マッサンも経営危機でたいへん。売れなければ話にならないは本当だ・・・
しかし、経営危機は直接命に係わる悲惨ではない。その点、戦争や自然災害は異なる。
新石器文化は、世界の中で縄文文化だけが特異で、戦争をしなかった文化であった。それも10,000年以上続いたので驚きである。しかし、その反面日本列島という地震の巣の上にできた列島は、地震、火山の噴火、津波と自然災害がオンパレードなのだ。縄文時代には文字がなかったので、災害の記録はなにもないが、そのかわり考古学から、津波の状況、火山の被災状況等が判る。
東日本大震災以降、被災地周辺では今でも自然災害と縄文時代などの講演等が活発に行われているようだ。温故知新の取り組みなのだろう。有名な三内丸山遺跡の終焉も自然災害ともいわれているし、宮戸島の遺跡等から津波の被災状況や縄文人の防災についても語られているようだ。
しかし、縄文初期に南九州の鬼界カルデラで九州の縄文文化が壊滅するなど祖先は唖然とするような(我々も経験していないような)自然災害を受けている。戦争の悲惨は無かったかもしれないが、自然災害の悲惨は世界的にみても甚大だったのだろう。
そんな祖先の残したものは何だろう。やはり、私たちの精神文化に大きな影響を与えていると見るべきなのだろう。宗教の面でも、例えば今回の東日本大震災を経験して、キリスト教徒ならヨブ記を読み返した人は多いかもしれない。外の宗教でも同じように理不尽な現象を先人がどのように考えたのか試行錯誤したのではないかと思う。最近学んでいる古メソポタミアの神話などを読んでも、何か違和感を感じるのも、戦争+格差文化と自然災害文化の違いがあるかもしれない。
縄文からの風④ 2/10