■大隊は偵察中隊と戦闘中隊
偵察隊といいますと師団祭などの訓練展示模擬戦では初動として87式偵察警戒車とともに展開し空包の迫力を響かせます。
偵察戦闘大隊、現在全国の師団や旅団で戦車大隊を置き換えるべく編成が進められています。16式機動戦闘車の戦闘中隊と偵察隊を改編した偵察中隊を大隊隷下におく、16式機動戦闘車の火力により威力偵察を行うという構想です。しかし、これで敵の前衛を突破できるのでしょうか、また師団の虎の子である戦闘中隊が偵察だけに専念できるのでしょうか。
偵察戦闘連隊、必要な任務を完遂するには2個中隊基幹の大隊を大隊長とともに置くのではなく、もう少し大きな部隊規模が必要だと考えるのです、なぜならば昔のように偵察隊が接触した敵に対抗する"重厚な"連隊戦闘団というものは、もはや存在しないのですからね。すると、16式機動戦闘車を保有の偵察部隊に掛かる任務というものは必然、重くなります。
16式機動戦闘車。戦車が平成初期の1000両体制から300両にまで削減されるとともに、当初は偵察警戒車の用途として考えられていました装輪式の機動砲が、戦車も火砲も引き抜かれた師団や旅団ではわずか一個中隊ではあるものの、対戦車戦闘の中枢となります。対戦車ミサイルもありますが、この削減といいますか新旧置換えの無い、自然減も進む。
87式偵察警戒車5両を主力とする偵察隊と比較するならば、偵察戦闘大隊は強化こそされているのでしょうが、従来の偵察隊は敵との接触が任務であり、前衛を突破し敵主陣地の状況を解明する任務は重視されていません、87式偵察警戒車では、想定脅威は30年前、敵前衛に戦車が配備されているならば、突破ではなく退避しなければ生存さえ難しいのです。
10式戦車、もともと10式戦車が開発された当時は戦車600両体制であり、師団戦車大隊は縮小されるもの維持される方針でした。2個中隊30両を定数として、1個中隊をかつての対戦車隊のように師団長直轄の予備として残し、1個中隊を小隊ごとに連隊戦闘団へ配備するという、アメリカ海兵隊のMEU海兵遠征群の戦車小隊と同じ考えであったのですね。
連隊戦闘団、従来の編成では偵察隊の装備は軽くとも、普通科連隊を基幹として編成される連隊戦闘団が強力でした、普通科連隊に戦車中隊の戦車14両、特科大隊の火砲10門、火力に普通科連隊が重迫撃砲中隊の重迫撃砲12門が加わり、そこに施設小隊と連隊の施設作業小隊、高射特科大隊から高射小隊も加わり、今日的に見れば、なかなかに強力でした。
現在の師団は、特科部隊が削減の上で方面特科連隊に統合、師団に一個大隊が担当大隊として配置されるのでしょうか、これでは全般支援火力にしかならず、普通科連隊に戦砲隊で2門づつ、という支援は考えられません、戦車は北部方面隊に集中、西部方面隊だけは方面戦車隊が在りますが、ほかの方面隊は資料館前に置かれるのみに改編、戦車は珍しくなる。
偵察戦闘大隊の負担というのは、いままで存在しました"後に続く連隊戦闘団への先鋒として偵察を担う"のではなく、文字通り本来の偵察部隊の任務、16式機動戦闘車を先頭に"敵の前衛を突破し主陣地の陣容を解明する"ことで、徒歩部隊主体の普通科部隊による、あらゆる地形と天候を克服し近接戦闘を担う、ことでの攻撃に役立てる必要があるのですね。
普通科連隊の現状は厳しい、結果的に普通科連隊が戦闘団を組むにも師団から得られる戦力がありませんし、同じく削減が進んだ欧州では装甲戦闘車が広く配備され打撃力の骨幹を担っていますが、自衛隊の普通科連隊は北部方面隊を含め、即応機動連隊に装甲車を抽出されたことで、実質欧州の空挺部隊なみの機械化に留まるのみ、戦術選択肢が限られる。
偵察戦闘連隊。現状、陸上自衛隊の人員は限られています、限られているのは人員をそのままに水陸機動団や即応機動連隊と新部隊を編成するためにしわ寄せが危機的な状況になっていることにほかなら無いのですが、これを補う装備の増強もなく、これは妙な喩えですが、日本側中小企業経営失敗の縮図、これが露呈している構図といわざるを得ません。
しかし、普通科連隊には一個中隊、軽装甲機動車中隊が置かれています。この装備を抽出し、勿論それは普通科連隊の装備をさらに削ることとなるが、3個の軽装甲機動車中隊をかき集め、偵察隊と統合することで、規模としては旅団普通科連隊並の人員と、70両ほどの軽装甲車が揃うこととなります、この規模ならば偵察任務を行える、突破か迂回か可能だ。
