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北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【京都幕間旅情】妙心寺,台風迫る八月のお精霊迎えはお盆の仏事でいよいよ季節移ろい見える猛暑酷暑の真夏

2023-08-16 20:23:14 | 写真
■お盆は妙心寺お精霊迎え
 京都直撃さえ想定されたこの台風7号が運ぶのは混沌か秋かと思う今日この頃です。いや西に逸れた台風は甚大被害をもたらし心痛む事にはかわりないのですが。

 妙心寺へ。釈迦如来を奉じるこの寺院は開山に関山慧玄を迎え、花園法皇が暦応5年から康永元年の改元に併せ、西暦では1342年に創建した寺院で、もともとは花園上皇の花園御所として離宮萩原殿であった院の御所を落飾にあわせて寺院とした歴史をもちます。

 南に台風が迫っている、そんな曇天は情景として見返してみれば酷暑にも忙中有閑という涼しそうな風情と思いきやそれは見た目だけであり、猛烈な湿気の不快感が比叡から高雄までを幅広く蓋していて滴る汗は上着に沁みて変換ミス凍みてという字さえ愛おしい。

 台風は災厄なのだけれども通りから見上げる山陰線の高架行き交う列車は、ちかごろ広く悪名が轟いてしまった嵐山のオーバーツーリズムという大量の観光客が朝の大阪環状線か山手線かという混雑を少しだけ遠ざけるようで、電車の車窓は若干空きがあるもよう。

 山陰線の高架が見えるという、つまりここはめっきり市街地なのだという風景の中に、ひょっこり、というべきか慄然と大きな山門が、高さこそそう大袈裟ではないけれども、袈裟の気風とともに寺院が見えてきます、ここは妙心寺、山陰線花園駅から徒歩でも直ぐ。

 三門、堂宇というにふさわしい風格とともに実は先の山門は南門ということなのですけれども、朱色の三門が凛と迎えてくれまして、いや曇天という事で湿気がありますので、見上げるとくらくらするような温度とともに、大きな三門は妙心寺に来たのだと改めて。

 お精霊迎え。そうこの日は年に一度のお精霊迎えという日でして、いつもは静けさとともに歩む壮大伽藍を結ぶ石道路は不思議なほどの活気に満ちている、お精霊迎えなのだから生きている人とともに、その空には御霊が、ということなのかもしれないけれども。

 妙心寺、京都市右京区花園妙心寺にあります巨大寺院へお盆という事で拝観へと行ってまいりました。臨済宗妙心寺派の大本山となっていまして、ここは日本の臨済宗寺院5650か寺のうち実に3,350か寺が妙心寺派といいますから、まさに大本山の名が相応しい。

 西の御所と呼ばれます妙心寺、ちょうどこの日はお精霊迎えという日でした、お精霊というのは京都のほかはこう読まないということですがしょうらいさんと親しまれていまして、9日と10日は提灯の幽玄な灯が寺域を包むという、幻想的なお盆の風景を醸す。

 お盆だから。そんな理由で散策という訳なのかと問われればいやしかし気分が向いたという趣で赴いた先がここ花園町、京都花園町はひらがなにすると京都はなぞの町とも書かれることもあり、ちょっと寺院が多い割に観光客が少ないという、謎の町となっている。

 お精霊迎え。妙心寺は、日常に散策していますとあの大徳寺よりも大きく、広さは、そう妙心寺そのものの広さは第3師団の千僧駐屯地や中部方面総監部の伊丹駐屯地くらいなのだけれども、考えてみれば、寺院というだけでこの広さというのは凄いことなのか。

 お盆のご先祖様が戻ってこられる際のお迎えをこのお寺で檀家さんのご先祖さまお迎えを一手に迎えるというのが、妙心寺のお精霊迎え。西の御所といいますし、なにより臨済宗妙心寺派大本山ということですので、この広い寺域も多くの檀家さんで溢れてゆきます。

 お塔婆へ法名が墨書されその名が読み上げられる声は拡声器から寺域に届くもので、そしてそのお精霊さんは五山送り火の日に執り行われる先祖供養法要にて還ってゆく、これが京都のお盆で京都の夏、毎年の風景、そしてお盆は夏の終わりの始まりでもあるのです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【京都幕間旅情】天龍寺,幕末動乱禁門の変での無差別砲撃による全焼と戦災免れた太平洋戦争京都核攻撃危機

2023-08-16 20:00:15 | 写真
■免れた第四の戦火
 天龍寺は複雑な歴史の只中に在った故に戦火に何度も見舞われその合間合間に失火にも見舞われました。

