■舞鶴港,第2師団は突然に
撮影というものはいつ被写体と巡り合うかというのは歩む歩数の分だけ大きいのかもしれませんね。
舞鶴基地に停泊する日米艦艇たち。舞鶴基地一般公開を撮影しましたが撮影の目的は翌日の防災訓練を撮影することが目的でしたので、土曜日の一般公開は、今日は良い日だあ、という面もちでして、おそらく終始にんまりしていたようにも思うのですが、さてさて。
ひゅうが、チャフィー。アメリカ海軍の艦艇は大型、これは世界の認識であるのですけれどもDDGは防空駆逐艦、対して護衛艦ひゅうが区分もDDHのヘリコプター搭載護衛艦、DDを冠していますので艦隊駆逐艦となっています。日米ですと日本の方が大きいのです。
夜景撮影。舞鶴基地一般公開を散策しましたが元々は金剛院と松尾寺を巡ってみようという気軽な趣での土曜日の舞鶴散歩のつもりでしたけれども、自衛隊撮影の機運に火がついた、とでも申しましょうか、地酒と地魚をホテルに買い込み一杯のつもりが夜の撮影へ。
北吸岸壁の護衛艦夜景撮影をしよう、こう思い立ちました次第です。アメリカ海軍のイージス艦は横須賀基地では日常風景かもしれないが、舞鶴ではなかなか入港の機会も限られています、カメラもEOS-7Dmark2にG3XとM-3があり、撮影機材としては充実です。
新日本海フェリー埠頭、しかし、今日はフェリーが入港するとはいえトラックが多いものなのだなあ、こう何気なく振り返りますと、トラックは民間のものよりも3-1/2tトラックが多い、驚きました、自衛隊のトラックが並んでいますよ、どこの師団だろう、気に成る。
第2師団。旭川の第2師団の車両でした、第2後方支援連隊に第2施設大隊、そして留萌の第26普通科連隊も居て、第2師団は最北の名寄第3普通科連隊に遠軽の第25普通科連隊と留萌の第26普通科連隊、一桁台と連番の二十番台ですから連隊と駐屯地が覚えやすい。
北方機動演習、2002年までは我が国安全保障における最大の脅威は北方ソ連、ソ連崩壊後はロシア、その北海道北部への侵攻であったことから、名古屋の第10師団、東北の第6師団、広島の第13師団、北熊本の第8師団を、有事の際に北海道へ送る想定だったのです。
第1戦車群、既に廃止されていますが、冷戦時代の北方機動は有事の際に古い61式戦車を本州から輸送するよりは、人員だけでも緊急展開させ、恵庭の第1戦車群とともに連隊戦闘団を編成する、という目的で編成されており、北方重視の時代の象徴だといえました。
協同転地演習。2002年より北方機動演習という名は改められました背景には、北方への脅威と同等に西方へ中国の軍事的脅威が増大しており、これに備えるには逆に強力な装備を持つ北部方面隊を南下させる訓練もまた必要である、とまさに南北が転換したのですね。
第2師団の舞鶴港、おそらくあいばの演習場にて訓練を行ったのでしょうが、あそこは戦車射撃もスラローム射撃に対応していませんし射撃は2000mまで、北海道の演習場になれていますと市街戦訓練施設をのぞいて手狭でしょう、敢えて内地に慣れに、と意義は深い。
京都府警のパトカーと何故かワゴン車も来ていまして、無線で舞鶴署と会話しているのですが、舞鶴署が何故か中部方面総監部と連絡しているようで、隷下師団には舞鶴港から北海道に向かう部隊はない、とやり取り、それはそうだろう、ここは第3師団管区なのです。
機動戦闘車や戦車のような、特殊大型車両を含まない部隊ですので、道路管理者に通知の必要はなかった、これが逆に所轄の警察に、何処の自衛隊なのだろう、という混乱を出してしまったとしましたら、これはこれでお役所的といいますか、不思議な印象でした。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
