■さくら咲く春の京都を歩む
この春は桜前線の速さが物凄いものだと妙に感心する今日この頃、本日よりいよいよ新年度を迎えました。
北野天満宮。菅原道真公祀るこの社殿は、実は桜の穴場的名所ではないかと最近考えるようになってきました。桜の花見、大勢で賑わいながら酒宴に饗宴という印象は若干後退していますが、花見の宴ではなく見上げる観桜ならば、それは静かな場所であるほどよい。
新年度、四月一日の本日から2021年度が幕開けとなりました。ただ、春は新しい季節、とはいうものの現状は報道の通りでして、COVID-19変異株の感染拡大は大阪府と兵庫県にまん延防止等重点措置を大阪府が政府に要望し兵庫県も続く、という緊張下にある最中だ。
桜咲く季節、京都は徐々に活況が戻りつつあるのですが、問題は収束に伴う規制緩和というものではなく、単に自粛疲れでワクチン接種がワクチン不足から供給が進まない状況を敢えて無視する事にしての、勝手な日本は大丈夫との安全神話に若干懸念は感じますが。
東風吹かば-にほひおこせよ-梅の花-主なしとて-春を忘るな、菅原道真が詠んだ和歌です。二十二社の下八社であり、神社本庁の別表神社に列せられるこの社殿は、星梅鉢紋を神紋としています神社です。今出川通沿いに散策していますと、一つの到達点といえる社殿だ。
コロナ禍下にあっても、学問の神様として崇敬される菅原道真公への参詣は止まず、いや昨年に比べれば明らかに多い故にこれは所謂自粛疲れを体現しているようにも思えるのですが、桜の花々が広がります。これは昨年を例外にこの界隈ならではの風景なのでしょう。
御土居、豊臣秀吉が京都改造の一環として京都防衛の要としました御土居が境内に在りまして、ここには梅林が広がるとともに冷涼な空気が紙屋川、この当たりで名は天神川となる流れに運ばれまして、一つ紅葉の名所に数えられるところなのですが、風情は独特です。
梅林は、例年年末と並び多忙な季節に咲きます故に中々時機を外してしまう事もあるのですが、ともあれ北野天満宮の梅花祭は広く知られる春の賑わいです、が、桜も美しいのです、もちろん梅林に手違いにて交じっている、というようなことはないのですけれどもね。
梅花祭、北野天満宮と云えば梅の香、厳しい冬を超えて最初に花開く梅花の香は、祭神として祀る菅原道真公が愛した梅に所縁あると共に古くから梅花こそが花見の始り、冬を超えた喜びの宴でもあったのですね。しかし、桜並木こそ並びませんが桜は幾つか花咲く。
平野神社、観桜の文化が始りました平野神社と指呼の距離に位置します北野天満宮、その創建は天暦元年の西暦947年ですので、平野神社よりも随分と新しい時代、そうはいっても十世紀半ばだけれど、創建なのですね。すると元々此処に桜並木があったのでしょうか。
天神地祇祀る地主社、北野天満宮の桜には北野天満宮造営よりも先に在りました地主社との関連は無いものでしょうか、いや勿論北野天満宮は文安元年こと西暦1444年に文安の麹騒動に幕府軍の攻撃で焼け落ちていますので、桜も含めて再植樹された事になるのですが。
北野天満宮は参道が不思議な配置となっていまして、鳥居を経て参道に参りますとしかしそのまま本殿に向かうのではなく参道はまっすぐ天神地祇祀る地主社へと至るのでして、これは北野天満宮造営に際し天神地祇への崇敬の念を込めての配置といいます。すると。
桜の木々もこうした際に継承されたのでしょうか。さてさて、早い桜前線は四月の始まりと共に桜吹雪を構成しています、観桜の際には常に感染対策というものを、せめて考えてゆきたいところですが、昨年の自粛に続き今年も無事、桜は爛漫に絢爛にと咲いています。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