軽装甲機動車。この集中を考える背景には、現在、普通科連隊において軽装甲機動車の運用が当初考えられた乗車戦闘とはかけはなれた運用が為されている点があるのです。もともと軽装甲機動車は部隊の集合と分散を迅速化するために一個小銃班を複数の車両に乗せたものでして、下車戦闘は想定されていない筈ですが、実運用は異なるものになりました。
近接戦闘を担う普通科部隊では、しかし、軽装甲機動車は下車戦闘の小型すぎる装甲輸送車両として用いられていまして、なにしろ一個小銃班に操縦手2名と車長2名が必要なのですから、下車戦闘は操縦手と車長を加えなければ成り立ちません、つまり敵と接触した軽装甲機動車は車両を放棄して下車戦闘に移行する運用が現在の基本的な運用なのです。
歩兵戦闘としては正しい。車上荒らしに備えて軽装甲機動車は施錠し放置する、敵と接触した下車部隊は接触を絶っては意味がありませんので、徒歩部隊として軽装甲機動車からどんどん離れてゆき、後日回収するという。だから軽装甲機動車の機銃は取り外し専用であり、M-2重機関銃のような車載武器さえも搭載しない、変則的な運用がとられるという。
乗車戦闘用の装備、しかし普通科部隊の任務は近接戦闘ですので乗車戦闘には限界がある、このために変な運用が為されている訳です。それならば、普通科部隊は高機動車主体に切り替え、軽装甲機動車は偵察部隊に統合してしまってもよいのではないか、偵察部隊ならば乗車戦闘を基本とし、安くはない装甲車を放置せず済み、車上狙いにも荒らされません。
偵察戦闘連隊、ただでさえ減っている普通科から装甲車まで取り上げるのか、元々少ない人員の師団にもう一人連隊長を置くとは何事かと反論もあるでしょう。しかし、軽装甲機動車の現在の運用が正しいとは考えられないのですよね、また蛇足ですが、連隊編成ならば機動戦闘車小隊を含む臨時偵察中隊を複数編成し、普通科連隊戦闘団に配属可能です。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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偵察隊といいますと師団祭などの訓練展示模擬戦では初動として87式偵察警戒車とともに展開し空包の迫力を響かせます。
偵察戦闘大隊、現在全国の師団や旅団で戦車大隊を置き換えるべく編成が進められています。16式機動戦闘車の戦闘中隊と偵察隊を改編した偵察中隊を大隊隷下におく、16式機動戦闘車の火力により威力偵察を行うという構想です。しかし、これで敵の前衛を突破できるのでしょうか、また師団の虎の子である戦闘中隊が偵察だけに専念できるのでしょうか。
偵察戦闘連隊、必要な任務を完遂するには2個中隊基幹の大隊を大隊長とともに置くのではなく、もう少し大きな部隊規模が必要だと考えるのです、なぜならば昔のように偵察隊が接触した敵に対抗する"重厚な"連隊戦闘団というものは、もはや存在しないのですからね。すると、16式機動戦闘車を保有の偵察部隊に掛かる任務というものは必然、重くなります。
16式機動戦闘車。戦車が平成初期の1000両体制から300両にまで削減されるとともに、当初は偵察警戒車の用途として考えられていました装輪式の機動砲が、戦車も火砲も引き抜かれた師団や旅団ではわずか一個中隊ではあるものの、対戦車戦闘の中枢となります。対戦車ミサイルもありますが、この削減といいますか新旧置換えの無い、自然減も進む。
87式偵察警戒車5両を主力とする偵察隊と比較するならば、偵察戦闘大隊は強化こそされているのでしょうが、従来の偵察隊は敵との接触が任務であり、前衛を突破し敵主陣地の状況を解明する任務は重視されていません、87式偵察警戒車では、想定脅威は30年前、敵前衛に戦車が配備されているならば、突破ではなく退避しなければ生存さえ難しいのです。
10式戦車、もともと10式戦車が開発された当時は戦車600両体制であり、師団戦車大隊は縮小されるもの維持される方針でした。2個中隊30両を定数として、1個中隊をかつての対戦車隊のように師団長直轄の予備として残し、1個中隊を小隊ごとに連隊戦闘団へ配備するという、アメリカ海兵隊のMEU海兵遠征群の戦車小隊と同じ考えであったのですね。
