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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

縄文小説を書くとどうなるか?(自分は草原の中の大木か、雑草か? 10/10)

2016-08-26 | 第八章「魂と聖霊」

 自己実現の道は意外に見えないものである。その原因の一つは防衛機制にあるというのが正しいようだ。先に、資格や免許のことを書かせていただいたが、たまたま直木賞作家で八王子出身の篠田節子さんの小説(女たちのジハード)を読んでいたら、登場人物の一人沙織さんが、当初は翻訳者になると努力をしていたが、ある時米国滞在中に、その本当の目的は飛行機パイロットではなかったかと考えるようになる。なぜ、なぜと自問自答していくと思わぬ自分の本音にであう。そのあたりは面白く、摂取等の防衛機制を越えて見えるものが本当の自己実現の道なのだろう。

 私も、想像を羽ばたかすことがすきなので、簡単に投影や昇華といった防衛機制に入りやすいところがあるようだ。40歳代でパソコンゲームに一時はまったときは、自分でもちょっとした危機の時代だったと思う。そこで信長の野望などをやっていたのは、どこか弱い自分を投影していたのだと思う。それは、考えてみるとこころの平安を得る上ではよかったが(それで充分かもしれない)、問題解決への道へはちょっと遠回りだったかもしれない。最近では生き甲斐の心理学の論文の延長に縄文小説を書いているが、これも、当初は昇華がベースの作業だったように思う。しかし、つまらないとか外野席のご意見もいろいろあり、縄文推理小説の方向がでてきたりで、当初の計画と変わってきてしまった。しかし、登場人物の心理等をいろいろ考えたりすると意外にリアルな自分が見えてくる。今までの昇華ベースの小説が消えてきて、それなりに面白くなってくる。考えてみると、昇華ばっかりの小説は読む側からすると、つまらないのである。そして、小説を書くことを深めることで自分の中で今まで見えなかったことも観えてくるように思う。

 そんなことで、縄文小説を書くことで、心理的には少しかもしれないが楽しい経験をしている。

自分は草原の中の大木か、雑草か? 10/10

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