論理的に考えると、昭和も明治も江戸時代も、そして奈良時代や縄文時代も私の祖先は必ず存在していた。そうでないと今の自分がいない。そう考えて歴史を眺めると俄然歴史がイキイキとしてくる。
そして、歴史の勉強と同時に自分の祖先も調べていく。今は個人情報を保護する法律もあったりするが、役所で戸籍を調べたり、図書館で調べたり、墓石を調べたり、実際に現地を訪ね親戚を探すことで 随分情報は集まる。さらに、同好の士がいると、情報集めは加速する。写真は村上水軍で有名な能島であるが、昨年は友人と3代前の故郷を訪ね大島の親戚を訪ねた時にクルーズで接近したものだ。
最近は、縄文時代にも毎日こころは飛んでいるものの(笑)、幕末・明治にも心は飛んでいて(時代が近くなり少し健全になったという見方もあるかもしれない)新鮮な驚きを得ている。U先生が夏目漱石を愛読していて、しきりに勧めるので私も読みはじめ三四郎をあらためて読んだところだが、夏目漱石は牛込の生まれで若いころ苦労をしたのだが、文豪になる前は建築家を希望していたとのことだった。そして、私の母方の祖父は建築家になったのだが、どうも何かの接点があるようなのだ。夏目漱石も佐幕派の家系、私の曾祖父も元佐幕派のよう、それを探るのも楽しい。
さて、生き甲斐の心理学で、このルーツ探索を見直してみる。こころの世界でルーツ探索はどういう意味をもつのだろう。まずは自分のアイデンティティが明確になってくる(明るく解釈するのがポイントであるが)。さらに、時代の中で自分だけでなく、いろいろな人との関わりを知るようになり、受容性もますように思える。昨年、今まで知らなかった親戚の御爺さんの言葉が心をうつ。「時代と共に良い時もあれば、悪い時もある」。それから、知人との会話に、こうしたルーツの話がでてくると、意外な関係に驚くこともある。水と油の関係の人が3代前は繋がっていたと知るとどうなるだろう。
有名な話で、5000年前の遺体がアルプスで見つかりアイスマンとして世の中に知れ渡ったことがあった。遺伝子検査等いろいろな情報がわかった中で、そのアイスマンが祖先という方々が特定されるということがあったそうだ。そのときの子孫の反応は当然ながら時代は随分離れていても身内という感情を持ったそうだ。
こころの問題としては防衛機制が浮かんでくる。フロイトの14の防衛機制として、同一化、摂取、感情転移、反動形成、逃避・・・と関係し不健全なこともあるかもしれない。しかし、これもバランスで、自分の問題をここちよく向き合いながら、適度に健全にこころを防衛するということもできるように思う。
過去の解釈が将来に影響する 10/10