天野清とは科学史をやっている人には懐かしい名前だろう。中央公論社からの出た自然新書に『量子力学史』(中央公論社)が出ている。天野清は優れた科学史家でもあり、技術者でもあり、物理学者でもあった。
先日インターネットのアマゾンコムで古書として遠山啓の『数学とその周辺』を購入したら、天野清の思い出が載っていた。天野清と遠山さんは東京工大の同僚であった。
また、遠山さんが東大の数学科の学生であった頃、物理学科の天野清と同期生であった。その後、遠山さんはある教授との関係で大学を卒業できないので、東大を退学して、その数年後に東北大学に入るのだが、それはいまはどうでもいい。
天野清は1945年5月の空襲で爆弾の破片があたって、亡くなった。戦後、天野清の選集が発行されたが、それは2冊本らしい。その1冊は手に入れてもっているが、もう1冊はもっていない。
『量子論と熱輻射の起源』は彼の手になる名著といわれている。昔、図書館でそれを借りてコピーし、そのコピーを持っているが、その後、その原著を手に入れてもっている。
九州大学から東京に帰ってくるときに文字通り貨車1台分の資料と一緒に帰ってきたといわれる。遠山さんも彼の博識には舌を巻いているが、それよりももっと彼の見識というか思考にもっと敬意を払っている。
天野の死の2,3日前に遠山が彼と話をしたときのことが書いてあり、神田に古本を探しに行こうと提案したのをもっと強硬に言えば、彼は空襲にあわずに生き残れたのではないかと悔やんでいる。それくらい惜しい人を亡くしたのだ。
私が天野清の名を知ったのは、武谷三男の著書からである。量子力学の解釈とか量子力学史をめぐって彼との間に尊敬の念に満ちたやり取りがあったのは事実であろう。
また、日本で製鉄所の溶鉱炉の温度を始めて測ったは天野だったという(注)。それによれば、炉心よりも炉壁の方が温度が高かったという。そのとき、彼は一時商工省かどこかの研究所に勤めていたはずだ。その後、東京工大に勤めるようになり、遠山さんの同僚となった。