11日からもう5日間、ずっとテレビで悲惨な画像や、不安な報道に触れていると、国民が全て心的外傷を受けてしまうのではないかと心配になる。こんな時にこそ、マスコミはこころの安らぎに配慮すべきではないかと思う。
さて、昨日の続きであるが、一昨年だろうか、東京災害ボランティアの懇談会でのあるやり取りを思いだした。
「災害の時のこころのケアは何故必要なのですか?」 そんな素朴な質問を頂いたのだ。その時、私は自分のことを語った。
6歳の時に、友達2日と小学校に登校するとき、眼の前で友人がオートバイに轢かれ、数日後亡くなった事例である。 両親や学校、そして亡くなった友達の母からも、慰められたりし、それなりに自分では納得したつもりになっていた。しかし、恐らくその時の影響からか、自分の中で感情の処理がきちっとできていなかったのか、成人になっても、車の運転に尻込みしたり、変な自責の念が残った。
考えてみれば四十年以上その時の経験がひきづったのである。
生き甲斐の心理学、百年の臨床心理学の知恵から考えると、こうした場合、回答(無意識の世界での回答を含め)は本人の中にあるというポイントを大切にし、きちっとロジャースの6条件に従う傾聴や心理療法が有効なのだと思う。薬を飲んだりしても、根本的な解決に至らない。
自分の場合もそうであった。後でひきづらないためにも、専門家(心理療法家やカウンセラー)に相談するのが良いと思う。
でも、専門家や傾聴の訓練を受けてなくても、できることはある。
だまって手を握りしめてあげるなども大切だと思う。あるいは、批判せず、意見を言わずひたすら、相手の感情を聴くということもできるかもしれない。その方への無償の愛は何よりの薬でもある。
p.s.
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感謝満足 5/10