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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

嫌いな人が好きになることはあるか?(心と心のつながり 6/10)

2012-02-12 | 第八章「魂と聖霊」

 好き嫌いは、感情の中でも基本的な原初感情ではないかといわれている。確かに、湧いてくる感情から、好きか嫌いを判断してみると、意外に判別できるようだ。そして、毎日あっている人に対して、自分はその人が好きか嫌いか自問自答してみると、意外な発見をしたりする。

 過去にトラブルがあり、嫌いになった人がいるとする。それが、たとえばAさんとすると、Aさんにどこか似ている初対面のBさんも嫌いになったりする。Bさんにとっては申し訳ないのだが、人間のこころの動きというのは意識化しにくい部分もあるので、しかたがない。他者をどこかで混同するのだ。

 自分がある人をどう感じているか?結構難しい問題である。たとえば身近にいるAさんは、通常は好きなのであるが、ある状態になると嫌いになったりもする。しかし、すぐに仲直り。これは、基本的に好きな関係なのかもしれない。しかし、ウマが合わないというか、ずっと離れたいと感じているようなケースももある。そして、自分も嫌えば、敏感にそれが伝わるのか相手も自分を嫌う。

 こうしたときに、もうこの人を好きになることはないと思うのであるが、さまざまな世のしがらみの中で付き合う必要があり、ずっと付き合うことも世の中にはあるものだ。そうしたときに、まずは関係改善のために自分が相手をどこか好きになったらなあと思ったりする。しかし、そういう恩寵のような瞬間はなかなかこないようだ。 

 しかし、嫌いが好きになることは皆無ではないらしい。U先生の体験をきいたりして、思索をしたが、これは人間の五感と深いつながりがあり、時として可能ではと思う。やはり、U先生から聴いたことで、心理療法は言葉を中心にした言語療法がもちろんあるが、五感に対応して視覚を刺激する絵画療法、聴覚を刺激する音楽療法、臭覚を刺激する療法等すべての五感に対応する療法があるそうだ。そして、ケースによって、ある五感の中の感覚器が大切になることも。

 眼で見て視覚でどうしても嫌悪感が生じるなどの場合に、聴覚や臭覚などでふと我に返るように感情が変化することもあるようだ。

 感情は自分の意志でどうにもならないところもある。ただ、自己肯定・他者肯定の思想を信じ(たとえば、魂を愛そのものであり、だれでも心の奥には愛そのものが隠れていると信じる)、試行錯誤をしていると、恩寵のように変わることもありそうだ。

 心と心をつなぐ 6/10

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