イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

日本人という経験・・・

2009-09-17 | 第十章「今ここでの恩寵」

 人生の最後で、今までの記憶が走馬灯のように蘇るという話を聴いたことがある。その真偽はともかく。人生は、生まれてから死ぬまでの、絶え間なく変化していく経験の世界そのものなのだろう(カールロジャースの19の命題の1番目にもある。)。

 その流れの中で、ある経験は思い返すこともなく忘れ去られ、ある経験は自分の中である価値を伴い蓄積されていく。

 たとえば、自分の日本人という意識も、いくつかの直接的な経験や、親をはじめとする他者からの間接的な経験からきているのだろう。幼いころにアラスカで過ごし、あるときは隣の子供と親しく遊び、あるときは差別的な眼差しで見られたこと。そんな経験が生育史を彩っているのは確かである。

 海外で過ごす時は、こころのしくみである防衛機制の関係か、日の丸を背負っているような気負いがでてくる(健全だと思うが)。そんなことも原因してか、後で考えると悪いことをしたかな、と思えるトラブルを起こしたりする。これは、何も日本人という問題だけでなく、心理的に同一化できる家族、学校、職場などでも同じかもしれない。

 ただ、純粋な直接経験の流れ・・・感情や五感を伴った流れは、何か真理に近い、大切にすべき経験なのかもしれない。

 アラスカの暮らしの中で、隣に住んでいた、私よりちょっと年上で9歳くらいだったBは、私が登校時に雪解けの水を集めた急流の側溝に落ちた時に助けてくれた恩人であるが、ネイティブ(モンゴロイド)の血が流れていて、日本に興味をもってくれた。簡単な日本語を一生懸命覚えようとしていた。

 DNA的にいうと、私も彼女もハプログループBの環太平洋の沿岸沿いに進出してきた現世人類の血が混じっていることは確かなので、遡ればお互いの祖先は意外と短い時間(1万年くらいとか)で同じだったりするかもしれない。そんな妄想・想像を楽しんでいる。

 日本に帰国する前にBと親しく話し(どんな英語だったか不明だが)をし、日本語の雑誌をプレゼントしたように思う。幼いどうしであったが、魂の交流があったようだ。

<日本人 3/8>

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村上春樹氏を読みはじめました!

2009-09-16 | 第十章「今ここでの恩寵」

 同時代の村上春樹氏の小説、1Q84を昨日購入し、少しずつ読みはじめている。

 村上春樹氏の小説を読むことは、初めてである。ただ、ほぼ同世代であり、またフランツ・カフカが好きだ(私の場合は好きだった)ということも共通点で急速に親近感を覚え初めている。

 カフカを良く読んだのは、大学生(2,3年のころ)である。13歳から22歳はエリクソンの人格形成理論から考えると、忠誠心の時代で、アイデンティティや自己混乱感の時代と言われている。何故、興味を持ったのか。読んで、何を得たのか。結構昔の話なので、今となってはぼんやりしている。

 ただ、高校紛争や大学紛争、公害問題などの混乱する変化の時代にあって、一般にアイデンティティ形成が難しい時代だったのかもしれない。そんな中で、愛読した作家カフカ。

 私の場合は幼児洗礼(青年期には、キリスト教から離れる)であり、カフカの本にキリスト教のイメージが本の中に時々出てくるので、惹かれたのかもしれない。「変身」の毒虫となったザムザが事故で亡くなったあと、幸せそうに日曜の教会に行く家族。「城」の中に出てくる、十字架のイメージ。大学を卒業して就職するとき、外資系企業を選んだのも、「アメリカ」の解放的なイメージがこころの深層を流れていた為かもしれない。昔読んだ本なので、記憶があいまいで間違っているか後で調べなければ・・・

 今、U先生から「生き甲斐の心理学」を学んでいるが、<信じて見える世界、信じないで見える世界>という、比較宗教学的基盤での心のダイナミズムの研究があり、私もとても興味があるテーマでもある。

 今回、日本人としてのアイデンティティを考え初めているが、生き甲斐の心理学の学徒として、自らのアイデンティティの分析と統合を中心に考えるべきだと思うようになった。哲学や倫理道徳とは丁度反対側の、もっと変化に富んだナイーブなものがテーマである。

 写真は、大雨の中、諏訪大社上社前宮近くで撮った槿(むくげ)。雨粒が今にも落ちそう。

<日本人 2/8>

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富士山!

2009-09-15 | 第十章「今ここでの恩寵」

 先日の日曜日、中央高速で諏訪湖(温泉にも入り)から東京に帰宅する途中、富士山がしばらく見えていた。

 関西で暮らすメリットも沢山あるが、関東で暮らすメリットもある。富士山に近いというのはその一つかもしれない。

 温暖化のせいか、最近は頂きの万年雪も消えてしまったようで、ちょっと心配になったりするが、やはり、うきうきする。

 富士山は、幼い頃から何回も見ているが、最初に見たのは何時だろうか?新幹線もツバメも走っていなかった時代に、家族で亡父の実家(広島県)に戻る汽車の窓から見たものだったのだろうか。

 父や母の、ウキウキ感を感じながら、眺めていたようにも思うが、はっきりしない。愛の原型の一つに連なるのかもしれない。

 富士山の思い出は様々である。羽田飛行場を飛び立ってすぐ、下方に見える富士山。山中湖の温泉に入りながら見る富士山。正月に御殿場の露天風呂から見た日の出の富士山。新幹線の中から見る富士山。・・・

