北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

新年防衛論集二〇二三時事:政府-統合司令官ポスト新設を検討,統合幕僚監部を再度自衛隊運用から切り離しへ

2023-01-04 20:23:15 | 北大路機関特別企画
■安倍防衛改革の全否定へ
 政府が検討しているという報道であっても記者と関係者の話が基点であり鵜呑みにはできないのですが、逆の意味で驚かされるものが多い。

 政府は統合幕僚長と統合幕僚会議とは別系統の政府直下で命令を受ける常設統合任務部隊司令官を構想しているとのこと。これは現在、政府の直下に統合幕僚長を頂点とする統合幕僚監部が置かれており、この元に陸海空自衛隊が置かれ、有事の際には統合任務部隊を編成し対応します。安倍政権時代の防衛省改革としておこなわれた方式でした。

 統合司令官を置く、岸田内閣での検討は統合幕僚長と統合幕僚監部を陸海空自衛隊から切り離し、統合幕僚長と並列する別系統として、統合司令官ポストを新設し、統合司令部を置くとしています。そして統合司令部隷下に陸海空自衛隊を置き、米軍との調整も行う、としています。これは画期的です、なにしろ15年ぶりに前の方式に改悪するのだから。

 小泉政権時代まで、統合幕僚監部というものはなく、統合幕僚会議という陸海空の調整期間がありました、実質的に統合幕僚会議議長は陸海空自衛隊の頂点という位置づけではありましたが、統合幕僚会議は陸海空自衛隊とその頂点である陸上幕僚監部や海上幕僚監部および航空幕僚監部とは別の組織であり、いわば制度上指揮権はありませんでした。

 安倍内閣、第一次安倍内閣時代に防衛庁を防衛省へ改編した際に、統合幕僚会議を改称することで統合幕僚監部を新設、そしてこの点が重要なのですが、統合幕僚監部の隷下に陸幕と海幕に空幕を置き、陸海空の統合運用体制を確立したのです。岸田内閣の検討は、これを再度切り離すということ、要するに統合幕僚監部に部隊運用をさせないという。

 統合司令官を置くのですが、幕僚機構は置かない、凄い昔のやり方ですが参謀という制度がない、安土桃山時代の織田信長などが用いていた手法です、そして今そのやり方を行わないのは軍隊は参謀機構が必須であり、なぜならば一人の司令官がすべての情報を把握し判断するには軍事作戦は複雑で、なによりも寝る時間がなくなる故なのですね。

 陸海空を統合運用する統合司令部、たとえば日本有事を統括する本土防衛司令部やシーレーン防衛を担う太平洋艦隊、ミサイル防衛を弾道ミサイルから巡航ミサイルに爆撃機まで担当する極東防空司令部、こうした統合司令部が必要だとは考えます、しかし、統合幕僚長をまた指揮系統から切り離すというのは全く理解できず素人の考えにすぎません。

 幕僚機構は重要だ、情報を整理し作戦を立案する幕僚機構も切り離した上で司令官だけ置く、幕僚機構は隷下に置かない、意味不明です。トップダウン、と理解するのは真逆で、トップダウンでも幕僚機構が機能してこそ意味がある、情報が整理できず作戦を明確化できない、幕僚機構を欠けばあのナポレオンでさえワーテルローで敗北しているのです。

 軍事面は、もちろんアメリカの制度を日本が丸々真似るというような思い切った指針を政治が示すならば別なのですが、どういった機能が必要なのかだけを政治が現場、防衛当局に示すべきであり、意味のない改編をおこなうべきではありません、それが適切でない場合は、よけい税金がかかることとなります、GDP3%でも不足する懸念があるのです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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新年防衛論集二〇二三【9】第一次防衛力整備計画時代の四個管区隊編成と政治家が行うシビリアンコントロール

2023-01-04 20:00:52 | 北大路機関特別企画
■管区隊編成の巨大連隊
 シビリアンコントロールを文民統制を訳した事でシビリアンとは本来国民に選挙で選ばれた政治家である筈なのに官僚が自らを自衛隊よりも優位において統制できるという勘違いがあります。

 防衛計画の大綱という閣議決定に基づく防衛力整備、内閣という国権の最高機関であり国民から直接選挙により選ばれた国会が行政を付託した内閣の決定を、選挙で選ばれたわけでもない財務省が一方的に削るのですから、このあたりは内閣人事局が仕事をしていないのだなあ、と残念に思いつつ、数がそろわない、揃わせない圧力がある、これも影響した。

 閣議決定まで考えても財務省が阻むのだから、内閣は財務省よりも格下にみられている現状を放置する実状に、民主国家のあり方というよりもシビリアンコントロールの危機を感じる一方、どうせ通らないという危機感から自衛隊としても部隊の規模を縮小できいない、という実状があるのでしょう。結果的に編成はどんどんと縮んだ実状へつながりました。

