私が縄文時代にのめり込んだきっかけの一つは、多摩境の田端環状積石遺構(ストーンサークルとして有名)の見学会に行ったことであるが、縄文晩期まで700年使われたその遺構には縄文中期のものと思われる石棒(男性の象徴とも言える)の破片や土偶(女性を象徴)があったりした。
それからずっと縄文の宗教祭儀に興味を持ち情報収集してきたが、例えば調布市の縄文晩期の下布田遺跡にも中期や後期の石棒だけでなく石皿、凹み石(女性の象徴とも思える)も祭儀に使われている。こうしたことから単純化をゆるしていただくとすれば、縄文時代の宗教の底に性のイメージが深く関わっていると考えてもよさそうである。石棒の出現は前期まで遡れそうなので、それは2000年とか3000年続くようなのである(石棒や後期の石刀は違うなど細かい議論はあると思うが)。ところで日本列島での仏教の布教の歴史は約1500年、キリスト教の布教の歴史約500年(奈良時代に景教がという説もあるが)と比べても遙かに長く、その信仰は半端ではないように感じられる。
縄文時代の宗教は文字で残されたわけではないので、詳細は分からない。勿論後代に神話などが残されているし民俗的なアプローチも無いわけでもない。私などは例えば縄文時代の遺跡のそばにある道祖神や塞ノ神に今だに私達の中に息づく縄文時代からの信仰の息吹を感じてしまう。
一方考古学的にも有機物は残りにくいので、石棒や土偶などといっても、本来どのようなイメージで信仰の対象になっていたかは霧に覆われているところもある。そういうこともあり、それを見る私達は何か露骨で原始的なイメージ、あるいは暗いイメージを抱きがちになる。そして、原始的で劣ったもののように考えられがちだが本当にそうなのであろうか。
例えば現代に世界的に信者の多いキリスト教には旧約聖書の雅歌がある。また、仏教にも奈良時代に空海が唐から持ち込んだとされる理趣経がある。いずれにしても日本でも現代語訳がなされ宗教者によってその象徴の意味等は深く研究されている。これらの書物は性に関係する人類の宝で、今の私達の生き方にも大きな影響を与えるものではないだろうか。
キリスト教も仏教も日本列島人からすれば、外来宗教だが、性を否定的に見ているわけではなく、むしろ明るく健全に私達が直感で解釈できるものではないだろうか。そのエネルギーは芸術や科学をはじめ文化の源泉となっているようでもある。
そのような背景から、縄文時代の世界に誇るような土器や土偶などの芸術品も、高い宗教性をもった性をきちんと見据えた縄文時代の宗教から来ているのではと推察するのも大きな間違いではないように思う。
大事な男女の性を健全に昇華した縄文時代の宗教は多くの真善美を生み出し一万年も続いたのではないだろうか。
5/10 縄文を五感で探る
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森裕行
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