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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

被災者への熱い想いを、戦わせる?!(熱意を考える 1/10)

2011-03-22 | 第八章「魂と聖霊」

 私のところにも、いろいろな情報が集まってくる。今は、大きく分けて、①原発の不安 ②被災者への支援。この二つである。どちらも、家族への想いや被災者への想いなど、他者に対する並々ならぬ想いが感じられる情報である。

 そして、その想いの背後には各個人の成育史ゆえの人間観ゆえの、災害時の理想が見え隠れする。そして、理想であるゆえに両刃の刃となり、いつの間にか、行動面である種のプライオリティ付けが自ずと生まれたり、感情面でも何か好き嫌いをあらわにし、ぶつかる状態が生まれるようだ。

 ある人は、家族を第一とし(家族が被災者という考えなのだろう)、その他の人は二の次に。ある人は、災害で一番困っている人を第一に、その他の人は二の次に。また、行政のある人は収容されている被災者を第一に、その他は第二に。こんな風である。

 様々な理想が倫理的にどれが正しいか、哲学・宗教的にどうかは、なかなか難しい問題である。それは、結局その人が持つ、意識・無意識の人間観の問題なのだ。

 そして、私もそうした人間の一人である。災害の中で、やはりふつふつと湧き起る熱い想いがある。

 ただ、見方を変えて(生き甲斐の心理学の見方)思うのは理想の衝突の中で、他者否定の思想にのめりこまないことである。やはり他者の、愛そのものの魂を信じたい。それが、結構難しいがこころの安定に最も有効だとも思う。自己肯定・他者肯定の思想だ。

 意見が衝突する場合、ふつふつと湧き起るのは、暖かい感情ではなく、冷たいネガティブな感情だろう。熱い熱意が逆に怒りを産んだりする。それでも、相手は隣人だ。その中で大切なのは理性的な愛、カリタスなのだろう。

 人を支援することを仕事としたり生き甲斐とする人は、やはり、この誰にでも熱意をもつ(もとうとする)訓練が重要だと思う(そうでなければ、支援に障害がでる)。これから10回この問題を取り上げてみたい。

熱意を考える 1/10

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