田舎暮らし山裾の日々

信州に移り住み16年 山裾になじむ今日この頃 ECOな生活“循環型社会”を志し 昔と今の田舎の生き方を愉しむ

天気良く 飯も美味く オヤツも最高!!今日は良い日だ。。

2008年03月17日 | エコな はなし
3月17日(月)快晴 ?? 黄砂が多いらしい 景色がボケている

8時半には食事を済ませて役場に向かい最後の確定申告の提出をした。
いままでは人任せ昨年は何事もなく過ごせたことで難しい金の出入りはないので自分で全て書き上げた。
書き方に依れば還付が多くなるとか人は云うが、其れなりに戻ってくるのだから良しとした。

直ぐに家に戻りチェンソーの試運転OK、燃料OK,つなぎOK・・・・全てを軽トラに積み込み家を出た。
目的地は町の北限「虎御前」のリンゴ畑に向かった。
全て綺麗に切って並べくれてある。
本来は切るところからやらなければいけないのだが、風邪で動けなかったために名訳を掛けてしまった。
2往復とも山盛りにしてロープで縛り、シートを掛けて家に向かう。
畑のご主人KMさんの優しさがありがたい。

昼前に2台分のリンゴの木を降ろして、ふと太陽光パネルをみるとビッシリと黄砂が張り付いている。
普段の表面の輝きが全くなく、こんなときには太陽が出ていても発電量はぐっと下がっているだろう。
タイミングよくMが飯ができたというからありがたい。
久しぶりに外飯だから・・・・
好物のうどんだ。
半熟卵が乗っているのが好い!!
うどんに卵を入れる難しさは俺には良くわかる。それはうどんの汁は濁ってはいけないのだ。
あくまでも澄んでいて、且つそこへ卵が入っても黄身が溶け出さないのが正しい。
今日のうどんは◎

花豆、リンゴと甘味どころを押さえた昼飯に感謝。
その場で少々居眠りをする。
1時少し過ぎに箱畳公園近くに有るリンゴ畑に向かうと道路を直しているのでまた、連絡するという。
仕方なく、次の五輪窪のYHさんに電話をして都合を聞くと直ぐに来て良いということで南に下る。
其処にはやはり風邪の間に切て運んでおいてくれた林檎の木が沢山置いてあり午前と同じように2往復となった。

感謝感謝で本当にありがたく思う。
2回目を運び家に戻ると急に疲れが出て小休止をとることにした。
Mも買い物から帰ってきてオヤツを買ってきてくれたという。
トラックに木を積んだままにして本格的なオヤツ休憩となった。
お茶に大好物のカレーパン!!
しかし、俺はこのカレーパンも熱くなくては食べる気がしないのだ。
熱々のカレーパンをかじり緑茶を飲む至福のひと時・・・・

元気百倍と云うことで全てをおろして万歳となった。

これからは当分の間、薪割という楽しみが庭で待っていてくれる。
天気も良く昼飯も美味くオヤツも最高!!今日は良い日だ。。

コメント (5)
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講演 五無斎・保科百助先生の人物像と業績

2008年03月17日 | 講座受講
3月16日(日)晴れ 薄曇?春霞・・・・・暖かな一日

風邪からも脱却して午前中は慌しく午後の公開講座の仕度をした。
仕度といっても俺が話しをするわけでもないのに、いろいろ準備に手間取る。
会員の20年度会費の徴収票・・・これが一番大事!!

「たてしな歴史研究会」の恒例の年度末行事『町民歴史公開講座』が町・中央公民館で開かれる。
遅めの朝飯だったために12時半の集合時間には何も食べないで出かけた。
会場に着くと既に机が並べられ看板全てが用意されていた。
会長に聞くと町教育委員会のYさんが午前中に済ませてくれたという。
今回俺は風邪でボケていて全てをかばーしてくれた皆さんに深く感謝をしたい。
仕分けをしながら会費を集めたり、レジメのホッチキス止を流れ作業でこなした。
茶話会の買出しを先に済ませとくということで、いつもは女性陣がやってくれるが皆さん風邪を引いている。
男女協働参画ということで俺が行くことにした。
25本のお茶と菓子、占めて3750円と格安の買い物で毎年当てにされそうだ。
戻ると客席はホボ満杯!!10分前だというのに・・・・
後ろに2列のテーブルを追加、14人が座れることになる。

定刻に開始され講師の竹花初雄先生、相変わらずダンディーな姿が似合う。
これでまた野良衣に着替えてトラクターに乗る様がたまらなく魅力が有る先生だ。

今日の題目は「五無斎・保科百助の人物像と業績」となっている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%9D%E7%A7%91%E7%99%BE%E5%8A%A9
五無斎が歩んだ信州の教育者としての話しを淡々としかし、おくには熱いものを感じる口調で語ってゆく。
会場を埋め尽くした中の高齢者には竹花先生の教え子が多くこられているという。

保科五無斎は教師の傍ら鉱石見本を作り県内多くの小学校や現在の高等学校などに配っていたそうだ。
それだけではなく人の平等、教育の機会均等を重んじて同和教育の実践的先駆者であったことが語られてゆく。
地元立科の学校現在の蓼科高校では教壇生活最後を過ごすことになるが、退職後は筆を売り隅を売ったりしながら私塾を開港したと聞く。
そのときの資金の応援をした仲間たちへお礼の手紙を書いたという大きな半紙に筆書きで「御○○○○ス」(お神酒飲み干す)ような書き方をした書をかざしながら話しを進めてくれた。

後半は先生がこまめに集められた様々な資料を持ち込まれ見せ、貼り出して解説をしていただいた。
いつの日かに資料と先生の語りをDVDに納めたいと感じた。

2時間のお話をありがとうございました。
竹花初雄先生は御年81歳で矍鑠とされ、現代のものにも強く日々ブログを発信されていること。
また、年数回の海外旅行をする好奇心の旺盛な方でも有る。
ブログ「浅間の煙」を是非訪問してみてください。
http://blog.goo.ne.jp/h-takehana


夜は山裾の集落 “大深山”集落の役員改選があり公民館の役も残る14日間のみとなった。
コメント (2)
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