北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【京都幕間旅情】八坂神社,山城国の神社は延暦寺の末社から足利義満と織田信長の影響経て今に至る町衆の神社

2023-08-02 20:23:08 | 写真
■国宝本殿とながい歴史
 祇園祭が終わりましたがこの八月二日は青森では祭事ねぶた祭が始まったといいますので夏を感じる今日この頃です。

 祇園祭の季節、一か月間にわたる祭事とともに一度は詣でて、これも祇園祭が無病息災を祈る神事なのですから、やはり健康長寿を祈りつつ、まだそれほど混雑していない神域を一つ巡ってみる。それほど広大な社殿ではないが、それでも広々としている。

 重要文化財として2020年に西楼門と蛭子社社殿と石鳥居に加えて26の建物などが加わりまして、29もの重文が並ぶ社殿なのですが、充分といわれても、昔から大切にされていることは変わりなく、いつものように柏手を叩き本殿に頭を垂れ無心に拝みます。

 素戔嗚尊と櫛稲田姫命と八柱御子神が祀られる社殿、考えてみれば祇園祭の最中、参拝したのは神幸祭と還幸祭の中間という季節でしたので、祭神の面々は巡幸の最中というところではあるのですが、まあ、祇園祭の以外にも参拝する社殿にもう一度額づく。

 八坂神社は、その名前が明治時代に祇園社から政治的に八坂神社へと改められた、という歴史を持つのですが、京都有数の歴史を有する神社故にその始まりは様々な説があるという。少なくとも牛頭天王が当地に祀られる前に社はあったという記録が多い。

 山城国愛宕郡八坂郷。八坂神社の名は明治時代に改まったという事ですが、その名の由来は元々当地が山城国愛宕郡八坂郷という、名前に戦艦と重巡の名を含んでいるものの八坂郷にある神社なので八坂神社となった、という明治時代のある種単純なながれ。

 円如という僧侶が、貞観18年こと西暦876年に観慶寺という寺院を造営しまして、そこに祇園神、お釈迦様生誕の地を守護する神様ということですけれども、降臨したことを受けまして祇園社と改まり、今日に至るという。当時は祇園天神ともよばれた。

 延喜式神名帳によれば、しかし意外にも祇園社の名は見当たらず、神社ではなく興福寺の、のちには延暦寺の神社という、寺院の一部と朝廷には理解されていたようで、だけれども二十二社の一つと記されるなど神仏習合の大らかな神社であったことがわかる。

 本殿は国宝に指定されています。承応3年こと西暦1654年に徳川家綱により再建されたということでして、そして歴史をたどりますと平安朝末期の頃には、鴨川の西岸は全部祇園社の所領とされており、今では考えられぬほどの広大な神域となっています。

 延暦寺の末社という位置づけではあったのですが、1384年に足利義満は鴨川西岸への影響力を考え、延暦寺と祇園社を分離している。しかし幕府は禅宗寺院には格付けを行うなど保護を加えていましたが神社はそこに及ばず、結果、町衆の社殿へと移ろう。

 祇園祭は八坂神社の祭事ですが、よくぞまあ一か月間京都市中心部を祭事で埋められるものだ、という背景にはこの町衆に育てられた祭事という意味合いがありまして、元亀2年こと1571年の織田信長による延暦寺焼き討ちが祇園社独立の決定打となる。

 豊臣秀吉が母の大政所の病気平癒を当社に祈願した際に壮大な多宝塔、寛政年間の火災により焼失してしまい現存しないのが残念なのですが、神社は比叡山延暦寺からの影響を離れるとともに町衆の寺院、しかし権力者から崇敬を集める寺院として広がる。

 変わらないようで、細部は変わっている、これは長い目で見れば着実な変化を意味するもの、変わるからこそ成長する視線からは逆に伝統墨守のように見えるのだろうなあ、そんなことを思いつつ、厳しい日差しが戻ってくる前に一礼し、帰路へと就きました。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【京都幕間旅情】八坂神社,社殿の名とは-祇園祭執り行う京都の社殿はかつての祇園社その名を明治に改めた

2023-08-02 20:00:07 | 写真
■叢雲の一瞬に参拝
 灼熱の太陽というその名の通りなのだけれども地面の陽炎を見るだけで溜息が出る中の散策だ。

 八坂神社の西楼門、ここから四条通が延々伸びている。一瞬の叢雲が太陽の厳しい日差しを覆い隠し、涼しそうに見えるかもしれないが京都では真逆、直射日光があった方が上昇気流が起きて風が生まれる、一瞬の曇天は逆に蒸し暑くなるだけ、もう息苦しい。

 西楼門の背景には青空が見える通り、太陽を隠しているのは一瞬だけ、四条通を少し歩いただけでぱあっと汗が噴き出てしかも乾かない、湿気さえなければ乾くのだがなあ。しかし息苦しいといえば昨今、慣れ親しんだSNSの名称変更が心に刺さるような痛み。

 Twitter騒動、どうなるのか、Xsという社名になるのでTwitterに書き込むという単語はXsに書き込むという変名が新しい方針になる、けれどもX社ではまだTweetするという、呟くという単語なのだけれども、これを置き換える新しい言葉が未だないとされる。