 天龍寺と三つの戦争、鎌倉幕府滅亡に端を発し建武の新政と南北朝分裂までの一連の騒擾を背景に造営、応仁の乱による荒廃、そして最後に、幕末動乱により天龍寺は攻撃目標となり、徹底的な砲撃を受け全焼しています。これが天龍寺の最後の戦争という。

 法堂は明治時代の建物なのですが、これは禁門の変、蛤御門の変とも呼ばれる幕末の長州藩と薩摩藩との戦闘によりもともとの法堂を焼失したためという。御所までは8㎞ほど離れていますので、120mmRT迫撃砲でも使われたのかというとそうではありません。

 禁門の変は御所蛤御門において天皇の長州遷座、要するに拉致を試みた長州軍と御所を防衛する幕府軍薩摩軍の全面衝突であり、幕府軍薩摩軍の奮迅により長州軍が内裏に押し入ることだけはなんとか回避しました、これにより京都市内は未曽有の大火災となる。

 天龍寺はこのとき、長州軍の拠点となっており、反撃する薩摩軍が長州軍の立てこもる天龍寺を包囲、無差別砲撃を加えた。この際に略奪も行われたという記録があり、正義うんぬんよりも実際の行動を正当化するには限度があるという事を改めて思わせます。

 雲居庵、天龍寺への無差別砲撃はほぼすべての寺域を焼き払ってしまったということで、しかし奇跡的に残った塔頭寺院雲居庵の禅堂を、とりあえずと移築することで天龍寺は当面の復旧を望みますが、特に明治元年は廃仏毀釈の時代、移築さえ難しかった。

 法堂兼仏殿として雲居庵の禅堂を移築できたのは明治33年、つまり1900年という19世紀最後の年で、移築には36年もの月日を要したことになります。ただ、移築とはいえその規模は大きく、それだけに往年の天龍寺の姿を思い浮かべてしまうのですね。

 釈迦三尊像を安置しました須弥壇に、見守る様に光厳上皇位牌と歴代住持の位牌、この位牌を守るのは開山夢窓疎石と開基足利尊氏の木像という。今の法堂はそれでもこうした規模を有していまして、大方丈として明治32年即ち1899年に再建の建物と並ぶ。

 幕末動乱、東京遷都ももともとは荒廃した禁門の変ののちの京都の復興に限界を感じており、この結果戦災に見舞われていない江戸を東京として遷都した背景がありました。やはり今思い返しても幕末動乱の影響はやはり大きかったのだと改めて思うのですね。

 京都は、太平洋戦争における戦災を免れました。いや、正確には核攻撃の標的となっていた。梅小路の転車台を標的にする計画で、実行されていたらば東寺は吹き飛ばされて何も残らなかったでしょう、西本願寺と東本願寺も恐らく全部消し飛んでいたと思う。

 西本願寺と東本願寺は江戸時代に度々失火で燃えていたとはいえ、やはり考えると核攻撃に見舞われず良かったと思う。こう考えてみますと終戦記念日を考えさせるものというものは深いものがあるのですが、最近はもう一つの危惧を考えねばならない。

 ロシアウクライナ戦争においてロシア軍は文化財を標的としている、ロシア軍が配備する自爆用無人機や巡航ミサイルは沿海州から京都へ届くのだ。三つの戦争を超えた天龍寺、しかし四つ目というものはいつ想定せざるを得ないのか、危機管理上考えてしまう。

 第16師団司令部の建物が学校に転用されているなど、軍事史跡も多いですし、なにより京都には舞鶴基地があり、こここそまさに舞鶴軍港を継承している。太平洋戦争を連想する場所は京都に数多く、故に終戦の日とこれからの安全保障を考えてしまうのだ。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【京都幕間旅情】榛名さんの総監部グルメ日誌:京都-京都駅,運転再開成った東海道山陽新幹線と台風一過の麦酒

2023-08-16 18:23:14 | グルメ
榛名さんの総監部グルメ日誌
 台風で計画運休となっていました東海道山陽新幹線も今日から運転再開です。

 お盆の真ん中を直撃した台風、太平洋高気圧が接近をそらしてくれるのではないかという淡い期待は太平洋高気圧がお盆休みに入ったが如くという太平洋上への移動により、しっかりと本州を直撃しました。京都府内ですと、舞鶴、特に西舞鶴や山間部がやられた。

 保険でカバーできる程度の商品被害なのだろうか、それとも対象外となれば古い商店街なんかは高齢化もあって廃業してしまいは抜けになる商店街、ということにもなりかねない。安易にボランティアに行く時間を考えるか、観光で現地を盛り上げるというべきか。