 さて、富士山のことを思索すると、これまた楽しくなる。記紀では、不思議なほど語られない富士山(恐らく、政治的にいろいろあったのだろう)。その反対に、万葉集では沢山語られる。不思議なことである。

 昔、富士山は噴火していた。そのころ祖先達は、どのような感情を持って富士山を見ていたのだろうか。

 最初に富士山を見た現世人類である祖先は、どのような想いで富士山をみたのだろうか。どのようなハプロタイプの祖先が一番乗りだったのだろうか。どうも、今読んでいる本の影響で、すぐDNA的に考えてしまう・・・

 纏まるかどうか不明であるが、これから、しばらく自分の日本人としてのアイデンティティについて思索したい。

<日本人 1/8>

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不幸を幸せに変換する!

2009-09-14 | 第十章「今ここでの恩寵」

 U先生の「生き甲斐の心理学」の中では、暗い感情を大切にして、そこから明るい感情に変換する術について、いろいろ語られている。

 これはカウンセリングやセルフコントロールの肝であり、私も感動をもって、そうだなと想う。ただ、極めて深いので、これからももっと勉強しなければと自戒する。

 さて、心理学をちょっと離れた様々な工学や人文科学の世界でも、状態(悪い状態、不便な状態等)を改善・改革するための問題解決手法や、製品開発技法がこの数十年の間にいろいろ出てきている。私も、企業に勤めていたころは、その恩恵を随分預かった。

 一般に世の中では、新理論、新製品と新サービス等には、好奇心旺盛であるが、それを産みだすプロセス(一般的に地味)に関する研究はそれほどでもないようだ(地味な分野だ)。

 例えば、ニュートンの万有引力の法則は多くの人は名前くらい知っているが、それがペスト流行で休校となっている校庭で、ふと眼にしたリンゴが落ちるところをニュートンが見て・・・というような、思考や感情の動きまで興味を持つ人は少ない。

 ただ、こうした研究(品質改善や発明・発見のプロセス研究)は、より良い社会を作り出す上で、とても大切ではないだろうか。勿論われわれがニュートンと違うが、日々の生活の中で幸せに生きるために何か応用できるだろう。そんなこともあり、私も若い頃から今までずっと興味を持ち続けていた。

 KJ法。品質管理の様々な手法。市川亀久弥氏の等価変換理論。最近ではTRIZなどもそうかもしれない。

 ただ、こうした手法がとても有効であった、日本の企業風土なども変わりつつあるので、これからのことを考えれば、より新しい視点を取り入れての学問が必要になっているのかもしれない。特に人の心理的側面はより重要ではないだろうか。

 昨日と一昨日は、比較的近くにありながら、行ったことのなかった諏訪大社にお参りした。縄文土器も近くの博物館で見学をしたりし、祖先の精神世界をちょっと垣間見た気がする。

 幸せにも、昨日は天候もよく、撮った写真等を今後機会を見つけ掲載させていただければと考えています。この写真は、諏訪大社下社春宮の近くで、ふと見上げた空にかかっていた三日月。

 今も昔も、暗い側面と戦い、不幸を幸せに変換してきた人がいるのも事実。

<技術の恩恵 4/4>

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キロからテラへ!

2009-09-12 | 第十章「今ここでの恩寵」

 若い頃は、コンピュータ技術で、キロ(K)という単位を良く使った。その後メガ(M)となり、今はギガ(G)やテラ(T)という単位を良く使う。Kは10の3乗。Mは6乗。Gは9乗。Tは12乗である。

 直観的ではあるが、この30年くらいの間にこの単位の変化くらいの技術革新があったように思うし、これからも継続するのだろう。

 技術の革新は、産業革命の時に経験したように、社会の大きな変化をもたらす。良い意味でも悪い意味でもである。

 最近の社会の変化を政治のせいだと、私も思うところもあるが、良く考えると本質的に技術革新の影響かなと思うこともある。グローバリゼーションも金融不安や雇用不安やデフレも今のような情報技術がなければ、なかったかもしれないし違ったかもしれない。

 一方、世界のどこかで災害があれば、時に世界から山のように支援物質が贈られる。悲惨も共有できる時代になってきている。

 情報革命。車に乗れば、必死に地図で目的地を探す時代は過ぎ(と言っても私は先月までそうだったが)、GPSのナビで快適にドライブできる。昔住んだ、アラスカのシトカの街の情報も直接市役所のホームページや住民の作成した映像も見られる。何かを調べようと想えば、昔だったら、何百万円もかけて調査しなければならないような情報が無料で得られる。

 時に、YouTubeがきっかけで昔の友達とメールができる。67億人の爆発的に増える人類なのに、一対一で簡単に連絡できたりする(IP電話などだと、ほとんどコストもかからない)。

 このブログもほとんどコストをかけず投稿させていただいているが、年間延べ数万人の方の眼に触れているようである。しかし、書いている私は、読んでいただいている方をずいぶん知っているので、一対一の感覚で書かせていただいている。

 情報革命に感謝!

 しかし情報革命は、人類(私も含め)にどのような働きを期待しているのか、よく考えなければならない。

<技術の恩恵 3/4>

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