 エックセズ、かあ。馴染むか、というと先ず、X自体に意味がない以上、Tweetほど定着するのかなあ、という。日本人は5・7・5で短い文章に意味を込める文化に親しんできましたが、Xという一文字に意味を含めるのは、清水寺の“今年の一字”くらいか。

 八坂神社においてもこうしたことを思い浮かべてしまったのは、実はこの八坂神社もかつて慣れ親しんだ名前を切り替えたという歴史があるためです。今でこそ定着した八坂神社、するとTwitterの問題も時間が解決するのかもしれない、ここで収まれば、ですが。

 Tweetするという単語は呟くという言葉なのだからある意味考えられたものだが、Xする、というような単語には意味がない、せめてXXすると社名をXxとしてくれれば、日本では山城新伍御大がチョメチョメする、という名言を残されており使いやすいとさえ。

 トヨタ自動車はアリストを高級車ブランドレクサスに切り替えた際は別会社化してトヨタというブランドを残した、Twitterは一種のブランド名であり、これを安易に変えるというものはちょっと難しい、なにしろユーザー数が多く政治家も愛用しているほど。

 スバルはよく頑張ったと思う、日本防衛装備品で最も世界で販路を伸ばしているのはランドクルーザーのような汎用品を除けばUH-2だろう、UH-2はベル社もUH-2として生産しているために採用国が伸びている、スバルUH-2,確かに富士重工より世界に通る。

 新日本重工、ブランドの継承に失敗したのはここかもしれない、財閥解体により戦時中の軍需産業であった三菱重工は社名変更を余儀なくされ新日本重工を名乗ったけれども定着せず三菱重工に戻した、これを考えれば中島飛行機は巧く富士重工を定着させた。

 祇園社。さてさて、考えれば定着した名前を乗り換えるのは簡単ではないのだけれども、祇園社という神社をご存じでしょうか、祇園祭というくらいだから知っているようで知らない方も多いでしょう、そう、八坂神社はかつて祇園社という名であったのですね。

 神仏分離、歴史ある祇園社の名が廃止されたのは明治元年の神仏混交禁止によるもので、仏教寺院としての性格を有する祇園感神院と神社である祇園社とが一体化していたものが問題視され、八坂神社となったもの。なおこの際に祇園感神院は廃寺となります。

 八坂神社の名は明治時代からの、京都の長い歴史から考えますと新しい名前ではあるのですが、令和時代、いや昭和や平成時代にあっても定着していました。Xxも時間を掛ければ定着するのかもしれませんが、朝令暮改があっては消えてしまうかもしれませんね。

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ウクライナ情勢-ドナウ川港湾都市レニ市への自爆無人機攻撃と保管チーフテン戦車供与の可能性

2023-08-02 07:00:08 | 国際・政治
■防衛情報-ウクライナ情勢
 NATOの目の前でロシア軍が発射した自爆無人機の攻撃が展開された。

 ウクライナのドナウ川港湾都市レニ市がイラン製シャヘド136無人機による攻撃を受けました。ロシア軍はウクライナの黒海物流への攻撃を強化していますが、重ねて河川交通に対しても攻撃を強化しています。しかし問題はこのレニ市の位置であり、レニ市からみてドナウ川の対岸はルーマニア、つまりNATO加盟国だ、ということです。

 シャヘド136無人機による攻撃は複数機が飛来、たいしてウクライナ軍防空砲兵部隊はこの地域には限られた数が展開しているのみであり、キエフ防空戦のような顕著な無人機への対応能力を果たせず、ウクライナ軍防空砲兵部隊の限界とともに攻撃はロシア軍が第一線からの防空砲兵部隊引きはがしを探っている証左ともいえるかもしれません。

 ドナウ川港湾都市レニ市への攻撃は、もう一つ、ロシア軍の黒海海上封鎖への代替経路としてのドナウ川河川物流を攻撃対象に加えようとしているところですが、同時にこれはトルコのボスポラス海峡を攻撃するに等しい、NATO加盟国であるルーマニアへ被害が及ぶ可能性を示しているもので、NATOとの新しい火種というべき緊張です。
■チーフテン戦車
 一部報道という事で参考程度に見ておくべきなのでしょうが74式戦車と同世代の第二世代戦車の話題という。

 ウクライナへヨルダン軍が保有するイギリス製チーフテン戦車が引き渡される可能性があるとのこと。ヨルダン軍は274両を保有し90両の旧イラン軍チーフテン戦車を鹵獲しています。第二世代戦車の中でも重装甲を誇る戦車ですが、引き渡される可能性は一部報道に留まり、現在のところ正式なヨルダン政府発表はまだ確認されていません。

 チーフテン戦車はイギリスが開発した第二世代主力戦車で、センチュリオン戦車の設計思想を受け継ぎ第二世代戦車としては重装甲を採用していることで知られます。その正面装甲は砲塔正面で145㎜であり傾斜装甲の採用により実質390㎜もの厚みを誇りますが、APFSDS弾の時代に入りその重装甲は十分ではないともされています。

 チーフテン戦車のもう一つの利点は120mm戦車砲を第二世代戦車の段階で採用した点で、ただ搭載するのはライフル砲であるため分離弾薬という弾薬と装薬が分離した煩雑な方式となっているのが難点です。重装甲であり重量は55t、しかしエンジン出力は750hpであり不整地などでは機動力不足が悩みの種となっていますが足回りは頑丈です。

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