■軍に断られ民間に売り込む
空飛ぶクルマといいますかジープが空を飛べれば米軍に便利でパジェロが飛べれば自衛隊にも便利でしょう。つまりそういうこと。
空飛ぶクルマ、というものが真剣に検討されているとの事ですが、航空機の歴史に多少知識がありますと、またか今度は何人騙されるのだろうか、と考える視点ともう一つは時間があらゆる費用に優先する企業経営者で、今度こそ購入できる超富裕層が一定数居るならば実現するのだろうか、という素朴な疑問です。実際問題、空飛ぶクルマは三度目の物だ。
空飛ぶクルマ。とうとう21世紀らしくなってきた、と思われるかもしれませんが、実際は1940年代と1960年代にこうしたブームがありまして幾つか試作的なものが開発されています、1970年代以降はオイルショックとジャンボ機による旅客機運賃低減で鳴りをひそめましたが、2000年代に再検討が始り、2020年代にこれがまた民間に降りてきた構図です。
第二次世界大戦直後、空飛ぶクルマというものが最初に真剣に開発されたのは70年以上前に遡ります。アメリカのウォーターマンアエロービル社とエアロカー社、フルトンエアーパシビアン社といった、空飛ぶクルマ専門の会社が立ち上げられています。やはり戦勝国は戦後になると強気なのか、と思われるかもしれませんが、その背景は真逆といえるもの。
ウォーターマンアエロービル社は戦前の企業、エアロカー社とフルトンエアーパシビアン社は戦後の企業です。後者が提案した空飛ぶクルマというものは第二次大戦中に大量に製造され終戦により需要が無くなった小型機用エンジンの余剰品を何とかして売り捌こうとした苦慮の結果でもありまして、小型自動車と小型飛行機を組み合わせた形状のものです。
エアロカー社とフルトンエアーパシビアン社の案は超小型コンパクトカーに主翼と尾翼を配置し、主翼を折畳み地上を牽引して走るものですが、航続距離は480kmで巡航速度177km/hとまあまあの性能を有していたものの、キャデラックの新車が1万ドルの時代にこちらは5万ドルと高価で見た目も超小型車という状況で全く顧客が現れませんでした。
コンソリーデット社、新興自動車産業以外に第二次大戦中のPBY飛行艇で知られる会社はコンヴエアカーという、小型乗用車の真上に着脱式小型機を装着する空飛ぶクルマを提案しました、コンソリも戦後飛行機が売れなかった為に余剰の小型機をクルマに取り付ける方式を採りました、着脱式の小型機はそのままレンタル式で飛行場にて貸し出す方式です。
コンヴエアカーは、クロスレーセダンというこれぞアメリカの小型車的形状で、上記新興企業の無理な超小型車よりは、小型飛行機と小型車の正に空飛ぶクルマ的形状で、高価な航空機部分をレンタル式として費用を抑える野心的な試みでしたが、立ちはだかったのは空港レンタカー会社、顧客は飛行機を借りず車を借りた為、全く売れず博物館入りします。
1960年代、今度は空飛ぶクルマならぬ空飛ぶジープが米陸軍で検討されます、パイアセッキVZ-8エアージープとアブロカナダVZ-9アブロカーです。パイアセッキ社はフライングバナナとして知られる初期の傑作ヘリコプターH-21を開発したメーカーで自衛隊も採用しましたが、今度はジープが空を飛べれば便利だ、とアメリカ陸軍の需要が在ったのですね。
パイアセッキVZ-8エアージープとアブロカナダVZ-9アブロカー、ジープが飛行出来れば究極の、道なき道を踏破できるオフロードカーとなります、丁度ヴェトナム戦争緒戦の時期であり湿地帯を飛行し踏破できる。アブロカナダVZ-9アブロカーは空飛ぶ円盤というもので、陸軍ではM-40/105mm無反動砲を搭載し対戦車用ジープの空飛ぶ版と考えていた。
アブロカナダVZ-9アブロカーは、これぞ未来と云いますか空飛ぶ円盤戦車を襲撃す、という無茶苦茶な形状でしたが、円盤状のものが安定して飛行する訳が無く、VZ-8エアージープは騒音も燃費も最悪であり、ジープの隠密性という利点を完膚なきまでに省いた乗り物に乗るくらいならば、兵士たちは普通にHU-1ヘリコプターに乗りたがるのは当然でした。
