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北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【京都発幕間旅情】名古屋城(愛知県名古屋市),名古屋空襲の文化財被害-寺社仏閣悉く焼き尽くした戦災概要

2023-08-30 20:23:45 | 旅行記
■第13方面軍司令部
 軍事施設よりは軍需工場となにより住宅街の民家や文化財が破壊されている印象がある。

 名古屋城、空襲により徹底的に破壊されたという歴史がありますが、名古屋空襲を調べてみますとそもそも、被害は名古屋城だけではなかった、いや、戦災復興で名所旧跡復興を名古屋城以外後回しとしたために、やたら機能的だけという街となった事を知り驚く。

 名古屋は軍都であり空襲の標的となった、という視座は名古屋空襲による軍事施設被害状況を見ますと全く当てはまらない事がわかります。空襲で破壊された軍事施設は、陸軍航空本部名古屋監督班事務所と東海軍管区司令部別館一棟第二庁舎となっている。

 第13方面軍司令部が名古屋に置かれていまして隷下には第54軍と方面群直轄の第73師団、第153師団、第229師団、高射第2師団が隷下に。それなりの規模の方面軍であったのですが、空襲の主目標は野戦部隊ではなく市街地と軍需工場に向けられました。

 第54軍などはその隷下部隊を見ますと、第143師団と編成中の第224師団及び編成中の第355師団、独立混成第97旅団と独立混成第119旅団と独立混成第120旅団そして第3砲兵司令部、それなりの規模があったのですが、軍が爆撃されなかったのは上記の通り。

 寺社仏閣という視点で見ますと、名古屋の寺社仏閣は、名古屋の方に申し訳ないのですが見るものが少ないといいますか、無い。のだけれども、これは戦災により焼かれてその後に宅地開発で寺社仏閣を破却してしまったという戦後の都市計画の結果でもあるという。

 B-29戦略爆撃機により名古屋が受けた空襲は数回に分け、全体で延べ2579機、もちろんこのほかに空母艦載機やB-25などの爆撃は含まない。あのドゥーリットル日本初空襲では名古屋赤十字病院がB-25に攻撃されていますが、これを含まず2579機という。

 萬松寺、空襲の被害を受けた寺院には先ずこの織田家ゆかりの寺院があります、2017年に本堂が再建されたのですが、どうみてもマンションにしか見えない事でマンショウ寺をもじってマンション寺といっていましたが、これは戦後都市計画の犠牲という歴史が。

 織田信秀という織田信長の実父葬儀が開かれ有名な位牌に信長が抹香を叩きつけた逸話はこの萬松寺でして、実は今よりもはるかに広い寺院でしたが空襲で全焼し不動堂と稲荷堂だけを再建して本堂はビルに甘んじるほかなかったという寂しい歴史があります。

 長福寺。もう一つ、ここは歴史ある寺院らしいという事でしかも大須電気街からほど近い立地もあっては如何に歩み伸ばしたのですが、あまりに小さく驚いたのです。廃仏毀釈の影響か真言宗寺院故に禅宗の流れで縮小したのかと思いましたが、ここも戦災だった。

 七寺塔頭という長福寺の寺域は旧国宝として指定された本堂も中世造営という三重塔なども七堂伽藍を全て焼失しており、しかも戦後復興により住宅地や商用地へ区画整理で寺域を取られてしまい、戦前は現在の大須観音よりも遥かに広かった寺域が今に至る。

 熱田神宮は本殿含め国宝鎮皇門も国宝海上門も春敲門をも焼き払い今に至るも再建されていない、名古屋東照宮は権現造の社殿と楼門及び唐門と渡殿を焼失、誓願寺は源頼朝の生誕地の寺という歴史があるも本堂を焼失し、高速道路効果近くに小さな庵を残すのみ。

 戦後は、苦しいという以前に喰っていくだけで精一杯という中での苦肉の復興計画がこうした現状となっている。名所旧跡なき名古屋の街は、こう考えますと、空襲の被害というもの、実は2020年代の現代でも如実に突き付けられていることを痛感するのですね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
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【京都発幕間旅情】名古屋城(愛知県名古屋市),八月は終戦記念日の季節-太平洋戦争は国宝天守閣と名古屋大空襲

2023-08-30 20:00:38 | 旅行記
■戦争・空襲と文化財
 名古屋もこの夏は危険な程に熱いのだけれども一つ久々に壮大な城郭を探訪して参りました。

 名古屋城。昔は城郭といえば天守閣、というものを、二条城どうなるんだといわれますといつか天守台に再建を、とまで考えていたほどですが、全国色々廻りますと街並みに溶け込んだ城郭や石垣を中心に大切にされている城址公園というものを漸く理解できた。

 日本第三の大都市である名古屋市、その象徴は名古屋城で東海道新幹線や東海道本線と名鉄本線の名古屋駅は、名古屋城から少し離れたところに整備されているゆえにやや遠くに望見する程度なのですが、再建された天守閣は凛として美しく円形にも良く映える。

 伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ、尾張名古屋は城でもつ。名古屋城はこのように言われていたものでして実際戦前には大阪城と熊本城とともにあわせて日本三名城といわれていたのだとか。個人的には姫路城と広島城と岡山城も素晴らしいと思うのだけれども。

 徳川家康が天下普請によって築城した城郭は、もともと今川義元築城の城である那古野城の縄張りを抜本的に拡張して造営されており、天下泰平の時代に在って本丸御殿は二条城の二の丸御殿と並ぶ武家風書院造の双璧を為すほどの豪華美麗を誇った、といわれる。

