先日、横浜の中華街に行く途中で横浜スタジアムの前を通りました。そしたら写真のように、ゲートが開いており、スタジアムの中が私の居る道路から見ることができました。そして、思わずグラウンドに見入り写真まで撮ってしまったのです。イキイキとした感情が動いたのです。
最近、野球もそうですが、スポーツ観戦に行ったりすることがめっきり減って、このごろは野球とかサッカーの話がでても、どちらかというと耳を閉ざしていたようです。それが、この写真でどこか開かれたみたいです。
生き甲斐の心理学にはよく経験という言葉がでてきます。この言葉の解釈はいろいろあると思いますが、生命体である人間が五感体感を通じて直接何らかの知覚(五感+知)、感情を得ることなのでしょう。私は感情と密接なものと独断と偏見で単純に考えています。
横浜スタジアムを見た経験。これは私なりの定義からしても、感情が動いたので立派な自分の経験です。しかし、世の中では、特に自分にとって真新しい領域では自分の経験がないので、他者の経験にたよることがあります。その他者はきちっと自ら経験していることもあれば、さらに話だけを経験していることもあると思います。質の悪い他者情報などは流言・風説の類でしょう。そして、その他者の経験に翻弄されることも実に多いのです。
私の下の孫のはまだ離乳食を始めた段階ですが、きょろきょろと両親を始め周りを見て反応していますが、恐らく生まれてきてから自分の経験もさることながら、他者の経験(母親など)をあたかも自分の経験のようにして生き抜いているようです。
現実吟味力を考えるときに、心理的に深い関係があるアイデンティティとか防衛機制がありますが、ここでは、経験を中心に考えています。
さて、私も母親の祖先がれっきとした江戸っ子(3代以上江戸に住む)ですし、父親の祖先も海民系だったようで、新しもの好きの血が流れているようです。45年前からコンピュータにうつつをぬかしたり、日本ではまったく根づいていないともいえる臨床心理学の領域に興味をもったり、最近は縄文時代に興味をもつのは普通になりつつありますが縄文小説という前人未踏の世界に興味を持ったりしてます。まあ、ミーハーなのでしょう。
従って、自分の経験のないことにいかに向き合うか、現実吟味力を正常にしていくかは意外に経験深いかもしれません。そして、運がよいことにU先生という立派な師をもち(弟子はあぶないのですが)、心理学面でも現実吟味力を学んでおります。そして、最近思うのですが、現実吟味力も鍛え方があるということです。
まず、大事なのは自分の経験(経験の本道)をきちっと意識することなのでしょう。たまたま、娘が子育ての必要性から車の免許をとり、一昨日から新しい車を乗り回すようになりました。車を初めて運転するときに、心配なので助手席にでも・・・とも思いましたが、それはやめました。ある程度の力が付いたとき動物の親は子を谷に突き落とすまではしませんが離れていきます。その知恵は心理学的にも正しいようです。
現実吟味力はあるか? 2/10