HU-1はそのままアブロカナダVZ-9アブロカーが105mm無反動砲をなんとか搭載する苦心の最中に、さっさとTOW対戦車ミサイルを搭載しAH-1コブラ対戦車ヘリコプターへと発展しました。こうして最初の空飛ぶクルマと同じく、軍隊に不採用となった空飛ぶクルマは、1970年大阪万博等で未来を思わせる乗り物として展示されるも、皆さん観るだけ。
ARES,さて、空飛ぶジープは性能が使い物にならなかっただけですが、使い物になるならば手持ちの装備が限られる特殊部隊等は歓迎です。そして2001年アメリカ本土同時多発テロが発生し、アフガニスタンの山間部を舞台にテロとの戦いが始りますと、4000m級の山間部を徒歩で踏破するのは特殊部隊にも厳しく、三度目の空飛ぶクルマ待望論が、でる。
ARES計画は空飛ぶジープの後釜に空飛ぶハンヴィーというべきものでアメリカ国防省高等国防研究所などが求めた計画です。しかし結局使い物にならず、普通にCH-47やMV-22で車両を輸送すれば十分という事で実現しませんでした。さて、空飛ぶクルマというものは、軍に提案し蹴られたので民間に提案する、という流れ者技術者的発想の産物といえる。
現在の空飛ぶクルマは、このARESが目指した空飛ぶジープ現代版の空飛ぶハンヴィーが転じたものと云えますが、正直、どうしても自動車を空輸したければ民間でV-107でも購入してそのまま空輸すれば良いのですし、ヘリコプターの方が安く、空飛ぶクルマはセダン一台分の値段と称されるロビンソンR44ヘリコプターよりも高価なものとなるでしょう。
空飛ぶクルマは、国土交通省が2021年3月に入り法整備への準備室を発足させたことで再度注目されましたが、例えば航空法適用外の高度150mに制限しない限りは確実に航空管制の影響を受け、特に日本では首都東京で、皇居や官庁街と在外公館や米軍基地と空港施設周辺を飛行する事は出来ません、その将来性、騙されないよう見守りたいものですね。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
空飛ぶクルマといいますかジープが空を飛べれば米軍に便利でパジェロが飛べれば自衛隊にも便利でしょう。つまりそういうこと。
空飛ぶクルマ、というものが真剣に検討されているとの事ですが、航空機の歴史に多少知識がありますと、またか今度は何人騙されるのだろうか、と考える視点ともう一つは時間があらゆる費用に優先する企業経営者で、今度こそ購入できる超富裕層が一定数居るならば実現するのだろうか、という素朴な疑問です。実際問題、空飛ぶクルマは三度目の物だ。
空飛ぶクルマ。とうとう21世紀らしくなってきた、と思われるかもしれませんが、実際は1940年代と1960年代にこうしたブームがありまして幾つか試作的なものが開発されています、1970年代以降はオイルショックとジャンボ機による旅客機運賃低減で鳴りをひそめましたが、2000年代に再検討が始り、2020年代にこれがまた民間に降りてきた構図です。
第二次世界大戦直後、空飛ぶクルマというものが最初に真剣に開発されたのは70年以上前に遡ります。アメリカのウォーターマンアエロービル社とエアロカー社、フルトンエアーパシビアン社といった、空飛ぶクルマ専門の会社が立ち上げられています。やはり戦勝国は戦後になると強気なのか、と思われるかもしれませんが、その背景は真逆といえるもの。
ウォーターマンアエロービル社は戦前の企業、エアロカー社とフルトンエアーパシビアン社は戦後の企業です。後者が提案した空飛ぶクルマというものは第二次大戦中に大量に製造され終戦により需要が無くなった小型機用エンジンの余剰品を何とかして売り捌こうとした苦慮の結果でもありまして、小型自動車と小型飛行機を組み合わせた形状のものです。
エアロカー社とフルトンエアーパシビアン社の案は超小型コンパクトカーに主翼と尾翼を配置し、主翼を折畳み地上を牽引して走るものですが、航続距離は480kmで巡航速度177km/hとまあまあの性能を有していたものの、キャデラックの新車が1万ドルの時代にこちらは5万ドルと高価で見た目も超小型車という状況で全く顧客が現れませんでした。
