■前進する戦車の迫力!
戦車部隊が次々と攻撃前進に移行しまして訓練展示は静から動へ一挙に転じています。
10式戦車が躍動感を伴い機動打撃を展開するお気に入りの情景です。戦車が迫ってくる情景というものは撮影できそうで難しい、目の前で停車している構図は工夫次第でなんとかなるものですが、こう、躍動感、動いているぞ、という構図は、やはり難しいのですよ。
10式戦車の機動打撃とともに意外に長い砲塔と奥の90式戦車が面白い。基本的に双方とも第三世代戦車、つまり、打撃力と機動力と防御力という戦車の三要素を最大限確保しています。しかし10式戦車は極めて軽量であり、これを第四世代戦車とする考え方もあります。
74式戦車も前進を開始し第一線を形成した90式戦車を超越してすすむ。74式戦車は戦後第二世代戦車といい、この時代は打撃力と機動力と防御力のうち、機動力と防御力をどちらか犠牲にする設計が主流でした。当時は軽量強靱なエンジンや装甲技術がなかったため。
74式戦車がこちらに向かい後方には戦車に火砲に装甲車が並ぶ。チーフテンは防御力を特に重視した結果機動力が極端に下がり、AMX-30やレオパルド1は防御力は機関砲防御程度に抑え機動力を重視している。74式戦車とT-62は車内を局限まで抑えて両立を目指した。
74式戦車に望遠の焦点を合わせると迫り来る迫力と後方の90式戦車が。第三世代戦車は、イギリスが複合装甲というチタンとセラミック、対戦車ミサイルの放つ高熱と徹甲弾の叩きつける衝撃に強い素材を重ね圧延均一鋼板換算でもの凄い厚さを再現したことで始まる。
74式戦車が2両重なり砲塔を敵に向けつつこちらへと邁進してきました。第三世代戦車は複合装甲とともに軽量な1500hp級エンジンが開発されることで、多少装甲が厚くそして重くとも、遮二無二機動力を発揮できるエンジン技術が開発、バランスのよい戦車ができた。
74式戦車が射撃姿勢を維持しつつこちらへ向かう迫力の構図が進む。74式戦車は第二世代戦車が1960年代初頭から開発されましたので後塵を拝する構図ですが、車内容積を絞り砲塔形状を工夫し油圧式懸架装置の採用により地形防御を採る、高い防御力を有しています。
74式戦車の精悍な角度が今まさに行進間射撃するような迫力を醸し出す。この74式戦車と対照的なのはM-60戦車で、これは機動力をそれなりにとりつつ、車高は高いですが使いやすい車内を追求し完成しました。課題はありましたが均衡はあり、これがM-1戦車に続く。
74式戦車に続き戦果拡張に必要な施設科部隊の自走架橋柱が前へ。施設科部隊を随伴させるということはウェットギャップなどを渡河するという想定なのでしょう、駐屯部隊全員参加で有り合わせの訓練展示部隊ですが、それでも想像は大きく膨らんで往くものですね。
74式戦車が81式自走架橋柱を伴いこちらへ進む迫力ある構図とともに。81式自走架橋柱は戦車などの応急橋梁を架橋する優秀装備ですが、見ての通り防弾装甲は皆無で油圧式の架橋柱は砲弾片に非常に弱い。偵察隊は先行し、相当敵情を注意深くみているのでしょう。
11式装軌車回収車も12.7mm重機関銃を構えつつ機動打撃に展開する。後方支援連隊の装備です。ここまで来ますと総攻撃というよりも一家総出という印象ですが、戦車回収車まで攻撃前進する展示というものも、ないにはないですが相当に希有で貴重な情景でしょう。
90式戦車も戦闘加入を準備したところでようやく状況は終了となった。状況終了の喇叭が響きますと、さてさて、疲れたなあ、と当方の周囲でも帰り支度が始まる。自衛隊行事を撮影するという際には、この切り替えというものが、実は大事なのかもしれませんね。
満開の桜花と共に90式戦車。実のところ撮影位置をどこからとするのか、相当迷ったのですが、少しメイン会場から出口に近い位置でしたので、こうした戦車と見学席という不思議な構図を撮影することができました。国民に見守られる戦車、税金をしっかり活用する。
90式戦車、最新の10式戦車も良い戦車だとは思うのですが、国内インフラの整備進捗を見ますと、44tに無理して軽量化するよりも戦車定数900両の時代に、さっさと90式戦車の数を揃えていれば、とも思うのですよね。近代化改修により90式は充分現用に耐えます。
即応機動旅団とか即応機動師団とか総合近代化師団に地域配備師団、名前だけは世界に誇る文字の羅列ですが、専守防衛を堅持するのであれば戦車と軽量安価な装甲車を揃えていれば、専守防衛として相手に上陸させる気を起こさせない、という本分は担えたとおもう。
本土決戦主義、こう当方のような考え方を批判というか揶揄する向きもあるようですが、海上防衛力で対中対ロの必勝を期すという、わたしたちを本土決戦主義と批判するたちこそ、実際には中ロ開戦主義という、実は危険な主張なのではないか、抑止力視座から思う。
96式装輪装甲車も、戦車と連携するならば機動力に富んでいて一定程度の防御力を有し、なにより安価で良い装備だ、と思うのですよね。万一の際には戦車が盾となってくれる。しかし、装甲車単体で運用するならば、もっと重装甲で、必然的に高い装甲車が必要だ。
