マッサンの、エマさんと一馬さんの恋愛話を拝見しつつ、恋の情動の強さについていろいろ考えてしまった。
ちょうど、縄文時代の遠隔地交流のことを考えていたのだが、例えば黒曜石などは、産地が限られており、当時としても僻地の神津島(その中でもさらに離れた奥馳島など)、隠岐島、和田峠、星糞峠、腰岳・・・など舟を漕いで行かねばならないところや、高山を登るところ等である。現在は化学的に発掘された黒曜石は産地を特定でき、縄文時代が昔の自給自足のイメージではなく、今と似て遠隔地交流も結構あった(日本国内だけでなくシベリヤや朝鮮半島にも)ことが判ってきている。
そんな中、やはり人と人との交流なので、村の黒曜石の入手先を恋人のいる産地に切り替えたり・・・そんなこともあったのではと妄想している。
縄文時代の文献はないので、日本書紀や古事記を紐解くと、この交流をどこかで暗示しているような神話に出会う。森浩一さんの『図説 日本の古代1 海を渡った人びと』(中央公論社)を読んでいたら、越のヌナカワヒメと出雲のオオクニヌシの美しい恋愛の話が載っていたが、何らかの交易を背景に秘めているのではとしている。これが糸魚川のヒスイの交易を暗示しているのか何かは不明だが、実にうきうきさせる。
ロジャースの次の人格形成論は情動のことを言っているが、まさしく海を渡り山を越えるような情動の性格をあらわしているではないか(難しい表現なので時間のある方は味わってほしい。)。この命題は今の人にも5000年前の祖先にも適応できると思うのだ。
命題6:情動は、前述のような目標志向的な行動をともない、かつ、一般的には、このような目標指向的な行動を促進するものである。情動の種類は、行動の追求的様相が完成的様相に関係しており、情動の強さは、有機体の維持と強化に対する意味についての知覚と結びついている。
縄文からの風⑤ 5/10