連隊戦闘団、従来の編成では偵察隊の装備は軽くとも、普通科連隊を基幹として編成される連隊戦闘団が強力でした、普通科連隊に戦車中隊の戦車14両、特科大隊の火砲10門、火力に普通科連隊が重迫撃砲中隊の重迫撃砲12門が加わり、そこに施設小隊と連隊の施設作業小隊、高射特科大隊から高射小隊も加わり、今日的に見れば、なかなかに強力でした。
現在の師団は、特科部隊が削減の上で方面特科連隊に統合、師団に一個大隊が担当大隊として配置されるのでしょうか、これでは全般支援火力にしかならず、普通科連隊に戦砲隊で2門づつ、という支援は考えられません、戦車は北部方面隊に集中、西部方面隊だけは方面戦車隊が在りますが、ほかの方面隊は資料館前に置かれるのみに改編、戦車は珍しくなる。
偵察戦闘大隊の負担というのは、いままで存在しました"後に続く連隊戦闘団への先鋒として偵察を担う"のではなく、文字通り本来の偵察部隊の任務、16式機動戦闘車を先頭に"敵の前衛を突破し主陣地の陣容を解明する"ことで、徒歩部隊主体の普通科部隊による、あらゆる地形と天候を克服し近接戦闘を担う、ことでの攻撃に役立てる必要があるのですね。
普通科連隊の現状は厳しい、結果的に普通科連隊が戦闘団を組むにも師団から得られる戦力がありませんし、同じく削減が進んだ欧州では装甲戦闘車が広く配備され打撃力の骨幹を担っていますが、自衛隊の普通科連隊は北部方面隊を含め、即応機動連隊に装甲車を抽出されたことで、実質欧州の空挺部隊なみの機械化に留まるのみ、戦術選択肢が限られる。
偵察戦闘連隊。現状、陸上自衛隊の人員は限られています、限られているのは人員をそのままに水陸機動団や即応機動連隊と新部隊を編成するためにしわ寄せが危機的な状況になっていることにほかなら無いのですが、これを補う装備の増強もなく、これは妙な喩えですが、日本側中小企業経営失敗の縮図、これが露呈している構図といわざるを得ません。
しかし、普通科連隊には一個中隊、軽装甲機動車中隊が置かれています。この装備を抽出し、勿論それは普通科連隊の装備をさらに削ることとなるが、3個の軽装甲機動車中隊をかき集め、偵察隊と統合することで、規模としては旅団普通科連隊並の人員と、70両ほどの軽装甲車が揃うこととなります、この規模ならば偵察任務を行える、突破か迂回か可能だ。
軽装甲機動車。この集中を考える背景には、現在、普通科連隊において軽装甲機動車の運用が当初考えられた乗車戦闘とはかけはなれた運用が為されている点があるのです。もともと軽装甲機動車は部隊の集合と分散を迅速化するために一個小銃班を複数の車両に乗せたものでして、下車戦闘は想定されていない筈ですが、実運用は異なるものになりました。
近接戦闘を担う普通科部隊では、しかし、軽装甲機動車は下車戦闘の小型すぎる装甲輸送車両として用いられていまして、なにしろ一個小銃班に操縦手2名と車長2名が必要なのですから、下車戦闘は操縦手と車長を加えなければ成り立ちません、つまり敵と接触した軽装甲機動車は車両を放棄して下車戦闘に移行する運用が現在の基本的な運用なのです。
歩兵戦闘としては正しい。車上荒らしに備えて軽装甲機動車は施錠し放置する、敵と接触した下車部隊は接触を絶っては意味がありませんので、徒歩部隊として軽装甲機動車からどんどん離れてゆき、後日回収するという。だから軽装甲機動車の機銃は取り外し専用であり、M-2重機関銃のような車載武器さえも搭載しない、変則的な運用がとられるという。
乗車戦闘用の装備、しかし普通科部隊の任務は近接戦闘ですので乗車戦闘には限界がある、このために変な運用が為されている訳です。それならば、普通科部隊は高機動車主体に切り替え、軽装甲機動車は偵察部隊に統合してしまってもよいのではないか、偵察部隊ならば乗車戦闘を基本とし、安くはない装甲車を放置せず済み、車上狙いにも荒らされません。
偵察戦闘連隊、ただでさえ減っている普通科から装甲車まで取り上げるのか、元々少ない人員の師団にもう一人連隊長を置くとは何事かと反論もあるでしょう。しかし、軽装甲機動車の現在の運用が正しいとは考えられないのですよね、また蛇足ですが、連隊編成ならば機動戦闘車小隊を含む臨時偵察中隊を複数編成し、普通科連隊戦闘団に配属可能です。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
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