撮影というものはいつ被写体と巡り合うかというのは歩む歩数の分だけ大きいのかもしれませんね。
舞鶴基地に停泊する日米艦艇たち。舞鶴基地一般公開を撮影しましたが撮影の目的は翌日の防災訓練を撮影することが目的でしたので、土曜日の一般公開は、今日は良い日だあ、という面もちでして、おそらく終始にんまりしていたようにも思うのですが、さてさて。
ひゅうが、チャフィー。アメリカ海軍の艦艇は大型、これは世界の認識であるのですけれどもDDGは防空駆逐艦、対して護衛艦ひゅうが区分もDDHのヘリコプター搭載護衛艦、DDを冠していますので艦隊駆逐艦となっています。日米ですと日本の方が大きいのです。
夜景撮影。舞鶴基地一般公開を散策しましたが元々は金剛院と松尾寺を巡ってみようという気軽な趣での土曜日の舞鶴散歩のつもりでしたけれども、自衛隊撮影の機運に火がついた、とでも申しましょうか、地酒と地魚をホテルに買い込み一杯のつもりが夜の撮影へ。
北吸岸壁の護衛艦夜景撮影をしよう、こう思い立ちました次第です。アメリカ海軍のイージス艦は横須賀基地では日常風景かもしれないが、舞鶴ではなかなか入港の機会も限られています、カメラもEOS-7Dmark2にG3XとM-3があり、撮影機材としては充実です。
新日本海フェリー埠頭、しかし、今日はフェリーが入港するとはいえトラックが多いものなのだなあ、こう何気なく振り返りますと、トラックは民間のものよりも3-1/2tトラックが多い、驚きました、自衛隊のトラックが並んでいますよ、どこの師団だろう、気に成る。
第2師団。旭川の第2師団の車両でした、第2後方支援連隊に第2施設大隊、そして留萌の第26普通科連隊も居て、第2師団は最北の名寄第3普通科連隊に遠軽の第25普通科連隊と留萌の第26普通科連隊、一桁台と連番の二十番台ですから連隊と駐屯地が覚えやすい。
北方機動演習、2002年までは我が国安全保障における最大の脅威は北方ソ連、ソ連崩壊後はロシア、その北海道北部への侵攻であったことから、名古屋の第10師団、東北の第6師団、広島の第13師団、北熊本の第8師団を、有事の際に北海道へ送る想定だったのです。
第1戦車群、既に廃止されていますが、冷戦時代の北方機動は有事の際に古い61式戦車を本州から輸送するよりは、人員だけでも緊急展開させ、恵庭の第1戦車群とともに連隊戦闘団を編成する、という目的で編成されており、北方重視の時代の象徴だといえました。
協同転地演習。2002年より北方機動演習という名は改められました背景には、北方への脅威と同等に西方へ中国の軍事的脅威が増大しており、これに備えるには逆に強力な装備を持つ北部方面隊を南下させる訓練もまた必要である、とまさに南北が転換したのですね。
第2師団の舞鶴港、おそらくあいばの演習場にて訓練を行ったのでしょうが、あそこは戦車射撃もスラローム射撃に対応していませんし射撃は2000mまで、北海道の演習場になれていますと市街戦訓練施設をのぞいて手狭でしょう、敢えて内地に慣れに、と意義は深い。
京都府警のパトカーと何故かワゴン車も来ていまして、無線で舞鶴署と会話しているのですが、舞鶴署が何故か中部方面総監部と連絡しているようで、隷下師団には舞鶴港から北海道に向かう部隊はない、とやり取り、それはそうだろう、ここは第3師団管区なのです。
機動戦闘車や戦車のような、特殊大型車両を含まない部隊ですので、道路管理者に通知の必要はなかった、これが逆に所轄の警察に、何処の自衛隊なのだろう、という混乱を出してしまったとしましたら、これはこれでお役所的といいますか、不思議な印象でした。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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