今日のマッサンはウィスキー完成を祝ったものの、株主に無断でウィスキー造りをしていたのが株主に発覚。マッサンもエリーさんも謝罪するが、それだけでは済まない様子なのだ。
罪悪感を感じ謝罪する。
相手が生きていて、それなりに対処すれば和解の道は決して閉ざされることはないが(たぶん、今週のマッサンも)、相手が死んでいたらどうだろうか?生きている間に和解に至らず、残された罪悪感の重荷。これを解決するのは・・・
私も6歳の時に友達が交通事故で亡くなったが、その時の罪悪感の処理の仕方(当時はスクールカウンセラーなどいなかった)が悪かったのか、結構引きずってしまった経験をもっている。亡くなった方への罪悪感の処理の方法は実に難しい。この分野は宗教とか哲学がもっとも救いになる領域だと私は思うが、生き甲斐の心理学の知識も役にたつことも多い。
医療や福祉の世界が、日本では高齢社会を迎えて大きな比重を占めるようになった。私も一時、職業としてその分野で働いたが、その時の感想の一つは、死が身近にあるということだった。研修の時にある看護師の方が講義をされたとき、いみじくも言われていたことを思い出す。ちょっと親しくなった方が亡くなることが日常茶飯事の現場は精神的にきつい。それが理由で離れて行く人もいる。そんなことだった。
それから、罪悪感の外に、亡くなった人との関わりから生まれた一体感(同一化)から、激しい喪失感が生まれ、それが仇討とか自死とかに至る恐ろしい情動に替わることもある。今、司馬遼太郎の「燃える剣」を読み始めているが、このあたりの強烈な情動を思索すると人間の闇を観たようでぞっとする。
さて、縄文時代だが当時の記録は考古学情報が中心だ。神話も8世紀前半に記録されたものが最古であり、純粋な縄文時代を伝えるものはよく判らないようだ。しかし、遺跡から、弥生時代とは異なる埋葬のしかたが判り、研究者があれこれ思索をしている。特に縄文中期の埋葬方法は、特異な環状集落が多い。中央の広場には祖先の墳墓があり、それを抱くように竪穴式住居が環状に並ぶ。弥生以降現代にいたるまで墳墓は生活の場とは異なる村のはずれなどにつくられているのと著しく異なるのだ。
当時は平均寿命も短く、生活の中で身近な人が亡くなるケースも今の日本と比べると著しく多かったように思う。そんな社会で、縄文人の思想はどうだったのだろうか。このあたり多くの謎が残されているようだが、例えば罪悪感からの切り口から考えるとどうだったか・・・いろいろ考えさせられる。まあ、厳しい環境の中、生き抜いていた祖先の知恵は深いものがあることは確かだ。
写真は、中里貝塚遺跡の公園に咲いていた黄色いパンジー。貝塚で墳墓ではないが、古の人の心を語っているようであった。
縄文時代のお墓からも花粉が出ているので、死者に花を捧げる習慣は遥かなる昔から続いている。
縄文からの風③ 9/10