 人命に関しては、まあ、なんとか、という今日この頃ですのでビールによる祝杯の様子を。他方で、計画運休をしっかりやるというのは驚きましたが、台風進路予報では東海道新幹線の中央部、伊勢湾を直撃する予報は大きくずれまして、結局は紀伊半島にあがった。

 予報円を逸脱したものではない、という反論もあるかもしれませんけれども100kmは逸れている訳で、しかも雨台風でしたから進路予報の誤差は、豪雨の誤差に繋がっている、毎回ハリケーンハンターが必要だ、という話題を挙げていますが、観測体制は強化すべき。

 暴風圏は半径110kmですから、100kmの誤差というのは暴風圏に入るか否かの判断を変えてしまいます。予報円を大きく採ってこの当たりを曖昧としますと、当らないとか、台風を軽視する論調にもつながりかねない、どのみち精度はもっとたかめねばなりません。

 山陰地方の浸水被害は心が痛む、鳥取県では特別警報が発令されましたし、八月一ヶ月分の雨量の三倍も降ったという場所もある、そんな話題を思い浮かべますと、下手をすれば深層崩壊が起こる雨量だ、ビールがいつもよりも苦く感じてしまうところですけれども。

 舞鶴地方隊オータムフェスタが行われますので、いっそ宿泊してご飯食べて、マッサージとかで、少しでも経済を回す方法を考えるところか、そこまでにどの程度復旧できるのか。台風による被害、いつかこちらにも起こりうる被害を報道でみるのは、憂鬱ですよ、ね。

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ウクライナ情勢-ロシア軍Su-34戦闘爆撃機近接航空支援投入と反攻作戦封じる錯綜地形と地雷41万5000発

2023-08-16 07:00:03 | 防衛・安全保障
■防衛情報ーウクライナ戦争
 制空権という概念無き航空戦力の枯渇したウクライナ軍へ最新鋭戦闘機が陳腐な爆弾による航空支援が襲いかかっている、制空戦闘機の重要性を示します。

 ロシア航空宇宙軍は虎の子Su-34戦闘機による近接航空支援を開始した可能性がある、これはウクライナ側が第一線で撮影した映像に低空より自由落下型爆弾を投下するSu-34戦闘機の映像があり、これまでSu-25攻撃機など近接航空支援用に開発された機体のみに限っていた近接航空支援を拡大した事となります。しかし利点だけではありません。

 Su-34戦闘機はロシアが冷戦後実用化した数少ない第4.5世代戦闘機であり、長距離打撃力を持つ西側のF-15Eに当たる戦闘爆撃機であるため、これを機銃などで簡単に反撃される低空の近接航空支援に投入するという現状は、ほかに投入できる選択肢が払底した、若しくは長射程ミサイル枯渇を示す数多い事例を一つ追加した、ともいえるでしょう。
■休耕地に茂る樹木
 東富士演習場のススキはじめ日本でも川の中州などに短期間で立派な樹木が育つ事が往々にしてありますが戦場では錯綜地形となってしまう。

 ウクライナ南部地域の休耕地が戦闘を複雑化させている、8月3日付イギリス国防省ウクライナ戦況報告が南部地域での反転攻勢への不確定要素に関しての分析を公表しました。これによれば、戦闘により放置された南部の休耕地が18か月間を経て、低木などが育つ状況となっており、ロシア側防御陣地を遮蔽する結果になっているとのこと。

 低木と雑草は敷設された地雷原を処理しにくいものとするとともに機械化部隊の坑道を阻害します。他方でイギリス国防省の分析として、この雑草と低木は歩兵の浸透作戦。ウクライナ軍歩兵部隊の奇襲や迂回等行動に自由度を与える一助となる可能性を示唆していますが、併せて両軍とも行動に制約が加わる結果の方が大きいとも分析しています。
■41万5000発
 地雷などだけで実に41万5000発が処分されている。自衛隊の地雷処理装備は決して潤沢ではありませんが攻撃用装備の供与を自粛する一方でこうした装備位は供与してはどうかと思う。

 ウクライナ国家緊急事態局によればロシアから奪還した国内において41万5000発の爆発物を処理したと発表しました。7月29日の更新では更に250発の爆発物を処理したとしています。これは917平方キロメートルのロシア軍敷設地雷や不発弾などの処理を行った結果とのことですが、ロシア軍の敷設した爆発物被害の大きさを物語ります。

 41万5250発は農地や市街地と占領地などに散布され、建機による敷設や砲弾とロケット弾による地雷散布、また不発弾発生率がアメリカ製クラスター兵器の200倍以上というクラスター弾不発弾などが含まれ、しかし地雷除去は戦闘地域の0.5%で行われたのみ、不発弾を処理しなければ農耕さえできない状況となり長期の禍根を残す事でしょう。

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