 事項要求による部隊編成の予算確保と部隊規模及び部隊編成を政令で明示する、これができるならば、自衛隊の編成は名称と規模を一致できるのかもしれません。そして、こうした"事項要求"と"編成の政令"が実現できるならば、その条件を以て編成をいっそのこと、思い切って第一次防衛力整備計画の時代、大型の連隊を基幹とする編成に戻してはどうか。

 第1連隊を構成する第1連隊第1大隊はその後1954年に第1普通科連隊に、第1連隊第2大隊は1960年に市ヶ谷へ移駐したのち1962年に第32普通科連隊に、第1普通科連隊第3大隊は豊川を経ていろいろあって北海道真駒内の第18普通科連隊、大隊編成を戻し地域との関係を重視するならば、第1普通科連隊第1大隊と第32大隊と第18大隊とすればよい。

 即応機動連隊の編成、大隊編成は普通科大隊ではなく単に呼称を大隊とするだけならば、ここに諸兵科連合部隊という現代のNATOはじめ各国が採用する諸兵科連合大隊としての編成に変える好機、すでに編成実験と任務能力が実証されたいまの即応機動連隊の方式を採用することで実現します。即応機動連隊は850名、普通科連隊の1200名よりも小型だ。

 諸兵科連合部隊としての即応機動連隊ですが、本部管理中隊に装甲化された3個普通科中隊と2個中隊基幹の実質大隊編成ともいいうる機動戦闘車隊、そして重迫撃砲を装備した火力支援中隊から編成されています。装甲車は96式装輪装甲車の後継に重装甲のパトリアAMV装甲車が採用されたため、火力支援中隊の自走迫撃砲も強力な装備となる。

 四個管区隊時代までいったん部隊編成を戻し、いわば大型の師団四個、その隷下に大型の連隊を各3個の12個連隊を置き、更にその隷下に各3個の即応機動連隊型部隊を置いてはどうか。上掲の通り枝分かれして基盤的防衛力の母体となる小型の普通科連隊となったのだから、大隊として地域と繋がりは維持できるでしょう。このあたりは重要と思うのです。

 自衛隊も結局のところ人と人の組織です。そして演習場や飛行場がなければ、毎日の射撃訓練でアメリカやオーストラリアへ行くわけにも参りません、すると地元との関係を重視せねばならない。このことは2022年、今津駐屯地祭で痛感しました。滋賀県知事と高島市長が祝辞を述べられたのですが、部隊の大規模削減に途轍もない危機感を感じていました。

 人口減少対策は自衛隊の任務ではない、こう反論がある事は判るのですが、しかし高島市には中部方面隊唯一の戦車小隊射撃が可能な中演習場があります、日本原では小隊射撃は出来ない。そして、迫撃砲の場外着弾初め、不祥事も起きているのですが、実際のところを見ますと、地元理解により演習場が維持出来ている印象がある、擁護論が地元にもある。

 コミュニティの一員と理解されている故、また昔からの、軍都、という表現は行き過ぎなのかもしれませんが、こうした地域的なつながりがありますので演習場が維持できているという背景を無視すべきではありません。武家社会ではなく自衛隊は公務員ですので世襲制により人数を確保出来る訳ではない、演習場も御用地ではなく国有地、なのですからね。

 防衛力整備法か、せめて政令により過度に人員削減されない保証が要る。ラジカルな改編を提案しましたが、これには理由があります。いままで幾度も画期的な防衛力整備の指針が示されても、財務当局に予算を削られる事で中途半端なものに、完成せず結局整備途上であり、その整備に要した防衛費が結果として活用できず終わった施策が多すぎるのです。

 財務省は日本を経済破綻から防衛するべく増税する事が責務だ、と考えているのかもしれませんが所掌の違いに過ぎません。いや、防衛計画は閣議決定されているのですから、民主主義により選ばれた政治の決定を官僚がゆがめている構図です。だからこそ、事項要求とするか、財務官僚が更迭を覚悟で削減したならば、覚悟の更迭で応える必要があります、それが民主主義なのですから。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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新年防衛論集二〇二三【8】連隊-バタリオンとレジメントは欧米価値観と明治以降の日本の価値観と重み

2023-01-04 07:00:51 | 北大路機関特別企画
■自衛隊にとっての連隊
 今回はちょっと古めかしい価値観で視点を考えますが人間歴史や背景から正当性を見つけ出さねば自我自尊を見失うように思えるのが、京都の寺社仏閣を散策しておもうこと。