74式戦車。もう間もなく自衛隊装備としては役目を終える装備なのですけれども、非常に優秀な乗員と訓練体系を構築している優秀な集団です、74式戦車の要員を装甲戦闘車の乗員に転用できるよう装甲戦闘車の数を揃えれば、戦車と連携する真の装甲機動部隊が育つ。
状況終了、とともに装備品展示の見学へと移行します。国際教の装備として軽装甲機動車と96式装輪装甲車が並ぶ。ともに優秀な装備ですが、政府と国民とマスコミが一体となって国内防衛産業叩きを行い、小松製作所は新規開発撤退表明、後継装備は高価な海外製に。
防衛産業というものは防衛力の一要素であると思う、これを象徴するのが展示車両となっている61式戦車以来、連綿と受け継がれる装備体系ね。戦車を国産できない国は悲惨な状態になっている国が多い、しかし、恵まれている日本ほど恩恵の意義を理解していない。
78式戦車回収車に90式戦車回収車に11式装軌車回収車、自衛隊の戦車回収車三世代が勢ぞろいとなりました。どれも微妙に違うのが面白いですね。90式戦車回収車を91式戦車回収車と呼び間違えてしまいます方が居ますので少々注意を、91式は戦車橋、別の装備です。
90式戦車回収車とよく呼間違える91式戦車回収車は、おそらく91式戦車橋を勘違いしているのでしょうか、91式戦車なにがし、と覚え間違えるのでしょう。そして91式戦車橋は東千歳くらいでしか毎回出てこない装備で、車体は74式戦車だという、紛らわしいです。
73式装甲車。この後継車両が89式装甲戦闘車後継車両と車体部分を共通化させる共通戦術車輛として試験が進んでいます。実際のところ、防御力は89式装甲戦闘車の車体でも現用装軌式車両としては最小限度のものですが、国産できすならば採用すべき、数も大量にね。
74式戦車改といいますか、G型が展示されていました。熱戦暗視装置を追加し弾道コンピュータを新型化、そして履帯も脱落防止転輪としたものですが、1両改造するのに1億円を要し5両を試験改造したところで90式戦車の量産が優先され事業は終了しました。こんなかたちで会場を巡り、こちらも状況終了です。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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戦車部隊が次々と攻撃前進に移行しまして訓練展示は静から動へ一挙に転じています。
10式戦車が躍動感を伴い機動打撃を展開するお気に入りの情景です。戦車が迫ってくる情景というものは撮影できそうで難しい、目の前で停車している構図は工夫次第でなんとかなるものですが、こう、躍動感、動いているぞ、という構図は、やはり難しいのですよ。
10式戦車の機動打撃とともに意外に長い砲塔と奥の90式戦車が面白い。基本的に双方とも第三世代戦車、つまり、打撃力と機動力と防御力という戦車の三要素を最大限確保しています。しかし10式戦車は極めて軽量であり、これを第四世代戦車とする考え方もあります。
74式戦車も前進を開始し第一線を形成した90式戦車を超越してすすむ。74式戦車は戦後第二世代戦車といい、この時代は打撃力と機動力と防御力のうち、機動力と防御力をどちらか犠牲にする設計が主流でした。当時は軽量強靱なエンジンや装甲技術がなかったため。
74式戦車がこちらに向かい後方には戦車に火砲に装甲車が並ぶ。チーフテンは防御力を特に重視した結果機動力が極端に下がり、AMX-30やレオパルド1は防御力は機関砲防御程度に抑え機動力を重視している。74式戦車とT-62は車内を局限まで抑えて両立を目指した。
74式戦車に望遠の焦点を合わせると迫り来る迫力と後方の90式戦車が。第三世代戦車は、イギリスが複合装甲というチタンとセラミック、対戦車ミサイルの放つ高熱と徹甲弾の叩きつける衝撃に強い素材を重ね圧延均一鋼板換算でもの凄い厚さを再現したことで始まる。
74式戦車が2両重なり砲塔を敵に向けつつこちらへと邁進してきました。第三世代戦車は複合装甲とともに軽量な1500hp級エンジンが開発されることで、多少装甲が厚くそして重くとも、遮二無二機動力を発揮できるエンジン技術が開発、バランスのよい戦車ができた。
74式戦車が射撃姿勢を維持しつつこちらへ向かう迫力の構図が進む。74式戦車は第二世代戦車が1960年代初頭から開発されましたので後塵を拝する構図ですが、車内容積を絞り砲塔形状を工夫し油圧式懸架装置の採用により地形防御を採る、高い防御力を有しています。
74式戦車の精悍な角度が今まさに行進間射撃するような迫力を醸し出す。この74式戦車と対照的なのはM-60戦車で、これは機動力をそれなりにとりつつ、車高は高いですが使いやすい車内を追求し完成しました。課題はありましたが均衡はあり、これがM-1戦車に続く。