この春は桜前線の速さが物凄いものだと妙に感心する今日この頃、本日よりいよいよ新年度を迎えました。
北野天満宮。菅原道真公祀るこの社殿は、実は桜の穴場的名所ではないかと最近考えるようになってきました。桜の花見、大勢で賑わいながら酒宴に饗宴という印象は若干後退していますが、花見の宴ではなく見上げる観桜ならば、それは静かな場所であるほどよい。
新年度、四月一日の本日から2021年度が幕開けとなりました。ただ、春は新しい季節、とはいうものの現状は報道の通りでして、COVID-19変異株の感染拡大は大阪府と兵庫県にまん延防止等重点措置を大阪府が政府に要望し兵庫県も続く、という緊張下にある最中だ。
桜咲く季節、京都は徐々に活況が戻りつつあるのですが、問題は収束に伴う規制緩和というものではなく、単に自粛疲れでワクチン接種がワクチン不足から供給が進まない状況を敢えて無視する事にしての、勝手な日本は大丈夫との安全神話に若干懸念は感じますが。
東風吹かば-にほひおこせよ-梅の花-主なしとて-春を忘るな、菅原道真が詠んだ和歌です。二十二社の下八社であり、神社本庁の別表神社に列せられるこの社殿は、星梅鉢紋を神紋としています神社です。今出川通沿いに散策していますと、一つの到達点といえる社殿だ。
コロナ禍下にあっても、学問の神様として崇敬される菅原道真公への参詣は止まず、いや昨年に比べれば明らかに多い故にこれは所謂自粛疲れを体現しているようにも思えるのですが、桜の花々が広がります。これは昨年を例外にこの界隈ならではの風景なのでしょう。
御土居、豊臣秀吉が京都改造の一環として京都防衛の要としました御土居が境内に在りまして、ここには梅林が広がるとともに冷涼な空気が紙屋川、この当たりで名は天神川となる流れに運ばれまして、一つ紅葉の名所に数えられるところなのですが、風情は独特です。
梅林は、例年年末と並び多忙な季節に咲きます故に中々時機を外してしまう事もあるのですが、ともあれ北野天満宮の梅花祭は広く知られる春の賑わいです、が、桜も美しいのです、もちろん梅林に手違いにて交じっている、というようなことはないのですけれどもね。
梅花祭、北野天満宮と云えば梅の香、厳しい冬を超えて最初に花開く梅花の香は、祭神として祀る菅原道真公が愛した梅に所縁あると共に古くから梅花こそが花見の始り、冬を超えた喜びの宴でもあったのですね。しかし、桜並木こそ並びませんが桜は幾つか花咲く。
平野神社、観桜の文化が始りました平野神社と指呼の距離に位置します北野天満宮、その創建は天暦元年の西暦947年ですので、平野神社よりも随分と新しい時代、そうはいっても十世紀半ばだけれど、創建なのですね。すると元々此処に桜並木があったのでしょうか。
天神地祇祀る地主社、北野天満宮の桜には北野天満宮造営よりも先に在りました地主社との関連は無いものでしょうか、いや勿論北野天満宮は文安元年こと西暦1444年に文安の麹騒動に幕府軍の攻撃で焼け落ちていますので、桜も含めて再植樹された事になるのですが。
北野天満宮は参道が不思議な配置となっていまして、鳥居を経て参道に参りますとしかしそのまま本殿に向かうのではなく参道はまっすぐ天神地祇祀る地主社へと至るのでして、これは北野天満宮造営に際し天神地祇への崇敬の念を込めての配置といいます。すると。
桜の木々もこうした際に継承されたのでしょうか。さてさて、早い桜前線は四月の始まりと共に桜吹雪を構成しています、観桜の際には常に感染対策というものを、せめて考えてゆきたいところですが、昨年の自粛に続き今年も無事、桜は爛漫に絢爛にと咲いています。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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