3月22日(土)晴れ 何となく花粉か黄砂 温かな一日だった。
昼に公民館へ向かうと既にふるさとプロジェクトのメンバーが集まっていた。
また、何故か華やかな雰囲気がするが ? と思っていた、町内の『芝居で町づくり』のグループも参加してくれると言う。
町のバスを利用して、浅科村(現佐久市)の五郎兵衛記念館を見学することになっている。
http://www.city.saku.nagano.jp/kankou/shinaimeguri/asashina.htm
蓼科山の水を利用した堰を里まで通してきた偉業は大変なものだろう。
立科町は六川長三郎勝家が塩沢堰を、同じ山から浅科村では市川五郎兵衛が同じように私財を投じて堰を掘削したのだ。
http://nammoku.net/gorobe.html
浅科村の堰は9個所をも岩盤を削って通水したと言う。
バスで20分くらいで当地の五郎兵衛記念館に到着した。
早速2回の研修室に招き入れられて大きなパネルを使って水の流れを解説してくれた。
この堰は落差が大きいところと小さいところの差に驚く。
1kmの水路で高低さ2cmしかないところがあるという。
それゆえ水路は平坦部では蛇行して水を満遍なく田に引けるようにしたという。
またこの水源は蓼科山引いた水を使うのが浅科村(現佐久市)、今では大田園地帯となっていることを誇りにするのが南牧村となる。
下記サイトでは『五郎兵衛と同じ日本人、同じ南牧村民であることに誇りを持っています』と結んでいることが素晴らしい!!
http://www.pref.nagano.jp/nousei/nochi/sosui/sosui01.htm
解説は立科の小学校で教育に携わったったと言うSさんがわかりやすく解説してくれる。
一通りの解説のあと隣の資料室へ移ると整然と並べられた資料が眩しい。
どのような過程でこれほどまでにきっちりと調べ上げ、保存がなされてきたのか、浅科村の文化の高さが光っている。
資料の中には徳川家康から受けてご朱印状があり、レプリカが展示して有る。
資料の全てを見て外に出ると、見事な枝垂れ桜が浅間山をバックに際立っている。
まだ、花は咲いていないが4月の中ごろだろうか是非再訪してみたい。
五郎兵衛の墓や水に纏わる祭祀を行う祠がずらりと並んでいるのが壮観だ。
見学を終わった後はまた、バスに乗り近くの史跡へ向かった。
何時も通っているような道から少しだけはいったところに貴重なものが保存されているのには驚く。
ここは鹿曲川の取水口で現在でも使用されている。
ここから崖沿いには嘗て岩盤を削って通水した後が今でも生々しく残っている。
展示室にあった飲みや鏨で掘削したのだろうか、水の流れで侵食された跡が綺麗に穂算されていた。
全ての見学を終えて御礼を述べて立科へ向かった。
立科町の史跡の保存古文書の保存は淋しい限りだ見せ付けられてようだ。
いつの時代も強くものを言う人の文化教養のレベルだろうか?
公民館に戻ったのは4時を過ぎて西日が射す中で解散と相成った。
公民館職員のS氏にはマイクロバスの運転や記念館との渉外など等お世話になりました。
昼に公民館へ向かうと既にふるさとプロジェクトのメンバーが集まっていた。
また、何故か華やかな雰囲気がするが ? と思っていた、町内の『芝居で町づくり』のグループも参加してくれると言う。
町のバスを利用して、浅科村(現佐久市)の五郎兵衛記念館を見学することになっている。
http://www.city.saku.nagano.jp/kankou/shinaimeguri/asashina.htm
蓼科山の水を利用した堰を里まで通してきた偉業は大変なものだろう。
立科町は六川長三郎勝家が塩沢堰を、同じ山から浅科村では市川五郎兵衛が同じように私財を投じて堰を掘削したのだ。
http://nammoku.net/gorobe.html
浅科村の堰は9個所をも岩盤を削って通水したと言う。
バスで20分くらいで当地の五郎兵衛記念館に到着した。
早速2回の研修室に招き入れられて大きなパネルを使って水の流れを解説してくれた。
この堰は落差が大きいところと小さいところの差に驚く。
1kmの水路で高低さ2cmしかないところがあるという。
それゆえ水路は平坦部では蛇行して水を満遍なく田に引けるようにしたという。
またこの水源は蓼科山引いた水を使うのが浅科村(現佐久市)、今では大田園地帯となっていることを誇りにするのが南牧村となる。
下記サイトでは『五郎兵衛と同じ日本人、同じ南牧村民であることに誇りを持っています』と結んでいることが素晴らしい!!
http://www.pref.nagano.jp/nousei/nochi/sosui/sosui01.htm
解説は立科の小学校で教育に携わったったと言うSさんがわかりやすく解説してくれる。
一通りの解説のあと隣の資料室へ移ると整然と並べられた資料が眩しい。
どのような過程でこれほどまでにきっちりと調べ上げ、保存がなされてきたのか、浅科村の文化の高さが光っている。
資料の中には徳川家康から受けてご朱印状があり、レプリカが展示して有る。
資料の全てを見て外に出ると、見事な枝垂れ桜が浅間山をバックに際立っている。
まだ、花は咲いていないが4月の中ごろだろうか是非再訪してみたい。
五郎兵衛の墓や水に纏わる祭祀を行う祠がずらりと並んでいるのが壮観だ。
見学を終わった後はまた、バスに乗り近くの史跡へ向かった。
何時も通っているような道から少しだけはいったところに貴重なものが保存されているのには驚く。
ここは鹿曲川の取水口で現在でも使用されている。
ここから崖沿いには嘗て岩盤を削って通水した後が今でも生々しく残っている。
展示室にあった飲みや鏨で掘削したのだろうか、水の流れで侵食された跡が綺麗に穂算されていた。
全ての見学を終えて御礼を述べて立科へ向かった。
立科町の史跡の保存古文書の保存は淋しい限りだ見せ付けられてようだ。
いつの時代も強くものを言う人の文化教養のレベルだろうか?
公民館に戻ったのは4時を過ぎて西日が射す中で解散と相成った。
公民館職員のS氏にはマイクロバスの運転や記念館との渉外など等お世話になりました。