74式戦車に続き戦果拡張に必要な施設科部隊の自走架橋柱が前へ。施設科部隊を随伴させるということはウェットギャップなどを渡河するという想定なのでしょう、駐屯部隊全員参加で有り合わせの訓練展示部隊ですが、それでも想像は大きく膨らんで往くものですね。
74式戦車が81式自走架橋柱を伴いこちらへ進む迫力ある構図とともに。81式自走架橋柱は戦車などの応急橋梁を架橋する優秀装備ですが、見ての通り防弾装甲は皆無で油圧式の架橋柱は砲弾片に非常に弱い。偵察隊は先行し、相当敵情を注意深くみているのでしょう。
11式装軌車回収車も12.7mm重機関銃を構えつつ機動打撃に展開する。後方支援連隊の装備です。ここまで来ますと総攻撃というよりも一家総出という印象ですが、戦車回収車まで攻撃前進する展示というものも、ないにはないですが相当に希有で貴重な情景でしょう。
90式戦車も戦闘加入を準備したところでようやく状況は終了となった。状況終了の喇叭が響きますと、さてさて、疲れたなあ、と当方の周囲でも帰り支度が始まる。自衛隊行事を撮影するという際には、この切り替えというものが、実は大事なのかもしれませんね。
満開の桜花と共に90式戦車。実のところ撮影位置をどこからとするのか、相当迷ったのですが、少しメイン会場から出口に近い位置でしたので、こうした戦車と見学席という不思議な構図を撮影することができました。国民に見守られる戦車、税金をしっかり活用する。
90式戦車、最新の10式戦車も良い戦車だとは思うのですが、国内インフラの整備進捗を見ますと、44tに無理して軽量化するよりも戦車定数900両の時代に、さっさと90式戦車の数を揃えていれば、とも思うのですよね。近代化改修により90式は充分現用に耐えます。
即応機動旅団とか即応機動師団とか総合近代化師団に地域配備師団、名前だけは世界に誇る文字の羅列ですが、専守防衛を堅持するのであれば戦車と軽量安価な装甲車を揃えていれば、専守防衛として相手に上陸させる気を起こさせない、という本分は担えたとおもう。
本土決戦主義、こう当方のような考え方を批判というか揶揄する向きもあるようですが、海上防衛力で対中対ロの必勝を期すという、わたしたちを本土決戦主義と批判するたちこそ、実際には中ロ開戦主義という、実は危険な主張なのではないか、抑止力視座から思う。
96式装輪装甲車も、戦車と連携するならば機動力に富んでいて一定程度の防御力を有し、なにより安価で良い装備だ、と思うのですよね。万一の際には戦車が盾となってくれる。しかし、装甲車単体で運用するならば、もっと重装甲で、必然的に高い装甲車が必要だ。
74式戦車。もう間もなく自衛隊装備としては役目を終える装備なのですけれども、非常に優秀な乗員と訓練体系を構築している優秀な集団です、74式戦車の要員を装甲戦闘車の乗員に転用できるよう装甲戦闘車の数を揃えれば、戦車と連携する真の装甲機動部隊が育つ。
状況終了、とともに装備品展示の見学へと移行します。国際教の装備として軽装甲機動車と96式装輪装甲車が並ぶ。ともに優秀な装備ですが、政府と国民とマスコミが一体となって国内防衛産業叩きを行い、小松製作所は新規開発撤退表明、後継装備は高価な海外製に。
防衛産業というものは防衛力の一要素であると思う、これを象徴するのが展示車両となっている61式戦車以来、連綿と受け継がれる装備体系ね。戦車を国産できない国は悲惨な状態になっている国が多い、しかし、恵まれている日本ほど恩恵の意義を理解していない。
78式戦車回収車に90式戦車回収車に11式装軌車回収車、自衛隊の戦車回収車三世代が勢ぞろいとなりました。どれも微妙に違うのが面白いですね。90式戦車回収車を91式戦車回収車と呼び間違えてしまいます方が居ますので少々注意を、91式は戦車橋、別の装備です。
90式戦車回収車とよく呼間違える91式戦車回収車は、おそらく91式戦車橋を勘違いしているのでしょうか、91式戦車なにがし、と覚え間違えるのでしょう。そして91式戦車橋は東千歳くらいでしか毎回出てこない装備で、車体は74式戦車だという、紛らわしいです。
73式装甲車。この後継車両が89式装甲戦闘車後継車両と車体部分を共通化させる共通戦術車輛として試験が進んでいます。実際のところ、防御力は89式装甲戦闘車の車体でも現用装軌式車両としては最小限度のものですが、国産できすならば採用すべき、数も大量にね。
74式戦車改といいますか、G型が展示されていました。熱戦暗視装置を追加し弾道コンピュータを新型化、そして履帯も脱落防止転輪としたものですが、1両改造するのに1億円を要し5両を試験改造したところで90式戦車の量産が優先され事業は終了しました。こんなかたちで会場を巡り、こちらも状況終了です。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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