私は木が好きである。
時に高い木を見ていて、とても神聖なものに触れた気分になることもある。それは、恐らく7歳の時に両親と住んだ、南西アラスカ、シトカでの経験が原型としてあるように思える。
1958年パルプ工場の建設で、活気があった当時のシトカは、ロシア正教の教会がある旧ロシア領の小さな町であった。私たち家族が住む、街の外れの住まいは、ロシア人墓地に隣接していた。小高い丘には、白い十字架が静かに何本も立っていた。
町の外れには、公共施設としての公園があった。その中には、トリンギット族の作ったトーテムポールがある。
ある日、両親とその公園に行った。高い針葉樹に覆われた公園の中に、トーテムポールが立っていた。古い大木を削り、青や赤の彩色を施したトーテムポールの前に、観いっていたことがあった。たった一人で。
不思議な鳥やカエル、猿のようなものと対峙する。もっと幼い頃に観た日光の仁王像などと違い、不思議な親しみやすさもあるものの、ちょっと怖い。耐えきれず、両親の呼び声のする方向に駈けていった。
シトカの思い出は、50歳を越えてから、心理療法や生き甲斐の心理学を学ぶようになるまでは、ほとんど封印されていたようであった。心理学に興味がなければ、昔の幼い頃の記憶を、あれやこれや想いだしたり、思索したりすることはないと思う。当然ではあるが。
当時の異文化での生活を思考や感情などから、想いだしたりしていたが、あることを知って、愕然としたことがあった。写真家で有名である、星野道夫氏の「森と氷河と鯨」(世界文化社)を読んだことが契機だ。
その本の中で、クリンギット族の若者ボブの逸話が載っていた。1980年代にロシア人墓地周辺(私が住んでいた地域)を住宅地に開発する計画があったそうである。私の知っていたロシア人墓地も荒れはてていたが、その周辺の森は何百年の歴史を誇るクリンギット族の墓地であったことが判ったそうだ。ボブはその墓地を保存する運動を一人で始めたそうだ。
話は変わるが、青年時代、愛読した吉原幸子氏の「無題」という詩の一節は次のように始まる。
風 吹いてゐる
木 立ってゐる
ああ こんなよる 立ってゐるのね 木
・・・
こうした詩に、不思議に共感してきた自分。私の祖先は、広島県で生計を立てる以前は、紀の国(和歌山)に住んでいたという。これも何か繋がりがあるのかもしれない。
<日本人 8/8>
(写真の木は、先日信州に行ったときに撮ったもの。)
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