コンソリーデット社、新興自動車産業以外に第二次大戦中のPBY飛行艇で知られる会社はコンヴエアカーという、小型乗用車の真上に着脱式小型機を装着する空飛ぶクルマを提案しました、コンソリも戦後飛行機が売れなかった為に余剰の小型機をクルマに取り付ける方式を採りました、着脱式の小型機はそのままレンタル式で飛行場にて貸し出す方式です。
コンヴエアカーは、クロスレーセダンというこれぞアメリカの小型車的形状で、上記新興企業の無理な超小型車よりは、小型飛行機と小型車の正に空飛ぶクルマ的形状で、高価な航空機部分をレンタル式として費用を抑える野心的な試みでしたが、立ちはだかったのは空港レンタカー会社、顧客は飛行機を借りず車を借りた為、全く売れず博物館入りします。
1960年代、今度は空飛ぶクルマならぬ空飛ぶジープが米陸軍で検討されます、パイアセッキVZ-8エアージープとアブロカナダVZ-9アブロカーです。パイアセッキ社はフライングバナナとして知られる初期の傑作ヘリコプターH-21を開発したメーカーで自衛隊も採用しましたが、今度はジープが空を飛べれば便利だ、とアメリカ陸軍の需要が在ったのですね。
パイアセッキVZ-8エアージープとアブロカナダVZ-9アブロカー、ジープが飛行出来れば究極の、道なき道を踏破できるオフロードカーとなります、丁度ヴェトナム戦争緒戦の時期であり湿地帯を飛行し踏破できる。アブロカナダVZ-9アブロカーは空飛ぶ円盤というもので、陸軍ではM-40/105mm無反動砲を搭載し対戦車用ジープの空飛ぶ版と考えていた。
アブロカナダVZ-9アブロカーは、これぞ未来と云いますか空飛ぶ円盤戦車を襲撃す、という無茶苦茶な形状でしたが、円盤状のものが安定して飛行する訳が無く、VZ-8エアージープは騒音も燃費も最悪であり、ジープの隠密性という利点を完膚なきまでに省いた乗り物に乗るくらいならば、兵士たちは普通にHU-1ヘリコプターに乗りたがるのは当然でした。
HU-1はそのままアブロカナダVZ-9アブロカーが105mm無反動砲をなんとか搭載する苦心の最中に、さっさとTOW対戦車ミサイルを搭載しAH-1コブラ対戦車ヘリコプターへと発展しました。こうして最初の空飛ぶクルマと同じく、軍隊に不採用となった空飛ぶクルマは、1970年大阪万博等で未来を思わせる乗り物として展示されるも、皆さん観るだけ。
ARES,さて、空飛ぶジープは性能が使い物にならなかっただけですが、使い物になるならば手持ちの装備が限られる特殊部隊等は歓迎です。そして2001年アメリカ本土同時多発テロが発生し、アフガニスタンの山間部を舞台にテロとの戦いが始りますと、4000m級の山間部を徒歩で踏破するのは特殊部隊にも厳しく、三度目の空飛ぶクルマ待望論が、でる。
ARES計画は空飛ぶジープの後釜に空飛ぶハンヴィーというべきものでアメリカ国防省高等国防研究所などが求めた計画です。しかし結局使い物にならず、普通にCH-47やMV-22で車両を輸送すれば十分という事で実現しませんでした。さて、空飛ぶクルマというものは、軍に提案し蹴られたので民間に提案する、という流れ者技術者的発想の産物といえる。
現在の空飛ぶクルマは、このARESが目指した空飛ぶジープ現代版の空飛ぶハンヴィーが転じたものと云えますが、正直、どうしても自動車を空輸したければ民間でV-107でも購入してそのまま空輸すれば良いのですし、ヘリコプターの方が安く、空飛ぶクルマはセダン一台分の値段と称されるロビンソンR44ヘリコプターよりも高価なものとなるでしょう。
空飛ぶクルマは、国土交通省が2021年3月に入り法整備への準備室を発足させたことで再度注目されましたが、例えば航空法適用外の高度150mに制限しない限りは確実に航空管制の影響を受け、特に日本では首都東京で、皇居や官庁街と在外公館や米軍基地と空港施設周辺を飛行する事は出来ません、その将来性、騙されないよう見守りたいものですね。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)