10月20日(土) 霧 晴れ 快晴 風はあるが心地秋の一日
昨晩、2時頃には星が沢山見えていたが、目覚めると全てが霧に隠されている。
9時頃には浅間山も頂上付近に雪を被っている姿を見せた。
“たてしな歴史研究会”の特別勉強会があるので準備をしたて過ごした。
午後1時10分前に中央公民館に着くと既に大勢の会員が集まっている。
やがて会長も姿を現し、目的地まで車を乗り合わせる班を作った。
勉強会のテーマは「中世の長窪城を訪ねて」として、長窪城跡、名水滝の宮権現・千人塚・長久保宿歴史資料館を訪ねる。
6台の車に分乗し総勢20名で出かけた。
長窪城入り口で車を降りて、ゆっくりと上り坂を歩いた。
城入り口の大内道との別れ際に石碑と案内の看板がある。
全員が揃ったところで、地元長和町教育委員会学芸員 勝見 譲氏に迎えられて山道に入った。
幾重にも作られた堀を上り下りしながら山城の櫓あとに着くと、そこには大きな四阿が出来ている。
勝美氏の年代を追って山城の生い立ちを判りやすく解説してもらった。
この城までの遊歩道と言い周辺の整備がされている状況は、町の文化財に関心を持つ度量の大きさが伺える。
城跡からは西側に開けた景色が見えて小県の山々が霞の中にもはっきりと確認できた。
城を下りてからは車で移動し滝の宮権現で名水を飲み、次の千人塚へ向かった。
ここでは武田軍と迎え撃った小県・咲く地方の武将の戦死者を葬ったといわれている。
悲しい想いのある塚は大きく高さ8m周囲20mもあり山襞に囲まれてひっそりとしている。
しかし、最近は隣にモトクロスのコースができて、見学中にも勝美氏の説明の声が爆音にかき消されたときがあった。
ここからは長久保宿歴史資料館へ向かう。
昔の街道沿いの大きな家で商いをしていたところを資料館にして公開していると云う。
全くの無人で朝晩だけ近くの方が戸締りなどをして、お茶は訪ねた人が自由に飲めるようになっている。
この町の歴史を身近に感じなければ価値がないという表れであろうか・・・
一日を楽しく過ごせたことは長和町の文化の高さと勝美学芸員の細やかな配慮の所以であろう。
長和町風林火山HPhttp://www.nagawa.info/furinkazan/02.html
昨晩、2時頃には星が沢山見えていたが、目覚めると全てが霧に隠されている。
9時頃には浅間山も頂上付近に雪を被っている姿を見せた。
“たてしな歴史研究会”の特別勉強会があるので準備をしたて過ごした。
午後1時10分前に中央公民館に着くと既に大勢の会員が集まっている。
やがて会長も姿を現し、目的地まで車を乗り合わせる班を作った。
勉強会のテーマは「中世の長窪城を訪ねて」として、長窪城跡、名水滝の宮権現・千人塚・長久保宿歴史資料館を訪ねる。
6台の車に分乗し総勢20名で出かけた。
長窪城入り口で車を降りて、ゆっくりと上り坂を歩いた。
城入り口の大内道との別れ際に石碑と案内の看板がある。
全員が揃ったところで、地元長和町教育委員会学芸員 勝見 譲氏に迎えられて山道に入った。
幾重にも作られた堀を上り下りしながら山城の櫓あとに着くと、そこには大きな四阿が出来ている。
勝美氏の年代を追って山城の生い立ちを判りやすく解説してもらった。
この城までの遊歩道と言い周辺の整備がされている状況は、町の文化財に関心を持つ度量の大きさが伺える。
城跡からは西側に開けた景色が見えて小県の山々が霞の中にもはっきりと確認できた。
城を下りてからは車で移動し滝の宮権現で名水を飲み、次の千人塚へ向かった。
ここでは武田軍と迎え撃った小県・咲く地方の武将の戦死者を葬ったといわれている。
悲しい想いのある塚は大きく高さ8m周囲20mもあり山襞に囲まれてひっそりとしている。
しかし、最近は隣にモトクロスのコースができて、見学中にも勝美氏の説明の声が爆音にかき消されたときがあった。
ここからは長久保宿歴史資料館へ向かう。
昔の街道沿いの大きな家で商いをしていたところを資料館にして公開していると云う。
全くの無人で朝晩だけ近くの方が戸締りなどをして、お茶は訪ねた人が自由に飲めるようになっている。
この町の歴史を身近に感じなければ価値がないという表れであろうか・・・
一日を楽しく過ごせたことは長和町の文化の高さと勝美学芸員の細やかな配慮の所以であろう。
長和町風林火山HPhttp://www.nagawa.info/furinkazan/02.html