田舎暮らし山裾の日々

信州に移り住み16年 山裾になじむ今日この頃 ECOな生活“循環型社会”を志し 昔と今の田舎の生き方を愉しむ

町のお宝が 山の中で身を潜めていた

2007年10月10日 | 日記
10月10日(水)濃霧 徐々に晴れ  快晴 無風
目覚めとともに東の障子を開けて驚いた。
濃霧だ 霧・・ 直ぐ近くの家の姿も鎮守の杜の木立ちも全く見えない。
朝飯を摂る頃にはキリも晴れてきて向かい野山が見えるようになった。
雲もほとんどなく一日中快晴で過ごせそうだ。

13時少し前に公民館へ着くと既に「たてしな歴史研究会」の面々が来ていた。
立科町の「歴史民族資料館」を見学に行くことになっている。
今回の特別勉強会は町内のグループ「ふるさとプロジェクト」と合同ということだ。
往復は町の教育委員会でバスを提供して貰える。
このところの雨続きで稲刈りが遅れているので、今日の参加者は19名になった。
途中、町の文化財「鳴石」遺跡で休憩した。
http://www.town.tateshina.nagano.jp/b03_gyousei/12_kyouiku/mybunka/04/04.html
ここではS会長の名調子の解説、まるで平安朝の東山道を歩いていたかのように話してくれた。また、研究会から参加者へのご褒美にアイスクリームが振舞われたことも記念的なことだ。
再びバスに乗り30分くらいで目的地「女神湖商店会」駐車場へ着き、ここから徒歩で紅葉の始まっている石畳をあるいた。

歴史民族資料館に入ると薄暗く、カビの臭いがツーント鼻を突く。
既に10年以上の閉館しているのか、観光客の激減と歴史教育が疎かになったことが原因と思われる・・・・
中に陳列している物は想像よりもきれいになっていた。
江戸時代から明治、更には大正昭和の世相に繁栄した生活に関わるものが並べられている。
特に、保科五無斎、六川長三郎、二氏の記録は長野県イヤ日本の宝物だと思う。
五無斎さんの教育論や実践的な教育者としての有り方は現在の学校教育に携わる教師にとっても意味深いものと考える。
また、六川長三郎氏代々の功績は東信州・千曲川南岸の蓼科山麓の水をこれからも飲料水・農業用水として大切に維持していかなくてはならないだろう。

このように立科町の宝をこのような形で置くのではなく、多くの町民が見て、再確認しなければならないだろう。
コメント (1)
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