に地学研究は幕府も陰陽師もやっていませんので未だ研究中ですが、直下型地震がありました。
文政京都地震。この直下型地震はマグニチュード6.5前後と出師区されていまして、京都府の亀岡付近の断層が引き起こしたものと考えられています。もっとも、研究途上であり、亀岡周辺が震源というに神護寺や愛宕神社の被害が少なく、分らない事が多い地震という。
亀岡断層あるいは神吉越畑断層とする説、亀岡盆地北東部の活断層を原因とする説、京都西山断層群と三峠断層群が連動して局地的な激震を引き起こした説、亀岡の被害状況から逆に愛宕山周辺を震源とする説など、あるようですが、西日本もこの通り活断層は多い。
二条城や御所では石垣や堀塀が倒壊する被害がありまして、興正寺、北野天満宮などにも被害、また町人の下町では土蔵に被害が集中したと所司代に記録されているとともに、被害は周辺部の伏見、宇治、淀にも達しています。神泉苑の軟弱地形にあった二条城は特に。
神泉苑は元々の京都の水源で有りまして二条城の掘割はこの水利を利用しているのですが、同時にここは軟弱地形である事の証左でもあり、局所的に被害が集中する事となりまして石垣の崩壊、櫓や門と土塀の倒壊が相次いだと記録されています、過去に在ったのですね。
二ノ丸御殿や遠待は部分的な損壊に留まったといい、これは言い換えれば頑強な建築物は軟弱地形にも耐えうることを証明したに他ならないのですが、被害拡大の背景には天明の大火の影響もあるのだという。天明8年1月30日こと1788年3月7日に発生したもの。
天明の大火は京都市1967町の1424町が焼失し、焼失家屋3万6797、焼失世帯6万5340、焼失寺院201、焼失神社37という、応仁の乱を上回る大火災となりました。これにより京都市内は瓦屋根による防火対策が徹底され、建物が重くなり、耐震性が低下したのですね。
摩耶水害受け屋根を頑丈にした神戸の街並みが阪神大震災に軒並み破壊された事と重なりますが、その阪神大震災を契機とする二条城修理、唐門は完了していますが、二の丸御殿の耐震補強が本格化します、綺麗になるのは楽しみですが、その前に見ておきたいですね。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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