 バタリオンとレジメント、実際のところ自衛隊が連隊という呼称にこだわった背景には明治建軍の時代からの軍隊と地域の関係があるのかもしれません、故にわたしは今でも自衛隊が地元との関係を重視するならば、連隊という名称は必要とも考えていますし、代替する象徴的なものは考えつきません、それは旗の違いというもの、欧米と日本の旗の違い。

 バタリオン、大隊の名称で欧米としては成り立つ背景にはバタリオンの語原がセンチュリオン、つまりローマ時代の編成、指揮官の格式に起因するものです。これは後に十字軍の基本編成ともなっている、古すぎる話と馬鹿にしてはいけません、欧州の国旗や軍旗にはなにか十字架を模した様式が含まれている、この歴史的且つ文化的な背景があるのですね。

 明治建軍、さて日本の場合は連隊旗に明治時代から旭日を模した意匠とともに当時では天皇から下賜されたという伝統が加わりました、大隊というものの編成は江戸時代末期にフランスの近代洋兵術として導入されていますが、大隊編成は安土桃山時代にも鎌倉時代にも基本単位としては存在しておらず、江戸時代の鉄砲百人隊が多少近いくらいでしょうか。

 百人隊が一種の大隊に近い規模なのですが、悩ましいのは当時の語彙、バタリオンは100名規模のカンパニー、つまり中隊を基幹としていますので、百人隊では定員が百人程度という認識を越えられず、結果江戸時代と明治時代の軍制度に大きな間隙を生むこととなりました、いやだからこその国家近代化へ、大政奉還と明治建軍が必要となったのですが。

 時空の彼方に話が逸れてしまいましたが、連隊は明治以降、軍管区司令部としての地域との関係を構築してゆくこととなります、これが郷土連隊という関係ですが、自衛隊も基盤的防衛力、この名称は内局がねじ曲げたもので本来の意味とはだいぶん違うのですが、各地域に基盤をおく全国均一の部隊配置を行う防衛力整備として継承されてゆく構図です。

 基盤的防衛力というのはもともと陸上自衛隊が当初の30万名規模の部隊編成を考えた際に、しかし第四次防衛力整備計画の時代にそろそろ防衛力を現実的な18万名規模の定員に抑えなければ限界という視点から有事の際に増強するための基盤、もとの部隊という認識で平時にあっては不満だが、18万の規模に甘んじる、こういう理念の下で整備されています。

 内局としては、緊張が拡大した時点で増やす選択肢という認識では通りが悪いために全国へ基盤を置くと言い換えたもので、しかし連隊区という旧陸軍の考え方をそのまま踏襲するならば、間違いではないのかもしれません。しかしこれが地域と連隊の結びつきを強固なものとしました、募集広報では利点となりますが、安易に部隊数を縮小できなくなる。

 郷土連隊という気風、結局軍事機構も人の集まりですので悪いものではないと考えるのですが、結果連隊を減らせないが人員は全体として縮小する為に連隊がどんどん人員規模で細ってゆく、という構図、日本独自の問題を示している印象がないでもありません。ただ、戦闘部隊としての本務をどのように考えるか、人間か機関かの問題がでているといえる。

 人口減少時代、特に地方都市で自衛隊の部隊は人口維持に不可欠の要素となってしまいました、だからこそ地元は自衛隊を好意的に迎えますし、演習での事故に際しても、しかし自衛隊がいなくなっては困るという機運も醸成する、反対があっても自衛隊の代わりに巨大自動車資本が雇用二千人とかでも実現しない限り、反対するにも、声が弱くなります。

 現代に置いても旧態依然きわまる、こうした構図なのか、こう思われるかもしれませんが、自衛隊駐屯地誘致に失敗して財政破綻した自治体が実在しますし、こうなってきますと部隊としての雇用はもちろんですが、小中学校を維持できるか、30km圏内に高等学校を残せるのか、路線バスは二時間に一本運行できるか、切実な問題となってしまうのですね。

 自衛隊の任務ではない、こう思われるかもしれませんが、一方で演習場の確保など、結局土地と軍事機構の関わりは省けません、故にこうした連隊の問題は、一種泥縄的に自然醸成されるためのいくつかの選択肢が、軍事機構よりも行政機構という側面で部隊の規模を各国の編成から乖離させる、そんな部隊規模で実戦に通じるのかという問題を残しました。

 財務当局との問題もあります、例えば自衛隊法付則"連隊は1200名を定員とし戦車大隊は戦車44両を定数とする、これを下回るには部隊ごとに内閣の閣議決定を必要とする"という法令を整備できるならばよいのかもしれませんが、結局戦車定数にしても装備投入にしても防衛省がいくら真面目に概算要求を示しても財務省にはねられます、予算化できない。

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