立春とはいえまだまだ寒い2月、一年前には全く想像もつかなかった山の手線の田端駅周辺を散策した。
昨年の11月に飛鳥山博物館で、中里遺跡の展示を観て感動したのだが、その時に現地に立ってみたいという想いが湧いたのだが、それを今日実現したのだ。田端駅を下りて山の手線、京浜東北線、高崎・宇都宮線が複雑に交わる地区を通り約15分歩くと、特別養護老人ホームの隣に今は公園になっているが中里貝塚遺跡があった。人影もまばらな遺跡だが、従来の貝塚のイメージを崩した大遺跡で、天皇両陛下も御来跡になった国史跡でもある。
貝層は4.5mにもおよび、1Kmほどの範囲で分布しているもので、ハマグリ、カキに限られているのも謎だった。さらに調査により貝を干貝にする処理施設まであり、また養殖をしていた可能性もあるとのこと。それが縄文中期から後期まで500年続いたことも判っている。しかも消費地が、近隣に限られてもいないことが判っており内陸部との関係も指摘されている。当時の社会のイメージが激変したようだ。(「貝塚と縄文人のくらし」 北区教育委員会発行を参考にしました感謝しています。)
公園の大木のそばでのんびりとしていると、4000年とかの悠久の時間の向こうで、祖先の姿が眼に浮かぶようだ。ふと見ると、公園の隣には馬頭観音様があり、今でも何か当時の信仰を4000年の時間を越えて残しているのかもしれない。この場所で、どのような人がどのように祈りを捧げる日々を過ごしたのだろうか?アースフィーリングが感じられる現地は博物館では味わえない何かがあるようだ。
縄文からの風③ 6/10