 名古屋大空襲、この豪華美麗を誇ったといわれるとの過去形の表現は、1945年5月14日の名古屋大空襲で大部分を焼失したという寂しい歴史によるもので、このとき名古屋を襲った爆撃機はB-29爆撃機440機、戦略爆撃機440機とは今考えると途方もない。

 B-29のこの日の爆撃は、主として名古屋駅周辺に集中し死者338名と負傷者783名、もちろんこんな爆撃の死者が21世紀の今日世界のどこかで生じれば全世界のトップニュースを数週間占め、国連安保理が開かれ人権団体が挙って現地調査を行うのでしょうが。

 城郭と名古屋駅に集中したこの日の爆撃は、しかし住居地域を狙うその後の絨毯爆撃にくらべれば死者数は抑えられていたという。実際、6月9日の熱田空襲は死者2068名、いや近郊都市を加えた第二次世界大戦全体での名古屋都市圏の被害はこれよりも遥かに。

 名古屋城名古屋城、と城郭だけを今まで見ていたのですが、この名古屋城が破壊されたのは空襲であるという知識はありました、ただ、その空襲はどんなひがいであったのだろうという素朴な疑問を敢えて名古屋城の再訪とともに調べてみますと、改めて考えさせる。

 北大路機関創設当時、わたしの大学には多数の資料があり、その中には連合国の戦略爆撃調査団による空襲関連の一次資料複写分が多数ありまして、いや学生時代に途方もない時間を活用できるというのは物事を学び、考える習慣づけの基礎固めには大切で。

 戦略爆撃調査団の資料を見ますと、この都市あの都市の破壊状況や被害状況をかなりしっかりと見ることができまして、凄い資料を図書室は集めたものだ、と地下の書庫、閉じ込めかけられたことも何度かあるけれども、その資料の厚さを感心させられたものです。

 名古屋城を破壊した空襲、これは驚くべきことに名古屋の今の印象というものまで影響してしまっているという事で、考えると今でこそ本丸御殿が再建された名古屋城だけれども、その前は焼け残った櫓と、あとは再建天守閣だけの城郭であった。後はお堀か。

 寺社仏閣巡りという視点から名古屋を散策しますと、大須観音はありますし熱田神宮も、まだ行ったことはないのですが東別院、けれどもそれ以外の大きな寺社仏閣というとあまり思い浮かばないという実情、調べるとそこが実は空襲の影響であったのですね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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ウクライナ情勢-ロシア航空宇宙軍への重圧と混乱,クピャンスク・スヴァトフ・クレミンナ間の概況

2023-08-30 07:00:00 | 防衛・安全保障
■防衛情報-ウクライナ戦争
 この状況でウクライナ軍がF-16を運用し始めて仮にアメリカが退役させるE-3でも供与したらどうなるのでしょう。

 ロシア航空宇宙軍は相次ぐモスクワへの無人機攻撃をゆるしたで重圧と混乱に曝されている、イギリス国防省ウクライナ戦況報告8月20日付分析においてその現状が分析されています。ロシア航空宇宙軍は現在大きな混乱にある状況です、それは6月のワグネル武装蜂起を受け、これに関係したとされる将官への粛正が進められており、航空宇宙軍は影響が。

 セルゲイスロヴィキン上級大将は、ロシア航空宇宙軍司令官に最近まで任命されていましたが、更迭されるまでの二か月半、その消息が不明となっていました。解任されることなく消息不明という状況で、航空宇宙軍指揮は参謀長のヴィクトルアフザロフ大将が代行をつとめていました。8月23日にスロヴィキン更迭がロシア国営メディアで報じられる。

 航空宇宙軍司令官はヴィクトルアフザロフ大将がそのまま指揮を命じられたとCNN2023年8月23日2013時報道がありましたが、上級大将昇格の報道は無く、事実上代行のままとなっています。一方でウクライナ軍は電子妨害を受けにくい対空ミサイル改造の弾道ミサイルをロシア攻撃に使用しており、航空宇宙軍は防空の重責を求められ続けています。
■東部戦線の概況
 偽後退により敵を主陣地へ引きこむのは沖縄戦で賀谷支隊が敵を嘉数に誘引した戦闘を思い出す、がウクライナ軍はそんな轍を踏まない。

 クピャンスク・スヴァトフ・クレミンナ間でロシア軍が兵力を移動させている、ISWアメリカ戦争研究所はウクライナ東部軍集団のイリヤイェヴラシュ報道官の発表を分析しました。報道官はロシア軍がクピャンスク方面からノヴォイェホリフカ方面に兵力を移動させていると発言、いったん後退しウクライナ軍を主陣地に誘引する動きがみられる。

 クピャンスクとライマン方面へロシア軍の焦点が移りつつある、こちらはウクライナ地上軍司令官オレクサンドルシルスキー大将の談話をISWアメリカ戦争研究所が分析したものです。他方で東部戦線全般で見た場合はロシア軍は北部においてウクライナ軍の誘因に務めているのみであり、中央部においては逆に顕著な動きがみられないとしています。

 東部戦線南部ではウクライナ軍がヴェルボヴェ周辺地域において着実に前進を続けており、オリヒフの南18km地域において成果を収めた、これらはウクライナ軍公開画像により判明しているほか、ロシア軍情報筋においても同様の情報が見られます。東部戦線南部の着実な進捗を北部でのロシア軍陽動がけん制しようとしている状況といえるでしょう。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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